おかえり、はやぶさ
眼下に迫る、灼熱の荒地。
命の源である太陽の光も、ここではもはや凶器でしかない。容赦なく照りつける陽光は、彼の目を眩ませ、彼の身体を痛めつける。
それでも、彼は行かなければならないのだ。この世界の来し方を探り、行く末へと続く道を明るく照らすために。あの荒れた大地へと降り立ち、その岩石を採取する、これが彼に与えられたミッションだった。
本当ならば、相棒のミネルバがあそこで彼を出迎えてくれるはずだった。だがミネルバは彼の目の前で、虚空の彼方へと消え去ってしまった。
相棒が果たせなかった夢の分まで、俺が頑張らなければ。幾つもの不調を抱えた状態で、それでも彼は諦めなかった。慎重に足場を探し、二度目の挑戦を開始する。
目標までおよそ百メートル。
六日前に打ち出したターゲットマーカーが、地表で光っている。あれには、実に八八万人の人々の名前が刻まれているのだ。
――そうか。俺は一人じゃないんだ。
こんなにも沢山の人々が自分を応援してくれているのだ、という事実に改めて思い至って、彼は思わず胸を熱くした。通信機器の不調により、募る一方だった孤独感が、すうっと氷のように溶けていく。
――今度こそ、成功させてやる。
そうだ、今この瞬間も、遥か故郷では沢山のスタッフが自分のミッションを固唾を呑んで見守ってくれているのだ。意を決し、大きく息を吐いて、はやぶさはイトカワへと降下した。
長い旅だった。
イトカワ着陸の瞬間のことを思い返しながら、彼は目前に迫る故郷をじっと眺めていた。
あのあと、彼は幾度も生命の危機に晒された。燃料漏れ、バッテリの過放電、基地との通信が一ヶ月以上途絶えたこともあった。正規の姿勢制御装置は壊れ、全エンジン停止の憂き目にもあい、絶望の淵に立たされたのは一度や二度のことではない。
自分もこのまま、相棒の後を追って、宇宙の藻屑と消えてしまうのではないだろうか。何度も諦めかけた彼を支えたのは、地上スタッフの存在だった。スタッフ達は死に物狂いで、彼の手に残されたほんの僅かなものを利用して故郷へ帰るすべを考え出してくれたのだ。
そうして、彼は、帰途についた。
今、彼の手の中には、カプセルが握られている。この中には、彼が必死の思いで採取したイトカワの砂が入っている。
これを故郷に届ければ、彼のミッションは完了する。
地球の影に、入る。
彼は、遥か地上めがけて、カプセルを放り投げた。
二〇一〇年六月一三日、日本時間一九時五一分、小惑星探査機はやぶさ、カプセルの切り離しに成功。
同二二時五一分、大気圏突入。
オーストラリアのウーメラ実験場で撮影された写真には、満天の星空を背景に二つの火球の光跡が映っていた。
一つは、大気との摩擦熱で発光する耐熱シールド。カプセルはこれに守られて地上へと到達する。
そしてもう一つ、より明るく光り輝いているのが、燃え尽きるはやぶさの最期の姿だった。
〈 了 〉