あわいを往く者

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九十九の黎明 第五章 旅立ち

  
  
 背割り長屋のその部屋で、煙突掃除の仕上げとして暖炉周りに飛び散った煤やごみを片付けていて、偶然コニャは見つけてしまったのだという。煙棚の奥に隠してあった、幾つもの宝石が入った革袋を。
 煙道に直接腕を差し入れ煙棚の上を雑巾で拭いていたコニャは、手に触れた何かを、煙突から落ちたごみと思って素直に引っ張り出した。子供のおもちゃか何かかな、と、躊躇なく中身を手のひらに空け、予想もしていなかった眩い煌めきを目にして息を呑んだ瞬間、コニャは髭の男に腕をねじりあげられた。
「こいつを見られたからには、生きて帰すわけにはいかねえな」
 どうやらその宝石は、どこかから盗んできたものらしかった。誰にも言わないから見逃してほしい、と必死になって訴えるコニャを、男達は容赦なく縄で縛りあげた。
 コニャにとって唯一の救いは、彼らが金銭に対して非常に貪欲であったことだった。夜が更けたら人買いのところに連れていこう、と彼らが話しているのを聞き、コニャは暴れるのをやめた。きっとどこかで逃げ出す機会が訪れると信じて、その時のために体力を温存することにしたのだ。
 そして、救いの手は訪れた。
 身体の自由を取り戻したコニャは、ウネンに、それからオーリに飛びつき、鼻をすすりながら何度もお礼の言葉を繰り返した。
  
 大騒ぎを聞きつけて、近所の人々が家の周りに集まり始めた。
 隣の家の奥さんが、コニャに水をふるまってくれた。ご主人のほうは、自警団を呼びに行ってくれるらしい。
 縄でぐるぐる巻きにされた三人組と自警団の相手をオーリに任せ、ウネンとモウルでコニャの無事をユウの店へ知らせることにした。
 終課の鐘(午後九時の鐘)も過ぎ、完全なる闇に沈んだ中央広場では、代筆屋だけが煌々と灯りを辺りに振り撒いていた。
 たまたま店に戻っていたユウは、コニャの無事を目を潤ませて喜んだ。留守番を買ってでた隣の修繕屋の店主に、コニャを捜して町中を走り回っている彼の父親あての伝言を託し、ユウ自身は、乳飲み子を抱えて身動きが取れない母親に息子の無事を知らせに行ってから、コニャを迎えに行くという。
 一足先にくだんの長屋の前まで戻ってきたウネンとモウルに、オーリが現在の状況を報告した。
 コニャは、引き続き隣の夫婦が手厚く保護してくれている。問題の三人組は、つい先ほど自警団の面々がしょっ引いていったとのことだった。
「城に帰るのは、親か代筆屋にあの少年を無事引き渡してからだな」
 ふう、と、モウルが溜め息をつく。
 ウネンは、今一度モウルとオーリを順に見つめ、あらためて心からの礼を言った。
「本当に、コニャが助かったのは二人のお陰だよ。一緒に来てくれてありがとう」
 いえいえどういたしまして、という、いつもの飄々とした台詞が返ってくるかと思いきや、さっき代筆屋で見せた愛想のよい受け答えはどこへやら、モウルは思いっきり不機嫌そうな表情でウネンを下目にねめつけた。
「髭とチビの二人を玄関口まで引っ張り出せた時点で、君の任務は成功だったはずだ。どうしてすぐに合図をしなかった」
 代筆屋への行き帰りにモウルの口数が少なかったのは、疲れていたからではなく機嫌が悪かったせいだったのだ。ウネンは慌てて、自分がモウルの作戦どおりに動かなかった理由を説明し始めた。
「だって、あの髭男、本当に油断ならない感じだったんだよ」
 最初に玄関口に出てきた背の低い男とは違い、髭の男は、ウネンの姿を見てもまったく警戒を解く様子がなかった。
「彼らと扉や壁の位置とを考えたら、たぶんモウルの第一撃で髭男は倒しきれない。二撃目が来る前に、きっと髭男は二階に襲撃を知らせるだろう。でも、彼の注意をぼくに引きつけることができたら、ほんの僅かでも時間が稼げると思ったんだ」
 ウネンの話を聞いて、モウルが「ああ」と息を吐いた。「なるほどね」と額を押さえ、溜め息をつく。
 矛先を収めるモウルと入れ替わるようにして、今度はオーリが苦々しげに口を開いた。
「だが、無茶が過ぎる」
「オーリとモウルなら、なんとかしてくれると思ったから」
「丸投げか」
「そんなんじゃない」
 ウネンは、きっとオーリを睨み返した。
「ぼくが最善を尽くすように、オーリとモウルも最善を尽くしてくれると思ったんだ」
 オーリが「最善」と小さく呟く。
 ウネンは力一杯首を縦に振った。
「オーリ達の『最善』が、あんなしょうもない悪党相手に後れをとるはずがない。だからこそ、ぼくも自分の『最善』を為さなければ、って思ったんだ」
 ウネンがきっぱりと言い切るのを聞いて、オーリとモウルが揃って息を呑む。
 沈黙が降り積む暗い路地を、一陣のすがしい風が吹き抜けてゆく……。
「おーい、護衛さーん」
 コニャを見ていてくれている部屋の扉の前に、そこのご主人ともう一人が立っていた。
「自警団の人が、ちょっと訊きたいことがあるんだそうだ」
 ご主人の声に、オーリは即座に長屋へときびすを返した。が、何を思い出したか、再びウネン達のほうへ戻ってくると、「返すぞ」とモウルの手に何かを握らせ、またすぐに背を向ける。
「え、ちょっと」
 モウルの上ずった声とともに、銀色が彼の手のひらから零れ落ちた。
 ウネンの意識が、一瞬にして視覚に乗っ取られた。全てを忘れ、ウネンは銀の軌跡を目で追った。
 モウルが受け取り損ねたは、金属質な音を響かせて、ウネンの足元へと転がってくる。
 モウルが、しまった、という表情になった。珍しくも血相を変えて、を拾おうと手を伸ばす。
 だが、ウネンの手が一息早くそれを掴み取った。
 それは手のひらよりも一回り小さな、平たい直方体をした金属の塊だった。いや、塊ではなく、小物入れの類いなのかもしれない。長辺を二対三に分けるようにして入っている切れ目は、蓋のふちのように見える。
 ツンと鼻をつく刺激臭を感じたと思う間もなく、ウネンの中で、〈囁き〉が、はぜた。
 モウルが短い悲鳴をあげ、頭を押さえてその場にうずくまった。
「くそっ、『見られる』のも駄目なのかよ!」
 モウルの喉から発せられる血を吐くような唸り声が、ウネンの身体を縛りつける。頭を抱えて苦しむモウルを、ウネンは身動き一つすることができずに、ただ見つめ続けるのみ。
 ふ、と至近距離にオーリの気配を感じると同時に、ウネンの視界がそっと塞がれた。
「すまない。何も見なかったことにしてくれ」
 目元を覆うのは手のひらだろうか。ごつごつとした肌の感触が、ウネンの瞼を包み込む。触れられたところからじんわりと伝わってくる、オーリの体温。全てを覆い隠す、温かい、闇。
「訊かないでくれ。今は、何も」
 オーリのもう一方の手が、ウネンの手から銀色の何かをもぎ取った。
 先刻の鼻をつく臭いが再度微かにウネンの鼻腔をくすぐった。かつて旅の途中の荒野で見かけた、「燃える水」とよく似た臭い。「これを精製すれば、菜種油よりも効率の良い燃料が作れるんだけどね」と、その時ヘレーは語っていた。そうすれば、炎の魔術師じゃなくったって、まばたきの間に火を灯せることができるようになるんだよ、と……。
「大丈夫か」
「ああ。なんとか、ね」
 荒い息を繰り返すモウルが、かすれた声でそう答えるのが聞こえた。
 闇にたゆたいながら、ウネンは昔を思い出していた。かつてイェゼロの森で、ヘレーに勉強を教わっていた時のことを。授業に熱が入った時、ヘレーはしばしば痛みをこらえるかのように頭を押さえ、そうして静かな声で「仕方がない。言い方を変えよう」と呟いていた。
 二箇月半前にも同じようなことがあった。城の櫓塔の上、ウネンが二人に自分の過去を告白したあの晩、オーリも何かを言いかけたのち、頭を押さえて黙り込んでいた。
 間違いない、と、ウネンは唇を噛んだ。
 何か、が、彼らを縛っている。それは、彼らの「里」に関わっているものなのだろう。
「世間一般の常識」を超えた知識を保有する、里。ヘレーはそこから逃げてきた。門外不出の「秘伝の書」とやらを持ち出して。
 オーリがウネンの目隠しを外した。
 ウネンの眼前で、ゆっくりと世界が輪郭を取り戻し始める。
 オーリとモウルが、ウネンからそっと顔を背けた。
  
  
 ウネンの知るヘレーは、規律や約束事を軽んじる人間ではない。どういう理由かは知らないが、彼が追われる身になったのには、やむにやまれぬ状況や事情があったはずだ。
 オーリ達の、「ヘレーを糾弾するためではなく、どちらかと言えば弁明を聞くために追っている」との発言は、少なくとも彼らは、ヘレーの「罪」について弁明の余地があると考えていることを示している。そもそも、その罪が誤解だったり濡れ衣だったりする可能性だってあるかもしれない。
 ヘレーの手助けをしたい。そうウネンは強く思った。ヘレーが里を出たのは十五年前とのことだった。そして、ウネンが彼に拾われたのが十年前。ヘレーが追われる身となってから、ウネンが一番彼と長い時間をともに過ごしたことになる。きっと何かヘレーの力になれることがあるはずだ。
 コニャを救出した次の朝早く、ウネンは主館の裏にオーリとモウルを呼び出した。
「話って、何?」
 いつになく冷ややかな口調で、モウルが問う。
 口の中に溢れてきた唾を、ウネンはごくりと嚥下した。
「二人とも、ヘレーさんを追いかけてラシュリーデンへ行くんだよね」
 沈黙が、何よりも雄弁に答えを返してくる。
 ウネンは、胸一杯に息を吸い込んだ。
「ぼくも一緒にヘレーさんを捜しに行きたい」
 微動だにしない二人を前に、ウネンはありったけの勇気を振り絞って、言葉を継ぐ。
「ぼくは、無力で、非力だ。今のままじゃ、とても一人で旅なんてできない。でも、今を逃したら、たぶんヘレーさんとは一生会えないような気がする」
 ともすれば震えそうになる声に力を込めながら、ウネンは二人を交互に見つめた。
「だから、オーリやモウルと一緒に行くことを許してほしい。極力、二人の負担にはならないようにするつもりだけど、それでも道中、二人には沢山ちからを借りることになると思う。その代わり、ぼくにもできることがあれば、それを全部ぼくに押しつけてくれて構わない。足りない分は、時間がかかると思うけど絶対返す。だから……」
 パチパチと手が打ち鳴らされる音を聞き、ウネンはいつの間にか自分が俯いてしまっていたことに気がついた。
 おそるおそる顔を上げれば、得意げな笑みを口元に浮かべたモウルが、かるらかに拍手をしている。
「合格だね」
「ああ」
 頷き合う二人を前に、ウネンは思わずまばたきを繰り返した。
「へ?」
「『連れていって』でも、まあ、良しとするつもりだったんだけど、『一緒に行くことを許してほしい』か。君の覚悟、確かに受け取ったよ」
 そう言って、モウルが再度、にやりと微笑んだ。
「覚悟? って? え?」
「果たして君が、しっかりと自分の足で立って歩くことができるのか、ちょっと試させてもらってたのさ」
「ぼくが? ぼくの足で? 立って歩く……?」
 モウルの言葉の意味がようやく頭に染みとおってきて、ウネンは大きく息を呑んだ。モウル達は、ウネンが自分から意思表示をするのを待っていたのだ。誰に言われたからではなく、ウネン自身が。どうしたいのかを、そしてどうしてほしいのかを、はっきりと口にするのを待っていたのだ。
 ウネンはおずおずと二人に向かって問いかけた。
「一緒に行ってもいいの?」
「勿論」
「お前がいてくれたほうが、断然ヘレーを捕獲しやすくなる」
「いいかげん君は、もう少し穏やかな言葉を選ぶことを覚えようか」
 モウルの指摘を受けて、オーリが僅かに鼻白む。お前にだけは言われたくない、という彼の心の声が聞こえるようだ。
 対するモウルは、上機嫌な笑顔をオーリに投げつけてから、ウネンのほうに向き直った。
「ここらで一応さ、僕もオーリも自分のことばかり考えているわけではない、って主張させていただくよ。君が王の補佐官の助手になった時点で、君をヘレーさんに対する餌にすることは、一旦諦めたんだから」
 滔々と揚々と語るモウルに、オーリが淡々と口を挟む。
「他人の言葉の選び方をどうこう言えた義理か」
「『捕獲』よりは断然穏やかじゃない。『餌』」
 ともにヘレーを捜しに行ける、という喜びがふつふつと湧き上がるのとは別に、ウネンの中の冷静な部分が嘆息する。どうしてこの二人は、普通に頼み事を口にできないんだろうか、と。一日に一回は毒舌ぶらなければいけない約束でもあるのだろうか、と。
「君に、王城での不自由のない生活を捨てさせて、あての無い根無し草の真似事をさせるのは、流石の僕も心が痛んだからね。でも、ラシュリーデンの王都ヴァイゼンへ、って、これだけ具体的な手掛かりが手に入れば、話は別だ。ヘレーさんと会える可能性はかなり高い」
 モウルはそこで一旦言葉を切ると、あらためてウネンの目を正面から覗き込んできた。
「君さえ構わないのなら、是非僕らと一緒に来てくれないかな」
 ウネンは、敢えてすまし顔を作ってみせた。
「餌として?」
「そう。とびっきりの餌として」
 モウルが、オーリが、揃って口のを引き上げる。
 ウネンはとうとう我慢できなくなって、胸の奥からほとばしるがままに喜びの声をあげた。
「ありがとう! 二人とも!」
 いえいえどういたしまして、と、いつもの返事を口にしてから、モウルがオーリに目配せをした。
「さて、そうと決まれば、張り切って最後の調整といこうか」
「調整?」
 ウネンの問いに、モウルが肩をすくめて応える。
「王都に帰ってきてからずっと、城を出る旨、言っているんだけどね、皆さんの慰留攻勢が激しくてさ」
 人気者はつらいわー、と、モウルは実に得意そうに微笑んだ。
「引きめられないって分かったら、次は、出発する前にこれをお願いします、あれをお願いします、って、あの補佐官なんなの、人使い荒すぎるでしょ」
 昨夜、モウルが「このところ色々あってちょっと鬱憤が溜まってた」と言っていたのは、きっとそのあたりのことだったのだろう。ウネンは、「お疲れさまでした」と苦笑を浮かべた。
「まあ、君にとっては、僕らの出立が遅れて良かったんだろうけど」
「もしかして、ぼくが『一緒に行きたい』って言い出す前に話がついたら、そのまま出ていっちゃうつもりだったんだ?」
「当たり前でしょ」
 モウルが涼しげに一言で返す。
 ウネンは、間に合って良かった、と、心の底からほっと胸を撫で下ろした。