あわいを往く者

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邂逅

  
  
  
「おーい、シキー! ロウー! どこだー!」
 岩を乗り越え、草をかき分け、レイとサンの二人は来た道を駆け戻っていた。
「ほら、やっぱり連れて来なかったほうが良かっただろ」
 大声で二人の名を呼ばわり続けるレイの横、サンが訳知り顔で口を尖らせる。「大体、あいつ、昨夜すっごい殺気みなぎらせながら、お前らのナニを盗み聞きしてやがったし」
「そういうことは、早く言えよ!」
 シキ達の姿を最後に見とめた岩場を中心に、レイとサンは二手に分かれて周囲を捜索した。背丈ほどの草原くさはらの中を、彼らは手鏡で連絡を取り合いながら二人を探し続けた。
 もしかしたら小屋に帰っているかもしれない、と一度村まで戻ったものの甲斐はなく、再びレイ達は荒れ野へと飛び出していった。その頃にはレイの苛々も最高潮に達し、今度はサンが抑えにまわらねばならない有様だった。
「な? 事故とかトラブルとかさ?」
「それなら、村に帰るまでに出会っているだろ! 何か痕跡だって残っているはずだ! 姿を消そう、って意図がなけりゃ、こうはいかないさ。くっそー、あの野郎、シキに指一本触れてみやがれ、ケツの穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせてやる!」
「耳の穴じゃなくて? つうか、手なわけ?」
 まぜっかえすサンに鼻息で返事をして、レイはひらりと窪地を飛び越えた。今度は森のほうを探してみよう、と沢沿いに地を駆ける。
  
 と、どこか遠くで、小さな地響きが聞こえた。
 慌てて周囲を見まわした二人は、木々の向こうに立ちのぼる黒い煙を発見した。顔を見合わせて無言で頷き合い、それから二人は森の中へと全速力で走り出した。
  
  
  
 無残に崩れ落ちた「ししむろ」の入り口、その瓦礫の中央にぽっかりと大きな穴が開いている。黒煙は既に風に散じ、火の山の臭いに似た焦げくさい刺激臭だけが辺りに微かに漂っていた。
 レイが「灯明」を唱えると、穴の下に広がる「肉室」と、その奥に転がる大岩が照らし出された。
「何が起こったんだ?」
「解らん。とにかく俺は中に入ってみる。サンはここで待っててくれ」
「また崩れるかもよ」
「『盾』がある」
 通り道を確保するべく、レイが穴の周囲に「盾」の呪文を張り巡らせる。感心したように口笛を吹き鳴らすサンに向かって、レイは小さく口のを上げた。そして、躊躇うことなく暗闇へと身を躍らせた。
  
 先刻の爆音に驚かされたのだろう、せわしなく空を飛び交っていた鳥達が、一羽二羽と梢に戻ってくる。サンは抜いていた剣を鞘に収めて、傍らの朽木に腰を下ろした。
 ふう、と大きく溜め息をついたのち、サンは唐突にその動きを止めた。少しだけ眉を上げ、神妙な顔で小首をかしげる。
 昨日の午後あたりからずっと彼を苛んでいた、言葉に表しようのない不安感が……消え失せている。いや、不安感というよりも、違和感、と言い表すほうが近いかもしれない。あるべきはずのものがあるべき場所に見当たらないような、或いは、あるはずのないものが目の前に転がっているような、それが何かは解らないが、五感の一番深い部分を揺さぶっていた不協和音が、きれいさっぱり無くなってしまっている。
 いつになく難しい表情でサンはゆっくり立ち上がった。そうして、ぐるりと辺りを見まわした。
 きらきらと木漏れ日をまとった緑の屋根が、サンを静かに見下ろしている。鳥のさえずりが遠く、近く、木の葉を揺らしては風に溶けていく……。
「サン! 手ぇ貸してくれ!」
 急いた声に慌ててサンが穴に駆け寄ると、レイがぐったりしたシキを抱えて穴の底に立っていた。
「怪我してるんだ!」
「どんな具合だ?」
 シキの四肢にかけたロープを引っ張り上げながら、サンが心配そうに問う。
「一応、出血は止まっているみたいだ。呼吸も脈も問題ないが、意識がない」
「無理に動かさないほうが良さそうだな。あの村に帰ったら、助けを呼びに俺がネイトンまでひとっ走りしてやるよ」
「ああ、頼む」
 足がかりのない「盾」に難渋しながら、なんとかレイも穴から這い出してくる。サンはシキを草の上に横たえてから、背嚢から水筒を出して手巾を濡らし始めた。
「で、ロウは?」
「知らん」
「彼女は、何故ここに?」
「解らん」
 レイが手渡された手巾でシキの頭の傷をそっと拭うと、彼女の眉間に僅かに皺が寄った。
「シキ! 大丈夫か、シキ!」
 返事の代わりに、シキの唇が痙攣するように数度震えた。それからうっすらと瞼が開く。
「シキ! 気がついたか!」
 こくり、と頷くように頭がぶれ、シキは顔をしかめた。
「痛むのか。他に痛いところは?」
「……だい、じょう、ぶ」
 声が出たことで、レイとサンは大きく安堵の溜め息をついた。
「一体何があったんだ?」
「…………地……震……、結構揺れて、こける、って思ったあとは、もう……」
「地震? そうか、それでここが崩れてんだな。この前来た時はこんなんじゃなかったもんな」
「いわれてみれば、探し始めて最初の頃にちょっと揺れたかも。飛んだり走ったりしてたし、気のせいかって思ったんだっけ……って、待てよ?」
 何かに気がついたらしいサンが、もう一度穴の傍へと瓦礫を駆け上がる。「やっぱりそうだ。上からなだれた土砂とは別に、この一角だけ中から外へと礫が飛び散っている。……ってか、なんだ? この焦げた跡は?」
 あとを追って登ってきたレイに、サンは指についた煤を見せた。
「ほら、ここについてたんだ。炭、かな?」
「たぶん、地震が起こったってのは俺達があの岩場の辺りをうろうろしてた時だろう。洞窟の入り口が崩れ落ちたのは、その時じゃないか?」
「で、塞がった出口を誰かが中から壊した、と」
「その結果が、さっきのあの黒煙か……」
 二人は、しばし無言で顔を見合わせた。
「誰か、……つったら、ロウだよな」
「ああ。魔術の気配なんて微塵も感じなかったが……」
「で、肝心の御仁は、一体どこに?」
「実は、さっき奥で探知呪文使ってみたんだけど、ここら一帯には俺達の反応しかねぇんだ」
 首をひねりながら地面に降りてきた二人を、神妙な表情のシキが出迎えた。
「ね。もしかしたら、ロウって違う世界の人間だったんじゃ……? ほら、読本よみほんにもあるじゃない、耳長族とか有翅族とか出てくる話とか」
「えぇえええぇえ!?」
「だって、魔力もないのに魔術が使えるなんて、おかしいよ。きっと、私達とは何かことわりの違うところから迷い込んで来たんだよ」
「そりゃ確かに、この有様で魔術が発動した気配がないのは、どう考えても変だ。でも、だからといって……」
 反駁するレイをよそに、シキは自身の記憶を辿り始める。
「そういえば、『ぐわぁの』とか『しょうさんぃえん』とか、聞いたこともない言葉をぶつぶつ呟いていたけど、あれって向こうの世界の呪文だったんじゃ……」
 何やら唸りながら考え込むシキを前にして、男二人は今一つ釈然としない面持ちで顔を見合わせた。
「確かに、変わった奴だな、とは思ったけど……」
「服とか眼鏡にしても、見かけない形してたけど……」
  
  
 捜索の甲斐なく、ロウの行方はようとして知れなかった。彼らは仕方なく頭を切り替えて、任務へ、日常へと戻っていく。
 夕闇の押し寄せる広い空の下、ネイトンへの道を辿る馬上にてシキはふと背後を振り返った。薄暗い闇に溶けつつある火の山を。洞窟の中で最後に目にした、朗のあの深い眼差しを思い出して。
「……ちゃんと帰れたかな、ロウ」
 ――彼があんなにも切望していた、彼のことを待っている人の許へ。
 色彩を失い始めた天球に、一つ、二つ、と小さな瞬きが点り始めていた。
  
  
  
* * *
  
  
  
 瞼越しに強い光を感じて、朗はおそるおそる目を開いた。ぼんやりと霞む視界に、小さく切り取られた青い空が見える。
 爆破は成功したのか。洞窟は崩壊しなかったのか。慌てて身を起こした朗は、激しい眩暈を感じて再び布団の上に倒れ込んだ。
「あ、先生、おはようございます、って、もうこんにちはですよね」
 見慣れた天井に、見慣れた照明、見慣れたクローゼット、本棚、テレビ、カレンダー、カーテン、窓。そして、その前に立つ、逆光の人影。
 朗は今度はゆっくりと身を起こした。唖然とした様子で辺りに視線を巡らせる。
「大丈夫ですか?」
 志紀が、心配そうな表情でベッドの傍に身を屈めた。彼女がそっと手をかけた枕元、自分の携帯電話を見つけて朗の眉が曇った。
「……壊れていない……?」
「え?」
「充電池を無理矢理短絡させたのだ。その熱で火薬に点火しようと……。リチウムイオンの熱密度なら可能だと……。すると、失敗に終わったのか……?」
「え? 何? どうしたんですか?」
 酷く切羽詰った声に顔を上げると、今にも泣き出しそうな志紀と目が合った。
「先生! 一体、何の話をしているんですか!?」
 改めて問いかけられて、はた、と朗は考え込む。さて、自分は何を考えていたのだったか。急速に曖昧さを増す思考を必死で追いかけながら、朗はぽつりぽつりと言葉を搾り出した。
「何か……実験について考察していたようなんだが……。硝酸エステル化するのに、自然物から材料をとれないかとか……」
「ニトロセルロース、前に部活でやりましたよね。でも、濃硫酸とか濃硝酸とか、そう簡単には作れないんじゃ……」
「ああ。だから諦めて……、それで……なんだったかな」
 幾つもの断片的な映像が、頭の中に瞬間的に閃いては、片っ端から破砕されていく。意味をなさない砂粒と化したそれは、さらさらと風にのって、遠い空へと飛んでいくのだ。ヒースの丘に似た、あの場所へ。
 そこまで考えて、再び朗は首をひねった。
 あの場所とは?
 ヒースの丘とは?
 私は一体どんな夢を見ていたのだ?
「先生ってば、夢の中でまで仕事してたんですか?」
 少し困ったような眉のまま、志紀がにっこりと微笑んだ。
「……それより志紀、どうしてここに?」
 心なしかふらふらする頭を押さえながら朗が問えば、志紀の目が大きく見開かれる。
「大風邪でダウンした、ってメール見て、とんできたんですよ! 先生ってば、さっきからなんだか変ですよ。本当に大丈夫ですか?」
 ここでようやく、朗の頭を覆っていた霧が晴れた。
 この春、志紀はめでたく第一志望の大学に合格し、新生活に追われる日々を過ごしていた。朗のほうも新しい年度を迎えて多事に忙殺される毎日で、せっかく「禁断の関係」を卒業したにもかかわらず、二人はデートもままならない状態に陥っていたのだ。
 そんな切ない四月も終わり、いよいよゴールデンウィーク突入という一昨日、不吉な寒気を感じて早めに帰途に着いた朗は、帰宅するなり高熱を出してぶっ倒れてしまったのだ。
 は、と我に返った朗は、思わず声を荒らげて志紀の名を呼んだ。
「『とんできたんですよ』じゃない! 伝染ったらどうするんだ! 今すぐ帰りなさい!」
「嫌です!」
 負けじと力を込めて、志紀が反論する。「インフルエンザじゃないんだし、きちんと気をつけていれば、きっと大丈夫です! それよりも、病人を独りで放っておくほうが問題です! キッチン見ましたけど、先生、昨日からまともなご飯を食べていないでしょ!」
 しばし二人は、無言のままに睨み合った。
 先に口を開いたのは、志紀のほうだった。少しだけ唇を尖らせながら、視線だけ僅かに反らせる。
「……それに、せっかくの連休、もったいないじゃないですか」
 一呼吸の間、朗は身動き一つできなかった。
 やがて、胸の奥から湧き起こった熱がじんわりと身体中に染み渡っていく。それはみるみるうちにかさを増して、あっという間に朗の全てを支配した。ほどなく昂ぶり始めるおのれの雄の部分、と、もう一箇所、負けじと熱を帯びるのは割れ鐘を鳴らし始めた側頭葉……。
 自分の不甲斐なさを心の底から呪いながらも、なんとか朗は微かな笑みを浮かべると、志紀の頭をそっと撫でた。
「そうだな。……悪かった。だが、もう今日は日が暮れる前に帰りなさい。少しでも体調が変だと思ったら、即病院へ行くこと。いいね」
 むすっとした表情を崩さない志紀だったが、次の言葉を聞いて見事なまでに破顔する。
「また明日、来てくれるのだろう?」
「はい!」
  
 ああ、帰ってきた。
 朗の心のどこかがそう呟く。何故そんな言葉が出たのか自分でも解らないままに、朗は満ち足りた心で両目を閉じた。
  
  
  
〈 完 〉