あわいを往く者

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九十九の黎明 紲《きずな》

ネタバレが含まれていますので、本編を読了後にご覧ください。
  
  
  
   紲《きずな》
  
  
  
「バルン辺境伯から、建国祭にご欠席なさる旨の知らせが届きました」
 ラシュリーデン王国の都、ヴァイゼン。領地ごとに権力争いに明け暮れ、疲弊しきっていた国内をまとめ上げた辣腕の王、ルドルフの居城。王の執務室にやってきた家令が、書状を手に頼りなげな声でその用件を読み上げる。まるで狼に睨まれた兎だな、と、マンガスは心の中で呟いた。部屋の中には、ルドルフ王とマンガスの二人しか居ないのだが、代替わりしたばかりのこの若い家令にとっては、大広間に居並ぶ大勢の諸侯の前で一席ぶつのと同じぐらい緊張するものなのだろう。
「欠席だと? 何故だ」
 ルドルフが不愉快そうに顔をしかめるのも無理はない。バルン伯が治めるは東部辺境。ラシュリーデン統一に際して真っ先に協力を申し出た頼もしい封臣とはいえ、地理的な距離が精神的な距離に影響を及ぼすことを、この用心深い王は絶えず警戒しているのだ。
「ご祖母様がお亡くなりになったとのことです。喪中ゆえに、参加を控えさせていただきたいと」
「祝いの席に出ぬのは解るが、この機会に諸侯会議を行うのは知っているだろうに。ましてや伯の祖母なのだろう? ご尊父ではなく。それでも欠席するというのか」
 手渡された書状にあらためて目を通しながら、ルドルフは憤懣やるかたないといった様子で鼻を鳴らす。
 マンガスは、助けを求める家令の眼差しを受けて、ふう、と息を吐いた。
「あの辺りは、昔からのしきたりが根強く残っている地域ですからね」
「一体どんなしきたりがあるというのだ」
 ルドルフの矛先がマンガスに向けられ、家令が露骨にホッとした表情を浮かべる。
 マンガスは、さりげなく、だが確実にを意識させる笑みを家令に投げかけてから、ルドルフのほうに向き直った。
「そうですね。これから一年間は、伯はご自分の城でお祝い事を行うことはできません」
 マンガスの言葉を聞くなりルドルフは、ハッ、と鋭く息を吐き捨てた。
「ならば別に問題あるまい。ここは伯の城ではないのだから。慶事に参加するのが気が進まぬというのなら、宴に出なくともよいから会議に顔を出せ、と返事を……」
「哀悼のしきたりは他にもあるのです」
 王が繰り出す言葉の一瞬の隙間を狙って、マンガスは話の続きをそっと差し入れた。この技が使える人間は、城内にもほとんどいない。
「まず、四十日間、女性は家から出てはならない。男性も、娯楽のための外出はご法度。長距離の移動も同様です」
「なんと前時代的な。身内が亡くなるたびにそのように行動を制限されては、まつりごとは行えぬ」
「『昔からのしきたり』ですから」
「『まず』と言うからには、それだけではないのだな」
「ええ。新しい畑を開墾すること、居を移すこと、新しく服を仕立てること、散髪すること、などが四十日忌まで禁じられます」
「わけが分からんな。娯楽を控えて故人を悼め、という論調は理解できるが、引っ越しも、畑も服の新調も、果ては散髪までもを『してはいけない』などと定めるなど……。そんなもの、個人の勝手だろう」
 先進的な君主を自認しているだけに、ルドルフの鼻息は荒くなる一方だ。
 机の前に突っ立ったままの家令は、どうしたものかとおろおろと狼狽えるばかり。
 マンガスは、敢えて大袈裟に溜め息をついてみせた。
「お言葉ですが、このようには考えられませんか。それらは、残された者が悲しみを振り切るための儀式である、と」
 不遜な溜め息にいっときは眉を跳ね上げたものの、ルドルフはすぐに態度を切り替える。
「儀式、だと?」
 ええ、とゆるりと頷いて、それからマンガスはそっと目を伏せた。
「世間から距離をあけ、閉じ籠もり、愛する家族を亡くした悲しみにただひたすら耽り続け、そうして、忌が明けると同時に、気持ちを切り替えて新たな生活を始めるように、と。耐え難い哀惜を、途方もない後悔を、伸びた髪とともに一息に断ち切って、もう死者に囚われることのないように、と……」
 マンガスが言葉を切るなり、えも言われぬ静寂が執務室に降りた。
 怪訝に思ってルドルフを見やれば、王が、いつになく穏やかな眼差しでマンガスに語りかけてくる。
「お前は、あの地方出身だったのか?」
 マンガスは、動揺を悟られないよう、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
「『東方紀行』……でしたか。古い旅行記を読んだのですよ。とても興味深い内容だったので、色々と思索が捗りました」
「記憶が戻ったわけではないのか」
「はい。残念ながら」
 マンガスが浮かべた弱々しい笑みを受けて、今度はルドルフが一際大きく溜め息を吐き出した。
「何も思い出さないままか。もう二年も経つというのに」
「私の――マンガスの――人生は、陛下に命を助けられたあの時から始まった。それ以上の事実は必要ありません」
 あの時。このラシュリーデンという国の中枢に入り込むために、マンガスは、狩りに赴くルドルフ王の前で一芝居打ったのだ。
 魔術を使って我と我が身に傷をつけ、架空の襲撃者をでっち上げた。記憶を失ったふりをして身元を隠し、無事だった数多の知識と、類稀なる魔術の腕前を駆使して、彼は目論見どおりルドルフ王に召し上げられたのだ。
「お前ほどの逸材が、野に埋もれたままになっていることなど有り得ないだろう。諸侯に聞きまわりでもすれば、すぐに身元も判明するだろうに……」
「どうかおやめください。理由は思い出せませんが、私は確かに何者かに命を狙われていたのです。野に埋もれたままになっていることなど有り得ない――言い換えれば、有力者のどなたかにお仕えして、安泰な日々を送っていたであろう魔術師が、命からがら逃げださなければならないほどの危険な状況に、私は陥っていたということです」
 マンガスは、目元を覆う白銀の仮面に、そっと手をやった。
「もしも、私がまだ生きているということが知れ渡れば、刺客が再び放たれることになるでしょう。陛下にこれ以上のご迷惑をかけるわけにはまいりません」
「とは言え、なんとかならぬものかな。その仮面も鬱陶しかろう」
「命あっての物種、ですからね」
「確かに、死んでしまっては、元も子もないな」
 ままならぬものだな、と、ルドルフが大きく息をつく。
 お気遣い痛み入ります、と、マンガスは神妙な面持ちで頭を下げた。
 本当は、あの時――ルドルフ王の馬の前にまろび出た時――、ほんの一瞬ではあったがマンガスは夢想したのだ。このまま得体の知れぬ曲者として、王の手によって一刀のもとに切り捨てられてしまうおのれの未来を。
 そうなれば、岩屋で彼の帰りを待っていた駒鳥も、餌を運ぶ者がいなくなって、そのまま儚くなってしまっただろうに。
「果たして、どちらが――」
 思考の続きが、マンガスの唇から零れ落ちる。
「何か言ったか?」
 耳聡く問うルドルフに「いえ、なにも」と微笑んでみせ、マンガスは、つい、と窓の外に目をやった。
 どちらが幸福だったのだろう。こうやって生きながらえ、泥と血にまみれながら耐え難き悔恨と憎悪を抱え続けるのと。目を閉じ、耳を塞ぎ、全てを忘れて共に常世のぬるい海にたゆたうのと。
 溜め息を押し殺した拍子に、仮面を縁取る漆黒の長髪がふるりと揺れた。断ち切れぬ想いを一筋一筋にまとわせて。
  
  
  
〈 了 〉
  
【紲】罪人をしばる縄。
  
  
※この掌編に関しては何を書いてもネタバレになってしまうのですが、どうしても言葉にしておきたいことがあったため、本編を読了した方に向けてプライベッターに記しておきました。200文字にも満たないささやかなこぼれ話ですが、よろしかったらどうぞ。
「九十九の黎明」番外編「紲」に寄せて