The one who treads through the void

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DUSK IN BLACK 第九話 求める者、求められる者

  
  
  
    四  伝承
  
  
 深夜の自室、シキは軽い溜め息とともに本から顔を上げた。ゆっくりと伸びをしてから、そっと目元を押さえる。
 疲れきった目をいたわるべく、シキはランプの芯を少し繰り出した。炎が若干大きくなるのを確認して、シキは再び書物に目を落とす。
 ユールは二冊の本をシキに貸してくれた。一冊は、彼の部屋で見せてもらった『神々の黄昏』という写本。そしてもう一冊が、今彼女が読んでいる『ルドスの歴史』という本だった。
「半分はお伽噺だと思ったほうがいいよ、こういうのは」
 本当に、こういった話が好きなのだろう、ユールは実に雄弁に、朗らかにシキに語ってくれた。
「でも、全てがまったくの石ころばかりじゃない。中には目も眩むばかりの玉だって混じっていることがあるんだ。それを見つけるのが楽しいんだけどね」
  
  
『神とともに在った国、ルドス。』
 その本はそういう文言で始まっていた。
『太古の昔より魔術によって栄華を誇っていた、奇跡の王国。ルドスでは王家の者が神より魔術を授かり、その秘儀を使って民を幸せへと導いていた。
 魔術は、王族にのみ許された技であった。その血脈に属した者ならば、男女問わず神の御業を為すことができたという。』
 シキが息を呑む。
 ――男女問わず。……女性の魔術師!
 そういえば、とシキは記憶の糸を手繰った。彼女が読んだ限り、どの魔術書にも「女は魔術師になれない」とは明言されていなかった。女魔術師という存在がこの世に無いに等しいにもかかわらず。それはこういう伝説の流れを汲んでのことなのだろうか。
『ところが、永きに亘ってアルクセジュ大陸中を統べ、この世の楽園かと謳われていたルドス王国が、大きく道を踏み外してしまう時がやってきた。
 ルドス最後の王は、自国の繁栄を堅固なものとすべく、秘儀として伝承され続けていた魔術を市井に広めようとしたのだ。王自らが魔術書を記し、呪文書を作り、王家の秘密であったはずのその知識を外部へと漏らした。』
『どういう契約であったのか、その王の裏切りにより神はルドスから去り、高い文明を誇っていた王国は一夜にして滅んでしまった。
 更に遺憾なことに、呪文書は神の技を完全に伝えきるものではなかった。記した者が男王であったためであろうか、以降、女の術者が現れることはなかった。』
 ――ならば何故。何故私は魔術を使えるのか。
 シキは何かにとりつかれたように夢中でページをめくり続けた。そうして更に夜が更けた頃、シキはとうとうその答えを手に入れた。
 書物の最後の最後に、さらりと記されたその文言にはこうあった。王族の末裔と呼ばれる人々の血には、その完全な技の記憶があるかもしれない、と。
  
  
「ルドス自治領は、元々、ルドス王家の末裔と名乗る領主様が治めていたんだ。その真偽はともかく、ね。で、その遠縁の家族が家の隣に住んでいたんだよ」
 瓶底眼鏡の位置を直しながら、ユールは淡々と語っていた。聞き手であるシキはというと、次々とユールの口のにのぼる言葉の数々に、心底驚いているというのに。
「ま、全然普通のご家族でね、よほどの物好きじゃなければ、王家だの末裔だの気にする奴なんていなかったし。僕だって、その時はまだ子供だったから、そんなこと全然知ったことじゃなかったんだけど」
 子供時代のユールの姿を想像できそうで想像できなくて、シキはつい笑いを漏らしそうになった。そのお蔭で少し緊張の糸が緩み、シキは大きく息をつく。
「綺麗なお姉さんだったよ、マニさんは。ココだけの話、ちょっと憧れてたんだ」
 そう言って、ユールはウインクしたようだった。もっとも、眼鏡に遮られて、単に顔をしかめたようにしか見なかったが。
「この女神の絵に似ているのは、たぶん偶然だろうけど……、本当の女神みたいに神々しくてね。ところが、今から丁度二十年前の、収穫祭のあと。マニさんは忽然と消えてしまった」
 いよいよ話が核心に迫ってきたのを感じて、シキは思わず身を乗り出した。
 二十年前。
 ――私が生まれる一年前。……つまり、母と父が結ばれたであろう頃のこと。
「小母さん達は、何か諦めていたような感じだったなあ。仕方ない、みたいな。他の大人達も皆、必死になってマニさんを探すことはなかったんだけれど。ただ、領主様がすっごくお怒りになってね」
 遠くを見つめるような表情で、ユールは言葉を継ぐ。「うん、ますます『駆け落ち』と考えるとしっくり来るなあ。で、領主様はマニさんを狙っていた、と。うんうん。じゃあ、みんな薄々事情を知っていたんじゃないかな、ズルいなあ。よし、ちょっと母さんに聞いてこよう」
 言うが早いか、ユールは本の山を跨いで扉に向かおうとした。シキは慌てて椅子から立ち上がると、必死で彼の服の裾を引っ張って止める。
「ま、待ってくださいっ」
「なんで?」
「あ、あまりに色々突然で、心の準備がっ」
「マニさんって駆け落ちしたの? って訊くだけだよ」
「いや、だからっ……! そう、そうだ、その方のご家族は……?」
 その言葉を聞いた途端、ユールの表情は目に見えて翳った。
「……戦争で、亡くなられたよ」
「え、でも、ルドスは無血開城したのじゃ……」
「言ったでしょ、領主様の遠縁だって」
 帝国の東方侵攻に先立って、その自治権を皇帝に明け渡した古い都市。和平の代償は、時の領主一族の命であった……。
「……つまり、そういうことなんだ」
 無念さを声に滲ませながら、ユールはぼつりとそう呟いた。
  
  
  
 ――この冷たい水が、全ての感情を流し去ってくれたらいいのに。
 洗った顔から滴る水を拭こうともせずに、シキは洗面台の鏡に映る自分の顔をしばし眺めた。水滴がランプの光を反射して、どこか妖しく揺らめいている。
 深い色味の長い金髪。シキの記憶に残る母は、いつもその髪を左肩でまとめて、優しく笑っていた。子供達の悪戯が過ぎた時ばかりは、母もその顔に険を刻んでシキ達を叱り飛ばしていたが、それでも最後はいつもぎゅっと抱きしめて、静かに諭してくれたものだった。
 タオルに顔をうずめながら、そうなのかもしれない、とシキは思った。母は、古い王家の血筋の人間だったのかもしれない、と。
 近所の小母さん達は、時々母のことを「お嬢さん」と呼んでいた。今ならその理由が解る気がする。おっとりとした態度、丁寧な言葉遣い、洗練された物腰、確かにそれらはどれも、田舎育ちの小母さん達とは一線を画していた。精霊使いの技を使うということと、変わり者の魔術師の伴侶であったということが、彼女の過去についての目眩ましとなっていたのかもしれない。「あの人は特別だから」と、その言葉が、人々に詮索の余地を与えなかったということなのだろう。
 それに。何よりシキが女の身でありながら魔術を使えるということ。
 シキは悔しさを顔に滲ませた。努力の賜物だと思っていたが、それは単に体に流れる血のせいだったというのだろうか。一番弟子が聞いて呆れる。私なんかよりもレイのほうがずっと……。
 ――私のせいで頭髪を黒に変えられ、私のせいで不当な評価を押しつけられ、挙げ句の果てに……。
 シキは洗面台をきつく握り締めた。
  
  
 少し眩暈を感じて、シキは階段の手すりに寄りかかった。このところ、一度にあまりに色んなことが起こり過ぎて、頭が過負荷状態なのかもしれない。手に持ったランプの光がやけに頼りなく思え、シキは身震いした。大きく深呼吸すると、先の暗い直階段を注意深く踏みしめる。
 二階の床に立ったシキは、屋根裏への階段に向かう廊下の途中に人影を認めた。静かに佇むロイの姿を。
「先生……」
 共犯者だ、とシキは独りごちた。レイを殺した、共犯者だ、と。
 ――そう、私が、先生に、レイを殺させた。
 ふいに、昼間のガーランの言葉が、シキの胸に迫ってきた。
『人間ってもんは、そんなに強い生き物じゃねえ。しんどいこと、つらいことが続くと、なんとかして逃げ道を作ろうとしちまう。それが、間違った方法だったとしても――』
 手を伸ばさなければ、振り払われることはない。足を踏み出さなければ、傷つくこともない。そうやって自分は、レイと正面きって向かい合うことを避けていた。
『――これで楽になる、って思ってしまったら、もうだめだ。そこに嵌まり込んで、二度と出られやしない……』
 たぶん、先生もそうなんだ。シキは静かに目を伏せた。
 異教の呪文書なんて、レイが簡単に手に入れられるようなものではない。ならば、一体どこからそれは現れたのか。
 シキは、あの嵐の日のことを思い出したのだ。わざわざイの町を避けるようにして、サランで古物商と取引をしようとしていた先生の、あの切羽詰まった様子を思い出したのだ。
 おそらく、あれが、その呪文書だったのだろう。異教の呪文でシキを独占しようとしたのは、レイではなく先生のほうだったのだ。
 そして、お使いに行ったレイが、何かの弾みで先生の計画を知り、それを邪魔するべく呪文書を奪い取った……。
 ――私と、先生は、同類なのだ……。
 無言で俯くシキの手から、ロイがランプをもぎ取った。それをそっと床に置き、シキの正面に立つ。
 そうして彼は、シキの顎をそっとすくい上げた。唇を合わせるだけの口づけが、瞬く間に一気に深くなる。
 ――お似合いだ。
 口づけの合間にシキは自嘲した。レイを死に追いやった者同士、これ以上の組み合わせはない……。
「まだ忘れられないのか? 奴のことが」
 無言のシキに、ロイが僅かに眉を寄せる。
「……忘れさせてやろう」
 そう言いながら、ロイは右手をシキの背中に滑らせ、強く彼女を抱きしめた。
「忘れることだ。もう奴はいない」
 床のランプに照らし出された長い影が、廊下の天井で妖しく揺らめいた。
  
  
 静かな部屋、寝台がぎしりと軋む。
「目を開けて」
 囁きをすり込むようにして、シキの耳元に口づけが落とされた。「恥ずかしいのかい?」
 シキは身を固くして目をつむり続ける。ロイが小さく喉の奥で笑うのが聞こえた。
「昨日の今日で、今更とは思わないかね」
 師の声がシキの心に細波を立てる。
 だが、シキは無言のまま、瞼を閉じたままだ。
「返事も、無しか」
 ――声は、出さない。
 なぜなら、これは「罰」だから。シキは奥歯を噛み締めた。
「まあ、急に意識を変えろというのも、難しい話かもしれないな」
 シキの内部に、自分自身に対する怒りと同時に、どこまでも独善的な師匠への腹立たしさも首をもたげてくる。
 ――でも、この人を動かしたのは、私。
 シキの悲壮な想いをよそに、ロイはそっとその手を彼女の胸に添えた。ふくらみをねっとりと揉みながら、ロイはゆっくりと唇を重ねてくる。
「なあに、これから時間はたっぷりあるんだ。じっくりと感じさせてあげるよ。『師』ではなく『男』としての私を、ね」
  
 ロイは、シキの下着を首の下までまくり上げ、しばしそのあらわになった胸元を見つめた。
「……綺麗だよ、シキ」
 そしてゆっくりとその胸元に、顔を埋める。「昨夜のように、また、あの声を聞かせてくれないか」
 甘い声で囁いて、胸の突起をそっと口に含めば、シキの身体が面白いように跳ね上がった。荒い息で身をよじり、髪を振り乱して悶え苦しむ。喘ぐような呼吸の合間に、微かな嬌声が混じり始め、ロイの口元に笑みが浮かんだ。
 だが、ほどなくシキは強く唇を引き結んだ。
 くぐもった唸り声を耳にして、ロイは眉間に皺を寄せた。そっと顔を上げると、苦悶の表情で声を押し殺すシキの姿があった。
 ロイは大きく溜め息をついた。それから、挑戦的な眼差しで再び愛撫を開始した。
 歯を食いしばるシキを、ロイは容赦なく責め立てた。舌で周囲をなぞっては頂点を弾く。自由な右手はもう片方の乳房に。たっぷりと柔らかな丘を味わいながら、親指の腹が撫でるようにその先端をまさぐった。
「気持ち良いかい?」
 シキの返事は、無い。
「気兼ねはいらない。声を出せばいい」
 彼女の荒い呼吸だけが、風の音のごとく吹きすさぶ。
「楽にすればいいんだよ」
 風の音は嵐となり、ごうごうとロイの耳で渦巻き始めた。二人を別つかのように、ごうごう、ごうごうと……。
「声を……、声を出すんだ、シキ!」
 思わず声を荒らげたロイの眼下、シキは依然として固く目を閉じたままだ。
 しばし、ロイは無言でシキを見つめた。身動きすることも忘れて、じっと見つめ続けた。
 やがて、えも言われぬ笑みが、彼の口元に刻まれた。
「声を出させてみろ、というのなら、全力でお応えしよう」
 昏い光を瞳に湛えて、ロイは再度シキの身体に覆いかぶさった。
  
「……ほら、もう、勃ってきたよ?」
 その言葉を裏づけようとでもいうかのように、ロイの指がシキの双丘の頂を摘んだ。そしてそのまま絶妙な刺激を加える。両胸を同時に責められて、シキの口から短い悲鳴が漏れた。
 その一瞬、ロイの気配が歓喜に染まる。だが、シキは気力を振り絞ると、再び口をつぐんだ。
「我慢することはない。気持ち良いんだろう?」
 低い囁き声が、シキの思考を揺さぶる。
「きっと、下のほうは凄いことになっているんじゃないかな」
 図星を指されて、シキは更にきつく目をつむった。
 ロイの手が、シキの腰を流れるように滑っていき、ズボンの中へと潜り込んでいく。シキが、あ、と思う間もなく、ロイの指はするりと腿の間へと入り込んだ。
「……もう、こんなに……」
 ロイの呟きが、卑猥に響く水音にすりかわる。シキの身体の奥が、かっと熱くなった。
 術をかける時の師匠の指は、とても華奢に見えた。優雅に動くその細い指に、シキは何度も見惚れたものだった。
 だが、胎内で感じるその指は、まるで別物だった。熱を帯びた、骨ばった太い指。それはシキの身体の中で、今、生き物のように蠢いている。
 ロイの指の動きに合わせて、シキの呼吸に色がつき始めた。時折、我に返っては、彼女は下唇を噛んで声を押し殺そうとする。だが、すぐにその呻き声は甘い吐息に変貌していった。
「イかせてあげようか?」
 深く差し入れた指はそのままに、ロイはもう一方の手でふくらみ始めた芽を嬲り始めた。突起を隠す柔らかな覆いを剥がすように、めくるように、じっくりと愛撫を続ける。
 じわ、と愛液がまたたく間に溢れ出し、ロイの手首までつたってきた。水音が、固く瞼を合わせるシキの耳を容赦なく犯していく。
 シキの胸元にみるみる汗の粒が生まれてきた。じわじわと身体を侵食していく快感の波に耐えきれなくなって、シキは遂に全身を激しく震わせた。
  
 敷布の上に力無く身を投げ出して、絶頂の余韻に身体をびくつかせるシキを、ロイはぎらついた目で舐めまわしてから、ゆっくりと彼女を裸に剥いていった。
 彼の指が肌に軽く触れるたびに、シキはびくんと身体を波立たせた。その反応の良さに、ロイの期待はますます高まっていく。
「凄い……こんなに濡れて……、そんなに欲しいのかい?」
 息も絶え絶えな彼女を、ロイは言葉でも嬲り続ける。とどめとばかりに。
「行くよ」
 ロイは、おのれの昂りをそっと秘裂にあてがって、ゆっくりと彼女の中へと埋め込んでいった。
 シキの身体に、力が入る。
 強い締めつけに、ロイが溜め息とともに声を漏らした。
「いいぞ……。纏わりついてくる……」
 淫靡なその囁き声にいざなわれるようにして、遂にシキの喉から喘ぎ声が漏れる。
「そうだ。良い声だ」
 勝ち誇ったようにそう言い放つと、ロイは腰をひねりながら、何度も奥の奥までねじり込んだ。逞しい杭に突き上げられて、シキは淫らな声を上げながら、身体を跳ね上がらせる。
「奥が良いのか?」
 シキの腰を持ち上げるようにして浮かせば、ますます彼女の髪が振り乱される。
「ここはどうだ?」
 自分の言葉に煽られて、ロイ自身もますます高まっていく。
  
 もっと声を出せ、もっと乱れろ。
 彼女の身体から、心から、奴の痕跡を消し去るのだ。
 彼女の脳髄にまで快楽を刻み込み、この私でなければ満足できないようにさせてやる!
  
 心の中でそう叫んだ刹那、僅かにロイの瞳が冷えた。よがり苦しむシキの姿を愕然と見つめ、息を呑む。
  
 ――愛を囁いて、情を交わす。ただそれだけを求めていたはずだったのに……。
  
 だが、もう、止めることなどできやしない。
 身体を芯から焦がす炎に炙られるがままに、ロイはなお一層激しくシキを揺さぶった。
 彼女の身体が、再び大きく仰け反った。と同時に、ロイ自身も強烈に締め上げられる。
 愛しさと虚しさと。混ざり合ったそれらの感情とともに、ロイはおのれ自身をシキの中に吐き出した。
  
  
  
 火照る身体に掛布を巻きつけて、シキは無言で寝台に横たわっていた。
 シキの背側に座ったロイが、彼女の髪を指で弄んでいる。
「明後日、皇帝陛下とともに帝都へ行く。勿論、君も一緒だ」
 そう言ってから、ロイは、シキのなだらかな曲線に指を滑らせた。シキの身体がびくんと跳ねる。
 シキはそっと瞳を閉じた。もう、警備隊にいる理由はない。先生についていこう、と。
 ロイの口づけが、そっとシキの首筋に落とされた。背後から伸びた手が、再び彼女の胸のふくらみを貪り始める……。
 ――そう、私には修めるべき魔術がある……。