あわいを往く者

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紅玉摧かれ砂と為る 七 砂の漏刻

  
  
  
 澄み渡る秋空に、トランペットの音が吸い込まれてゆく。
 大勢の人々が見送る中、クラウス王一行が、国境の町で行われる平和会談に出席するために王都を出発した。
 片道僅か二日の行程とはいえ、一国の主の同道となれば、その規模もそうそうたるものである。何台もの馬車や荷馬車を騎兵や歩兵が取り囲んだ、威風堂々とした行列に、沿道の人々から何度も歓声が上がった。
 歩兵の掲げる旗の中には、セルヴァント家の紋章が入ったものもあった。近衛兵長のミュリス男爵だけでなく、その父親のセルヴァント伯爵もが、今回の旅には同行しているのだ。
「父上を頼んだぞ、サヴィネ」
 城の門の前、勇壮なる行進を見送りながら、ラグナは思わず独りごちた。
「陛下には、近衛兵も儀仗魔術師も選りすぐりの者どもをおつけいたしましたからな。王城が手薄にならないか、と、逆に陛下のほうが心配なさっておられたぐらいです」
 ヘリストが耳ざとくラグナに話しかけてくる。ラグナは唇を引き結ぶと、曖昧に頷いた。
 誕生会の夜以来、ラグナはどうしても師の言葉を素直に聞けないでいた。
 ヘリストに一切の邪心が無いことは、ラグナにも分かる。彼はいつだって、主人であるクラウス王を、いや、王家を第一に考えていた。そのたぐいまれな頭脳を、全てカラント家のために捧げていた。
 優秀であるがゆえに、ヘリストが選ぶのは常に最適解だ。途中どんなに逡巡しようと、あとでどれだけ心痛めることになろうと、決定に際して何らかの感情が差し挟まれる余地はない。それは、テアの輿入れにまつわる話を聞いた時に、ラグナも薄々気がついていたことだった。
 そして、このたびのフェリアの件である。ヘリストにとって、フェリアが思い入れのある教え子であるのは間違いない。彼が事あるごとに彼女を気遣っているのは、この婚約がラグナによる一方的なものであることに薄々気がついているからだろう。
 だが、それでも、ヘリストはフェリアの退路を容赦なく断ち切った。王家の評判に僅かでも傷がつくことを、忌避したのだ。
 ラグナは、そっと奥歯を噛み締めた。ヘリストからみれば、ラグナですら王家隆盛のための単なる「駒」でしか過ぎないのかもしれない、と。
「なんにせよ、この条約が無事締結されれば、当分は国の外のことを気にせずにすむでしょうな」
 ラグナの胸中を知ってか知らずか、ヘリストは語り続ける。
「さて、陛下がお帰りになるまでの一週間、我らも我らの仕事をしっかり為し遂げるとしましょうか」
  
  
 それから二日間は、何事も無く日が過ぎていった。
  
 三日目の朝まだき、円い月がまだ空の高くにいるうちに、ラグナはヘリストに叩き起こされた。
「至急、陛下の執務室へおいでください」
 そう囁いた師の声は、はがねのように堅かった。ラグナは文句を言うことも忘れ、最低限の身支度を整えると、ヘリストに従って部屋を出た。
 黙々と渡り廊下を進み、執務室のある棟へ入る。
 静まり返った長い廊下に、ヘリストの持つランプの光が、二人の影を幻燈のように浮かび上がらせた。影は、それ自身が意識を持った生き物のように、手足の長いいびつな身体をゆらゆらと揺らしながら、二人とともに階段を上っていく。
 こんな時間に、しかもヘリストが直々にラグナを呼びにくるなんて、普通では考えられない事態だった。一体何が起こっているのか、不吉な予感を胸に、ラグナは国王の執務室に足を踏み入れる。
 ランプの灯された王の机の横には、テアの姿があった。ラグナ同様、休んでいたところを無理に引っ張り出されてきたのだろう、普段よりは幾分気軽な服装で、だが普段どおり凛とした態度で、背筋を伸ばして立っている。
 テアのすぐ面前、王の机の手前には、薄片鎧ラメラーアーマーを着た男が、深々とこうべを垂れ、片膝をついて控えていた。
「……サヴィネ!」
 それが、父王とともに南へ旅立ったはずの騎士と知って、ラグナは思わず声を上げた。
「ラグナ様……」
 錆びついてしまった蝶番のように、サヴィネが顔をラグナに向ける。憔悴しきったその表情を目にして、ラグナの心臓が跳ね上がった。
「サヴィネ、何があったのか、あなたの口からラグナに説明してください」
 分かりました、と応える声は、ラグナが今まで聞いたこともないほどに掠れ、震えていた。
「今日の……いえ、もう昨日ですね。昨日の昼前、クセスタまでもう一息という切り通しで、我々は正体不明の武装集団の襲撃を受けました」
「なんだって?」
 あまりな知らせに、ラグナは二の句を継げなかった。ただ喘ぐように息を繰り返し、サヴィネの次なる言葉を待つ。
 サヴィネは、眉間に深い皺を刻んだまま、呼吸を整えるように左手で胸元を押さえた。腕に巻かれたまだ新しい包帯に、うっすらと血が滲んでいるのが見えた。
「我々は、必死で応戦いたしましたが、完全に虚を衝かれた上に、敵には射手ばかりかどうやら高位の魔術師までおり、我がほうの術師殿はことごとく倒され……」
 口の中に溢れてきた唾を、ラグナは静かに嚥下した。魔術の習得には、多くの専門知識が必要だ。それゆえ、一人前の魔術師ともなれば、仕官の口に困ることなどない。つまり、王一行を襲ったのは、単なる盗賊などではない、ということになる。
「私は……、なんとか、陛下、を、お連れして、敵の包囲を突破しました。負傷なさった陛下には、少し離れたところにあった山小屋に避難していただいて、私は、こうして単身、皆様にお知らせしようと、馬を飛ばして参りました……」
 そこまで語って、サヴィネは力尽きたようにがくりと顔を伏せた。
「父上は、ご無事なんだな」
 暗闇に篝火を見出した心地でラグナが問えば、サヴィネは、下を向いたまま、一音一音絞り出すように、口重に、答えた。
「はい。ご無事です」
「母上、すぐに援護の兵を」
「お待ちください、ラグナ様」
 テアに詰め寄らんばかりのラグナに対して、背後から落ち着いた声が投げかけられる。
「現在、ブラムトゥスとの国境付近には、平和会談に合わせて帝国軍が展開しております。下手に兵を送れば、彼らと戦争になるかもしれません。なにより、背後から矢を射かけられる可能性があります」
「裏切り者が王都にいる、と言うのか」
 ラグナの語気が、自然と荒くなる。
 ヘリストが、さも意外そうに眉を引き上げた。
「ラグナ様も、うすうす気づいておられたではありませんか」
「しかし、今回、セルヴァント伯自身も父上に随行していただろう」
 その疑問に答えたのは、サヴィネだった。彼は、俯いた姿勢のまま、声音に苦悶を滲ませて、訥々と言葉を吐き出していく。
「当然ながら、伯の馬車も我らとともに襲撃を受けました。ですが、伯の姿は、既に馬車には無く……」
 と、そこで一度声を詰まらせ、サヴィネは大きく息をついた。
「我々は陛下の命を受けて、道中、伯の行動を注意深く監視しておりました。昨日も、伯が馬車に乗り込んだのを確認したはずでした。ですが……」
「伯のご子息のミュリス男爵は?」
 ラグナの問いを聞き、サヴィネの喉から唸り声が漏れた。
「……我らとともに、陛下をお守りしておられましたが……ご無事かどうかは……」
「実の息子をも切り捨てたのか……!」
 腹の底から一気に込み上げる、嫌悪感に、忿怒。一瞬にしてこめかみの辺りが熱を帯びるのを自覚して、ラグナは咄嗟にこぶしを握りしめた。手のひらに爪が食い込む痛みが、おのれをおのれに繋ぎとめる。
「ミュリス様は、陛下の信奉者であらせられましたからな……」
 ヘリストの声からも、切々たる無念さが聞き分けられた。
「私の後見人に手を挙げたものの、一向に甘い汁は吸えぬわ、着々と自分達の特権は削がれていくわ、業を煮やした、というところでしょうね」
 そう言って、テアは窓のほうへ顔を向けた。どこか遠くを見つめながら、いつになく弱々しい声で呟く。
「ラグナに縁談をねじ込んでこないのは、権力争いの愚かさに気づいたせいか、と一縷の望みをいだいていたのですが、やはりそうではなかったのですね……」
「この数か月ほど、伯の屋敷を不審な人物が足繁く訪れているのを確認しておりました。伯が陛下に随行して王都を離れるこの機会に、セルヴァント家をあらためる計画でおりましたが、まさか彼奴が先手を、それもここまで道を外れた策を打つとは思っておらず……」
 怒りに顔を歪ませ、絶句するヘリストに、テアはゆるりと首を横に振ってみせた。
「先生、悔やむのは後にいたしましょう。とにかく、今は一刻も早く陛下を助けに行かなければなりません。陛下が無事なことを、王都の謀反者達はまだ知らないはずです。彼らに気づかれる前に、秘密裏に行動する必要があります」
 もうテアの声には、一片の不安も感じられなかった。静かな決意を瞳に湛え、ヘリストを、ラグナを、順に見据える。
 ヘリストもまた、テアの言葉に深く頷いたのち、ラグナを見やった。
「私も、テア様も、王都を離れるわけには参りません。かといって、名代とするに値する者を見極める時間もない」
 そう言ってヘリストは、深呼吸を一つした。正面からラグナの目を覗き込み、おもむろに言葉を継ぐ。
「ラグナ様ならば、数日皆の前に姿を見せなくとも、色々と言い訳が立ちましょう。どうか行ってくださいますか」
「勿論だ」
  
  
 ラグナの愛馬は、既に玄関前に用意されていた。その横には、荷物を括りつけたヘリストの馬。サヴィネが乗ってきた馬は、とても使い物にならないのだろう。
 気丈に振る舞ってはいるがやはり不安であるに違いない、テアが珍しく感傷的な面持ちで、馬に跨ったラグナの手をそっと握ってきた。
「どうか気をつけて」
「父上と合流し次第、すぐに戻ります」
 ラグナが力強く頷いてみせれば、テアが満足そうに微笑んだ。
「サヴィネの言うことをよく聞くのですよ。わがままを言って困らせることのないように」
「分かっています」
「サヴィネも……くれぐれも気をつけて。ラグナを頼みましたよ」
「分かり、ました」
 少し気負い過ぎたか、サヴィネが言葉の途中で息を詰まらせた。慌てて「お任せください!」と胸を張る。
 満月が、西の空を柔らかく照らしている。東の空が闇の縛めから解き放たれるまでは、まだもう少しかかることだろう。
 サヴィネに従って、ラグナも馬の腹に脚を入れた。絶妙な呼吸で、愛馬が地を蹴る。
 夜のしじまの中へと、二頭の騎馬は粛々と歩を進めていった。
  
 月の光に助けられて、二人は、速歩はやあしで城下を駆け抜けた。ヘリストの采配か、開放されていた町の門を通り、街道を南へ。次の集落を通り過ぎる頃には夜も明け、道行きは格段に楽になった。
 馬の扶助についてラグナに簡単な指示を出す以外は、サヴィネはずっと無言だった。何しろ彼は、王都に凶事を伝えるために、昨日の昼からずっと駆けどおしだったのだ。疲れきった身体では、ラグナを先導するだけで手一杯なのだろう。怪我を負った両腕も痛むに違いない。いつもの朗らかさはすっかり鳴りを潜め、鷹のごとき眼差しが、影差す眼窩で油断なく光る。
 不測の事態を回避するため、時には町を迂回し、馬を潰さぬよう休息を挟みながらも、彼らは快調に道を進んでいった。
  
 夕刻になって、二人は街道を逸れた。牧草地を横切り、森の中を通る小路へと足を踏み入れる。道が悪くなった上に日も落ちて、足運びは格段に鈍くなった。目的地までは、あとどれぐらいかかるのだろうか。じりじりしながら、ラグナはサヴィネの馬のあとを追った。
 見事な望月が中天にかかる頃、二人の騎馬はようやく森を抜けた。
 眼前に広がる農地を、降りしきる月の光が灰色に塗りつぶしている。向こうのほうに黒ずんで見えるのは、種まきを終えたばかりの小麦畑だろうか。その少し手前側に、一軒のお屋敷が建っているのが見えた。
 サヴィネは、何も言わずに屋敷のほうへと馬首を向けた。
 ラグナは馬の歩度を少し上げて、サヴィネの真横に並んだ。
「あの屋敷に何か用が?」
 ラグナの声が聞こえていないのか、サヴィネからは、何の返答もない。
「宿なら、不要だ。まだ行ける」
 声に力を込めて言いきれば、サヴィネが掠れた声で応えた。
「ここが、目的地です」
「どういうことだ」
 ラグナは思わず眉をひそめた。クラウス王を山小屋に避難させた、とサヴィネが言っていたように思っていたが、勘違いだったろうか、と。あらためて周囲を見回してみると、確かに正面も右手も農地のすぐそこまで山が迫ってきてはいるが、この屋敷を「山小屋」とは呼ばないだろう。
 サヴィネは、再び唇を引き結ぶと、黙々と馬を進ませていく。
 その思い詰めたような眼差しに、ラグナは、それ以上何も言うことができなかった。
  
  
 屋敷の門のところには、白髪の老人が一人、佇んでいた。
 サヴィネに倣って馬からおりたラグナに、老人は深々と礼をする。
「ヘリストの奴から早馬で連絡を受けております。とにかく中へ」
 そう言うなり、老人はくるりときびすを返した。
 ラグナは、門番に馬を預けるのも早々に、慌てて老人のあとを追った。玄関を入ったところで、ようやっと老人に追いつき、夢中で問いかける。
「父は? クラウス王はどこに……?」
「陛下なら、ここにはおられません」
 老人の言葉を聞き、ラグナは勢いよくサヴィネを振り返った。胸中で渦を巻く、驚きと、不安と、怒りといった感情を、大呼して一息に叩きつける。
「どういうことだ、サヴィネ!」
 サヴィネが、ラグナから顔を背けた。目をきつくつむり、歯を食いしばり、こぶしを握りしめ……、そうして、突然何か糸が切れたかのように、がくりと床にくずおれた。
「お許しください、ラグナ様……!」
 両手を床について嗚咽を漏らし始めるサヴィネを前に、ラグナはただ声を荒らげることしかできなかった。
「泣いていては分からぬ! 説明しろ、サヴィネ!」
「私からご説明差し上げよう」
 静かな声が、背後からラグナに差しのべられる。
 ラグナは、恐る恐る老人のほうに顔を向けた。
「……あなたは、一体……?」
「もう隠居して久しいですがな、先王――殿下のおじい様のもとで、儀仗魔術師長を務めておりました。かつてヘリストには師匠と呼ばれたことのある身でございます」
 ラグナにとって祖師とも言うべきその人は、慈しむような眼差しでラグナに向かって微笑んだ。その笑みに助けられ、ラグナは幾分落ち着きを取り戻す。
「それで、これは一体どういうことなのか」
 眉間に険を刻み、問いを重ねるラグナに対し、祖師は、至極淡々と言葉を返した。
「国家転覆を目論む奸臣から、殿下をお守りしようというわけでございます」
 祖師の発言の意味が、ラグナにはすぐには理解できなかった。
「どういうことだ。私は、怪我をした国王陛下を助けに来たのだ。このサヴィネが奸賊の手から救出してくれた、父上を」
「残念ながら、陛下は既に奸臣の手にかかってお亡くなりになっておられます」
 俄かには信じがたい言葉を問い質すよりも早く、サヴィネの慟哭がラグナを打ちのめした。
「私も、最後まで陛下をお守りしたかった……! ですが、陛下が、早駆けはお前の右に出るものはおらぬから、と! 一刻も早く王都へ、このことを知らせるように、と! 殿下をたのむ、と、そう仰って、雨と降り注ぐ矢の中から、私の騎馬を押し出されて……!」
 そこから先は、もう、彼が何を言っているのか聞き取れなかった。サヴィネは獣のごとく咆哮しながら、こぶしを何度も床に打ちつける。
 ラグナは、身体の中ががらんどうになってしまったような心地で、ぼんやりとサヴィネを見下ろしていた。
 王の執務室で凶事を報告していた時から、この屋敷へ至るまで、ずっと、サヴィネの様子は変だった。ラグナと目を合わせようとしなかったのも、必要なことしか喋らなかったのも、この、由々しき秘密を抱え込むがゆえだったのだ。
 そこまで考えて、ラグナはようやく重要な事実に気がついた。
 口の中がカラカラに乾いてしまっているにもかかわらず、あっという間に苦いつばきがじわりと舌の上に滲み出てくる。ラグナはそれを無理矢理嚥下すると、泣き伏すサヴィネに問いかけた。
「ということは、父上を助けに行け、というのは、嘘なのだな? 皆で俺に嘘をついていたというのだな? お前も、先生も、母上も……」
 しゃくり上げ続けるサヴィネの代わりに、祖師が口を開いた。
「事実を告げられたらば、殿下は、皆と運命をともにしようとなさったのではありませんか?」
 その瞬間、ラグナの脳裏に甦ってきたのは、母の姿だった。別れを惜しむように、馬上のラグナの手をそっと握りしめた、母の手のひらの温もりだった。
 ラグナは、奥歯を強く噛み締めた。胸の奥が燃えるように熱かったが、不思議なことに、頭の中は冷水を浴びせかけられたかのように冴えきっていた。今しがたまで身体中を蝕んでいた疲労感も、まるで嘘のように消え失せている。
 ラグナは無言できびすを返した。床にぬかずき、むせび泣くサヴィネの横を通り過ぎ、玄関扉に手をかける。
 背後から、祖師の声が追いかけてきた。
「殿下、どちらへ」
「決まっている。王都へ帰る。帰って、皆とともに裏切り者と戦う」
 大きな溜め息が、ラグナのすぐ後ろで聞こえた。
「やれやれ。だから、ヘリストは殿下に本当のことを言わなかったのですよ」
 次いで、何か詩歌のようなものが、ラグナの耳に飛び込んできた。
 血相を変えて振り返るラグナの眼前、祖師が空中に指をひらめかせて呪文を唱えている。
 ほどなく、ラグナの視界に靄がかかり始めた。頭の芯が痺れだし、手足の感覚がどんどん鈍くなっていく……。
「やめろ! 俺は、王都へ戻……」
 そして、ラグナの意識は、闇に呑み込まれた。
  
  
  
 見慣れぬ鎧の軍団が、王都の通りを整然と並んで進んでゆく。
 街角に満ちる不安げな囁きは、誰かが「南の帝国だ」と呟いたのを境に、恐怖に彩られた沈黙と変わった。人々は慌てふためいて建物の中へ逃げ込むと、息を潜めて窓から外を見つめた。
 大鷹をあしらった旗のすぐ脇には、もう一つ、こちらは皆がよく見知っている旗が、誇らしそうにはためいていた。その下に見えるは、誰あろう、マルクス・セルヴァント伯爵の堂々たる姿。
 隊列は、粛々と街を抜け、真っ直ぐ王城へと吸い込まれていった。
  
 その日のうちに、セルヴァント伯爵による声明が、王都中を駆け巡った。
 曰く、十年以上もの長きに亘って、クラウス王は傀儡と化していた。王を操り、実権を握っていたのは、王妃と儀仗魔術師長。
 彼らの施政は、全て彼らが私腹を肥やすためにあった。例えば、平民の子供に教育を強制しようというのも、そう。人々から貴重な働き手を奪って困窮させ、彼らを統べる貴族にその尻拭いを押しつける。貴族と平民の垣根を崩し、社会の秩序を乱す。彼らはそうやって貴族を弱体化させ、国政をほしいままにしようとしていたのだ。
 彼らの罪は、それだけではない。更なる権力を求めた王妃は、王を唆し、平和を求めて我が国を訪れた帝国からの使者を暗殺しようとしたのだ。
 そのような、人の道にもとる行為を、見過ごすことができようか。カラントの民に、卑怯者の汚名をかぶせるわけにはいかない。
 斯くして、非道に堕ちたクラウス王の軍勢は、清廉なる帝国軍によって返り討ちとなった。帝国軍は、報復としてカラント全土に戦火を広げようとしたが、命の恩人であるセルヴァント伯たっての願いを聞きいれ、戦争はぎりぎり回避された、と……。
  
 王城に入った帝国兵は、このたびの騒乱の首謀者である王妃と儀仗魔術師長を拘束した。抵抗した王太子とその婚約者も抑留。のちに全員が処刑台の露と消えることになる。
 王妃達の罪を認め、セルヴァント伯及びマクダレン帝国に従うならば、命を助けてやってもいい、と告げられた王太子は、裏切り者の言葉に貸す耳はない、と、最期まで威風堂々とした態度を崩さず、刑場に居並ぶ帝国兵を圧倒させたということだ。