あわいを往く者

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九十九の黎明 第二章 王都へ

  
  
  
 なだらかな丘を越えた一行を、滔々と流れる大きな川が出迎えた。
 国名の由来でもある悠久なるチェルナ川の対岸には、びっしりとほったて小屋が立ち並び、それら粗末な屋根々々の向こうには、石積みの城壁が雄姿を見せつけるようにしてそびえている。
 五メートルを超える高さの城壁と、チェルナ川から引き込んで作られた堀とで守られた、城郭都市。イェゼロを発ってから五日、ウネン達一行はようやく王都クージェに到達した。
 川に架かる橋を渡るなり、天秤棒をかついだ甜瓜売りが道を塞いだ。「旦那、喉が渇いていないかい」と、にこやかな笑みで鮮やかな黄色の実を差し出してくる。
「急いでいるんだ、道をあけてくれ」
 スィセルが左手を振って甜瓜売りを退けると同時に、トゥレクがやや強引に歩みを進めた。鹿毛の馬が引き手の動きに応じて首を振り、待ち構えている物売り達を牽制する。
 トゥレクとオーリという強面こわもてを露払いに、一行は無事クージェの門へと辿り着いた。門番が、スィセルの顔を見るなり、駆け寄って出迎えてくれる。
「あらためて、ようこそ、王都クージェへ!」
 城壁の内部へ入ったところで、スィセルが得意げにウネン達を振り返った。引き手を持っていないほうの手を振り広げ、雄大なる街並みを全身で誇る。
「うわー、すごい!」
 イレナが、目を輝かせて感嘆の声を上げた。
 右も左も正面も、見渡す限りに、三階建ての建物が立ち並んでいた。街の中心へ伸びる通りの両側には、靴や金槌、豚に花、多種多様な絵のえがかれた看板が軒先を飾っている。行き交う人の数は、祭りの日もかくや。路面は石で敷き固められており、雨が降ろうと、馬車がぬかるみに車輪を取られることもないだろう。
 そして、ひしめき合う家々の向こう、全てを凌駕する、石造りの尖塔、やぐら塔。国のあるじの居城に相応しい、堂々たる威容に、ウネンも思わず溜め息を漏らした。
 だがその一方で、ウネンの脳裏には先刻城壁の外で見た風景がこびりついてしまっていた。板葺きの、吹けば飛ぶような小屋が、幾重にも軒を連ねているあの風景が。
「あの……」
 ウネンは、躊躇いつつも思い切ってスィセルに声をかけた。
「さっきの、門の外の家々は……」
「ああ、あれは、この数年に余所から王都へ流れてきた人々です。城壁内に住む場所を見つけられなかった者達が、陛下のご温情で、ああやって壁の外に小屋を建てて暮らしているのです」
 今は夏だからまだ良いが、冬になると、板切れでできた隙間だらけの小屋は、戸外と大して変わらない過酷な寒さに晒されることとなる。嵐でも来れば、建材とともに住人の命など簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。
「どうしたの、ウネン」
「……なんでもない」
 イレナを安心させるべく笑顔で応えてから、ウネンはそっと目を閉じた。深呼吸をして、気持ちを切り替える。いよいよこの国の王と、あいまみえることになるのだ。余計なことに頭を使っている場合ではない。
「では、城へ参りましょうか」
 スィセルの呼びかけに、ウネンは静かに瞼を開いた。
  
  
 商店が軒を並べる緩やかな上り坂を進んでゆけば、やがて目の前に切り立った岩肌が現れた。岩盤を削って作られた坂道が、法面のりめんにへばりつくようにして、左方から右方へと崖をのぼってゆく。周囲の家々の屋根よりも高い岩の壁の上には、それよりも更にたけのある石積みの壁が、青空を背景に無言でそびえ立っていた。
 ウネン達が立つ街路から見上げても、崖の勾配が急なため、城壁と、城壁に連なる塔以外の建造物は見えない。これが城――城塞――というものか、と、ウネンは大きく息を吐いた。このクージェの城と比べれば、バボラークのお城なんて、「水路と塀で囲まれた大きなお屋敷」程度のものだ。
 城への坂道をのぼるにつれ、街はどんどん低くなり、ウネンはまるで自分が本当に鳥の眼を持ったかのような感覚に陥った。見上げるばかりだった家々が、自分の足よりも下方にあるというのは、にわかには信じがたい状況だった。この分では、あの塔の上にのぼれば、上空高く舞う鳥にも手が届くのではないだろうか。
 ひたすら景色にみとれながら惰性で足を動かしていると、左肩が何かに突き当たった。よろけて手すりに取りすがったウネンに、派手な罵声がぶつけられる。
「気をつけろ!」
 慌てて声のしたほうへ顔を向ければ、大きな荷物を背負った男が、ウネンを下目に睨みつけていた。
「すみません」
「ガキが、のこのこ、こんなところに来るんじゃ……」
 肩をいからせて凄みをきかせようとした男が、突然語尾を濁した。「あー」だの「うー」だの漏らしたのち、さっきに比べて心持ち声量を押さえた声で、「よそ見しながら歩いてんじゃねーよ」とだけ吐き捨てて坂をおりてゆく。
 もしや、と思ってウネンが振り返ると、果たしてそこには、オーリが腕組みをして仁王立ちになっていた。
「何よ、今の人、わざわざウネンに自分からぶつかってきてたじゃない! こんなに道が広いんだから、あっちの端っこ歩いてりゃいいのに!」
 憤慨するイレナに、オーリが「うむ」と同意する。ウネンは、苦笑とも自嘲ともつかない笑みとともに、二人を順に見やった。
「二人ともありがとう。でも、よそ見してたのは事実だし」
 イレナの言うとおり、坂道は、馬車がゆうに二台並んで通れるほどの幅があったが、だからと言って、ふらふらよそ見をしながら歩いても構わないというものではない。現に今も、何人もの人々が坂を下りてきているし、ウネン達を追い越しても行く混み合いぶりだ。
「どうされましたか?」
 前のほうを歩いていたスィセルが、大慌てでウネン達に駆け寄ってくる。申し訳なさにいたたまれなくなって、ウネンは、これからはしっかり前だけを見て歩こう、と肝に銘じた。たぶん、すぐにこの決意は揺らぐんだろうな、とも思いながら。
  
  
 スィセルの先導で、門番の兵士達に足止めされることもなく、ウネン達は城門塔をくぐり抜けた。人が大勢行き来する中庭を通り越し、第二城壁の門をも通り抜ける。
 幾つもの塔に見おろされながら、ウネン達は城の中枢である主館キープへと案内された。
 薄暗い館内に足を踏み入れた途端、ひんやりとした空気が一行を包み込んだ。あっという間に汗が引いていくのを感じ、皆が口々に溜め息をつく。建物に入ってすぐの小部屋に荷物を預け、再び廊下に戻って更に奥へ。スィセルが重厚な樫の両開きの扉を押し開いて、皆を中へといざなった。しんがりを務めるトゥレクが、うやうやしく扉を閉めてから、直立不動の体勢で扉の脇に立つ。
 そこは、小さな家ならすっぽりと収まってしまいそうな、広々とした部屋だった。左手の壁には、人の背丈よりも高い位置に、八つの窓が等間隔に切られている。左奥の角には、大きな暖炉。正面の壁の中央にはチェルナの国旗がかけられており、その前、向かってやや右手に、一際立派な布張りの椅子が一脚、こちらを向いて置かれていた。
「おお、おいでになられたか」
 右手の壁にかけられた絵を眺めていた四十代ぐらいの男が、にっこりと微笑んでウネン達に向き直る。つややかな赤銅色の髪と抜けるような碧の瞳が印象的な、優男だ。
「ヴルバ様、こちらにおいででしたか」
「興味深いお客様がいらっしゃると聞いたのでね。陛下に頼んで私も同席させていただくことにしたよ」
 スィセルがウネン達を振り返って、「こちらは、東の国境沿いにある、スハーホラの領主、ヴルバ様です」と優男を紹介してくれる。
「陛下とは狩り友達でね、こちらへは十日ほど前から遊びに寄せてもらっているんだよ」
「遊びに、などと、わざわざ軽佻浮薄を気取らなくてもいいだろう?」
 ヴルバの言葉が終わりきらないうちに右手奥の扉がひらき、別な男の声が部屋中に朗々と響き渡った。
「陛下!」とスィセルが、姿勢を正して右手を胸に当てる。
「ああ、別に他人の目があるでなし、形式ばらなくていいさ、スィセル」
 金の髪を揺らして、チェルナ国王クリーナクが広間に入ってきた。人のよさそうな眼差しに、朗らかな笑み。口元や目尻などを見る限り、年齢はヴルバとあまり変わらないようだったが、全体的な印象は、彼よりも幾分若く見える。
「陛下。お言葉ですが、他人の目云々うんぬんと仰るならば、お客様の目も気にすべきではないでしょうか」
 クリーナクの後ろに付き従っていた、栗色の白髪交じりの髪をした年配の男が、しかつめらしい顔で苦言を口にした。
「固いことを言うなよ、ハラバル。我らが客人は、私が多少ざっくばらんにふるまったところで、物事の本質を見失ってしまうような人間ではあるまいよ」
 そうだろう? とクリーナクに問われて、スィセルが「はい」と力一杯首肯する。
「まずは、遠路はるばるご苦労だった。あらためて、私がチェルナの当主、クリーナクだ。この、難しい顔をしているのが、我が優秀なる補佐官にして、数学者、兼、天文学者、兼、我が姫の家庭教師であるハラバル」
 ハラバルと呼ばれた男は、悪戯っぽい表情でずらずらと肩書きを並べ立てるクリーナクをちらりと横目で見たのち、ウネン達に目礼をした。
「ヴルバについては、既にスィセルが紹介してくれていたようだが……、親愛なる我が居候の……」
「おいおい、ひどいな、クリーナク」
 苦笑を浮かべて、ヴルバが口を挟む。
 クリーナクが涼しげな顔でうそぶいた。
「君の軽佻浮薄に付き合ってやろうと思ったんだが」
「あれは、自分で言うからいいんだよ。それで、あとで実は真面目な人間だということがばれて、大いに見直されるまでが一続きなんだから」
 これ見よがしに肩をすくめてから、クリーナクはぐるりと一同を見渡した。
「この面倒臭いやつが、親愛なる我が友、ヴルバ。東のかなめであるスハーホラを治めてくれている。私と一緒に、君達の話が聞きたいんだそうだ」
 ひととおり紹介を終えたところで、クリーナクがスィセルに頷いてみせる。いよいよスィセルがウネン達を紹介する番だ。
「こちらが、バボラーク領イェゼロの町の地図職人、『雀の眼』ことウネン様です」
 王達三人の視線が、一斉にウネンに注がれた。ウネンの容姿に驚いた様子がないのは、彼らが既に「雀の眼」についてある程度の情報を持っているということなのだろう。
 ウネンはごくりと唾を呑み込むと、事前にスィセルに教わったとおり、軽く膝を折って挨拶をした。
「そしてこちらが、ウネン様のご友人のイレナ様。自警団団長のご長女で、ウネン様の護衛を買って出てくださいました」
 イレナも、すまし顔でウネンに続く。
「お隣が剣士のオーリ様で、そのお隣が魔術師のモウル様。道中、八名もの追い剥ぎの襲撃を受けましたが、モウル様のおかげで無事ことなきを得ました」
「ほう、魔術師、か」
 クリーナクが興味深そうに目を輝かせた、その時、ウネン達が入ってきた扉が大音響とともに開かれた。