あわいを往く者

  [?]

黒の黄昏 第十四話 滴り落ちる闇

  
  
  
    四  継承
  
  
 凍てつくような早朝の空気の中、土を掘り返す音が、岩に囲まれた薄暗い空間に鈍く響き渡る。
 真っ白な息を吐き出すと同時に、額に汗を浮かべて、レイとサンは鍬をふるっていた。神殿の物入れに長らく放置されていた二本の鍬は今にも柄が折れそうで、二人は必要以上に神経をすり減らしながら作業を続ける。
 その傍らに立つルーファスが、色白の頬を冷気で真っ赤にさせながら、神妙な顔で口を開いた。
「この人が、命がけでここを守ってくれなかったら……」
「我々が真実を知ることは叶わなかったであろうな」
 ザラシュが静かな声で、そのあとを継ぐ。
 彼らの足元には、丁寧に拾われ、布に包まれた遺骨が埋葬の時を待っていた。
「ルドス最後の王は憑依されていた、ということだったな。『奴』もまた、そういうことなのだろうか」
 ウルスが、視線を遠くに彷徨わせながら、事も無げに呟く。その、傍らに人なきがごとし、の態度が癇に障るのだろう、レイが荒い息とともに噛みついてきた。
「まてよ、まだそう決まったわけじゃないぜ? 本当に封印は解かれたのか?
 ……ってか、なんで俺が穴掘らなきゃいけないんだよ! お前のほうがガタイも良い癖に!」
「年長者はいたわるものだぞ」
 レイを鼻であしらってから、ウルスはザラシュを振り返った。
「封は解かれた、と考えるべきだと俺は思うが」
「確かに。絶対そうだとは言いきれぬが、共通点が多過ぎる。彼もまたの者に憑り込まれた存在なのやもしれん。いや、そう考えて行動したほうが良かろうな」
「だが、どうやって封印する? くそっ、肝心なことを言わないままに、まさかもう終わりだなんて言わないだろうな?」
 そう毒づいて、ウルスは神殿を振り仰ぐ。つられて、レイもその視線を追った。
 建物の前面にそびえる鐘楼が、まるで柱のように、地上十数丈のところで黒い天井にめり込んでしまっている。
 あの塔にも、かつては鐘が備えつけられていたのだろうか。
 朝に、夕に、祈りの時を告げ、この谷間にその澄んだ音色を響かせていたのだろうか。
「レイ! 手が止まってる!」
「! うわわわ悪ぃ」
 怒気をはらんだサンの声に、レイは再び作業に戻った。にやにやと笑っているであろうウルスの視線を背中に感じながら。
  
 昨夜のあの不可思議な逢着。既に肉体を失って久しい、と自らが言ったその「存在」は、の者の封印にまつわる叙事詩を朗々と語り終えたところで、その口をつぐんでしまった――「器」であるリーナがぱたりと倒れてしまったのだ。
 それから今朝まで、事態は何も進展を見せていない。
「封印、か。巫子ならば知り得ることだ、と、そう言っておったな」
 顎をさすりながら、思案するようにザラシュが言う。
「言っとくけどな、俺には何のことかさっぱり解んねえぞ」
「お前になど何も期待していない」
「なにおう?」
 再びウルスと言い合いを始めたレイに、サンが暗い瞳で文句を言おうとした、その時。
 神殿の入り口からダラスが顔を覗かせた。
「ラグナ様! リーナさんが目を覚まされました!」
「解った」
 ぐい、と口角を吊り上げて、ウルスはその場の全員を見渡す。
「レイ、サン、お前達はきっちり仕事を終えてから来い。それと、ルーファス。お前も二人についていてやれ」
「どうしてですか!」
「勝負事は公平でなくてはならんだろう。俺とザラシュ殿は先に行って、もう一度例の巫子に封印の方法を聞いてくる。彼女とご対面はそのあとだ」
  
  
 靴音高くウルスとザラシュが奥の小部屋に足を踏み入れる。
 巨石の上に、寝ぼけ眼で上半身を起こしたリーナの姿があった。その傍らには、シキが心配そうな表情で立っている。
 壁際でユエトと語らっているユールに向かって、ウルスはきびきびと声をかけた。
「先生、昨日のあの巫子は?」
「うーん、どこにもいないねえ」
 その場の空気をまったく読もうとしないユールは、相変わらずの間延びした声で返答する。
「いない?」
「そだね。語るだけ語ったから役目は終わった、ってことなんじゃないかな。どこかに消えちゃったよ」
「なんだと?」
 絶句するウルスとは対照的に、シキが顔を輝かせてユールのほうを向いた。
「じゃ……、これは、リーナ?」
「リーナだよー」
 大きく伸びをしながら、本人がそう答える。凝りをほぐすかのように首と肩を回してから、もう一度大きく両腕を頭上に伸ばして、たっぷりと深呼吸をした。
 シキがおずおずとリーナの顔を覗き込んだ。
「記憶は? 私のこと、解る?」
「解るわよ」
 にかっ、と歯を見せて笑ってから、リーナはわざとらしくそっぽを向いた。
「女のくせに大魔術師の一番弟子で、親友の私に一っ言もなく勝手に町を出てった、薄情者のシキでしょ」
「リーナっ! 良かった!」
 自分の首にしがみついてきたシキを、リーナは少し面食らった表情で受け止めた。それから、ふわり、と微笑んで、シキの身体を抱きしめる。
「ゴメンね、心配かけて。それに、会えて嬉しいよ」
「私も……」
 久しぶりの再会に、親友二人はしばし無言で抱き合った。
  
「大体、シキ達三人揃って黙って消えちゃうんだもん。一体何があったのっ? って悶々としちゃったよ」
「悶々?」
「レイの奴がとうとうシキに手ぇ出して、それで、魔術の修行の邪魔になるって先生がシキを隠して、レイもそれを追って……とか、読本よみほん一冊書けそうなぐらい妄想しちゃったよ」
 あながち間違いではないリーナの想像に、シキは心の中で舌を巻いた。詳しいことはまたのちほど、他の者がいない時にでも追々語ることにして、さりげなく話題を変える。
「……ね、記憶を失っていた間のことは、憶えてる?」
 水を向けられたリーナは、目を見開いて大きく頷いた。
「憶えてる、憶えてる! 凄いよね、私。なんかロマンス物の主人公? みたいな」
「笑ってる場合じゃないよ」
 あまりに能天気なリーナの笑顔に、シキのほうが思わず苦笑を漏らす。
「うーん、でも、いまいちピンと来ないのよねー。正直、『この』私が色男二人に迫られるなんて状況、絶対ありえないって」
 あっけらかんと言いきってから、リーナは右手の人差し指をぴん、と立てて、身を乗り出した。
「これはね、絶対、『一人の女をめぐって対立していた二人の男の間に、いつしか深い愛情が……』ってパターンだと思うのよ」
「え」
 向かい合って手を握り合うサンとルーファスの姿を想像しそうになって、シキが思わず硬直する。「い、いや、そっちのほうが、かなり、ありえないと言うか……」
「うるさいぞ!」
 遂に痺れを切らしたのだろう、ウルスが大声で一喝した。余韻が、ぐわんぐわんと部屋中に反響する。
「よくもそんなに舌がまわるものだな。いつもそうなのか」
「えー? 違いますよー」
 物怖じすることなく、リーナはしれっと即答した。シキが苦笑に言葉を添える。
「いつもはもっと……喋ってるよね」
「……なんだと?」
 それだけを吐き出して、ウルスは再び絶句した。それから、天を仰いで頭を掻き毟る。
 この尊大な王子様にも苦手なものがあるんだなあ、とシキは心の内で微笑んだ。ユールしかり、リーナしかり、ウルスの前で自分のペースを貫く人間が、今までほとんど存在しなかったんだろう。
 シキがそんなことをつらつらと考えていると、仕事を終えたレイ達が戸口に現れ、小部屋は一気に賑やかさを増した。
  
  
「くっそー。まったく人使いが荒いんだよなー」
「ご苦労だったな」
 即座に投げかけられたウルスのねぎらいの言葉に、レイが一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ照れたように顔を背けた。その様子を見たシキが、ふき出しそうになるのを必死で抑える。
 リーナは静かに目を細めた。
 平和な日々がこの先も変わらず、ずっと続くであろうと信じて疑わなかったあの頃。その時から何一つ変わらない友人達を見つめながら、リーナはそっと胸元に手をやった。
 春、故郷の東の森にあの雷が落ちて間もなく、大魔術師とその弟子二人は町から忽然と姿を消した。何も心配要らない、町長はそう語ってくれたが、あまりにも突然の彼らの出立は、リーナをはじめとする町の人間の目には「失踪」としか映らなかった。
 シキが自分に黙って町を出ていくなんてことが、リーナには信じられなかった。それも、行き先も告げずに。きっと、止むに止まれぬ事情があったのだろう。リーナはそう思い直して、別れの言葉を交わすことの叶わなかった親友の胸中を慮った。行き場のない自分の気持ちを、無理矢理押し殺して。
  
 だが、その傷も癒えぬうちに、リーナは再び別離を経験することとなる。
 不変だと思っていた日常の断片が、次々と両手の指の隙間をすり抜けていく……。
  
 そして、夏が過ぎ、秋が訪れた。
 収穫の季節とともに突然舞い込んだ、皇帝陛下からの召喚状に、リーナは躊躇うことなく頷いていた。
 そうだ。変わらないものなど、何も……無いのだ。そう囁く冷めた声に促されるように。
「リーナっ」
「リーナさんっ」
 レイ達をかき分けるようにして、二人の男が自分の目の前に揃って駆け寄ってくる。リーナは腹をくくると台から立ち上がった。
「ちょっと、待ったっ」
 待ったをかけられた二人が、律儀に足を止めた。
 諦めたはずの男と、身分も立場も違い過ぎる男。どちらにしてもありえない、リーナはそう胸の内で呟いていた。溢れそうになる涙をなんとか抑え込みながら。
「お二人の気持ちはとっても嬉しいんだけど、今はそんな些細なことにこだわっている場合じゃないと思うのよ」
「さ……!?」
「些細な、こと!?」
 サンとルーファスが揃って呆然と絶句した。
  
  
 ――一体、リーナは何を言うつもりなのだろう。
 そっと、壁際まで後退しながら、シキは親友から目を離すことができずにいた。
 いわゆる少女時代、お互いのことならば何だって知っているつもりだった。けれど、もう自分も彼女も一人前の大人で、別々に恋も経験して……。
 サンと付き合っていたなんて、全然気がつかなかった。教えてくれても良かったのに。そう思うと同時に、自分だってレイとのことをリーナに黙っていたという事実に思い当たる。
 シキは軽く嘆息すると、傍らに立つレイの顔をこっそりと盗み見て、それから再びリーナに視線を移した。
  
「そうでしょ? 言っときますけど、私、身のほど知らずじゃないから。自分がそんな大した女じゃないことぐらい、充分解ってるから」
 どうやら、リーナは徹底的にこの関係を仕切り直すつもりらしい。抗議の声を上げる男二人の顔を交互に見つめながら、彼女は勇ましくも腕組みをして、そう言いきった。
 しかし、彼らとてこれで引き下がるつもりはないようだ。少し声を上ずらせながら、口々にリーナに反論している。
 リーナは、やにわに大きく肩を落とした。深い溜め息ののちに、腰に両手を当てて、それから静かに口を開く。
「これ言うと、本っ当に自分がヤな女になってしまう気がするんだけどな。ま、いいや」
 顔を上げたリーナは、どこか晴れ晴れとした表情をしていた。大きな碧い瞳をまずはルーファスに真っ直ぐ向ける。
「あのね、騎士様。私のことを心配して探してくれてありがとう。本当に嬉しいわ」
 その刹那、ぱあっ、と破顔するルーファスに、リーナは少しだけ寂しそうな笑みを浮かべて言葉を続けた。
「でもね、それってたぶん、責任感とかそんなのだと思うの」
「そ、そんなことありません!」
「責任感と、連帯感と、あとは旅の疲れと物珍しさで勘違いしているだけなのだと……思うのよ。だって、自分のことは自分が一番良く知ってるから」
 右手の人差し指を軽く顎に当てながら、まるで他人事のようにリーナは語り続ける。
「私は騎士様が思いえがくような女じゃないもん。うるさくて、がさつで、粗忽で、気が強くて、大体、こんな思い上がったことを人にぺらぺら偉そうに喋っているってだけで、身のほどが知れるってものでしょ。……って、あぁああ、なんか自分で自分がすっごく情けなくなってきたわ……」
 自分の台詞に自分で頭を抱えて、それからリーナはくるりとサンのほうへ向き直った。
「で、サン。あんたの場合は、対抗意識よ」
「……!」
 見事なまでに断言されて、サンは言葉もなく立ち尽くす。
「理由がどうあれ、あんた、私を一旦は捨てたわけでしょ?」
「……捨てたわけじゃない」
 沈痛な面持ちで、サンは言葉を絞り出した。だが、リーナは躊躇わない。
「捨てた」
「そうじゃない、俺はお前を守るために……」
「捨てたんじゃなかったら、自分の恋人がどんな性格してるのか、全然解ってなかったってことでしょ」
 いつしか辺りは完全に静まりかえっていた。訥々と紡ぎ出されるリーナの言葉だけが、ランプの光とともに空気を揺らしている。
「私を守るためにって、私の前から黙って姿を消して、そんなことして私が喜ぶって本気で思ってたの?」
 リーナの声が微かに震えているのを聞き、サンが足元に視線を落とした。
「足手纏いだなんてこと、言われなくっても解る。だから一言、言ってくれたら良かったのよ。さよなら、でも、待っててくれ、でも。私がどんなに心配して悩んだか、そんなことも解らないくせに、何が好きよ、愛してるよ。大体、私のどこが好きかも一度だってちゃんと答えてくれなかったじゃない!」
 いつの間にか、大粒の雫がリーナの頬を伝い落ちていた。
「とにかく、ね」
 涙を服の袖で豪快に拭ってから、リーナは勢い良く顔を上げた。やたら明るい調子で、でも少しだけ鼻声で、場を仕切り直す。
「私も含めて、ちゃんと一回落ち着かなきゃ。ややこしい話はそれから。当面は、もっと大きな問題が迫ってるでしょ。の者をどうするか、ってことよ」
「そうだ、さっきのあの巫子の幽霊は?」
 湿っぽい雰囲気を苦手とするレイが、即座にその話題に飛びついた。そして、レイ同様に居心地の悪さを感じていたと思われるウルスもまた、どこかほっとした表情で即答する。
「言いたい事だけ言い捨てて、満足して常世なりと去ってしまったそうだ」
「えー! じゃあ、どうすんだよ、封印の方法は?」
「知ってるよ」
 さらり、と、そう返したリーナの顔に、全員の驚愕の視線が集中する。一拍遅れて、怒号にも似たどよめきが、神殿中に響き渡った。
「ええええっっ!?」
「なんかね、色々頭ン中に残ってんのよ。『封神』の術ってのかな? あと、『滅神』てのも……ああ、これは違うわ。それに本物の巫子しか使えないみたいだし。なんにせよ、これでなんとかなるんじゃない?」
 あまりのことに、一同は言葉を失って、ただリーナを見つめ続ける。
 ようやっと我を取り戻したユールが、満面の笑みを浮かべて、リーナの手を両手で握った。すっかり興奮した様子で、キラキラと瞳を輝かせている。
「ね、他の記憶みたいなのも何か残ってる?」
「うーん、なんか断片的に、夢みたいな感じで、ちょこちょこって」
「うわあ、なんて素敵なんだろう!」
 言うや否や、ユールはリーナを強く抱きしめた。「ね、ルドスに帰ったら僕の家に来ない?」
「事態をこれ以上ややこしくさせるんじゃない」
 咄嗟のことで反応の遅れたサン達の代わりに、ユエトが強烈な一発をユールの頭に喰らわせる。その、あまりにも見事なタイミングに、皆は思わず声を出して笑っていた。
  
  
  
 簡単な昼食を神殿の中ですませてから、一同は荷物をまとめ直した。
 ユールとユエトの凸凹コンビも、皆と一緒に下山すると言う。総勢十名という大所帯で、どうやって人目を避けてルドスに戻るのか。最終的に落ち着いた結論は「状況に柔軟に対応する」――つまりは、行き当たりばったり――という無謀なものだったが、それに意義を差し挟む者は一人としていなかった。
 良い案が浮かばなかったというのも確かだが、それ以前に、事態を大きく進展させることができるかもしれない、という気持ちが、皆を浮かれさせていたのだろう。それに、こちらには優秀な魔術師が三人もいるのだ。一体、何の問題があるだろうか。
  
  
 全ての灯りを消して、一行は神殿を出た。
 天井のところどころから差し込む陽の光のお蔭で、この閉ざされた空間は、黄昏時に似た明るさで満たされている。
 白茶色の谷の斜面と、赤銅色の壁と天井と。そして振り返れば灰色の石作りの神殿。古い思い出の中の風景のように、全ての色彩が色褪せたその景色は、ある意味、絶景なのかもしれない。
 ユールやユエトはともかく、自分達はおそらくもう二度とこの地を踏むことはないだろう。そんな思いを胸に抱きながら、一同は来る時に通った抜け穴を目指して、斜面を登り始めた――いや、登り始めようとした。
「待ちくたびれたぞ」
 刃のような冷たい声が、空気を切り裂いて彼らの耳に突き刺さる。
 驚いて顔を上げた一同の視線の先、どこから現れたのか一人の男が斜面に佇んでいた。