あわいを往く者

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黒の黄昏 第十一話 それぞれの夜

  
  
  
    四  微酔
  
  
 サルカナでの謁見のあと、警備隊一同は三台の荷馬車に分乗して、ここルドスへと帰投した。
 例によって例のごとく「ご多忙な」騎士団組が本部に足を踏み入れることはなかったが、残る専任隊員達は何ら気にすることもなく、会議室に集まって今日の総括と明日からの予定の確認を行う。
 収穫祭以来の厳戒態勢は解け、普段どおりの輪番が組み直された。交代勤務表を再確認し、今夜の夜勤組の名前が読み上げられる。
 彼らのもとに、一週間前と同じ日常が戻ってきたのだ。シキの姿が欠けている以外は。
  
  
 一同解散、となった頃には夜はもうとっぷりと更けていた。皆一様に疲れきった足を引きずりながら、ばらばらと帰途につく。
 エセルはインシャを伴って執務室に戻り、残務処理にあたることにした。
  
「そうか。もう魔術顧問様はいらっしゃらないんだったな」
 二通目の報告書を作成しようとしたエセルは、ふとその事実に思い当たって、そう呟いた。そして手元の紙を脇に押しやりペンを置く。
 だが、脇机で紙にペンを滑らせているインシャが、容赦ない言葉を投げかけてきた。
「タヴァーネス様は、書類をお読みになられたあとに、本部の資料室に納めておられました。本部に控えるためにも、もう一通をお願いします」
「ならば、領主殿にも同様にしていただいたら良かろう」
「あの方はアテになりません」
 これ見よがしに大きな溜め息をつくエセルに、インシャが顔を上げずにとどめをさした。
「隊長が二通とも作成していただいても良いのですが」
「……解った」
 仕方なくエセルは再びペンを握る。インシャがしたためた一枚目をお手本に、彼は不承不承作業を開始した。
  
「シキは……」
 作業の手は休めずに、ポツリとインシャが呟いた。「大丈夫だったのでしょうか」
「怪我人については君が一番良く知っておろう?」
「それが……彼女の姿を見ていないので……」
 不審げに眉をひそめて、エセルは顔を上げた。
 確かに、彼女の性格からいって、無事ならばあの場に姿を現さないわけがない。何か、のっぴきならない事情があったのだろう。
 ――だが、そうだとしても……
「怪我をしていないということなら、心配することはあるまい」
 自身の疑念を振り払うかのように、エセルは殊更に抑揚を殺して言い放った。
  
  
 月が中天を越える頃、ようやく二人は仕事をなし終えた。椅子から立ち上がったエセルが、凝り固まった身体をほぐすように腕と首を動かす。
「ああ、これで明日の朝議には間に合うな。助かったよ」
「いえ、お役に立てて光栄です」
「どうせ、『運が良い』だの『流石公爵家は』だの揶揄されるのだろうから、できるだけ体裁を取り繕っておいたほうが良いからな」
 心底ほっとしたようなエセルの溜め息を聞き、インシャはそっと口元を緩めた。それから手に持った書類の束を脇に寄せた。
「こちらに置いておきますね」
 ペン先を丁寧に拭い、インク壷とともに机の抽斗に仕舞い込む。自分の一挙一動にエセルの視線が注がれているのを感じとり、インシャの口の中に唾が溢れてきた。それを密かに嚥下しつつ、平静を装って脇机の上を整頓する。
 片付け終えたインシャが席を立つのと同時に、エセルが静かに口を開いた。
「家まで送ろう」
 熱の籠もったその声に、インシャは目を伏せて返答した。小さな声で。
「……いえ、一人で帰れます」
「今何時だと思っているのだ。家まで送る」
「いえ、大丈夫です!」
 思わず手を振りほどいてから、インシャは、しまった、という表情を作った。エセルが、酷く傷ついた顔をしていることに気がついたのだ。
「…………その。今日は術を使い過ぎました。こんな疲れきった身体では、とても隊長の下心にお付き合いすることはできません……」
「なんだ、そういうことか」
 露骨に安堵した様子で、エセルがインシャの腰に手をまわす。
「ならば、君は動かなくとも良いさ」
「しかし…………部屋が片付いておりませんので……」
「気にしない」
「いえ、そういうわけには。私が気にするのです」
 静かにそう言って、インシャはエセルの腕をほどいた。そうして、そっと身体を離す。
 しかし次の瞬間、逞しい手が彼女の肩口を鷲掴みにし、あっという間に、インシャは無理矢理振り返らされてしまった。
「君の部屋を見る楽しみは、次の機会にとっておくことにしよう」
 抗議の声を上げようとしたインシャの唇が、塞がれる。
「今夜は、ここで……」
「な、何を……」
「解りきったことを訊く」
 ぐい、と腰を引き寄せられて、インシャは息を呑んだ。
「だ、ダメです、隊長。こんなところで」
「無理を言うな」
 再びインシャの唇が奪われる。貪欲に獲物を追い求める口づけは、躊躇いがちなインシャの体温をみるみるうちに上げていった。
「昨日の昼から、一日以上もずっと我慢してきたのだ。もう、待てない」
「……っ、だ、だめっ」
「暴れるな」
 身体全体を蝕む凄まじいまでの疲労感が、インシャの抵抗を鈍らせる。
  
 襲撃の現場は、凄惨さを極めていた。
 反乱団の攻撃は、実に効率的であった。魔術で泥の中に拘束された人間には見向きもせず、非戦闘員である使用人も捨て置き、彼らはただひたすら、戦闘可能な馬上の騎士達を集中的に攻めていた。
 素人が玄人に勝負を挑むというのだ。それも、命を賭けた戦いである。技能や経験の差を埋めるべく、多対一で各個を撃破していったのだろう。怪我人は、そのほとんどが瀕死の状態であった。
 インシャは必死で呪文を唱え続けた。
 一人でも多くの命が助かるように。エセルの双肩にのしかかる責任が、少しでも軽減されるように……。
  
 報いを期待しての仕事ではない。褒められようなどとも考えてもいない。だが、少しはねぎらってくれても良いのではないだろうか。
 インシャの瞳が険しくなる。所詮、私は、単なる欲望の捌け口でしか過ぎないのか、と……。
「……それは、命令ですか?」
 その言葉に、エセルが動きを止めた。
 二人はしばし無言で見つめあった。
 じわりと湧き上がってくる悲しみを、気取られまい、と目元に力を込めるインシャの眼前、エセルが大きく息を吸い込んだ。唇を引き結び、瞼を閉じ、それから彼は再び目をあけた。見たこともないほど真摯な眼差しを、まっすぐにインシャに向けて。
「いや、『お願い』だ」
 インシャの身体から急に力が抜けた。そのまま崩れ落ちそうになる彼女を、しっかり抱きかかえ、エセルが静かに言葉を継いだ。
「昨日のあのひとときが、幻などではなかったのならば……、その証に、私と一夜をともにしてほしい」
 彼女には、もう、彼を拒むことなどできはしなかった。
  
  
  
「お、めずらしい。先客か」
 樫の扉を軋ませながら開くと、薄暗い店内には人影が二つ。ガーランは少しだけ躊躇したものの、そのまま中へ歩みを進める。
「あら、いらっしゃい」
 カウンターの向こうで、黄金色の短髪の女性が微笑んだ。それから、前に座っている男に説明する。「彼ね、数少ないウチの常連さん」
「お邪魔?」
「こっちこそ、お邪魔してまーす」
 ガーランの台詞が終わりきらないうちに、その男は陽気に振り返った。やや逆光となって窺いしれない表情の中、人懐っこい目だけがキラキラとランプの光を映し込んでいる。
「ささ、座ってくださいよ、おにーさん」
 酔客に絡まれるために、わざわざこの小さな店に来たわけではない。ガーランは軽く苦笑しながら、それでも誘われるがままに椅子一つ空けて男の左側に腰をかけた。
「見かけない顔じゃん」
「旅の途中なんですって」
 グラスに琥珀色の液体を注ぎながら、女主人が代わりに返答する。
「へえ。随分打ち解けているみたいだから、新しい馴染みかと思ったよ」
「やンだー、妬かないでくださいよー」
 二人が声を揃えてそう言ったので、ガーランは脱力のあまりカウンターに突っ伏しそうになった。
「おねーさんが、人生相談にのってあげてたのよねー」
「おね……っ?」
 どうも、今日は落ち着いて酒を飲むわけにはいかないらしい。口に含んだ強い酒を思わずゴクンと飲み込んで、ガーランは慌てて隣を振り返った。
 なるほど、確かにその男は若そうだった。長身に誤魔化されてはいたが、少し長めの栗色の髪から覗くその瞳は、どこか幼く、まるで少年のような表情を見せている。
「…………おねえさん、ってガラかぁ?」
「あら、酷い。何よ、オバサンって言いたいの?」
 誰もそんなことは言ってないだろうが、と心の中で毒づきながら、ガーランはグラスを口に運んだ。喉の奥にひりひりとアルコールが絡みつく。ガーランはこの一瞬がとても好きだった。そう、まさしくこれぞ、心が解き放たれる合図……
「心配しなくっても、おねーさんはおねーさんだって」
「あンら、嬉し」
 ……いや、今日はここで気持ちを解放させることはできなさそうだ。調子の良い新顔と女主人の会話に頭痛を覚えて、ガーランは思わずちくりと言い放った。
「ガキは家に帰って、ママと乳繰り合ってろ」
「だから、旅の途中なんだってば」
 笑顔で返されて、ますますガーランの心に負荷がかかる。
「ガーラン、大人げないわよー」
「うるさい。大人じゃないのはそっちのほうだろ」
「あら、酷い。良いわよ、そんなに偉そうに言うのなら、彼に気のきいたアドバイスの一つぐらい言ってみなさいよ」
「おお、俺は『大人』だからな」
 疲れきった身体に、急激に酒が染み透っていく。
 ここしばらく、彼の心の奥底でずっと何かが蠢いている。噴き出さんばかりのその圧力を他所に逃がすべく、ガーランはこの場の勢いに身を委ねた。
「よし、ボウズ、悩みとやら言ってみやがれ。聞いてやろうじゃないか」
  
  
「だからさ、もうちょっと遠慮ってモノがあっても良いと思うわけ」
「まったくだ」
 赤い顔で口を尖らせる青年に、ガーランもまた赤い顔で力強く頷き返した。
「こっちだって、覚悟はしてるし、解ってたことなんだけどさぁ。それでも、やっぱ、目の前でって、キツイじゃん」
「ああ。そいつはやってられねーよな。……っと、リナ、もう一杯」
「あ、おねーさん、僕も」
 女主人は苦笑いを浮かべながら、すっかり出来上がった二人のグラスにお代わりをいだ。
「ガーランならハマるって思ってたけど、ここまでとはねぇ」
「ん? 何だ?」
「いいえ? 何でもないわよー」
 ひらひらと手を振りながら、女主人はにっこりと笑い返す。
「おねーさん、名前リナってんだ?」
「そうよぉ。ステキな名前でしょ」
「うん、可愛いなあ」
 少しばかり遠くを見る目つきで、青年がグラスを口に運んだ。
 彼は、ガーランが来店する前から既に結構な量を飲んでいた。カワイイ顔に似合わず、強いのね、とリナは密かに頬を緩ませる。
「しかし……大変だな、お前も」
「おにーさんもそう思うでしょ?」
 ガーランも、普段ならこれぐらいで乱れることはないはずだった。リナは扉を開けて入ってきた時の彼の疲弊しきった様子を思い出す。そういえば、今日は兄帝陛下がルドスを出立なさっていた。それに絡んだ仕事で、相当疲れていたのだろう。
「でもさ、正直なところ、俺は喜んでたんだ。自分だけじゃないって、親友の不幸を。全くひでぇ奴だよ」
「そう言うな」
「そりゃ、アイツが彼女と再会できた時は、本当に嬉しかったんだ。でもさ、こう、何と言うか……俺の心の奥がさ、収まんないんだよな」
「解るぞ……」
「彼女はさ、俺なんかよりもずっと有能でさ。『仕事の邪魔だ、置いてけ』なんて言えないわけよ。そんなこと、理屈では解る。解るんだけど……やっぱズルイと思わない? 俺が寂しく一人寝してる間、アイツは彼女とイイ思いしてんだぜ?」
 青年が、カウンターに突っ伏した。
「あーあ、俺、人生の選択間違えたかなあ」
 だんっ、と拳が天板に打ちつけられて、グラスの中の液体が揺れる。ガーランがカウンターを叩いたのだ。
「そんなことで後悔なんてすんなよ」
「だってさー、やってらんねーじゃん」
 顔だけを左に向けて、青年が唇を尖らせた。対するガーランは何かを決意した表情で、拳を強く握り締める。
「よし、俺の話も聞いてくれ。俺の立場もお前と似たようなモンだ」
「え? そうなの?」
 緩慢な動作で身体を起こして、青年が真面目に話を聞く態勢をとる。ガーランはぐい、とグラスをあおってから、訥々と言葉を吐き出し始めた。
「俺の場合はな、上司が俺の同僚にちょっかいかけてるんだぜ。昨日なんてな、仕事中にキスだぜ、キス!」
「あら、あの真面目そうなコが、珍しいわね」
 リナがグラスを拭きながら横槍を入れた途端、ガーランが、しまった、という表情になった。
「あー、…………そっか。上手くいったんだ、あの二人」
「ど、どうしたんですか?」
 言葉もなくカウンターに突っ伏すガーランに、慌てて青年が声をかけた。
「あー、気にしない、気にしない。その、ね、上司が粉かけてたってのが、このダンナの好……」
「わーーーーーーっ」
 カウンターに身を乗り出して、ガーランがリナの口を押さえる。
「…………聞いたか」
 青年は、黙って、こくりこくりと頷いた。
 ガーランは、頭を掻き毟ると大きな溜め息をつく。何事も無かったかのように平然を装って椅子に座り直し、すまし顔で青年のほうを見た。
「ま。そういうわけだ」
「……おにーさんも、苦労してんだね……」
  
 しばしの沈黙が、その場を支配した。重苦しさよりも、切なさに彩られた静寂が。
  
 リナは、磨き終わったグラスを棚に戻しながら、胸のうちで秒読みした。
 三、二、一、…………
「くっそお! 今日は飲むぞ! お前も付き合え!」
「了解、あにき!」
 ――今夜は遅くなりそうだなあ。
 小ぢんまりとした酒場の女主人は、騒ぐ二人を楽しそうに眺めながら、そう独りごちた。