あわいを往く者

  [?]

九十九の黎明 第七章 魔術師と精霊使い

  
  
  
 ペリテは、思った以上に小さな町だった。単純に建物の数を比較しても、ウネン達が昨日宿泊した南隣の町の半分にも満たない規模だろう。町で一軒きりだという宿屋の主人は、「仕方がねえんですよ」と溜め息を漏らして肩をすくめた。
「北にも南にも、半日も行かない所に結構な大きさの町があればねえ、そりゃあ大抵の人はペリテを素通りして行きますよ」
 宿の一階の食堂には、ウネン達のほかに客はいない。宿屋の経営状況をウネンが密かに心配している間に、モウルは朗らかな笑顔でもって、宿の主人を相手に着実に聞き込みを進めていった。
「ああ、覚えてますよ。流れ者のお医者先生でしょう? あれは、今年に入ってすぐぐらいだったんじゃないですかねえ」
 パヴァルナでは一年半前、ロゲンでは一年前、そしてここペリテでは九箇月前、と、ヘレーとウネン達との時間の差は確実に狭まってきている。その原因について、ウネンには心当たりがあった。ミロシュは何も言っていなかったが、おそらくヘレーは、万が一のための蓄えを、予告したとおりにウネンの養育費として全て置いて、イェゼロの町を出ていったのだろう。
 医者という職業は、道行きを急ぐ旅にはあまり向いていない。知識は勿論だが何よりも信用がものを言う仕事なため、路銀を稼ぐにもある程度の日数、ひとところにとどまる必要があるからだ。
 対して、オーリ達のように「腕っぷし」を飯の種にしている人間は、幾分話が簡単だった。買い手に実力のほどを示し易いことに加えて、用心棒や野獣退治といった仕事は土地の有力者が依頼人になることが多く、短期間でそれなりの報酬を手にすることが可能だからだ。それに加えてウネン達の場合は、パヴァルナの領主やクリーナク王から謝礼や餞別を賜っている。おかげで三人は、金銭的な意味ではほとんど足踏みをすることなくここまで来ることができていた。
「彼は、どれぐらいの間ここに滞在してたんだい?」
 まるで自分の家で寛いでいるかのような気安さで、モウルが問いかける。それにつられるようにして、宿の主人の口調も徐々に砕けてきた。
「だいたい半月ほどかねえ。俺が言うのもなんだけど、この町の人間は、ちぃとばかり人見知りが多いからね。隣町に行ったほうが楽に儲けられるよ、ってその人にも言ってたんだけど、なんか、南の森にある遺跡が気に入ったらしく、暇を見つけてはかよってたよ」
 思ってもいなかった単語が飛び出してきたことで、聞き役に徹していたウネンとオーリも食事の手を止めて宿の主人のほうを向いた。
「遺跡?」
 モウルが身を乗り出すのを見て、宿の主人がさも不思議そうに首をかしげる。
「あんたも気になるのかい? 物好きな人って意外といるもんだねえ」
「だって、宝物とか埋まってるかもしれないでしょ」
 冗談めかせてにやりと笑うモウルに、宿の主人は「無い無い」と真顔で手を振った。
「遺跡って言っても、人間様のじゃなくて邪竜のやつだからねえ。楽園追放よりも古い時代の、我らが敵の夢のあと、ってやつだよ。『おお、汝、呪われし遺物に近づくことなかれ』ってね」
「楽園追放、って、お伽噺じゃなかったの?」
 思わず横から口を出したウネンを、モウルが横目で見やった。
「有史以前の歴史を神話で埋めるというのは、古今東西よくあることさ」
 そう言ってモウルは、やれやれ、と肩を落とす。
「ヘレーさんもさ、色々教えるにしても、もうちょっと、こう、色んな分野を万遍なく、ってできなかったものかな……」
「好き嫌いが激しいんだろ」
 ぼそりと寸鉄を喰らわすオーリに苦笑を投げかけてから、モウルはあらためて宿の主人に話しかけた。
「邪竜の遺跡にかよってたってなると、呪いがどうとか言って、町の人が大騒ぎしたんじゃないの?」
「今時、余程頭の固い年寄りじゃなきゃ、そこまで目くじらは立てねえよ。それに、仮に本当に呪われてしまったとしても、この町の人間じゃないからねえ」
 なるほど、確かにここは人見知りの強い町のようだ。ウネンが溜め息を押し殺していると、宿の主人が、悪戯っぽい笑みを浮かべて「それに」と言葉を継いだ。
「昔っから、やんちゃ坊主の間では、遺跡を見に行く、って度胸試しがあるからね」
 モウルが「もしかして?」と水を向ければ、宿の主人の口元が緩む。
「ガキの頃にいっぺんだけ、森の入り口からチラッと見ただけだけどね。遺跡というよりも瓦礫の山みたいなもんだったよ。すっかり木の根っこに喰われちまってて、柱が幾つか立ってるだけで」
「結構詳しく見てるじゃない。度胸あるなあ」
 モウルの賛辞を聞き、宿の主人は少しだけきまりが悪そうな表情を浮かべた。
「ここだけの話、その時うちに泊まってたお客に、励まされたおかげなんだよ」
「お客?」
「二人組の客でね。そういや、なんとなくあんたらに雰囲気が似てたなあ。ちびっ子は連れていなかったけど。度胸試しに誘われてビビってた俺に、『あの遺跡は邪竜のものなんかじゃない。〈箱舟〉だ』って、耳打ちしてくれてさ。あんな森の中に何がどう『舟』なんだか、今でもさっぱり意味が分からねえけど、あの時は、邪竜と関係がないのなら大丈夫かな、って思えたものさ」
 モウルが小声で「箱舟」と復唱する。
 オーリの唇が、固く引き結ばれる。
「でもな、遺跡が見えてきたところで……、足が勝手にすくんでしまって……」
 宿の主人は、そこで一旦言葉を呑み込んで、ぶるりと身を震わせた。
「あの時のお客も、あんたらが捜してるって人も、遺跡に行って帰ってきてもピンピンしてたけどね、俺には――いや、俺だけでなく、あの時一緒に行った奴ら全員には、あれ以上近くに行くのは無理だった。心の奥のほうで、何かがざわめくんだ。あれは『善くないもの』だ、って。あれに近寄ってはならない、って……」
 宿の主人が口をつぐんだ途端、息苦しいほどの沈黙が周囲に降りた。
 隙間風が甲高い悲鳴を上げて部屋を走り抜け、ランプの炎が大きく揺らぐ。
 と、食堂の扉が突然ひらいて、冷たい風が一気に中へと吹き込んできた。
 僅かも間を置かず、オーリが白刃はくじんを手に椅子を蹴って立ち上がる。
 ひきつれた短い悲鳴は、宿の主人が発したものか。ウネンもオーリに倣って席を立ち、闖入者を警戒する。
 四角く切り取られた夜の闇から、一人の壮年の男が吐き出された。
 男は、ランプの明かりの中へと歩みを進めると、意外にも丁寧な物腰で静かに扉を閉めた。
 暗色の外套に映える白皙はくせきおもてに、琥珀の瞳が光っている。柔和そうな、それでいて確固たる意思をも秘めた口元に、理知的な眉。そして何よりも印象的な、一切の光を映さない漆黒の髪――魔術師だ。
 ガタン、と椅子が倒れる音がした。
 モウルが、愕然と目を見開き、立ち上がるところだった。あくあくと唇を震わせ、声にならない声をこぼしながら、扉の前に立つ魔術師を凝視している。
「なんだ、アルトゥルさんか。驚かせないでくださいよ……」
 宿の主人が、大きく息を吐き出した。
 モウルが勢いよく宿の主人を振り返り、それから再度、アルトゥルと呼ばれた魔術師を見る。
 二度三度と目をしばたたかせたのち、モウルは深い溜め息をついてテーブルに手をついた。
「驚かせてしまったようで、申し訳ない」
 柔らかな声に似合う穏やかな口調で、アルトゥルが詫びた。
 オーリが、眉間を緩めて剣を鞘に仕舞う。
「旅の魔術師殿がお泊まりだと耳に挟んだので、ご挨拶でも、と思って」
 宿の主人に「こちらさんです」と手で示され、モウルが慌てて姿勢を正した。
「あ、ええ。僕はモウルといいます。風の魔術師です」
 何度かつっかえながらも、なんとか名乗りを終えたモウルに、アルトゥルがにこやかに微笑んで右手を差し出した。
「私は、アルトゥルといいます。豊穣を司る神の〈かたえ〉です。以後お見知りおきを」
  
  
 翌日、宿の食堂で朝食を待つ間、三人はテーブルの上に額を集めて、本日の予定を相談していた。
「勿論、ヘレーさんを追いかける、という目的は忘れちゃいないさ。でも、世界にはまだまだ解明されていないことが山ほどある。それらの謎を解き明かすためには、少しでも多くの情報が必要だ。せっかくのこの機会をみすみす逃す手は無い、と思わないかい?」
 アルトゥルという名の魔術師の訪問を受けてからの、塞ぎ込んだ様子はどこへやら、日の出とともにすっかり普段の調子を取り戻したモウルが、流れるような弁舌を披露する。
 オーリに続けて、ウネンも「異議なし」と小さく右手を上げた。一日二日出発が遅れるよりも、意見を却下されて不貞腐れたモウルの尻を叩いて歩くほうが、目的地に到着するのが遅くなるに違いない、と思ったからだ。
 それにウネン自身も、〈囁き〉と魔術、神と精霊の関係に、ひとかたならぬ興味があった。もともとはヘレーの行方を捜す手掛かりになるかと思ってのことだったが、彼の消息が判明した今、ウネンは、より強くこの謎に惹かれている自分に気がついていた。
「反対者はいないね」
 よし、と大きく頷きながら、モウルは両の手をせわしくこすり合わせる。気持ちが高揚した時の彼の癖だ。
「それじゃあ、選択肢は二つ。先にあの精霊使いの羊飼いに話を聞きに行くか、それとも先に遺跡を見に行くか」
「えっ、遺跡に行くの? 大丈夫?」
 ウネンが思わず眉をひそめれば、即座にあきれ顔が反駁した。
「大丈夫じゃない場所に、ヘレーさんが何度も通うと思う?」
「でも、実際に遺跡に行ったところを見たというのならともかく、もしかしたら、宿のご主人みたいに、手前で引き返していたかもしれないよ」
 モウルの主張の穴を指摘したウネンに、オーリが同意する。
「ウネンのほうが話に筋が通っているな」
「なんでオーリがそっち側に立つの!?」
 モウルが情けない声を上げたその時、食堂の扉が躊躇いがちに開かれた。
「あのー、こちらに、風の魔術師様がいらっしゃると聞いたんですが……」
 扉の陰からおずおずと顔を覗かせたのは、若い女性だった。茶色の髪を左肩のところでまとめ、あちこちに煤が付着したエプロンをつけている。エプロンのポケットから覗く作業用と思しき手袋も煤まみれだ。
「あ、はい、僕ですが」
 一瞬にしてよそゆき顔となったモウルが、席を立って来客を出迎えた。「何かご用ですか?」と愛想のよい笑みを向けられて、女性の青藍の瞳がほっと緩む。
「うちの工房のふいごに、祝福をいただけないでしょうか」
 ほんの少しだけ逡巡したものの、モウルはすぐに「いいですよ」と微笑んだ。
 依頼の詳細を聞き取るモウルを横目で見つつ、ウネンはオーリに問いかける。
「ふいごに祝福って?」
「効率が良くなる術をかけるんだそうだ。ふいご以外に風車なんかも頼まれるな」
「へー、そんなこともできるんだ」
「一年かそこらで効果が切れるようだから、恒常的な収入源になっていて助かっている」
 金銭の話となると、どうしてもウネンは肩身の狭い思いをせずにはいられない。「お世話になります」と身を縮ませれば、オーリが小さく鼻を鳴らした。
「利息込みでヘレーからむしり取るから、お前は気にするな」
「余計に気になるよ!」
 心なしか愉快そうに、オーリが口角を引き上げる。
 何が可笑しい、とウネンが頬を膨らませる。
 ほどなく、「お待たせしましたぁ」という声とともに、宿の主人が湯気の立つスープとパンをお盆に載せて現れた。
  
  
 朝食を食べ終えた三人は、依頼のあった鍛冶屋へと連れ立って向かった。モウルが仕事を終えたあとで、例の遺跡を見に行き、時間に余裕があればそのまま精霊使いに会いに行く、という計画なのだ。
「感じるねえ。視線」
「ああ」
 鄙びた街路を進みながら、モウルとオーリが小声で言葉を交わしている。
「片田舎ならともかく、主街道沿いではちょっと珍しいよね、この雰囲気」
「大きな町に挟まれて、鬱屈しているんだろう」
「君さ、時々、これ以上は無いってほど的確に急所を抉ってくるよね」
 そうこうしているうちに、三人は川縁かわべりへとやってきた。一番大きな橋から下流に二つ目の水車が、目的地の鍛冶屋ということだ。
 橋を渡り、工房の表側に回った三人は、一様に感嘆の声を漏らした。建物に沿った道の脇を始め、窓枠に置かれた鉢に、入り口の壁にさげられた籠に、と、今は盛りと咲き誇る色とりどりの花が植えられていたのだ。
 白に黄色、紫に赤。花屋と見紛うばかりの華やかな店構えを、水車の軋む音と甲高い槌の音が震わせる。深呼吸をすれば、甘い花の香りよりも鉄気かなけ臭が鼻を刺す。確かに鍛冶屋だ、と、互いに頷き合って、三人は工房の入り口に立った。
「魔術師様! よく来てくださいました」
 今朝の女性は、この工房の若奥さんとのことだった。歓迎の声とともに戸口へ出てきた彼女は、朝とは違って長い髪をきっちりとスカーフで覆っていた。煤と木屑にまみれた手袋を脱いでエプロンのポケットに突っ込み、「どうぞこちらへ」と、モウルをいざなう。
 ウネンとオーリを戸口に残し、モウルは工房の奥へと歩みを進めた。年配の職人が黙々と槌を振るう横を通り過ぎ、部屋の中央にそびえる炉の傍へゆく。
 川に面した壁の前、大きな箱型のふいごの裏で作業していた若い男が、彼女に「シンドラ」と呼びかけた。
「来ていただけたのかい」
「ええ。風の魔術師のモウル様よ。モウル様、こちらが主人のレネーです」
 若き工房主は、シンドラの横に並ぶと、よろしくお願いいたします、と丁重に礼をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ああ、ふいごは別に動かしたままで構いませんよ」
「ええっ? でも、前の魔術師様は、ふいごの動きを微調整しなければならないと仰って……」
「まあ、確かに、水車を止めたほうが楽に施術できますけれど」
 戸惑いの声を漏らすレネーに向けて、モウルは自信たっぷりに微笑んだ。
「でも、動いていても何も問題はありませんよ。僕なら、ね」
  
 一仕事終えたモウルの後ろで、ふいごが軽やかに拍子を刻む。
 炉の様子を見ていた年配の職人――先代の親方が、厳めしい顔を微かに和らげて頷いた。それを受けて、レネーが満面に笑みを浮かべてモウルを振り返った。
「ありがとうございます」
 いえいえどういたしまして、と応えるモウルも嬉しそうだ。
「最近、少し風の通りが悪いような気がしていたんですよ。明日は槌が使えない日だから、その前にひと頑張りしたかったので、とても助かりました」
 朗らかに語るレネーとは対照的に、モウルの眉が、ついとひそめられた。
「槌が使えない?」
 ええ、とシンドラが、夫の横で浮かない表情を浮かべた。
「明日は、アルトゥル様――豊穣の魔術師様――の神庫ほくらで週に一度の礼拝がある日なんですけれど、槌の音が礼拝の邪魔になるから遠慮してほしい、って言われていて……」
「確かに、僕らの仕事は、ガンガンカンカンうるさいからね」
 そう言って妻を慰めるレネーを尻目に、モウルはシンドラに問いかける。
「アルトゥルさんが、そう言ったのですか?」
「いいえ、アルトゥル様はそんなこと仰らないけれど、礼拝にかよっている皆さんがね……」
 シンドラの口から、一際大きな溜め息が漏れた。
「皆さんが、どうかしましたか?」
「なんと言えばよいのかしら。最近皆さん余裕がないな、って思って……」
 モウルに問われるがままに、シンドラは訥々と語り続ける。
「いいえ、余裕、というのとは少し違うかしら。一人が何か声を上げると、一気に大勢がそれに続いて、反対意見が言いにくくなるんです」
 またもこぼれ出す溜め息に、モウルの「ふぅむ」との呟きがかぶさった。