あわいを往く者

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九十九の黎明 第九章 大切な人

  
  
 鴉がねぐらへ帰る頃、ウネンとモウルは第二城壁東門前の広場でオーリと合流した。
 相変わらずの仏頂面で首を横に振るオーリに、モウルもまた機嫌の悪さを隠そうともせずに肩をすくめる。
 三人は揃って大きな溜め息を吐き出すと、〈内側の町〉をあとにした。
  
  
「近所の人に訊いてみたけど、今のところヘレーさんの現住所をはっきり知っている人は見つかんなくてね。職人街だって言う人もいれば、道具屋筋だって言う人もいるし、本当、頼りなくて悪いわねえ」
 宿の食堂、一番隅のテーブル。夕食の皿を並べながら宿の女将が申し訳なさそうに眉を寄せる。
 口数も少なく食事を平らげたウネン達は、女将に礼を言って早々に部屋へと引っ込んだ。食堂から持ち出した香草茶のカップを手に、膝を突き合わせて寝台に腰をかける。
 先ずはオーリが、モウルに促されて報告を始めた。
「ヘレーについては、残念ながら何も情報は得られなかった。ヘレーはあの商店街を使ってはいないのだろう。女将が言っていた『職人街の広場から道を一本奥に行ったところ』という情報は間違いの可能性がある」
「女将さんは『職人街か』って言ってたからなあ……」
 ウネンの言に、オーリが深い溜め息を吐き出す。
 そもそも「職人街」についても、どこからどこまでが「職人街」と明確に定められているわけではなく、その範囲も非常に広いのだ。「職人街の広場」にしても、三、四箇所は数えられるだろう。
 職人街のど真ん中にある広場を聞き回ったものの、徒労に終わった午後を思い出し、ウネンもまた溜め息をついた。
「『ヘレーについては』ってわざわざ言うところを見ると、他に何か気になることがあったってこと?」
 モウルに問われてオーリが頷く。
 ウネンが身を乗り出して見つめる中、オーリは再び口重に話し始めた。
「金物屋の裏手で会った鍛冶屋が、不穏なことを言っていたんだが……」
「勿体ぶらなくていいから」
 モウルの八つ当たりめいた合いの手に、オーリの眉間の影が濃さを増す。
「鍛冶屋が言うには、なんでも城から大量の矢尻の注文を受けたらしい。あと……」
 と、そこでオーリはちらりとウネンを見やってから、両手で細長い棒状の形を示した。「大体こういう形をした……これぐらいの長さで……こう……こういう……筒状のものを作ってみてくれ、と依頼された、と」
 話しつつ、ちらちらとウネンを気にしつつ、オーリは空中に手で図形をえがく。
 それは、おそらくは例の〈誓約〉に抵触する物なのだろう。なんとなく閃くものがあって、ウネンは思いつくままに口を開いた。その昔ヘレーが「空を往く船」と同じように、「いつか未来に」と語ってくれた夢物語の一つを思い出しながら。
「それって、もしかして、火筒?」
 モウルが目を丸くする横で、オーリが満足そうに口角を上げた。
「そう言えば、ウネン、ロゲンでも、つるっと『爆薬』とか言ってたよな……。本っ当にヘレーさん、何教えてんだよ……」
「だから、暇だったんだろ」
 ことヘレーに関しては、オーリの寸鉄は鋭さを増す一方だ。
 モウルは大きく息を吐き出すと、「話を戻そう」と右手を振った。
「オーリ、念のために確認したいんだけどさ、本当にそれ、火筒――銃――で間違いないのかい? 実物見たわけじゃないんだろ?」
 疑わしそうに目を細めるモウルに対して、オーリは相変わらずの真顔で首肯した。
「さっき言った矢尻だが、大量のボドキン型に交じって、見たことも無い、訳の解らない形のものを幾つか作らされたらしい」と一度息を継いで、続ける。「詳しい形状を聞く限り、そいつは弾丸に違いない」
 たまが在るなら、火筒も在るだろう。それがオーリの論拠ということだった。
 モウルが顎をさすりながら「なるほどね」と何度も頷いている。
「やっぱり、パヴァルナでヘレーさんが見た『見たことのない形の鉄の矢尻』というのも、弾丸だったんだな。そうでなければ、彼が血相を変えてラシュリーデンを目指す理由がない」
「『やっぱり』ってことは、ヘレーさんが見たのが弾丸だった、って、オーリもモウルも最初からそう思ってたの?」
「ああ」
「弾丸か、弾薬か、文字どおりきな臭い話なのは間違いないな、って思ってたよ」
 里を飛び出し、追っ手から逃げ続けていても、それでもヘレーは「ノーツオルス」だったのだ。神々の怒りに触れぬよう、あらぬ知識を秘匿する里人さとびと達と、意志を同じくする一人。弾丸という今の世に存在すべきではないものを見てしまった彼は、それがどこから現れたのか確認せずにはいられなかったのだろう。追っ手に見つかる危険を冒してでも。
「鍛冶屋の話を聞く限り、まだ試作段階のようではあるが」
「まァ、現状、黒色火薬ならいつ発明されてもおかしくないとは思うけど、でも、いきなり弾丸らしい弾丸が発明されるってのは、ちょっとなァ……」
「銃身の形も、かなり洗練されているようだった」
「銃身も弾丸も、依頼元は城?」
 オーリが頷くのを見て、モウルの眉がひそめられた。
「てことは、問題は、ここの王がどこからその知識を得たのか、ということだな……」
 ああもう面倒臭い、としばし頭を抱えたのち、モウルは疲れきった表情で顔を上げた。
「実は僕らも、ヘレーさんの件とは別に、ちょっと気になる話を耳にしたんだ。もしかしたら、それが今の話と関係があるかもしれない」
「勿体ぶるな」
 オーリの意趣返しを、モウルは鼻息一つで吹き飛ばした。
「御多分に洩れず、ここの王城にもお抱え魔術師がいるらしいんだけど、彼が非常に有能な人間なんだそうだ。魔術の腕前は勿論のこと、その他の分野でも才気煥発で、例えば灌漑設備や製紙工場、機織りや製材の自動化など、新しい機械を次々に考案して国の発展に寄与している、ということだ」
 だよね、とウネンに確認をとってから、モウルは更に話し続ける。
「歳は四十前後。漆黒の長い髪を緩く三つ編みにしている。目元を仮面で隠していて、王以外にその素顔を知る者は誰もいない、神秘の魔術師。名前が……マンガス」
「出来過ぎだな」
 間髪を入れぬ反応に驚いて、ウネンは思わずオーリを見上げた。
「何が出来過ぎなわけ?」
「里の古い言葉で、『マンガス』は『怪物』という意味なんだよ」
 オーリの代わりにモウルが静かな声でウネンに答えた。
「ええっ? それって、つまり、その魔術師はノーツオルスってこと?」
 ウネンの問いに、モウルはゆるゆると首を横に振った。
「里の人間は、全員漏れなく〈誓約〉をかけられている。そうそう簡単に知識を流出させることはできない」
「だが、不可能ではない」
 そう言い切って、オーリがウネンを見た。
 モウルもまた、「そうだな」と呟いてウネンを見つめる。
 二人の視線を一身に集めるかたちとなったウネンは、どぎまぎしながら、別な可能性を指摘した。
「で、でも、ノーツオルス関係なしに、遺跡や文献を調べるなどして、自力で失われた知識の断片を手に入れた人だっているかもしれないよ」
 たっぷり数拍のを待って、オーリとモウルは揃って溜め息を吐き出すと、ようやくウネンから視線をほどいた。
「その可能性がないわけじゃないけど、名前がなあ……。偶然にしては、ちょっとね」
「明日は、俺はヘレーについてだけでなくマンガスとやらについても情報を集めてみることにしよう」
 そうと決まれば、さっさと休んで明日に備えよう。話がまとまったところで、モウルが苦い笑みを浮かべた。
「たぶんヘレーさんも、マンガスなる人物の情報を既に得ているはずだ。となると、そいつを警戒して、あまり目立たないように気をつけているに違いない。これはちょっと捜し出すのに骨が折れそうだぞ」
  
  
  
 職人街と謂われる地域の中でも、最も活気溢れる運河沿い。両岸はおろか橋の下にまでびっしりと並ぶ水車のたてる音が、幾重にも響き合って実に賑やかだ。
 今日からウネンは、ここを起点にたった一人でヘレーの消息を聞き込んでまわらねばならない。
 大雑把な地図は、昨日にモウルと下見に来た時に作製してある。一人きりで踏み込んではいけない物騒な地域も確認済みだ。右手にいつもの杖を持ち、地図や帳面の入った鞄を肩からさげたウネンは、連絡用の呪符が懐に入っているのを今一度確かめてから、行き交う人波の中へと踏み出した。
  
 成果の得られないまま十軒をまわったところで、ウネンは脇道に入って一息ついた。鞄から水袋を取り出し、喉を潤す。
 人心地ついたウネンは、あらためて辺りを見回した。
 目の前には、賑やかな通りに背を向けるようにしてレンガ造りの建物が建っていた。脇道に面した出入り口から大きな作業台が、その横の窓からはオレンジ色の光が見える。
 好奇心に袖を引かれて、ウネンは一番近くにある戸口に寄っていった。ここにも聞き込みをしなきゃならないよね、と自分に言い聞かせながら。
 薄暗い工房の奥まったところに、足踏み式の大きなふいごと、真っ赤におこった炉があった。
 ふいごを動かしているのは、長い髪をスカーフできっちりとまとめた若い女性だった。肩で息をして、せわしなくふいごのペダルを踏んでいる。
 炉の前には、背の高い中年の男が立っていた。炉に差し込んでいた長い棒を、ゆっくりと回転させつつ引き抜いていく。ほどなく姿を現した棒の先には、まるで小さな太陽のような、燃え盛る炎を閉じ込めた玉があった。
 男は、炉の蓋を閉めるや棒の端を口に咥えた。棒の先、炎の玉がじわりと膨らむにつれ少しずつ赤みは失われ、透明なものへと変化してゆく。
 ガラスだ、と、ウネンは息を呑んだ。ここはガラスを扱う工房なのだ。
 炉の蓋をあけ、ガラスに炎を蓄え、炉を閉じてガラスを吹く。その作業を何度も繰り返し、時にふいごの女性の手を借りて、鉄の椀や布状の物などを使って形を整え、そうして単なる炎の玉だったものが美しい器へと変容していくさまを、ウネンは夢中になって見守った。
 作業が一段落して、ふいごの女性が戸口へとやってきた。入り口の陰から覗くウネンに気がつき、碧い眼を見開く。
「何か用?」
 小首をかしげた拍子に、彼女の額で栗色の髪がはねた。オーリ達よりも少し若い、二十歳になったかならないか、といったところであろうか。先刻までの落ち着いた仕事ぶりとは対照的な、まだ子供っぽさの残る表情でウネンに話しかけてくる。
「あ、あの、人を捜しているんですが、少しお尋ねしてもいいですか?」
「いいよ。言ってごらん」
 女性は水がめの水に黒く焼けた革布を何枚も浸すと、順にしっかりと絞っていく。
 なるほど、この濡らした革布でガラスの形を微調整していたんだな、と感心しながら、ウネンは決まり口上を口にした。
「ヘレーという名前のお医者さんなんです。年齢は四十、髪の色は枯れ草色で、長く伸ばして緩い三つ編みにしていて、半年ほど前にこの町にやってきているはずなんですが……」
「お医者ねえ……。うーん、ちょっと心当たりは無いかなあ」
 絞り終えた革布を傍らの台に置いて、女性が両手を腰にあてた。そうしてウネンの面前へ身を乗り出してくる。
「どうしてその人を捜しているの? それに、君、その服装……、この町の……ううん、この近辺の町の子じゃないでしょ?」
「事情があって生き別れたお父さんを捜しに、チェルナからやってきました」
 ウネンの答えを聞くなり、女性は目を丸くした。
「チェルナ、って、南の王国の? お父さんを捜しに、って、たった独りで?」
「え、あ、親切な友達が一緒に……」
 ウネンが女性の勢いに押されていると、工房の奥から怒声が響いてきた。
「サチェ! 何をさぼっとるんだ!」
「親方……」
 先刻ガラスを吹いていた男が、眉間に皺を寄せてウネン達のほうへとやってきた。引き結ばれた口元が忌々しそうに引きつれるのを見て、ウネンは思わず背筋せすじを伸ばす。
「すみません! ぼくがサチェさんに話しかけてしまって……」
「子供が大人の邪魔をするんじゃない。ほら、行った行った」
 右手でウネンを追い払う手振りを披露してから、親方は今度はサチェのほうに向きなおった。
「お前も、余所見をしている暇なんて無いだろう。小手先のわざばっかりできるようになったところで、肝心の窓ガラスが満足に吹けないんじゃ、一人前なんざ夢のまた夢だぞ」
「親方! でも、この子、生き別れのお父さんを捜して、わざわざ南の王国からやってきたって!」
「で、お前はその父親とやらを知っているのか?」
 親方の問いかけに、サチェは唇を噛み締めて「いいえ」と頭を振った。
「それなら、もう話は終わりだろう。他人の世話を焼くなんざ、一人前になってからでいいんだよ」
「それじゃあ、親方は僕にサチェの世話を頼めないじゃないですか」
 と、朗らかな声とともに、若い男が工房の左手から姿を現した。その手には、取っ手つきの小ぶりなガラスの水差しが握られている。
「あ、それとも、もしかして、僕はもう一人前ってことかな」
「誰が一人前だ。外被せなんざ、サチェのほうが上手だろうが。兄弟子ぶるならしっかりしやがれ」
 そう言って親方は、いら立たしげに右手を振り開いた。
 反射的に身をのけぞらせた兄弟子の手から、あろうことかガラスの水差しがすっぽ抜ける。
「あああああ!」
「えええええ?」
 兄弟子の悲鳴に親方の驚きの声が追いすがった、その時、ウネンの耳に突然の〈囁き〉が飛び込んできた。
 すぐ目の前の水がめから、水が勢いよく噴き出した。
 空中に飛び散った水は、みるみるうちに兄弟子の足元へと集まると、地面すれすれのところで、ちゃぷん、と水差しを受け止めた。
 安堵のあまりへなへなとその場に座り込んだ兄弟子の向こう側、赤茶色の髪の男が、木札を持った右手を前に差し出して立っていた。
まじない師か……」
「『まじない師か』じゃありませんよ、親方! 何てことするんですか! もう少しで僕、これを落っことして割るところだったじゃないですか。ああ良かった、助かった。ありがとうございますありがとうございます」
 まじない師は、にっこり笑って歩を進めると、水差しを大事そうに拾い上げた。
「いえ、咄嗟のことで、上手くいってよかった」
 まじない師が木札を軽くひねるや、水の揺り籠は再び水がめの中へと戻っていく。パヴァルナのノルを思い起こさせる見事なわざに、ウネンはひたすら見惚れてしまっていた。
 見たところ、ヘレーと同じぐらいの年齢だろうか。翠玉エメラルドにも似た緑の瞳は、穏やかでありながら確固たる意思をも感じさせる。首の後ろで一つくくりにした髪は、そこそこの長さがあるようだったが、マントの襟の中に仕舞われてしまっているため詳細は分からない。
 ふとまた幽かな〈囁き〉を感じ、ウネンは微かに眉をひそめた。だが、声ならぬ声はまばたきの間に消え失せてしまい、「気のせいだったか」と自分で自分を納得させる。
「サチェ、お客さんだよ」
 兄弟子が、気を取り直してサチェの名を呼んだ。そうして、背後のまじない師に向かって「彼女がそれの製作者です」と紹介した。
 まじない師が「女性の職人が……」と呟くのを、サチェは聞き逃さなかった。
「何か問題でも? 女がガラスを吹いているのが不満だって言うなら……」
 暗い眼差しで腕を組むサチェに、まじない師は大慌てで両手を振った。
「すまない。少し驚いただけなんだ。不満だなんてとんでもないよ。むしろ、こんな可愛らしい女性にお目にかかれて光栄だ」
 歯が浮くような褒め言葉を聞き、サチェの頬が覿面てきめんに赤くなった。わたわたと落ち着きのない様子であちこちに視線を巡らせて、もじもじと言葉を返す。
「あっ、いえ、こちらこそ、きつい言い方してしまってごめんなさい」
「いや、威勢のよい女性は嫌いではないよ」
 ますます照れて身を縮ませるサチェに、まじない師はなおも優しい笑みを投げかけた。
「それで、この水差しについてなんだけどね。この持ち手の部分の青い色は、君でなければ出せない、と、彼が言っていたんだが……」
 サチェは、驚きの表情で兄弟子を振り返った。
 兄弟子が、サチェにむかって力強く頷いてみせる。
 深呼吸を一つして、サチェは今度はいっぱしの職人の顔でまじない師に向き直った。それから「はい、そうです」と大きく胸を張った。
「そうか。ならば君にお願いしよう。この青いガラスで髪飾りを作ってくれないだろうか」
「髪飾り、ですか。誰かへの贈り物ですか?」
「妻にね。彼女、この色がとても好きなんだよ」
 サチェとまじない師は作業台の前に場所を移して商談に入る。
 どうなることかと二人を見守っていたウネンを、兄弟子が、ちょいちょいと手招きした。
「君、人を捜しているんだって? 僕にも詳しいことを教えてくれないかい?」
「あ、はい」
「邪魔にならないよう、こっちで聞こう」
 自信に溢れた顔でまじない師に応対するサチェを眩しく思いながら、ウネンは兄弟子のあとについて工房を出た。
  
  
  
 何の収穫も無いまま、失意ばかりを引き連れて三日目が訪れた。
 ウネンは、ひととおり聞き込みを終えてしまった運河沿いを離れ、小規模な工房と一般住宅とが混じり合う町並を歩いていた。
 ヴァイゼンに着き、ヘレーの消息を聞き、もうすぐにでも会えるなんて期待をしてしまったからだろう、ウネンにとってはこの三日間が、チェルナの王都クージェを出てからの三箇月よりも長いように感じられた。
「人を捜しているんです」との問いに、漏れなく返ってくる同情の眼差し、申し訳なさそうな顔。これ以上それらを見たくなくて、ウネンの足が途中で止まる。
 こんなことでへこたれてどうするんだ、となんとか腹の底に気合いを溜めて、再び歩き始めたウネンの耳元を、モウルの声がくすぐった。
『ヘレーさんが借りている部屋が判明した。第二城壁の東門まで戻ってきて』