あわいを往く者

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黒の黄昏 第十五話 夜を司り、死をもたらす者

  
  
  
    二  対峙
  
  
「入りますよー」
 ノックの返事を待つことなく、ガーランは扉を開けた。正面、東向きの大きな窓が切り取った街並みの燃えるような茜色が、彼を一瞬だけ圧倒する。
 夕闇に沈み始めた室内。だが、まだ灯りは灯されていなかった。右手の壁で控えめに揺れている暖炉の炎だけが、この部屋の中で時を刻んでいる。
 ガーランは溜め息をついてから、良く磨かれた組木の床をゆっくりと踏みしめた。窓際の机の向こうには、部屋の主たる警備隊隊長が、微動だにせず、椅子ごとこちらに背中を向けて座っている。
「なんだ」
 エセルの声は、あからさまな怒りに彩られていた。
 拗ねていやがる。ガーランは心の中で苦笑した。
 警備隊隊長としてのエセルは、腕前も、男っぷりも、それはもう申し分ないものだった。そして、何より、彼は身分制を仕事に持ち込まない。ガーランはエセルと出会ったことによって、それまで「お貴族様」に抱いていた印象を、百八十度転換させなければならない羽目になったものだった。
 とはいえ、所詮彼は温室育ちのお坊ちゃまだ。生活力という意味では甚だ頼りない上に、肝心なところで打たれ弱いこと限りなし。現にあの一報がもたらされて以来、彼は拗ねて執務室に閉じ籠もってしまっている。半日が経った今も、こうやって部屋を訪れたカワイイ部下を無視して、こちらを向こうともしない。
 ――これではガキと一緒だ。二十七にもなって、一体ナニをやってんだか。
 そこまで考えてから、ガーランは自分の頭を掻いた。二十八でまだふらふらしている自分が、偉そうなことを言えた義理ではない、と。
「隊長……これ」
 エセルの机の上に、ガーランは懐から出した紙切れを置いた。そして、上司の返事を待つべく、姿勢を少しだけ正した。
  
 ガーランが、自分の付き合いの良さにほとほと感心したくなった頃、エセルがようやっとこちらを振り返った。椅子はそのままに、上体だけひねってガーランを見る。
 彼は、形相が変わるほどに奥歯を噛み締めていた。
 ちらり、と机の上の紙を一瞥してから、エセルはしぶしぶ椅子を正位置に戻した。机の引き出しから火口箱を取り出したものの、面倒になったのだろう、尊大な態度でランプを顎で指し示した。
「ガーラン、火」
 ――こういうガキっぽいところが、いわゆるオンナゴコロをくすぐる、ってヤツなんだろうか。
 インシャに訊いてみたいところだが、口にすればたぶん、即座に正拳突きが飛んでくるだろう。ガーランは心の中で嘆息して、この考えを却下した。軽く肩をすくめてから机の上のランプを手に取り、暖炉で火種を取る。
 薄暗さを増した部屋の中に、新たに柔らかい光源が加わった。
 書類に目を通し始めたエセルは、すぐに、険しい表情を更に険しくして顔を上げた。
「なんだ? これは」
「何って……、そこに書いてあるでしょう?」
 ひそめられていた褐色の眉が、その一瞬に吊り上がった。憤怒の形相で、エセルが机の天板に拳を振り下ろす。
 部屋中に響き渡った重低音に、ガーランは思わず身をすくませた。
「だから、これはどういう意味なのか訊いているんだ。九日間の休暇願だと!?」
 ――怒るだろうとは思っていたが、何も机に当たり散らさなくとも良かろうに。
 ほんっとにガキなんだから、と、ガーランが思わず漏らした溜め息に、エセルは更に激昂した。
「ふざけるな、ガーラン! 大体、こんな時に……」
「副隊長は?」
 激しい剣幕で吠えるエセルを無視して、ガーランは事も無げに問いかける。
 その台詞は、効果覿面だった。握り締めた拳を緩めると、エセルは、どかり、と椅子の背に身を沈めた。
「出立の準備をしに帰ったさ」
 普段彼が見せることのない、傷ついた表情を目の当たりにして、ガーランは少しだけ胸が痛んだ。
 ――だが、自分は今から、その傷口に塩を塗ろうとしている……。
 まだ少し心の奥底で躊躇いながら、ガーランは静かに問うた。
「何を怒っているんですか、隊長。皇帝陛下のお召しを断ることが不可能なのは、俺達なんかよりもアンタが一番知っているでしょうに」
 その言葉に、エセルが両の拳を強く握り締めて、下唇を噛む。
「警備隊なぞ辞めろと言ったんだ。そんな一方的な命令に従うことなどない、と。辞めて……私の許に来い、と」
「しかし、彼女は承知しなかった」
 ガーランは淡々と言葉を返した。
 俯き、拳を震わせていたエセルだったが、ふと、何か違和感を覚えたのだろう。ゆっくりと顔を上げて、怪訝そうな視線をガーランに投げる。
「彼女ね、戦争で二親を亡くしてるんスよ」
 静かに、まるで幼子を諭すかのように、ガーランは言葉を紡いだ。
「彼女の住んでいた村はとても小さくて、教会すら隣町まで通わなければならない有様だったらしいですよ。けれど、そんなド田舎にも戦禍は降りかかった。彼女の両親は、たった一人の癒やし手さえ村に居れば、助かる命だったそうです」
 話の行く末が読めないのか、エセルはただ黙って耳を傾けている。ガーランは大きく息を継いで、それから一段と低い声で語り続けた。
「皇帝陛下は、有能な癒やし手を求めているんでしょう? 警備隊員かどうかなんて関係なく」
 エセルが息を呑んだ。ここに及んでやっと、ガーランの言おうとしている事を理解したのだろう。
「そして彼女はそれを拒否できないはずだ。何故なら、彼女は癒やし手であることを辞めるつもりがないからだ。ましてや、術者の居ない地方に派遣されるのだとなれば……まァ彼女は断らないだろうなぁ。十年前の自分と同じ子供を少しでも作り出さないように」
 窓の外遠く、時を告げる教会の鐘の音が鳴り響き、窓ガラスを微かに震わせた。
 エセルが、ゆらりと背もたれから身を起こした。机の上に両肘をつき、頭を抱えた。
  
  
 領主の城からインシャが持ち帰った召喚状。マクダレン帝国セイジュ帝の印が押されたその書面は、インシャを帝都へと招へいするものだった。
 癒やしの術の腕前を見込んで、我が力になってほしい、と。
 困窮する村々のために、働いてほしい、と。
 そのためにも、すぐに帝都に上がってもらいたい、と。
 思いつめた表情で召喚状をエセルに示したインシャは、エセルの言葉に耳を傾けることなく、静かに執務室をあとにした。
  
 エセルの胸の中で、怒りの炎がまた火勢を増した。
 ――この私よりも、魔術をとる、と言うのか。私のことなど、どうでも良いというのか……!
 頭を掴む両手に力が入り、爪が頭皮に食い込む。
 と、自らもたらした痛みが、少しだけエセルを正気づかせた。彼は微かな違和感を覚え、そっと顔を上げる。
 机の前に黙って佇むガーランの、あまりにも穏やかな気配。そして、彼が語った言葉……。
「ガーラン……お前、何故、そんなに詳しいんだ? 何故そんなに……インシャのことを知っている?」
 微かにガーランが笑ったように見えた。
「…………お前、まさか……」
 息を詰めて腹心の部下を凝視するエセルの視線の先で、ガーランが、つい、と目線を伏せる。それから彼は殊更に軽い調子で口を開いた。
「俺は下品な人間ですからね。どうしても下世話な心配をしてしまうんスよ」
「下世話?」
「世の中には、公爵家のよすがが欲しい人間が山ほどいるって話ですよ」
  
  
 エセルが椅子を蹴って立ち上がるのを視界の端に捉えて、ガーランは一瞬だけ目を細めた。
 今朝、あの下劣馬鹿がインシャに成そうとした狼藉について、彼らはエセルに報告していない。自分がルドスを離れてしまえば、何も問題はなくなるから。インシャはそう言ってガーランに口止めをしたのだ。
 確かに、微妙に短絡思考で、血の気の多いエセルのことだ。インシャが襲われたなどと耳にすれば、本気で何をしでかすか分からない。それに、奴らが欲したのはインシャの身体だけではなかったはずだ。むしろ、真の目的は別にあったと考えるほうが自然だろう。おそらく彼らは目論んでいたに違いない、公爵家の子息の隣を空席とすることを。
 未遂に終わったとはいえ、陵辱の原因が自分にあると知れば、エセルはおそらく深く傷つくだろう。それはガーランとて、望むところではない。だが、自分の行動が、周りにどんな影響を及ぼすのか、ということだけは、彼に知らしめておかなければならない。
「ルドスじゃ、俺達の目がありますからね。だが、帝都までは遠い。陸路も海路も危険だらけだ。女が一人消息を絶っても誰も不思議に思わないでしょう?」
「……それで、彼女の護衛をする気なんだな」
 搾り出すようにそう言ったエセルの、苦渋のおもてから視線を外し、ガーランは頭を掻いた。
「あー、最初に断っときますが、彼女が頼んだわけじゃないですよ。それどころか、思いっきり断られました。あの剣幕だと、当分は半径一丈以内に近寄せてもらえなさそうだなあ」
「ちょっと待て。帝都まではどんなに早くとも一週間はかかるぞ。この季節は風向きが悪いから、倍かかるかもしれん。九日間の休暇では足りないだろう」
 ――やっぱり、気づいたか。
 普段は副隊長にまかせっきりでろくに書類を読まない癖に、こういう時だけは鼻が利くんだよな。そう大きく息を吐いてから、ガーランはどこか晴れ晴れとした顔でエセルを見た。
「片道で良いんですよ。俺、帝都に脱隊届けを直接届けに行くんですから」
「何!?」
「領主様に辞めたいって言ったら、皇帝陛下の承認が必要だ、って抜かしやがったんでね。そんなの待ってられませんから」
「まて! 勝手に辞めることなど、私が許さんぞ!」
 エセルの叫びは、ほとんど悲鳴に近かった。悲壮な面持ちでガーランを見つめたのちに、がっくりとうなだれて机に手をつく。
「それに……お前までが私の前からいなくなるなど……」
「知ってますか、隊長? 先々月に都に召喚された司祭、北方の寒村に派遣されたということ以外、消息不明なんですよ。同じ時に召された助祭は、音信不通ということです」
 自分自身を落ち着かせるために、ガーランはそこで一旦言葉を切った。
「世界は広い。どこへ行かされるのか、いつ帰ってくるのか、全く解らない旅路に副隊長は出ようとしているんですよ」
「…………だから、私の許に、と……」
「それで?」
 自分の声の冷たさに驚いたのは、ガーランの中のほんの一部だけだった。
「それで、一体どうしようってんですか?
 皇帝の使いから匿って、誰にも会わさず、大事に大事に箱の中に入れて可愛がろうってんですか?
 彼女の志を潰して、無理矢理自分に依存させようってんですか!?
 アンタが色んなものを手放せないのと同じで、彼女にも手放せないものがあるんですよ!」
 そう声を荒らげて、ガーランは両手を机に叩きつけた。知らないうちに汗をかいていた手のひらが、マホガニーの天板の上で少しだけぶれる。
 ガーランが睨みつける先、エセルが呆然と目を見開いている。二人は広い机のあちらとこちらに両手をついた同じ姿勢で、しばし対峙した。
  
  
 最初に静寂を破ったのは、ガーランだった。大きな動作で体勢を立て直し、エセルに背を向ける。
「俺なら、彼女の手を放さない。俺は……副隊長を――好きな女を、守る」
「想いが通じなくとも、か?」
「それでも、いつかは叶うかもしれない。俺は気が長いんでね」
 背中で返答して、ガーランは歩き始めた。扉を開け、振り返ることなく右手だけで挨拶を投げる。
「というわけで、隊長、長い間お世話になりました」
 そして、扉が閉まる。
 くたびれた革靴の立てる音が、廊下に反響しながら遠ざかっていった……。
  
 ふらり、とエセルの身体が揺れた。彼は、崩れるようにして椅子の上に腰を落とした。
 頭の中で、ガーランの言葉がわんわんとこだましている。
『アンタが色んなものを手放せないのと同じで――』
 手放せない色んなもの。
 エセルは自分の右手を黙って見つめた。
 遠い昔の記憶が、唐突に彼の胸中に蘇った。
  
「お前の指図なんか受けない!」
「サベイジ家の一員という自覚はないのか」
「こんな家、出ていってやる!」
「やってみるがいい。できるものならな!」
  
 あの時の父親の蔑んだような嘲笑。しかし、その嗤いは至極当然のものだった。生活力も経済力もない十代の若造が、そんな簡単に独立などできるわけがないのだから。
 そこまで考えて、エセルは息を呑んだ。いや、違う、と。市井を見ろ、あの時の自分よりも若くとも、必死で独りで生きている者はいるではないか。まとまった金が手に入るまでは、と、おのれに言い訳して、ただ安穏と暮らし続けていただけではないか。
 そして、あろうことか、警備隊に入って、自分自身の存在を認めてくれる人間を得て、それで満足してしまっていたのだ。
 家を出るはずではなかったのか。家名の、父の、くびきから逃れるはずではなかったのか。
 給金で部屋を借りたものの、結局屋敷を引き払えないでいる自分がいる。
 身のまわりのものこそ自らの稼ぎで賄っているものの、その他のものはどうだ?
 広い屋敷の暖かい部屋。上等な寝台。紋章入りの馬車。社交場でも、料理店でも、予約せずとも受けられる最上級のもてなし。
 屋敷の部屋を掃除してくれているのは誰だ?
 暖炉に火を入れてくれているのは誰だ?
 この服を洗濯してくれているのは誰だ?
 インシャの部屋に入り浸ることで、改めて気づかされた「独立」の意味。だが、その時浮かんだのは自嘲ではなかった。何も手放すことなく、一番欲しいものを手に入れることができたという満足の笑み…………。
「くそう!」
 エセルは思いきり拳を机に打ちつけた。
 肉の裂ける音と骨の軋む音が、薄闇を揺らす。
 腕を伝わる激痛にエセルの表情が歪んだ。だがそれは、胸を苛む痛みには比べるべくもなかった。
  
  
  
 一夜明けた、ルドスの南門。
 十一月も明日で終わるという凍てついた空気の中、旅支度に身を包んだインシャとガーランを、十名近い同僚達が取り囲んでいる。彼らの吐く息が雲のように辺りを包み込み、まだ赤みを帯びている明けの陽光を断片的にキラキラと映し込んでいた。
 馬の背に荷物をくくりつけるのを手伝いながら、ラルフがぼそりと口を開いた。
「帝都には、エンダとレンシが例の司祭を送りに行っている。もうあっちには着いているだろうが、運が良ければ途中で会えるかもしれないな」
「何か言伝でも?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ……、あいつらにも別れを言いたかろう?」
 いつになくしんみりと吐き出された言葉に、ガーランは思わず目を細めた。
「お前、ほんっとに、イイ奴だな」
「……おだてても、何も出ないぞ」
「照れることないだろ。素直に喜べよ」
「お前相手に、素直になれるわけないだろ」
「またまたー、照れちゃってー」
 ラルフの細い眉が、思いっきり吊り上がった。
「調子に乗るな! お前のそういうところが――」
「大っ嫌い、なんだろ?」
 不敵な笑みを返すガーランを、ラルフは思いっきり睨みつけた。睨みつけてから……やにわに右手を前に突き出す。ほとんど同じタイミングで、ガーランも右手を差し出していた。
 交わし合う、固い握手。
「元気でな」
「おう。お前もな。隊長のお守を頼んだぜ」
  
 めいめいと別れの挨拶をすませて、二人は馬にまたがった。少しずつ活気がみなぎってくる街をぐるりと見渡してから、手綱を握る。今日の門番にあたっている二人の警備隊員が、旅立つ仲間を先導するようにして持ち場についた。
 インシャが無言で馬の腹を軽く蹴った。常歩なみあしよりもやや速度を上げ、街の門を出る。
 ガーランはもう一度背後を振り返った。見送りを終えた同僚達が、各々の任務へと戻っていく。もうこちらを見ている者は誰もいない。
 ルドスは、ガーランが生まれ育った街だ。自分の全てを、この街は知っている。自分の全てが、この街で創られた。未練に似たこの感情を、郷愁と呼ぶのだろうか。まさしく今、旅が始まったばかりだというのに……。
 えもいわれぬ想いを断ち切ろうと、ガーランは大きくかぶりを振った。手綱を握り直して、速足はやあしでインシャを追いかける。
「隊長、来なかったっスね」
「来るわけ、ないわ」
 インシャの声からは、なんの感情も読み取ることができなかった。
「あんだけ焚きつけたから、絶対取り返しに来ると思ったんだけどなあ」
「焚きつけた? 取り返しに?」
 小さく溜め息をついてから、ガーランは下腹に力を込める。
 大きく息を吸って、彼は覚悟を決めた。
「俺、昨日言っちまったんスよ、隊長に。好きな女を守るためについていくって」
 インシャの馬の行き足が止まった。
 硬直する後ろ姿から、これまでにない彼女の動揺が伝わってくる。ガーランは、努めて何気ないふうを装った。
「それで何とも思わなかったってことは……、戦線離脱ってことじゃ……」
「貴方が相当信用されているってことじゃない?」
 容赦のない切り返し。しかし、彼女の声に怒りは感じられなかった。
 ――上出来だ。
 インシャに見えないように、ガーランは密かに口角を上げた。今はこれで充分だ、と。これ以上を求めるのは、贅沢というものだろう。なにしろ、旅は始まったばかりなのだから。
「…………敵わねぇよなぁ」
 落胆のポーズを作りながらも、ガーランは至極上機嫌だった。