あわいを往く者

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電子書籍『呪いの解き方教えます』

電子書籍『呪いの解き方教えます』表紙
 
価格:¥500+税
著者:那識あきら
表紙:上田にく
発行:パブリッシングリンク

あらすじ

大里造船工場の技術畑で働く川村理奈はいわゆるリケジョ。好意を抱いた相手には決まって彼女がいるか、告白前に彼女ができるというパターンが続き、25歳になっても恋愛経験ゼロ。本人は、それは高校時代のある出来事が原因で“大魔王”に呪いをかけられたからだと思っていた。そんなある日、大手企業、山本重工との共同事業のメンバーに抜擢される。だがよりによって、山本重工のメンバーの中に、呪いをかけた大魔王・高嶋珊慈がいた! 仕事をきっかけに、急接近するふたり。しかし、高校時代より更に格好良くなった珊慈には「女をとっかえひっかえ」の噂が。おまけに機密事項漏洩事件疑惑が……。大魔王との7年ぶりの再会によって、高校時代の初恋が再び動き出す!?(出版社のページより)

作者より

「働く女子」をテーマに、ヒロインに作業服を着せてみました。ビバ、エンジニア。目次にGB節全開な章タイトルが並んでおりますが、中身は結構正統派な恋愛物に仕立てあげられたと思います。全111,700文字、完全書下ろしです。

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目次&序盤試し読み

序章  ガールズ・トーク
第一章  大魔王登場
第二章  むかしむかし
第三章  合同プロジェクト
第四章  釘と歯車
第五章  白馬に跨ったお姫様
第六章  デートの行き先は
第七章  王の目、王の耳
第八章  背水の陣
第九章  対決
終章  ラバーズ・トーク
 

   序章  ガールズ・トーク

 
 茜色に染まる教室に、人影が二つ、寄り添うようにして佇んでいた。
 窓の外には、燃えるような夕焼け空。整然と並んだ机の天板が、陽の光を映して、まるで黄金のように輝いている。
 ふ、と、二つの影が、身じろぎをした。
 何か神聖な儀式でも行うかのように、背の高いほうの影が、厳かな手つきでもう一つの影を引き寄せる。
 どちらからともなく唇が重ねられ、影はとうとう一つになった。
  
 ざあっ、と、中庭の桜の木が枝を揺らしたかと思えば、薄紅色の花びらが窓の向こうで乱舞する。
 なんて、美しいんだろう。
 夕暮れの空に舞う桜吹雪を背景に、口づけを交わす恋人達。
 まるで、映画を見ているみたいだ。
  
 それは、心の奥に大切に仕舞い込まれた映像。忘れがたき光景。
 惜しむらくは、これは――
  
  
 無粋な電子音が響き渡り、川村理奈りなは夢から覚めた。手探りで目覚まし時計のアラームを止めると、唸り声にしか聞こえない悪態を吐き出しながら、ベッドから身を起こす。
 もつれ絡まり視界を塞ぐ長い髪を、手櫛で左右に分けながら、理奈は大きな溜め息をついた。
 夕暮れの空に舞う桜吹雪を背景に、口づけを交わす恋人達。
 あの、絵のように美しいキスシーンは、今は遠い過去の出来事だ。しかも理奈自身は単なる傍観者にすぎなかったというのだから、なんともうら寂しい話である。
 ――まだ夢に見るとは、ねえ。
 八年も前のことなのに。もう一度深く嘆息してから、理奈は会社へ行く支度に取りかかった。
  
  
 大里造船株式会社は、地元ではそこそこ名の知れた老舗の造船会社だ。神部こうべ港の東の外れ、古い埋め立て地の真ん中に、三つの船台(造船台)と一つのドックを備えた広い工場を持っている。
 そこの技術部に理奈が就職して、三年が経つ。
 一口に、造船、と言うが、大里造船が扱うものは船ばかりではない。一九八〇年代から始まった水中探査ロボット(ROV)の開発は、今世紀に入って会社の新しい看板の一つとなっており、理奈は大学で培った知識を生かして、その設計に携わっていた。
  
 十月初めの月曜日。休み明けの緩みきった頭には、時間の進み方がやたら長く感じられる。お昼休みを知らせるチャイムの音に、理奈は、やれやれ、とディスプレイから顔を上げた。
 画面の中に押し込まれていた意識が、深呼吸とともにゆっくりとほどけてゆく。大きく伸びをして、心ゆくまで背筋を伸ばしたのち、理奈は何とはなしに周囲をぐるりと見回した。
 ワンフロアをぶち抜いた広い設計室には、八〜十脚の机から成る島が全部で七つ並んでいる。机上に乱立するディスプレイ、それに向かうエンジニア達が着るネイビーブルーの作業服は、製造部(工場)と共通のユニフォームだ。正社員、派遣、男女の別を問わず、就業中は全員が着用することになっている。
 理奈は、この「制服」が結構気に入っていた。胸元に入ったシルバーのラインがちょっとしたアクセントになっていて格好よかったし、なにより濃紺の色彩効果で体形がほっそりとして見えるのがいい。そういえば以前、写真を見た弟が「F1のメカニックみたいやん」と羨ましそうに言っていたなあ、なんてことを思い出しながら、理奈は再びディスプレイに目を戻した。
 作業が一段落しているのをあらためて確認し、データを保存する。向こうの柱に貼られた「節電」の文字を横目で見ながら、弁当片手に立ち上がったところで、向かいの机から不機嫌そうな声が理奈に投げかけられた。
「また、会議室を使うのか」
「え、井神さん、会議室使うご予定が?」
「そういうわけではない」
 理奈の四年上の先輩である井神は、理奈のほうを一瞥もせずに返答した。眼鏡のレンズが画面のデータを映して、仄かに緑色がかっている。
「弁当を食べるために、いちいち席を移動する必要があるのか、と思っただけだ」
「あら」
 背後に楽しげな声を聞き、理奈が振り返れば、パンツスーツに身を包んだショートヘアの女性が、悪戯っぽい笑顔を浮かべて立っていた。
「井神君ってば、川村さんとお昼を一緒に食べたい、ってわけね?」
「あ、小坂さん、お帰りなさい」
 小坂は、理奈や井神が所属する特殊装備開発課――水中ロボットの開発を担当する課、通称・特装課――の課長だ。今日は一日出張だと聞いていたが、予定が変更になったのだろうか、と理奈は内心で小首をかしげた。
「何を馬鹿なことを言っているんですか、課長」
 井神が、顔を上げぬままに、刺々しい声を返した。
 小坂は、気にしたふうもなく、にこやかな笑みを井神に投げる。
「井神君だって、会議室にご飯持ち込んでもいいんだよ」
「どこで食事をしようが、私の勝手です」
「じゃあ、川村さんが会議室へ行くことについても、君がとやかく言うことではないね」
 さらりと切り返された一言に驚いて、理奈は思わず小坂と井神を交互に見比べた。
 井神は、依然としてディスプレイのほうを向いたまま、作業を続けている。
 小坂は、そんな井神の態度に何ら頓着した様子も見せず、にっこりと理奈に笑いかけた。
「もう少ししたら、また出なきゃいけないんだけど、それまで私も一緒に会議室でコーヒーでも飲もうかな」
 いただきもののお菓子があるから皆で分けよう、との小坂の言葉に、理奈は一も二もなく大きく頷いた。
  
  
 設計室の南側には、パーティションで区切られた小部屋が三つ並んでいる。理奈はその中の『第三会議室』と書かれた扉をノックすると、返事を待たずに「入りまーす」と扉をあけた。マグカップと紙袋で両手が塞がっている小坂を先に通し、理奈も会議室に入る。
 扉が閉まるのを待って、部屋の中央から歓声が沸き上がった。
「小坂さん、それ、アンジュ・ジャルディニエの袋やないですか!」
 既に席についていた六人の女性社員のうち一番年長の豊田が、一同を代表するようにして小坂の持っていた紙袋を指さし、有名洋菓子店の名前を口にした。
「袋は、ね」
「ええー、中身は別なんですかー?」
 豊田は、技術開発課に所属する派遣社員だ。主に船殻の設計を得意とする技術者で、大里造船では十年前にも船舶設計課付けで働いていたことがあり、同年代の小坂とは特に仲が良い。今も、他の派遣達が見守る中、紙袋の中身について互いに軽口を叩いている。
「で、結局正解は何なんです? サルミアッキとか言わんといてくださいよ」
 聞き慣れない単語を耳にした全員から「サルミアッキってなんですか?」との問いが豊田に投げかけられた。
「フィンランドのお菓子でな、飴ちゃんっていうか、グミキャンディっていうか、真っ黒で、苦くて、しょっぱくて、ほの甘くて……、なんというか……、平均的な日本人の舌にはちょっと合わへん味してんねん……、うん……」
 嬉々として説明を始めた豊田だったが、ほどなくその表情が暗いものに変わってゆく。
 それを見て、小坂が慌てて両手を振った。
「大丈夫。中身もやっぱりアンジュ・ジャルディニエだから。クッキーの詰め合わせだって」
 小洒落た箱が紙袋から姿を現すのを見て、一同はあらためて喜びの声を上げた。
  
 他愛もない話に花を咲かせながらの、お昼ご飯。食べ終えた者から順に小坂に礼を言って、念願のクッキーに手を伸ばす。
 理奈も、ナッツのクッキーをありがたくいただいた。さくさくとした食感に続いて、香ばしいナッツの風味とバターの香りが、ふわっと口の中に広がる。ほどよい甘さと適度なコクは、何枚食べても飽きがこないほどだ。もう一枚、と言いたいところを、理奈がぐっと我慢していると、隣に座っていた派遣の子が、事も無げに小坂に問いかけた。
「こんなゴージャスなお菓子、どうなさったんですか?」
「結婚式の引き出物。知ってるかなあ、大橋君って。今年の三月に退職した、ウチの課の」
 その名を聞いた瞬間、理奈は胸の奥が、ずん、と重たくなったような気がした。
「確か、お父さんが急に亡くなりはって、実家の工場を継がなきゃなんなくなったんやったっけ?」
 豊田の問いに、小坂が小さく頷く。
「へー、大橋さん結婚なさったんですかー」
「親切な方でしたよね。違う課の私達も、何度かお世話になっちゃって」
 大橋を知る者達が、懐かしそうに語り合うのを、理奈は黙って聞いていた。
「この週末に式があってね。川村さんによろしく、って言ってたよ」
 不意打ちのように小坂に話を向けられて、理奈は思わず姿勢を正した。
 大橋は、先ほど会議室の件で文句を言ってきた井神と同期の社員で、構造解析の先輩として、時に厳しく、時に優しく、理奈に仕事を一から教えてくれた。いつだったか理奈のミスのせいで仕事が明け方まで及んだ時も、小言を言いながらもきっちり最後まで手伝ってくれた。
『間違いは誰にでもある。それを乗り越え、成長できるかどうかが問題なんだ』
 そう言って励ましてくれた大橋の、期待に応えたい。しっかり経験を積んで、いつかこの恩に報いたい。その一心で理奈は仕事に打ち込んだ。
 だから、彼が会社を辞めると聞いた時、理奈は目の前が真っ暗になったような気がしたのだ……。
「どんな方だったんですか?」
 今年度から新しく来ている派遣の子が、興味津々といった表情で身を乗り出してくる。
「年齢の割に落ち着いていたというか、人当りのいい人間だったよ。仕事面でもとても優秀だったので、大橋君が辞めると知って、皆、心から残念がってたね」
 小坂の言葉を受けて、豊田が大きく頷いた。
「そうそう。川村ちゃんなんか、物凄ーく落ち込んでいたもんね。まるで失恋でもしたみたい、って……、あ」
 と、そこで、豊田は「しまった」とばかりに手で口を押さえた。
 その横で、小坂が額に手をやり溜め息をつく。
「……あ、いや、その、そう見えた、ってだけやねん。で、あの、その」
 うろたえる豊田とは対照的に、他の者の反応はいたって冷静だった。それが意味するところを理解して、理奈はそっと息を吐いた。
「まあ、あたらずといえども遠からず、ですか」
「やっぱり!」
 小坂のたしなめる声をよそに、豊田が勢いよく食いついてくる。
「もしかして、告白したん?」
「告白どころか、その前フリするより先に、彼女がいる、って聞いちゃったんで」
 この情報は初耳だったのだろう、ここでようやく一同がざわめき始めた。
 理奈は溜め息を押し殺すと、思いっきり大きく伸びをした。それからもう一度、今度は皆にも分かるように深く嘆息して、がくりと椅子の背にもたれかかった。
「やっぱり、呪われているのかなあ、私」
「え?」
 驚きの表情で、皆が一斉に理奈のほうを見る。
 こうなったらネタにするしかないじゃない、と、胸の内でぼやきながら、理奈は言葉を継いだ。
「昔っから、私が『いいな』って思った人って、必ず彼女持ちなんですよ。これって絶対何かの呪いですって」
「えー?」
「嘘ぉ」
 冗談めかせた口調が功を奏したのか、場は一気に賑やかさを取り戻した。
「本当?」
「本当」
「必ず?」
「必ず」
  
 この気持ちが恋愛感情なのか尊敬の念なのか、自分でもよく分からなかったけれど、このまま離れ離れになってしまうのは嫌だ。そのことだけでも大橋に伝えたくて、理奈は設計室の外で彼を捕まえた。
 理奈が退職について問うと、大橋は、まさかこんなことになるとは、と寂しそうに笑った。それから彼は、気持ちを入れ替えるように大きく頷いて、悪いことばかりではないんだけどね、と、少し照れた顔を作った。
『ずっと付き合ってた彼女に、思いきって、一緒に来てくれるか、って頼んだら、OKしてもらってさ……』
  
「まさかまさかの略奪愛体質ってやつ?」
 好奇心旺盛な様子で問うてくる豊田に、理奈は力いっぱい首を横に振ってみせた。
「違いますよー! 彼女がいるなんて知らなくて、好きになるっていうか……。あと、私が『いいな』って思って見てる間に、相手に彼女ができる、ってパターンも、ちょこちょこと……」
「例外は無かったん?」
「無いですねえ。おかげさまで、男女付き合い以前に、告白すらできたためしがないわけで」
「うわ、それは呪われてる」
 大袈裟に身をのけ反らせる豊田の向かいで、新人の子が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「でも、川村さんに呪いをかけようと思ったら、大魔王とか呼んでこなきゃ、ですよね」
「どういう意味よー」
 唇を尖らせる理奈に、すまし顔が応えた。
「だって、呪いとかそんなのと全然縁がなさそうっていうか、呪いかけられても弾き飛ばしそうっていうか」
「弾き飛ばしそう! 分かるー!」
「ですよねー!」
「ええ? ちょっと、皆、私のこと一体どんなキャラだと思ってるのよー!」
 すっかりいつも通りとなった喧騒の中、小坂が腕時計を見て息をつく。
「ああ、そろそろ行かなきゃ。クッキー、余ったやつは、いつもの『おやつ机』に置いておいて」
 マグカップ片手に立ち上がった小坂は、理奈を振り返ってそっと目を細めた。
「その『呪い』だけどね、きっと、川村さんに『見る目がある』ってことなんじゃないかな」
「そうだったら、いいんですけど……」
 素敵な人から売れていくって言うやん、と、訳知り顔で相槌を打った豊田が、他の皆から集中砲火ならぬ集中抗議を受けて悲鳴を上げている。
  
 まさかその「大魔王」と七年ぶりに再会することになろうとは、この時の理奈は想像もしていなかった。