あわいを往く者

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電子書籍『図書館で会いましょう』

電子書籍『図書館で会いましょう』表紙
 
価格:¥400+税
著者:那識あきら
表紙:秋吉ハル
発行:パブリッシングリンク

あらすじ

図書館で司書として働く高嶋和海は、一人の来館者が気になっていた。すらりとした長身に、知的な眼鏡、いつも閉館間際にやってきて、同じ書架の前に佇む男性、森元拓司。恋とも言えない淡いトキメキを感じていた彼と、ふとしたことがきっかけで話をするようになる。しかしその夜、和海はひったくりに遭遇。以来、彼女の周りでは不可思議な出来事が続き…。『撞着する積木』『うつしゆめ』で、多くの読者を魅了した美しい文章で綴られる、ミステリータッチの恋愛ストーリー!(出版社のページより)

作者より

 日常の謎×恋愛(ラブシーンもあるよ)、という、趣味丸出しなジャンルで突っ走りました。全52,000文字、完全書き下ろしです。
(ちなみに、主人公の和海は、『撞着する積木』に登場する高嶋珊慈の姉です)

主な配信サイト

目次&序盤試し読み

一  図書館の君
二  予期せぬ出会い
三  糾える縄
四  心、重ねて
五  笑顔の向こう
六  手紙
 

   一  図書館の君

 
 ちょっとした、幸せ。
 例えば、夕立のあとに虹を見つけた時や、パン屋で買おうと思っていたパンが丁度焼きあがって厨房から出てきた時、待ち時間の長い駅前の信号を待たずに渡れた時や、はね癖のある髪を上手くスタイリングできた時。高嶋たかしま和海かずみにとって、「彼」の姿を見かける時も、そんな、ちょっとした幸せを感じる瞬間だった。
  
 和海が勤めているのは、図書館だ。駅前から歩いて十分ほどのところに建つ、近代的だが前衛的ではないフォルムの、そこそこの規模を誇る市立の図書館。和海はここで派遣職員として二年前から働いている。
 紺色のベストに同色のスラックスという制服は、一見普通の事務員と変わりがないように見えるが、彼女達が所属するのは、司書専門の派遣会社だった。カウンター業務や配架は勿論、図書の修繕からレファレンスまでこなさなければならない。出勤時には綺麗にスタイリングされていたレイヤードボブを、惜しげもなく振り乱しながら、和海は今日も図書館内を飛びまわっていた。
「彼」は、和海よりも少しだけ年上に見えた。おそらく三十歳は超えていないだろう。一番背の高い書架の天板にも楽々手が届きそうな、すらりとした長身に、ハーフリムの眼鏡。スーツではなく、若干カジュアルな服装で、肩掛けタイプのブリーフケースを斜め掛けにしている。もしかしたらまだ学生なのかもしれないが、いつも閉館間際の十九時前に現れるところを見れば、勤め人の可能性のほうが高そうだ。
 図書館の常連は、「彼」以外にも沢山いる。かくしゃくとしたお年寄りから、ちょっと小生意気な小学生まで、見覚えのある顔が、日々入れかわり立ちかわり館を訪れる。とはいえ、業務に追われる和海達職員には、彼ら一人一人に気を留める余裕などほとんど無い。レファレンスサービスに対応している時ですら、質問への応答や該当する図書の特定に集中するあまり、利用者本人へ意識を向けることが難しいのだから。
 たぶん、「彼」についても、和海が彼のことを認識するよりもずっと前から、ここの利用者だったに違いない。
 返却手続きを終えた本を積んだスチール製のブックトラック――本棚にキャスターがついたようなもの――を押しながら、和海は横目で書架の間を見やった。一般図書室の奥から二番目の「自然科学」の棚は、入り口近くに何列も並ぶ「文学」の棚と違って、利用者の数が圧倒的に少ない。ひとけの絶えた通路に佇む背の高い人影を確認した和海は、緩む口元を見咎められないよう、「彼」のいる書架をそうっと通り過ぎた。
  
  
 ――あの人、前もここで見たような。
「彼」に和海が初めて気づいたのは、先月のことだった。利用者の少ない書架の前、じっと微動だにせず本を見つめるその姿が、ふと、和海の記憶に引っかかったのだ。
 誰がどんな本に興味を抱いているかなど、いちいち気にしていたらきりがない。和海は気持ちを切り替えると、一旦仕事に戻った。が、配架作業を終えて再び「自然科学」の横を通りがかった時、流石に和海も、思わず足を止めてしまった。さっきの男が、さっきと同じ場所で、さっきと寸分たがわない姿勢で棚を見つめていたからだ。
 立ち止まったことを不審に思われたらどうしよう、と、和海は咄嗟に手前の棚を整理するふりをした。背表紙のラベルを上から順に見ていると、分類番号が違う本が紛れているのを運良く発見、したり顔で取り出し、ブックトラックに乗せる。面倒だからなのか、うっかりしていたのか、手に取った本を元の場所に戻さない利用者は、決して珍しくはない。
 さて、どのタイミングで切り上げようかな、と思案しながら、ちらりと右手に視線をやれば、なんと男と目が合った。
 どどどどどうしよう、と内心大いに焦る和海に対して、男は、そつのない動きで小さく頭を下げた。
「お疲れさまです」
「あ、ありがとうございます」
 和海も慌ててお辞儀を返す。つい言葉に詰まってしまったのは、レファレンスならともかく、本を整理しているだけで利用者にねぎらわれたことなど今まで一度もなかったせいだ。
 改めて男と正面から対峙して、和海は密かに息を呑んだ。
 ――うわ、ちょっと、この人、結構カッコイイかも。
 髪型も、服装も、目を引くような派手さこそないものの、知的で落ち着いた雰囲気は、とても好感が持てるものだった。それに、きりっと引き締まった顎、すっと通った鼻梁。眼鏡のせいで目立たなくなってしまっているが、目元の彫りも結構深そうだ。
 と、そこでようやく自分が男のことをじっと見つめていたことに気づいて、和海はあたふたと周囲に視線を彷徨わせた。
「も、もうすぐ閉館ですので、お忘れ物の無いようにお気をつけくださいね」
 いかにも今、他の用事を思い出した、と言わんばかりの下手な芝居を打ちながら、和海はそそくさとその場を立ち去ったのだった。
  
  
「彼」の名が森元もりもと拓司たくじであることを、和海は貸し出し手続きで知った。図書館カードに記載された個人名なんて、いつもなら手続きが終わればすぐに記憶から消えてしまうのに、彼の名前は一瞬にして和海の胸に沁み込んだ。
 当人のあずかり知らぬかたちで彼の個人情報を手に入れてしまったことに、和海は少しだけ罪悪感めいたものをいだいた。自分の胸元の名札に目を落とし、苦し紛れに「お互いさまだ」とおのれに言い聞かせてみる。入手した個人情報を業務以外に利用しない限り、職業倫理には一応もとらないはず……だろう……きっと。
 これ以上一方的に彼のプライベートを覗くわけにはいかない、と、和海は彼の借りる本の題名に注意を向けないように努めた。それでも、全ての情報をシャットアウトするのは不可能なわけで、着々と彼の人物像が和海の中に構築されていった。
 文庫本を一冊借りては、次の日には返却、また新しい文庫本を借りていく。きっと通勤のお供にしているのだろう。
 長身を折り曲げるようにして、ちょっと遠慮がちに本を探している姿は、どこか微笑ましい。それより何より和海の目を引いたのは、彼のあの眼差しだった。まるで日課のように、自然科学の書架の前に佇み、棚を見つめるその眼差しは、とても温かく、優しく見えた。きっと、本当に本が好きなんだろう。
「ちょっとした幸せ」を胸にしっかりと抱いて、今日も和海は閉館の準備にとりかかった。