あわいを往く者

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サークル勧誘

 その瞬間、重い沈黙が周囲におりた。
 三回生にもなって〈さくら〉を知らないということはあり得るのだろうか、いや、ものすごく視界が狭い人間という可能性もなきにしもあらず、と、ヒカリと茉莉が視線を交わす横で、サトウが露骨に「しまった」という表情を浮かべている。
 スズキが青い顔で「え? 何?」とうろたえ始めた。
「もしかして、違う大学の人です……?」
 茉莉の質問を聞いて、自分が何か失敗をやらかしたのだと悟ったスズキが絶句する。代わりにサトウが、おろおろしながらも弁解を口にした。
「ええと、だから、他の大学とも交流してて……それで……」
「でも、さっきまで完全にスズキさんも『ここの学生です』って顔をしてましたよね」
「だって、説明が長くなると聞いてもらえないかなと思って……」
 そこで再び我を取り戻したスズキが、茉莉とサトウの会話に割り込んできた。
「そうなの。大事な話がきちんと伝わるように、余計な話は最小限にしておこうって言ってたのよね」
「そうそう」
 こいつらはいつまで茶番を続ける気なのだろうか。ヒカリも参戦しようと下腹に力を込めたところで、一足早く茉莉がきっぱりと引導を渡した。
「先輩がたのサークルに入るの、やめときます」
 堂々と揺るぎのない眼差しを向ける茉莉に、スズキもサトウも一瞬気圧される。一拍置いて、まずスズキが、茉莉のほうに噛みつかんばかりに身を乗り出した。
「どうして!?」
「色々とはっきりしないの、好きじゃないから」
 にべもない茉莉の返答を受けて、サトウが露骨に傷ついた表情を浮かべる。
「ごめんね、私、説明が下手で……。スズキさんのほうがこういうの上手だから、今日はわざわざ助けに来てもらっただけなのよ。変に誤解させてしまってごめんなさい。ここだとちょっと賑やかすぎるから、どこか場所を変えて詳しくお話ししない? お茶でもご馳走するから」
「遠慮します」
 茉莉の声は、どこまでも静かだった。淡々と、簡潔に、断り文句を口にするのみ。
「どうして?」
 しかしサトウも食い下がる。
「好きじゃないんで」
「どういうところが気になるの?」
 スズキもなかなか諦めない。
「なんか、こう、全体的に好きじゃないなーって思うんで」
「活動内容には興味があるんでしょ?」
「同じようなこと、他でもできると思うし」
「就職にも役立つし、すごくためになるよ」
「だとしても、好きだと思えるサークルに入りたいですし」
「何が気になるの?」
「いや、だから、なんとなく好きじゃない感じがするから」
 根比べは、茉莉のほうに軍配が上がった。
 スズキが無言でサトウを引っ張り立たせる。二人は腹立たしそうな眼差しをヒカリ達に投げつけると、何も言わずに立ち去っていった……。
  
 ぽこぽこと鈍い音を立てながら〈さくら〉が拍手をする。茉莉にヒカリに親指を立ててみせ、よくやった、とばかりに何度も頷く。
 やれやれと一息ついたヒカリは、朗笑半分苦笑半分で茉莉に向き直った。
「それにしてもさ、もうちょっと他の言い方もしたほうがよかったんじゃないか? 『好きじゃない』一辺倒で、駄々っ子かよ、ってツッコミ入れそうになったぞ」
「だって、余計な事を言ったら、のらりくらりと話が長くなりそうだったから……」
「そういうもんか?」
 ヒカリが首をかしげた、その時だ。二人のやりとりを落ち着かない様子で見守っていた〈さくら〉から、突然の調子っぱずれな声が飛び出した。
「ソウイウモノヨ!」
「しゃ、喋ったぁあ!」
 裏声といえばいいのだろうか、「音声を加工しています」という字幕を添えたくなるような濁りのある高い声で、着ぐるみの中の人が、いや、〈さくら〉が、話し始めた。
「強引ナ勧誘ヲスル連中ッテ、アア言エバコウ言ウまにゅあるヲ完璧ニ用意シテイルカラ、下手ニ断ル理由ヲ言ウト、ソレヲ取ッ掛カリニシテ、ドンドン食イ下ガッテクルノヨ。アナタノ対応ハ素晴ラシカッタワ!」
「ありがとうございます!」
 この状況に若干置いていかれそうになっているヒカリをよそに、茉莉は満面に笑みを浮かべて〈さくら〉に礼を言う。加えてまたしてもハイタッチ。
 ヒカリが無言でいると、茉莉があらためて先ほどのやりとりにおける自分の意図を解説してくれた。
「だって、あの人達、矛盾とかダブスタとかお構いなしに、その場しのぎに言い訳し始めてたでしょ。この先、何を言っても屁理屈こねてきそうだなーって思ったんだよね。特にスズキって名乗ったほうの人は、かなり口が上手うまそうだったから、ああこれは彼女に喋らせたら駄目だな、って思って、それでああいう対応を貫いたんよ」
「ソウナノヨ、アアイウ組織立ッタ連中ハ、勧誘ノ技術ガ確立シテルカラ、言イ負カソウ、ナンテ考エタラ相手ノ思ウツボヨ。対策バチバチノ勧誘ノぷろふぇっしょなるナノヨ。甘ク見テハ駄目ナノヨ」
「あー、確かに、『好きじゃない』って個人のお気持ち相手だと、屁理屈は使いようがないか……」
 具体的な理由は勧誘を断るにあたっての盾になるかもしれないが、同時に相手にとっての突破口にもなり得るのだ。それがひとたび潰されれば、勧誘に抗うのはうんと難しくなる。次々と新しい盾を探して持ち替えるぐらいなら、相手の土俵からさっさとおりてしまえばいい。
 ――ああ、それであの啓蒙動画では、最初の接触から突っぱねるよう教えてくれていたんだな。
「急いでいるんです」「結構です」と、それ以上の情報を相手に渡すことなく繰り返せば、つけ入られる隙はかなり少なくなる。茉莉がさっきおこなった方法も、それと同じなのだ。
「納得シテモラエテ、ヨカッタワ」
〈さくら〉が、じゃっ、とばかりに小走りで立ち去る――立ち去ろうとする。
 しかしヒカリは、一息早くその行く手にまわり込んだ。この際、今回の勧誘について気になった点を、可能な限り明らかにしたいと思ったのだ。
「ナ、ナニカシラ?」
「あなたは、私達を助けるためにわざわざこの場所にきてくれたんですよね? さっき『組織立った』って言ってましたが、あの人達はカルト関係だったんですか?」
「オ……オソラク、タブン、キット」
「後学のために、どうしてあの人達がカルトだと思ったのか、教えてもらえませんか」
 ヒカリに続けて茉莉もまた、「はいはい!」と〈さくら〉に向かって挙手をする。
「あ、それ、私も知りたいです! カルトの勧誘については、生協の説明会でも言われてたし、これでもそれなりに警戒してたつもりだったんですけど、『友達も一緒でいいですか?』って訊いたら『勿論』なんて言うから、油断しちゃったんですよね……」
「いざ会った時も、なんか、もっと大勢来てほしかった、っぽいことを言ってたもんな……」
 もっと早く気づけていたら、と凹む二人を慰めるように、〈さくら〉は両腕をぱたぱたと振った。
「大勢ニ来テホシカッタ、ッテ言ッタノハ『ハッタリ』ダッタンジャナイカシラ。友達ヲ連レテクル件モ、本当ハ嫌ダッタダロウケド、イイヨ、ッテ言ワナキャ来テクレナイ、ト思ッテ、仕方ナク承知シタンジャナイカシラ」
 なるほど確かに、スズキ何某なにがしのあの口の上手うまさを考えると、ハッタリだった可能性は充分にある、と二人は互いに頷いた。
「ぼっちがターゲット、っていう条件を意識しすぎたな……」
「実際、私が声をかけられたのも一人の時だったし、ワンチャン一人で来るかも、とも思われたのかも」
「二人グライナラ、ナントカナル、三人以上ダッタラ適当ナ理由ヲツケテ解散、トイウ感ジダッタンジャナイカシラ」
「こちらが二人だったとしても、それ以上の人間を用意すれば、各個撃破できるもんな」
「あのまま話を聞き続けていたら、そのうちに別のお仲間が合流してきたかもしれないよね……」
 茉莉が自分の言葉に自分で「怖っ」と身を震わせる。
〈さくら〉がまた、ぱたぱたと両腕を振った。元気を出して、ということのようだ。
「ソレデネ、ドウシテ私ガ、彼女達ヲかるとダト思ッタカトイウトネ」
 ヒカリ達の反応を確かめるように、〈さくら〉はそこで一旦言葉を切った。
「今月末ノ大祭ノタメニ、ぼでぃノ最終調整ト宣伝ヲ兼ネテ、ココ数日、コノ辺リニイルコトガ多カッタンダケド、サッキノ二人ヲ何度モ見カケテ、気ニナッテタノヨネ」
 あの二人も、誰かが自分達に注意を向けていると知っていたら、勧誘場所を変えただろうに、まさか着ぐるみの中から監視されていたとは思ってもいなかったに違いない。
「ダッテ、一人デイル学生バカリニ声ヲカケテタシ、ちらしヲ全然持ッテイナカッタノヨ。サッキノ反応ヲ見テ、疑惑ハ確信ニ変ワッタワネ。次ニ見カケタラ、トッ捕マエテヤルワ」
 フンスと鼻息も荒く、〈さくら〉が胸を張る。
「やっぱりな。チラシが無いのは変だと思ったんだ」
「証拠を残したくない、ってことよね、きっと」
「デモ! ちらしガ有ッタラ問題ナイ、ッテ訳ジャナイワヨ! 偽ノちらしヲ用意スルぱたーんダッテアルカラネ! 大学ノさいとノ『課外活動団体一覧』カ、学生会館使用者りすとヲ確認スルノヨ! ソレデモ分カラナカッタラ、学生課トカ大学ニ訊キに行クコト!」
 ビシッと〈さくら〉に指さされ、ヒカリも茉里も揃って「は、はい」と姿勢を正した。
 と、そこに。
「おーい! 原田ァ! どこ行ったー?」
 学生会館の方角から、男子学生の声が響いてきた。
〈さくら〉が電流に打たれたかのようにビクッと震えた。
「はらだ?」
 聞き覚えのある名前に、ヒカリの眉間に皺が寄る。それに気づいた茉莉が、「知ってる人なの?」と問いかける。
「原田、って、まさかあの時の……」
 眉をひそめて呟くヒカリに、首をかしげる茉莉。
 原田とやらを探し呼ばわるその声は、小さくなったり大きくなったりしながら根気よく続いている。
 そして、遂に決定的な瞬間が訪れた。
「どこだ返事しろー! 原田ー! ていうか、〈さくら〉ー! 可動型〈さくら〉ー!」
 ヒカリは勿論のこと、茉莉も驚いて〈さくら〉を振り返る。
 バネに弾かれでもしたかのようにピンッと背筋を伸ばした〈さくら〉は、次に、測ったかのように腰をきっかり四十五度曲げて、見惚れんばかりに見事な最敬礼をした。
「すまん! すまなかった! 機械コンパの時は本当にすみませんでした!」
〈さくら〉の中の人、改め、原田は、ヒカリにとって聞き覚えのある、それでいて聞いたことのないほど真剣な声で、謝罪の言葉を吐き出した。
 かつての原田の失礼な物言い、猫を助けた時の真摯な態度、ふざけているとしか思えない言動、裏声で話す着ぐるみの姿、そして、怪しい勧誘を警戒し、ヒカリ達のことを助けてくれた事実。そういったてんでばらばらな情景が、ヒカリの脳裏で渦を巻く。それらはみるみるうちに嵩を増し、溢れ出し、ヒカリを頭からさぶんと呑み込んだ。波が引いて、ヒカリの中にただ一つ残った感想は、
 ――機械工学科新刊コンパ、って、そう略すんだ。
 オーバーフローした頭でぼんやりとピント外れなことを考えるヒカリの眼前、着ぐるみの原田は最敬礼を維持し続けている。
「何を言っても言い訳にしかならない。本当に失礼しました」
 ようやっと着ぐるみは身を起こし、ヒカリを真正面から見つめた。
 どんなにまじまじと見つめても、〈さくら〉の覗き窓がどこにあるのかヒカリにはわからなかった。
「ずっと謝りたいと思っていたんだが、君の名前も知らないし、それでそのまま他事に紛れてしまっていて……。こんな格好じゃなくて、きちんと面と向かって謝りたかったんだが……こいつ、脱ぐのに手間がかかるから……ていうか、一人では脱げないから……」
 棒立ちになって、訥々と男声で喋る様子は、先ほどまでの〈さくら〉と同一人物――同一、人物?――とは思えない。
「その、なんだ、ちょっとここで待っててくれないか。あらためて謝罪をさせてほしい」
 ここでようやく事態に感情が追いついたヒカリは、溜め息一つ、静かに首を横に振った。
「……もういいよ。確かに、腹が立ったていうか気分悪かったけれど、私も盗み聞きみたいなことをしてたわけだし」
「いや、そうは言っても、あれは不適切な発言だった。公の場にもかかわらず、仲間内のつもりで男子校のノリ全開にしてしまってた、俺の認識の甘さが全てだ」
 切々たる声音が、彼の後悔をつぶさに伝えてくる。
 ヒカリは何を言えばよいのかわからないまま、なんとなく彼の言葉を拾い上げた。
「男子校出身だったのか」
 一瞬、ピクリと着ぐるみの肩が震えたかと思えば、大きな頭部がふらふらと僅かに揺らいだ。何故だろう、「しまった」という彼の声が聞こえてくるかのようだ。
「…………いや、共学だった。別に、失態をごまかそうとか情状酌量を引き出そうとしたわけではなく、もののたとえというか、つい、口からツルッと……」
 ――そういうとこだぞ。
 本当に、そういうところが問題なのだ。真面目にしていればいいものを、どうして、こう、息をするように自然に軽口を叩いてしまうのか。ヒカリは心の底から残念に思う。
「別に、そこまで細かいことを言う気はないから。もういいよ」
「ありがとう! とりあえず着替えてくるから、ちょっと待っ」
 原田がそこまで言ったところで、植栽の向こうから「おっ、そこか!」という声が聞こえた。
「原田ぁ、もみじ祭で着せ替えするやつ、執事とメイドで決定だぞ! けど、セクシー悩殺ミニスカメイドは却下だった。残念だったな!」
 能天気な声とともに、男子学生が灌木の陰から飛び出してくる。新たな闖入者は、〈さくら〉が一人きりではないことに気づくや、「あ、え……、あの」とうろたえ始めた。
〈さくら〉の動きが、完全に止まった。
 ヒカリは、頭の中が急速に冷えていくのを自覚した。
「セクシー……なんて?」
 淡々とした口調で、ヒカリが問い質す。
 問われた原田は、「いや、その」「あの、その」を何度か繰り返したのち、観念したように声を絞り出した。
「ええと、その、様式美というか……お約束というか……」
「『残念だったな』?」
「その場のノリと勢いというか……男子校の……いや、俺、実際に男子校にいたことはないんだけど……」
 場が、面白いほどにどんどん温度を失っていく。
 着ぐるみ姿の原田は、突き刺すようなヒカリのまなざしにも負けず、事態を収めようと必死で弁解を言い募った。
「あ、でも、着せ替えって、リアル人間の話じゃなくって、この可動型〈さくら〉と、もうすぐ完成する〈もみじ〉の話でね! だから……」
 全てがどうでもよくなって、ヒカリは「失礼します」と原田に背を向けた。
 茉莉の横を通り過ぎ、そのまま大股でこの場をあとにする。
「え、待って、ヒカリ! あ、先ほどはありがとうございました。助かりました!」
 律儀に原田に礼を言ってから、茉莉もまたヒカリのあとを追って走り去っていく。
「……俺、なんかやっちゃいました……ね。すまん」
 闖入を謝る男子学生の声が、木の葉擦れの音にかき消されていった……。
  
  
  
〈 了 〉
【参考】
大阪大学公式Youtubeチャンネル
学生の皆さんへ:カルト集団などの不審な勧誘に注意 その1:待伏ノ術編
学生の皆さんへ:カルト集団などの不審な勧誘に注意 その2:追付ノ術編
学生の皆さんへ:カルト集団などの不審な勧誘に注意 その3:集団包囲の術編
学生の皆さんへ:カルト集団などの不審な勧誘に注意 その4:サークル偽装ノ術編