あわいを往く者

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銀色の守護者

ゆるゆるSF企画
  
  
  
   銀色の守護者
  
  
  
 住宅街から少し外れた山の中を、ひっそりと抜けるこの小道には、昔、電車の線路が敷かれていたらしい。もしもそれがまだ現役だったら、電車通学ができたかもしれないのに。うら寂しい道を一人とぼとぼと歩きながら、僕は溜め息を一つついた。
 休みの日など、『廃線跡を訪ねて』なんて本を持った人が、苔むした電柱や崩れかけたホームの跡を見ては、「おお」とか「ああ」とかいちいち感動しながらカメラを向けているのに出くわすことがある。「素敵な通学路ね!」と見知らぬオバサンに話しかけられたこともあったけど、街灯は少ないわ、足元は悪いわ、変質者すら寄りつかないこんな辺鄙な道が「素敵」だとか、絶対どうかしてる。
 だいたい、このあたりは学区の端っこも端っこで、こっちに家がある奴はクラスでも部活でも僕一人だ。小学校の時も、微妙に僕だけ家が離れていて、集団登校が面倒だった覚えがある。「素敵」とかほざく奴は、毎日三キロの道のりを徒歩通学する子供の気持ちにもなってみろってんだ。マジで。
 両脇に生い茂る木々のせいで、まだ五時だというのに辺りはすっかり薄暗い。足元に注意しながら道を急いでいると、少し開けた場所にやってきた。
 かつては信号所だったらしい、小さなコンクリート造りの建物が、広場の端に立っている。窓も扉も板で厳重に塞がれた姿は、いかにも廃屋といった感じで、夕闇の迫る中見れば結構ホラーだけど、昼間は小学生の秘密基地ごっこや戦隊ごっこの格好の舞台だ。僕も、子供の頃は、この扉の向こうに異世界を想像したものだった。
 大人になる、ということは、夢を失うことと同義なんだな、なんて、たまには歳相応に中二らしいことを心の中で呟いてみた、次の瞬間、僕は我が目を疑った。
 信号所の扉が、開いている。
 思わせぶりに、二センチほど。薄く扉が開いている。しかも、その隙間がぼんやりと光っている。虹色に。
 普通に灯りが漏れているだけならば、余計なリスクを避けて全力でスルーしたと思う。でも、これはどうよ。赤だったり青だったり黄だったり、色んな色がもやもやっと混ざって光っているとか、ちょっと様子を窺ってみたくならないだろうか(反語)。
 僕は、そっと信号所に近寄った。全神経を集中させて、辺りの音や気配を探る。
 扉の隙間の光以外に、変わったところはないようだった。
 念には念を入れて扉の前に立たないようにして、僕は拾った木の枝で扉をそっと突っついた。
 隙間が少し広がり、その分漏れる光が強くなった。
 だが、しばらく待ってみても、何も状況は変わらない。
 僕は腹に力を入れると、扉が開く方向へ思いっきり枝を動かした。
  
 光が、ほわん、と周囲に広がった。
 それ以外に、状況に変化はない。
 恐る恐る扉の中を覗いてみると、ドア枠いっぱいに、何とも言えない不思議な光が満ち満ちていた。
 テレビの特番で見たことのある、大昔の特撮番組が、こんな感じで異世界感を演出していたような気がする。色んな色が混ざり合った結果、なんとなく銀色っぽくなってしまった、みたいな、掴みどころのない光。それが、廃墟となった信号所の、開け放たれた入り口から溢れんばかりになっている。
「……なんだ、こりゃ」
 もしかしたら、違う世界への扉が開いたのだろうか。まさかね、と思いながらも、僕はその戸口から目を離せずにいた。不可思議な光は、まるで何か意思を持った生き物のように、絶えず色味を変えながら、ドア枠の中を満たしている。
 さっき扉をあけた時、持っていた枝を勢い余ってどこかに飛ばしてしまったらしい。代わりになるものが欲しくて、僕は制服の胸ポケットに手をやった。手探りでシャーペンを取り、その先端をそっと光へ近づけてみる。
 手が震える。唾を呑み込んだ音が、痛いぐらいにこめかみに響く。
 まばたきする余裕すら失くして、僕は目を見開いたまま、ゆっくりとシャーペンの先を光の中へと沈めていった……。
「抜いて! 手を! 早く!」
 ただ事ならぬ声が響き渡り、僕は死ぬほど驚いて一歩後ろに飛びずさった。
「無事? なぁ、無事? 手ぇ入れた? 手ぇ、無事?」
 こてこての関西弁にも度肝を抜かれ、慌てて背後を振り返る。
 銀色の肌、大きな丸い目。
 そこには、絵にかいたような「宇宙人」がいた。
  
「う、う、ううううちゅう……」
「ちゃうねん! これでもアタシれっきとした地球人やねん! こんな格好してるんには、深い理由があるねん!」
 だから大声で叫ばんとって! と、宇宙人が両手を合わせて拝んできた。
 喉まで出かかっていた悲鳴をなんとか呑み込んで、僕は宇宙人から三歩距離をあけた。
「ごめんなー、驚かせて。落ち着いた? な、落ち着いた?」
 どう見ても宇宙人な自称地球人は、野太い声で可愛らしく小首をかしげた。
「こうなったからには、一通り説明させてくれへん? それか、何も見なかったことにして、このまま何も聞かずに帰る、って選択肢もあるけど?」
 宇宙人にも「おネエ」という性別があるんだろうか。いや、「おネエ」は「性別」じゃない。軽く混乱しながら、僕はやっとの思いで声を絞り出した。
「せ、説明?」
「そ。そこの、ぶわーっと光ってるやつが気になってたんとちゃうん?」
「あ、まあ……」
 のっぺりとした銀色の顔が、微かに笑ったような気がした。
「んじゃ、仕切り直して。アタシはトモミ」
「あ、ぼ、僕はアキラ……」
 宇宙人(しかもおネエ)と和気藹々と自己紹介しあうとか、一体どんな罰ゲームだろう。引きつった頬を見咎めたのか、宇宙じ……いや、トモミが、小さく肩をすくめた。
「こんなスーツ着ずにすんだらエエねんけど、そういうわけにもいかへんから、ごめんなー。びっくりしたやろー?」
「スーツ!?」
 僕の叫びに、宇ちゅ……トモミは、心なしかムッとしたように見えた。
「だから、最初に言うたやん。宇宙人ちゃうって。言っとくけどな、これでも日本ひのもと初の女性界面管理技術者やねんで。で、その界面管理技術者ってのが……」
「女の人!?」
 驚きのあまり、思わず正面から指まで差してしまった。失礼に気づいて、慌てて手をおろす。幸いなことに、トモミは僕の無礼を気にしていないようだった。
「いや、ちょっと、ツッコミ入れるの、そこ? そこなん?」
「だって、声が……」
「ああ、これな、このスーツの仕様やねん。位相変調する際に周波数が下がってしもうて、声が実際よりも低く聞こえてしまうみたいやねん」
 野太い声のまま、トモミが「てへっ」と笑った。やっぱり、おネエ、としか思えない。見た目、おネエの宇宙人。
「驚かんといてな。アタシ、実はこの世界の人間とちゃうねん」
 銀色の光に照らされて、トモミが思わせぶりに囁いた。
  
「……今度はあまり驚かへんねんな」
「いや、だって、今更、宇宙人も異世界人も、あまりインパクト変わらないっていうか……」
「あ、まあ、そうか……」
 もっと驚いたほうがよかったんだろうか、僕が見ている前で、トモミはがっくりと肩を落とした。そのまま力無くうなだれ、くずおれるように地面に膝をついたかと思えば、なんと、さっきとは打って変わって明るい声で「ジャーン」と効果音を言いながら、ぴょんと立ち上がった。
「さて、クイズです! これ、なんに見ーえる?」
 切り替え、早っ。
 色々思い悩むのがなんだか馬鹿らしくなって、僕は素直にトモミの手元を見た。
「……石」
「せや。で、この石やけど、今この瞬間のこの石と、さっきアタシが拾った時の石と、同じやと思う?」
 手品なのかと訊いたら、どうやらそういうことではないらしい。
「この石は、確かにさっきの石と同じ石なんやけど、もっと厳密に考えてみたらどうなるか、ってことやねん。時間の経過とともに少しずつだけど風化は進むし、手のひらの体温で温度は上がるし、さっきの石と全く同じ存在ってことはありえへん、って解るやろ?」
 ふむふむ。
「この石は、この石を形作ってるエネルギーの、瞬間瞬間の断面みたいなものに過ぎないねん」
 そういえば、ちょっと前に何かの本で似たようなフレーズを読んだことがあった。ええと、三次元の物体の断面が二次元であるように、四次元の物体の断面は三次元である、だったっけ。三次元のものを「断『面』」って言っちゃっていいの? って思ったけど。
 そのことをトモミに尋ねたら、「他にピッタリな単語が無いから、便宜上『断面』でええねん」と流されてしまった。
「アキラ、意外とツッコミ鋭いなァ。きっと将来、大物になるで」
 宇宙人然とした不審者相手に、なんでこんなに冷静に会話できるのか、自分でもちょっとびっくりだ。きっと、トモミの関西弁が、緊張感とかそういったものを台無しにしているせいに違いない。
「ざっくり言うとな、世界ってのは、一つの大きなエネルギーの流れやねん。それが、こう、なんて言うか、まあ、色々複雑なお約束のもと、色んなものを形作りながら、過去から未来へ、ぶわーっと流れていくねん。あ、ほら、万物は流転する、とか聞いたことあるやろ? 絶対こっちにも居やはるって、そういうこと言った偉いさんが」
 聞いたことがあるような、無いような、やっぱりあるような。
 でも、そんなことよりも……、
「質問いいですか」
「はい、アキラくん」
 授業の時の癖で右手を軽く上げれば、トモミがビシッと指名してくれた。気持ちがいいほどノリノリである。
「ええと、『流れてる』って、どこを流れてるんですか? この世界が流れてるって言うんなら、その外があるんでしょう?」
「『外』はな、まだアタシらにもよく解らへんねん。ほら、アレや。ビッグバンの前には何があったんや、とか、膨張する宇宙の外側はどうなってんねん、とかと同じで、絶賛研究中や」
 ビッグバンを引き合いに出されてしまうと、なんだかもう「仕方ないか」って諦めるしかないような気がした。
「ただ、この『流れ』ってのが、少なくとも二つは存在してる、ってのは、アタシらは既に確認済みや」
「それって、もしかして……」
 いよいよ話が本題に差し掛かったようだ。トモミが、勿体ぶるように大きく息を継ぐ。
「せや。アタシらの世界と、ここ、アキラのいる世界や」
  
「お隣さんって言うたらエエんかな。どうやらこの二つの世界は『近い』みたいで、時々界面が綻んで、こっちとそっちが繋がってしまうねん」
 そこで一旦言葉を切って、トモミは傍らの信号所の扉を指さした。
「こんなふうに」
 虹色っぽい銀色っぽい光は、相変わらずもわもわとドア枠の中で揺れている。
「幸い双方のエネルギー量は拮抗しているみたいで、今のところ、どっちかにどっちかが流れ込むことはないみたいやねんけど」
 これって、もしかしてパラレルワールドってやつなんじゃないか?
「マジで? この向こうが異世界?」
 思わず早口になってしまった僕に、トモミがゆるゆると銀の頭を振った。
「それがな、話はそんなに簡単とちゃうねん。やっぱり『違う』世界なだけあって、ものを形作る『ことわり』が、互いに微妙に違うみたいでな、例えばこの石をあっちに放り込んだとしても、あっちでは全く違うものになってしまったり、そもそも形を保てなくなってしまったりするねん。ややこしいことになるから実験せえへんけど。放り込んだ石と同じ分のエネルギーが、あっちからこっちに押し出されてきたりするしな」
 そうして、トモミは自分の胸元に手をやった。
「で、やっとこのスーツの話になるんやけど、このスーツのおかげで、アタシはこの世界でもアタシを保っていられるねん。このスーツが破れでもしたら、アタシは単なるエネルギーになってしまうんや」
 トモミの言葉に、僕は思わず光を二度見した。
「それって、逆に、こっちの世界の誰かが、うっかりそっちに迷い込んでも、同じことが起こるってことですよね」
「うん。まあ、でも、こんなにデカい『綻び』は滅多にあらへん。普通はもっと小っこいやつばっかりやから、そんなに心配せんでもエエって」
 滅多に無い、って、絶対に無い、ってわけじゃないんだよな。これってかなり怖くないか?
 いわゆる「神隠し」の原因って、もしかして……。
 内心、かなりびびっていると、トモミが「心配せんでもエエ」と再度繰り返した。
「このスーツを着て、二つの世界を繋ぐ『綻び』を修復してまわるのが、アタシら界面管理技術者の仕事やねん」
 誇らしげに胸を張るその姿を見て、不覚にも「カッコイイ」と思ってしまった。見た目、まんま宇宙人なのに。
 そんな心の声が聞こえたのか、トモミはがくりと肩を落とすと、一転してぶつぶつとぼやきだした。
「それにしても、そんなにこのスーツ、宇宙人っぽく見えるん? こっちの人、アタシを見たら必ず『宇宙人だ!』って言うんやもん……」
 困るわあ、と僕に向かって訴えかけてから、またぶつぶつ愚痴り続ける。
「位相をまたいで存在を保つってのは、物凄く大変なことやねん。視界を確保するためのゴーグル部分を開発するだけでも、何十年かかったか。こっちの世界での見た目とか、気にする余裕なんてあらへんわ。そんなん、好きで宇宙人っぽい格好してるわけやないのに、宇宙人や、って言われたら、どうリアクションしたらええねん……」
 悩むポイントが微妙にずれているような気がしないでもないけど、気にしないことにした。
 それよりも、だ。オカルトネタの定番の一つ、宇宙人の目撃情報って、もしかしてスーツを着たトモミ達のことなんじゃないか? あの有名な捕獲された宇宙人ってのも、もしや抜け殻のスーツとか?
「ま、とにかく、そんなわけで、アタシはこの『綻び』を直しにやって来てん。誰かが――アキラが近づいてくるのが見えたから、慌ててそこの茂みに隠れてんけど、うっかり扉を閉めそこねてしまった、ってわけや」
 一通り状況説明を終え、トモミは大きく伸びをした。
「さーてと、座標の入力とかはアキラが来る前に完了させたから、あとは、ぱぱっと残る作業を片付けてしまうわ」
 扉の前に立ったトモミが、光の縁をぐるりと撫でる。手の動きに合わせて、しゃをかけたかのように、光量がぐんと減った。
「これで、あとは、向こうに戻ってから、今の続きで、きゅっと締めたら完了や」
 何の続きで何が「きゅっ」と締められるのかよく解らなかったが、たぶん説明されても僕には理解できないだろう。知識が無い者にとっては、科学も魔法も大差ない、とは、一体何の本で読んだフレーズだったか……。
「ほな、帰るわ」
「えっ」
 あまりにもあっさりとした言い方に、僕はそれ以上言葉が出てこなかった。
「アキラも早よ帰らなアカンのとちゃう? お家の人が心配しやはるで」
 確かに、辺りはすっかり真っ暗になってしまっている。
 でも、こんな驚きの出会いが、こんなにあっけなく終わってしまうなんて、後ろ髪が引かれるどころの話じゃない。何か言わなければ。でも何を言えばいいんだろうか。ぐるぐる悩んでいると、トモミが実にあっけらかんと言った。
「どうせ、また三日も開けずに、『綻び』発生、つって、こっちに来ることになるやろうしなあ」
「え?」
「界面管理技術者、別名、境界の守護者マージナル・ガーディアン。って、聞こえはいいけど、残業多いし、勤務時間不規則やし、危険やし、もう少し給料上げてもらってもエエんちゃうん、って思うわー」
 なに、その、溢れんばかりの現実感は。中二臭い別名に、全然合ってないよ……。
 脱力感に襲われていると、ぽん、と肩を叩かれた。
 顔を上げれば、宇宙人然としたトモミが、相変わらずの低い声で、可愛らしく「バイバイ」と手を振っていた。
「じゃあ、またどこかでアタシのこと見かけたら、声かけたってなー」
 銀色の身体が、光の中へと入り込んでゆく。「綻び」は、トモミを呑み込んだあとも、しばらくの間はぼんやりと光っていたが、やがてスイッチが切れたかのように、フッと消失した。
  
  
 世界の「綻び」を修正すべく平行世界からやってきた、マージナル・ガーディアン。
 ……こう言うと、なんだかカッコイイじゃん。見た目は完全に「おネエの宇宙人」だったけど。
 家に帰りついて、普段着に着替えた僕は、制服の胸ポケットからシャーペンを取り出した。先端がぼんやり虹色に光っているシャーペンを。
 階下から、晩御飯よー、と、母さんの声がする。
 僕はそのシャーペンをそっと机の引き出しに仕舞い込んだ。
  
  
  
〈 完 〉