アルノルド・サガフィの帰郷
お土産の詰まった鞄を抱え、一年ぶりに故郷の駅に降り立ったアルノルド・サガフィ少尉を出迎えたのは、幾つもの銃口と王都警備隊の制服だった。
アルノルドは、カラント陸軍第三師団に所属している。士官学校を卒業後、少尉補として東の国境にほど近いラスパスに赴任していた。この春、無事少尉となり騎兵小隊の長に任じられたこともあって、たまりにたまった休暇を消化するべく、上官に無理矢理休暇届を書かされ、同僚と部下には無理矢理手土産を持たされ、初めての里帰りと相成ったのだが、どういう行き違いがあったのか、迎えに来ると言っていた友人の姿は駅のホームになく、代わりに、かち色の制服を着込んだ厳めしい集団が、手ぐすね引いてアルノルドの到着を待ち構えていたのだった。
我が身に何が起こっているのかさっぱり分からなかったものの、とりあえずアルノルドは、連行されるがままに警備隊の南管区本部の扉をくぐった。
警備隊には、士官学校で苦楽をともにした者も何人か在籍している。自分がどのような揉め事に巻き込まれてしまっているのかは知らないが、誤解はすぐにとけるだろう、そう考えていたアルノルドだったが、三人がかりで取り調べ室に連れ込まれ、問答無用で荷物の中身を探られ始めると、流石に少々不安になってきた。とにかく、何の嫌疑をかけられているのかだけでもはっきりさせなくては、と、口を開きかけたところで、手提げ鞄を漁っていた警備隊員が「ありました!」と声を上げた。
それを受けて、トランクを改めていた隊員も鞄のほうへ向かう。
一体何が見つかったというのか。アルノルドも思わず一歩を踏み出しかけたが、背中に銃口を突きつけられて、諦めて再度直立不動の姿勢に戻った。
「届け出のあった首飾りに間違いありません!」
隊員が、勝ち誇った笑みでアルノルドを振り返り、小箱を掲げる。
思わずアルノルドは「気をつけろ」と身を乗り出していた。
「それは、他人からの預かり物だ。大切に扱ってくれ」
「預かり物ぉ? これを誰かから預かったとでも言うのか?」
馬鹿にするような口調が気になったが、アルノルドは素直に返答した。
「テレンスで、とある婦人に王都へ届けてくれと頼まれた」
「嘘をつけ!」
肩甲骨に銃口を強く押しつけられ、アルノルドの口から呻き声が漏れる。
と、その時、背後の扉が勢いよく開いて、金髪の青年が姿を現した。
「アルを確保したって?」
王都警備隊南管区ストゥール分隊副長、ヴェー・アイザスは、アルノルドの幼馴染みでもあった。成人にしては珍しく髪を短くしているが、その実、面倒見の良い頼もしい人間だ。中央駅まで迎えに来てくれるという約束をすっぽかされたことも忘れて、アルノルドは安堵の溜め息をついた。これでもう安心だ、と。
だが、当のヴェーはといえば、アルノルドの顔を見るなり、なにやら面食らったような顔になった。扉を閉めることも忘れ、怪訝そうな表情のまま、そろそろと部屋の中へ歩みを進めてくる。そうして、眉間に深い皺を刻んで、アルノルドの顔を覗き込んで、一言。
「……こいつ、誰?」
アルノルドが我が耳を疑う間もなく、ヴェーは再度信じられない台詞を繰り返した。
「こいつ、アルノルド・サガフィと違うぞ」
「え?」
驚きのあまり絶句するアルノルドの背後で、警備隊員が訝しげに口を開いた。
「しかし、手配書にあるとおり『長身、赤錆色の長髪、深緑の瞳』ですし、顔も写真とそっくりで……」
「確かに髪の束ね方も同じだけれど、逆に、一年が経っているのに全く同じ髪型なのは怪しいと思わないか? それに、顔が微妙に違うだろ。写真のいかにも『おぼっちゃん』って風情に比べたら、悪人っぽさが隠しきれていない」
訳知り顔で言うなり、ヴェーはアルノルドの背中に押しつけられていた銃を、ひょいと取りあげた。
「大体、仮にも侯爵家の御曹司が、こんな風に黙っておとなしく逮捕されていると思うか? 『家の者を呼んでくれ』って言うだろ、普通。それを言わないのが、証拠だ。本物の息子と違うのがバレたら困るもんな」
黒光りする銃を、これ見よがしに見せつけてから、ヴェーは銃口をアルノルドの腹に突きつけた。引き金に指をかけ、更に強く銃の先を腹にめり込ませる。
「よし、お前ら、こいつの正体を暴くぞ」
「え? しかし……」
「乗りかかった船だ、お前らのところの隊長には、あとで俺から話しておいてやる。とにかく、さっさとこいつの身分証明書を探せ。鞄の内張りの中も忘れずに、だ」
「りょ、了解!」
三人の隊員が、我先にとアルノルドの荷物に取りつく。
アルノルドは、眉をひそめた。
身に覚えのないことで逮捕されたことは勿論、竹馬の友から別人呼ばわりされたことも問題だが、それより何より、今、拳銃で腹を押さえられている事実に、アルノルドは困惑していた。何故なら……、
――そこを押さえられると、身分証明書が出せないじゃないか……。
手提げ鞄にも、トランクにも、万が一の盗難に備えて、服だの食料だの本だの「金で買えるもの」しか入れていない。身分証など大切な物は、失くさないように腹巻の中に収納している。そもそもこれは、他ならぬヴェーに教えてもらったやり方なのだが……。
――まさか、わざとやっているのか? ヴェー。
それとも、本当にこのアルノルドが偽物だと思っているのか? 問いを込めたアルノルドの視線に気づいているのかいないのか、ヴェーは空色の目をそっと細める。
「三日前、テレンス郊外のとあるお屋敷に賊が忍び込み、由緒ある宝石を奪っていった。知らないとは言わせないぞ」
アルノルドは、黙って話の続きを待つ。
「アルがこの事件に関わっているとの情報が寄せられ、まさか、と思っていたが、やはり偽物の仕業だったな。侯爵家の人間を騙れば、検問をすり抜けられると思ったんだろうが、残念ながら、この盗難事件には若王殿下も興味をお持ちでな。仮に犯人が本物のアルノルド・サガフィだったとしても、確実に身柄を確保せよ、とのお達しだ」
若王殿下、という単語を聞き、知らず目を見開くアルノルドの目の前、ヴェーがにやりと笑った。そして、聞こえるかどうかの小声で、囁く。
「一番鶏が鳴いた」
それは、子供の頃よく遊んだ、追いかけっこの遊びだった。猫役になった一人がこの台詞を高らかに言い放てば、残る鼠役は、一斉に……。
アルノルドの腹が、一際強く銃口で押される。それを合図に、アルノルドは全力でその場から逃げ出した。
偶然か、それともヴェーの采配か、廊下にも玄関にもひとけは無く、アルノルドは無事南管区本部を脱出することができた。
普段のアルノルドなら、警備隊から「逃げる」など考えもしなかっただろう。だが、自分が濡れ衣を着せられていることが明らかで、そして、警備隊員であるヴェーが「逃げろ」と言っている以上、それに従わない手はなかった。
三ブロック先、商店の並ぶ通りに出たところで、アルノルドはようやく走るのをやめた。息を整えながら、雑踏に紛れて街路を進む。しばらくして背後を振り返ってみたが、アルノルドを追ってくる人間は見つからなかった。
――さて、これからどうすべきか。
とにかく、ヴェーの奴にこの状況を説明してもらわなければ、動くに動けない。アルノルドは、現状分析を一旦棚に上げることにした。心持ち歩調を速め、人波をすり抜けることに意識を注ぐ。
無心になって歩き続けるうちに、ふと、アルノルドの脳裏に先刻のヴェーの台詞が浮かび上がってきた。
――若王殿下、か。
つい緩みそうになる口元を、いかんいかん、と引き結んで、アルノルドは道行きを急いだ。
それは四年前、アルノルドが士官学校に入学して間もなくのことだった。
剣術の演習が終わり、その日の教練は全て終了、という段になって、副教官が一人の子供をホールに連れてきたのだ。
「誰か、この子に稽古をつけてやってくれないか」
ロニーと名乗ったその子は、堂々とした態度でアルノルド達新入生を見渡すと、力強い口調で「よろしく頼む」と頭を下げた。その拍子に、夕焼け空のような髪が、ふわりと揺れる。
歳の頃、十二、三歳、初等学校を卒業したかどうか、といったところだろうか。日に焼けていない頬に、細い腕。いくら稽古といえども、こんな頼りない子供相手に剣をふるうなど、もってのほかだ、とアルノルドは思った。
皆も同じことを考えているのだろう、案の定、しばらく待っても、相手役に名乗りを上げる者は誰一人として出てこない。
こうなるとアルノルドは、今度は別の意味でこの子供のことが気の毒になってきた。自分より幾つも年上の人間に練習相手になってもらおうと言い出すには、相当な覚悟が必要だったに違いない。その勇気が無駄に終わることのほうが、彼にとってはつらいのではないだろうか、と。
相手は子供なのだから、適当に手加減してやればいいのだ、とも思い当たったアルノルドは、静かに手を上げた。「私でよろしければ」と。
練習用の竹剣ですら、ロニーの身体には大き過ぎるように見えた。アルノルドは密かに溜め息をつくと、そっと構えをほどいた――ほどこうとした。
その瞬間、ロニーの身体が視界から消えたかと思えば、アルノルドの脇腹に強烈な一撃が喰らわされた。
「審判、今のは挨拶だ。得点に数えなくていい」
ロニーはそう言って、不敵な笑みを浮かべた。
大言を吐くだけのことはあって、ロニーの剣さばきは、実に小気味の良いものだった。筋も良い。体格差を考えると、打ち込む時の力加減には気を遣わざるをえなかったけれども、その他の点では一切 手を抜くことなく、アルノルドは真剣にロニーと打ち合った。
こちらの攻撃を読み、的確に防御しては、僅かな隙も見逃さず、目にも留まらぬ速さで切り込んでくる。竹剣と竹剣が乾いた音を奏でるたびに、アルノルドの心は高揚した。力比べに陥りがちな同期との手合わせとは違い、ロニーとの打ち合いは、彼にとってこれまで経験したことのないものだった。力を抑えて、なおかつ、全力で。二つの相反する条件のもと、一太刀ごとに視界が広がるような気がした。
それがあまりにも心地よくて、ついアルノルドは調子を上げてしまった。力の引きどころを見失い、ロニーの竹剣を空高く弾き飛ばす。
勝負あり、と右手を上げる審判役の副教官に、ロニーが荒い息で噛みついた。
「まだだ。まだあと一本ある!」
「しかし、もうふらふらではありませんか」
「子供だから、と、余計な配慮をするな!」
――勝気なのは、太刀筋と同じ、か。
思わず浮かび上がる笑みをなんとか押し殺して、アルノルドは、審判に食ってかかるロニーの前に右手を差し出した。ロニーが文句を口にするよりも早く、きっぱりと言いきる。
「これは、配慮ではありません。敬意です」
お前がそういうのなら、受け取ってやってもいい。少し照れくさそうに握手に応えるロニーに、アルノルドは今度こそ笑みを隠しきることができなかった。
以来ロニーは、練習相手をアルノルドと決めたようだった。
父親のつてで、去年から週に一度、剣の稽古に来ているんだ、とロニーは言っていた。これまでは、主に一年兵に稽古をつけてもらっていたとのことだったが、アルノルドが進級すると、ロニーは二年兵の演習に合わせて姿を現すようになった。
ヴェーが審判役を買って出てくれるほかは、皆、アルノルドとロニーの手合わせを遠巻きに眺めるばかりだった。余程、子供の相手が苦手なんだろう、そうアルノルドは思っていた。
その考えが全くの見当違いだったということをアルノルドが知ったのは、ロニーと出会ってから三年が経過した、士官学校卒業式の朝だった。
居並ぶ卒業生を前に、陸軍のお偉方が整列する、その更に一段上、玉座の傍らの椅子にすまし顔で着席するロニーを見た瞬間、アルノルドは叫び声を上げそうになった。今まで自分が遠慮なく竹剣を打ち込んでいた相手が、未来の国王陛下だった、ということに気がついて。
『三年もあれば、普通、途中で気づくだろ? 流石はアルノルド・サガフィだ』
懐かしい出来事とともに、ヴェーの他人を小馬鹿にした笑顔まで思い出してしまい、アルノルドはつい顔をしかめた。あの時の仲間達は、今でも時々この話を持ち出しては、「石頭め」とアルノルドをからかってくる。
剣術の練習をするのに、相手の出自など必要ないだろう。必要なのは、剣と、それをふるう技だけだ。……という持論を曲げる気はさらさらないが、ヴェー達の言い分も、多少は分からないでもない。
――しかし、どうやったら、あいつらの言う「柔らかい頭」とやらは手に入るのだろうか。
深く考え込みながら、アルノルドは大聖堂の裏手に茂る木々の合間へと入っていった。