薄暗い廊下の一角で、シキはふと足を止めた。扉の向こうに、何者かの微かな気配を感じ取ったのだ。
館の一番北側に位置するこの棟の二階には、合わせて三つの客室が並んでいる。一番西の端、廊下の行き止まりにあるのがシキにあてがわれた部屋で、先刻昼食を食べ終えたシキは、午後の打ち合わせの前に一息つこうと居室に戻るところであった。
その一部屋手前、無人のはずのレイの部屋から、重苦しい空気が漏れ伝わってくる。たっぷり一呼吸の間、彼女は右手を顎の所に当てて、何事かを考え込んでいた。やがて軽く頭を振ると、おそるおそるドアをノックしてみる。
「レイ……？ いるの？」
返事はなかったものの、明らかに中の気配が揺らぐのがシキには解った。開けるよ、と一言断ってから、彼女はそっとノブに手を伸ばす。
ゆっくりと開く扉の向こう、窓際の寝台に、腰を下ろしてうなだれる影が見えた。
シキは静かに扉を閉めた。
「どうしたの？ サンに特訓してもらってるんじゃなかったの？」
微動だにしない影とは対照的に、彼の精気は痛々しいまでに乱れきっているようだった。サンに相当しごかれたのかな、とシキは軽く小首をかしげつつ窓の傍へと歩みを進める。
「ごめんね。てっきり二人ともまだ頑張ってるんだとばっかり思ってたから、お昼ご飯、先にいただいて来ちゃったよ。レイも食べてきたら？ おいしかったよ」
寝台まであと二歩というところまでシキが近づいた時、レイがゆるりと立ち上がった。
能面のような面 をシキに向け、彼はゆっくりと歩みを進めてくる。怪訝そうな表情を浮かべるシキの眼前に立ち塞がると、おもむろに彼女を抱きしめた。無言のままに。
「れ、れれレイ？」
驚くシキの耳元を、レイの囁きがくすぐった。
「……俺、どうして、こう、余計なこと言っちまうんだろうな」
「え？ 何？」
「すっげ、ムカついたけどさ、良く考えたら、ムカつくような台詞をアイツに言わせたのは、俺なんだよな」
レイの口から慙愧 の言葉が、訥々と吐き出されていく。
シキは、深く息を吸って、それからそっと瞼を閉じた。レイの背中に腕をまわし、優しくその身体を抱きしめた。
ぎゅ、とレイの腕に力が込められた。彼の指先から、吐息から、身体全体から、言い知れぬ切なさが染み出してくる。逞しい腕にすっぽりと包まれながらも、シキはまるで幼子をあやす母のように、彼の広い背を柔らかくトントンと叩くのだった。
静まりかえった室内、穏やかな時間がゆったりと過ぎていく。
先に行動を起こしたのは、レイだった。彼はやにわにほんの少しだけ身を引くと、右手をシキの頬に添えた。指先で撫でるようにして、顎のラインを辿り、至極自然な動作で細い顎をすくい上げる……。
「ちょ、ちょっと待った！ ダメだってば。約束したでしょ！」
「憶えてねえ」
レイは有無を言わせぬ強い力でシキの身体を抱え込み、文句を吐き出し続ける唇を強引に我が物とした。水月にシキの拳を喰らってもなお、怯むどころかしっかりとシキの身体を捕まえ続けて、更に激しく舌を絡めてくる。僅か一ヶ月とはいえ、旅の間も欠かさず行われた修練は、どうやら無駄ではなかったようだ。
「やめてったら！ こんな深刻な事態に、余計なことしてる余裕なんかないでしょう！」
「知らねえ」
シキを抱きしめたまま、レイはぐるりと後ろを向いた。必死に暴れるシキを、そのまま寝台の上に押し倒す。
「ねえ、お願い。レイ、私、もう行かなきゃ。ウルスさん達が待って……」
「関係ねえ」
宣言するように言いきって、レイはもう一度唇を合わせてくる。顔を背けようとしたシキの両頬を手で固定して、無理矢理深く舌を差し入れてくる。
シキの眉間に怒りの皺が刻まれた。キスの合間に大きく息を吐いて、彼女は膝蹴りを繰り出そうとした。が、動きを読んだのかレイは素早く身を起こし、急所めがけて襲いかかるシキの膝頭を寸前で手のひらに受け止めた。
シキの頬に朱が入る。
「落ち着いてよ！ 何考えてるのよ、こんな時に！ いい加減にしないと怒るよ！
大体、レイだって『サンに悪いもんな』って言ってたじゃない！」
荒い息を繰り返すレイの表情が、サンの名前を聞いた途端に、歪んだ。
「……レイ……？」
「お前は……、俺の女だ。俺だけの。そうだろ？」
唐突な彼の台詞に、シキは思わず両目をしばたたかせた。思い詰めたようなレイの表情を見て、おそるおそる神妙に頷いてみせる。
その一瞬、レイは泣きそうな顔になった。それから、静かに顔を伏せた。
「……何が、あったの？」
俯くレイの表情は、前髪に隠れてシキからは見えない。
彼の顔を覗き込もうと身をひねったところで、シキは再びレイに掛布の上に押し倒されてしまった。彼の指が、両肩に食い込む。
「や……っ。ちょっと、どうしたのよ、レイ！」
「どうもこうもねえ。なんか、もう……限界なんだ。抱かせろ」
話の展開についていけず唖然となるシキの唇が、再びレイに塞がれた。
レイは無我夢中で口づけを貪り続けた。
シキは、半年もの間、恋人が死んだと思わされていた。サンが言うところの「契約の切れた」状態だったのだ。
レイの最深部に押し込められていた澱が、のたりと波打った。
彼女を鎧っていた術が解け、完全に自由となった彼女の身体に触れたのは、果たしてロイだけだったのだろうか。
鷹のような眼をした褐色の髪の丈夫、ルドス警備隊の隊長。職務命令だ、とシキに迫るその姿が、レイの脳裏にまざまざと浮かび上がる。
「上官の命令が聞けないのか」
泣く泣く抵抗を諦めたシキを押し倒し、恥らう花弁に欲望をねじり込むのだ。奥の奥まで突き入れては、焦らすように腰を引き、必死で耐えるシキを容赦なく揺さぶり……。嫌がる声とは裏腹に、熱い内部は怒張した一物に貪欲に絡みつき、そしていつしかいやらしい水音を奏ではじめるに違いない。
いや、警備隊と言うからには、警邏の相棒がいたはずだ。レイは、記憶に残る適当な警備隊員の姿を勝手に妄想に借用した。上背のある、少し不真面目そうな、癖のある茶髪の男。
「相棒なんだからさ、もっとお互い、深く知り合わねえとな」
この場合は、拘束でもしないと難しいかもしれない。巡回中にシキをひとけの無い路地に誘い込んで、隙をみて押し倒す。彼女が平静を取り戻す前に後ろ手に縛り上げてしまえばこちらのものだ。助けを呼ばれないように口枷も必要だろう。暴れる両足は、抱え上げてしまえば問題ない。そしてそのまま、彼女の身体をそそり立つものの上に降ろしていくのだ。柔らかい淫肉が男を咥え込んでいくさまをじっくりと堪能してから、思う存分下から突き上げる。強く、激しく……。
「どんなふうにしてほしい？」
（どんなふうにされたんだ？）
昏い声が、レイの頭の中に響く。
「今すぐ、やめてほしい」
きっぱりと答えるシキを鼻で笑い、レイは彼女の服を脱がせ始めた。暴れる身体を難なく押さえ込み、シキの胸を器用にも片手で剥いていく。
あらわになった彼女の胸の先端は、酷く緊張しているように見えた。寒さのせいだろうか、それとも乗り気ではないからだろうか。なあに、すぐに身体も心もほぐしてやるからな。レイは禍々しい笑みを口元に刻むと、そう胸の奥で呟く。
レイの唇が、固くしこった桜色をそっと挟み込んだ。びくん、とシキの身体が小さく震える。
微妙な力加減で、レイは口唇を動かし始めた。軽く咥え込んだ突起を揉むように刺激しては、同時に舌で撫で上げる。時折、ちゅ、っと吸い上げれば、そのたびにシキの身体は激しく波打った。
「気持ちイイだろ？」
（気持ち良かったのか？）
「もっと声出せよ」
（どんな声を出したんだ？）
おのれが吐き出した言葉が、こだまのようにレイの内部で反響している。少しずついびつに形を変えて。
彼女の手を押さえ込む手が、ロイの手に。
彼女の乳房を弄ぶ指は、ロイの指に。
彼女に覆いかぶさる身体が、ロイの身体に。
やがて彼女の秘所を貫くであろう一物も、ロイの……
シキの膝の辺りでたくれていたボトムを、レイは一気に引き剥がした。喘ぐ彼女の両足を大きく開かせて、素早くその隙間に身体を潜り込ませる。
「もっと鳴けよ」
震え勃つ花芽をレイの舌がざらりと舐め上げた。ひと際大きく喘いで、シキが全身を震わせる。艶めかしい割れ目から、甘露がたらりと溢れ出した。
的確に弱点を攻めれば、シキの抵抗が覿面に弱くなった。レイの身体を押しのけようとしていた手で、自分の口元を覆い、必死に喘ぎ声を押し殺そうとしている。
「すげえ、もう、とろとろだぞ」
「や、だ……っ」
レイは口角を吊り上げた。
「嘘つけ。涎垂らして欲しがってるじゃねーか」
水音を立てて、指が内部に入り込む。
またもシキの喉から嬌声が漏れた。
レイは指を二本に増やすと、濡れた柔肉をぐりぐりとかきまわした。壁の手前側を重点的に責めながら、何度も小刻みにシキの内部を震わせる。
「こんなんじゃ、物足りないだろ？」
レイの指が、喰い締められた。
「俺ので、奥まで突いてやろうか？」
指の動きに合わせて、シキの身体が艶めかしくうねる。レイは半ば我を忘れて、激しく指を出し入れし続けた。
お前が触れるのは、俺だけでいい。
微笑みかける相手も、俺だけだ。
この半年間、何があったかなんて訊かない。
訊かないから……、だから、もう、これからは、俺だけを……！
もしかしたら、声に出していたのかもしれない。ふと、シキの気配が変化したのを感じ取り、レイは顔を上げた。
シキが、眉間をそっと緩ませるところだった。彼女は大きく溜め息をつくと、ほんの少し躊躇ったのち、自分からレイの首に腕を絡ませてきた。
そして、ばか、と一言呟いてから静かにレイを抱きしめた。
唐突に、レイの胸に熱いものが込み上げてきた。
どろどろと渦を巻く澱みが、みるみるうちに祓われていく……。
「……ごめんな」
かすれた呟きを、シキが困ったような笑顔で受け止める。
レイは夢中で唇を重ねた。今度こそ甘い声がシキの喉から漏れるのを聞き、全身を炎が駆けめぐる。
口づけを深めながら、レイは一気におのれを根元まで突き入れた。
久々の交合のせいだろうか、思いもかけない強い締めつけにレイは大きく息を吐いた。シキの体温が、みるみるうちにレイの身体を包み込んでいく。奥へ奥へと引き込むように蠢く感触に、レイは陶然と瞼を閉じた。
「……すっげ、いい」
深く結合したまま、ぴくり、と棹を震わせてみると、シキの口から切なそうな吐息が漏れた。調子に乗ったレイは、更に逸物をぴくぴくと震わせる。
「……気持ちいいか？」
レイがそう言ってシキの顔を覗き込めば、彼女は慌てたように視線を外してきた。拗ねるような表情のまま、律動に合わせて呼吸を荒くしている。
「もっと、動いてやろうか？」
しばしののち、恨めしそうな目でレイを見上げてから、シキは、こくり、と頷いた。
一瞬だけきつく目を閉じて、レイは腰を動かし始めた。最初はゆっくりと。やがて激しく。
最奥を穿つたびに、シキのおとがいが伸びきった。絶え間ない喘ぎ声が、燃え盛るレイの欲望に更に油を注いでいく。みっちりとおのれを咥え込む秘裂を、レイは何度も何度も貫いた。引いては挿し、抽いては差し、リズミカルにシキの身体を揺さぶり続ける。
限界まで張りつめたおのれのものが幾度となく彼女に呑み込まれていくさまを、うっとりと見つめながら、レイは心の中で呟いていた。
俺を感じてくれ。
俺で、感じてくれ。
俺だけに、感じてくれ。
視線を上げれば、潤んだ瞳がレイを見上げてくる。そこにおのれが映っているのを見て、レイの心を歓喜が満たした。
「シキ…………！」
そこから先は、もう言葉にならなかった。より一層激しく腰を打ちつけながら、レイはおのれの全てを彼女の中に注ぎ込んだ。
見事な満月が、中天を飾っている。
凍えるばかりの寒さをものともせず、中庭に蠢く一つの影。しばらくの間、躊躇うように辺りを行ったり来たりしながら、庭の中央にしつらえられた東屋へと近寄っていく。
月の光を遮る簡素な屋根の下、よく見れば長椅子の上に、もう一つの影が微動だにせずうずくまっていた。
「晩飯、食わないのかよ」
ぶっきらぼうに投げかけられた声に、東屋の人影は小さく身じろぎをした。月光を背負い佇むレイを見上げて、あからさまに不機嫌そうな声を漏らす。
「口の中が切れてンだよ。誰かさんのせいで」
東屋の暗闇の中、サンはこれ見よがしな溜め息をついてみせた。
「ったく、腫れがひくまで、女も抱けねーし」
「抱きたきゃ、抱きゃいいじゃんかよ」
「そんな格好悪い真似、できるかよ」
不貞腐れた声を吐き出してから、サンが微かに身を起こす。レイは、少しほっとしたように口元を緩ませると、長椅子の反対側の端に腰を下ろした。
「……悪かったな」
しばしの沈黙ののち、ぼそりとレイが呟いた。じっと正面を向いたまま、視線だけをややサンに傾けて、静かに言葉を継ぐ。「でも、謝らねえからな。殴られて当然なこと言うからだ」
その言葉を聞いて、今度はサンが、ちらりとレイを一瞥した。両膝に肘をついた前屈みの姿勢で、同じく「悪かったよ」と小さく告げる。
「でも、俺も謝らねーぞ。結局お前、キモチイイ思いしたんだろーが」
そう言って、サンは思うさま唇を尖らせた。レイが慌てて身体ごとサンに向き直る。
「な、なんでそれを」
「図星かよ……」
「！……引っかけたのか！」
「こんな単純な手に、引っかかんなよ」
今度は、レイが身体を縮込ませる番だった。頭を抱えて前屈みになって、声にならない声で何事か唸っている。おのれの迂闊さを嘆いているのか、それとも単に照れているのか、そんな友の様子を呆れたような表情でひとしきり観察してから、サンは鷹揚に足を組んだ。膝の上に頬杖をついて、冷静な眼差しで一言。
「……で？」
「……消し炭になりたくなければ、半径一丈以内に近づくな、だとよ」
情事のあとの気だるい雰囲気の中、敷布の海に横たわるシキの手に指を絡ませる。まだ荒い息の残る彼女は、ほんの少しだけ柳眉を寄せてから、そっとレイの胸にもたれかかってきた。
レイは、もう一度しっかりとシキを抱きしめた。そしてゆっくりと深呼吸をした。
レイが覚悟を決めて吐き出した謝罪の言葉を、彼女は短い小言ののちに、あっさり受け入れてくれた。にっこり笑って。
「でも、もうこんな無理矢理……は、やめてよね」
恥らうように視線を逸らせるシキに、レイは思わず口づけで返していた。艶めかしい腰のラインを指で辿りながら、未だ火照るシキの唇を何度もついばむ。
「やだ、ちょっと、だから、やめてって……」
「でもさ、お前、普通にスルよりも無理矢理っぽい時のほうが、ノリがいいんだぜ？」
「な、なによ、それ……、っん」
「ほら、早速また感じてる」
「もう、だめだったら……」
嫌がってみせつつも、シキの声は途方もなく甘い。レイの胸の奥がみるみる熱を帯び始めた。
自分が彼女に受け入れられているということ、自分が彼女を感じさせているということ。安心感や満足感といったものが、怒涛のようにレイの心に押し寄せてくる。
そう、他の誰でもないこの自分だけが、彼女にこんな声を出させることができるのだ！ 一気に高揚したレイは、勢いのあまり、ついうっかり開いてはならない箱を開けてしまった。
そう、ついうっかり、……調子に乗って。
「……なあ、シキ、やっぱり俺が一番上手だろ？」
あの想像力もとい妄想力は、なんとかならないものなのだろうか。レイはまたも大きく嘆息した。なんとシキは、あの一言からレイの思考を勝手に辿った挙げ句、到達した結論に苛烈に反応して、遂には「消し炭」の最後通告を吐き出して去っていったのだ。
がっくりと肩を落とし打ちひしがれるレイに、サンが同情の眼差しを注ぐ。
「……まあ、なんだ、元気出せよ、レイ。俺も付き合ってやるからさ、とりあえずはあと十日、女のことは忘れて、剣の道に生きようぜ」
月明かりも眩い冬の空に、男二人のやるせない溜め息がいつまでもたゆたっていた。
〈 了 〉