あわいを往く者

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サークル勧誘

 向こうも仲間を連れてきたのか、とヒカリは知らず目を細めた。茉莉一人だけで来させなくて良かった、と内心で呟く。
 とはいえ、相手は二人ともどちらかというと地味めの、おとなしそうな人ではある。いざとなればヒカリの恫喝で優位をとることはできそうだし、茉莉もこう見えてはっきりとした物言いが得意なほうだ。万が一問題のある勧誘だったとしても、きっと難なく断れるだろう。そう思ってヒカリは少し肩の力を抜いた。
「来てくれてありがとう! 誰も来てくれなかったらどうしよう、って心配してたから、すごく嬉しい!」
 背が高いほうの学生が、両手を大きく広げて歓待してくれる。その横で背が低いほうの学生が、手を庇のようにした目陰まかげの下から周囲を見まわす。
「……今回は二人だけ、かしら」
 残念そうな声音を聞いて、背が高いほうの学生が苦笑を浮かべた。
「頑張って声をかけたんだけどね。娯楽系サークルなんかと違って、うちみたいな勉強系サークルは人を選ぶから仕方がないよ。むしろ、二人も来てくれたことに喜ばなきゃ」
「そうよねえ」
 二人は顔を見合わせて「ふふっ」と笑うと、朗らかな笑顔を茉莉とヒカリとに向けた。
「えーっと、とりあえず座ろっか」
「あっちの、日陰になってるところのほうがいいと思うんだけど……」
 背が低いほうの学生が、ここから少し離れた、木々が青々と葉を重ねているほうを指さす。クスノキの周囲のテーブルが木の根元を避けて置かれているせいで、今ヒカリ達が立っている場所は、木陰から若干はみ出てしまっているのだ。
「そうだね、日焼けしたくないし、あっちに行こう行こう!」
 二人の先導を受け、茉莉も「行こうよ」とヒカリを振り返る。
 ――これは、人の目を避けているのか?
 彼女達が向かう木陰は、おそらく学生会館からは死角になっている。とはいえ、今のところ彼女達を疑うべきポイントは、ただそれだけだ。茉莉の話を聞いた限り、個人情報を強引に要求してきたわけでもなければ、ぼっちの学生をターゲットにしているわけでもない。
 ――警戒しすぎかな。
 捻くれた自分には不釣り合いな、明るくて気のいい友人・茉莉。自分が彼女を守らなければ、という考えが思い上がりに近いものだとは、ヒカリも自覚している。それでも、これまでに彼女から貰った沢山のものを思えば、彼女の助けになれたら、と望まずにはいられなかった。そもそも、疑心暗鬼で眉間に皺を刻むのは、優しい茉莉には似合わない。
 よし、と気合いを入れ直して、ヒカリは茉莉のあとを追いかけた。
  
「あらためて、今日は来てくれてありがとうね。私達は『グローバル・ブリリアンス』っていう国際交流のサークルなんだ。私は、文学部二回生のサトウっていうの。今日はよろしくお願いします」
 植栽に囲まれたテーブルに腰を落ち着けたところで、背が高いほうの学生が自己紹介の口火を切った。続いて、サトウの横に座った背が低いほうの学生が会釈をする。
「私は三回生のスズキです。よろしくね」
 さすがに、こうなるとヒカリ達も名乗らないわけにはいかなかった。互いに顔を見合わせたのち、茉莉がまず所属と名を告げる。
「私は、経済学部の松山です。よろしくお願いします」
「工学部の雛方です。よろしくお願いします」
 工学部はかなり大所帯なため、自己紹介となると大抵は学科までの情報を求められることが多いのだが、ヒカリは敢えて学部だけを言うにとどめた。もっとも、相手が所属する文学部も裾野が広かったはずだから、お互いさまというものだ。
「二人とも新入生だよね」
 スズキと名乗ったほうがにっこりと話しかけてきた。
 茉莉が素直に「はい」と頷く。それに大きく頷き返してから、今度はサトウが話し始めた。
「私達のサークルでは、他の大学の人や既に社会で活躍している人とも積極的に交流をおこなってて、就職の時にも色々と役立つんだよ。メンバーの中には外国からの留学生もいて、英会話や外国の文化も学べちゃうから、すっごくお得なの!」
 そう語るサトウは、とても誇らしげだ。両手を大きく広げながら、ヒカリ達のほうへと身を乗り出してくる。
「これからの時代、グローバルな視点はどんどん重要になってくるから、狭い世界に閉じ籠っているのはよくないと思うわけよ。再生可能エネルギーとか、多様性とか、時代はどんどん進んでいくから、ぼんやりしてたら置いていかれちゃうもんね。せっかく受験勉強を頑張って大学生になったんだから、世の中のためになる人間になりたいと思わない?」
「ちょっと、ちょっと、気合いが入りすぎよ。そんなに前に乗り出したら、松山さんも雛方さんもびっくりするじゃない。落ち着いて」
 スズキにたしなめられて、サトウが首をすくめながらテヘッと舌を出す。こんなマンガみたいな仕草を実際にする人がいるんだな、と妙なところでヒカリは感心した。
「まぁ、それだけやりがいのあるサークルってことなんだけど」
 咳払い一つ、スズキがすまし顔を作る。そうして今度は、茉莉とヒカリに満面の笑みを向けた。
「二人とも、何かサークルには入るつもりなんでしょ?」
「あ、はい。そのほうが友達を作りやすいって聞くし」
「そうね。他にも、先輩から過去問とか要らなくなった教科書とかを貰えたり、履修の話とかテストの話とか色々教えてもらえたりするわよ。ホント助かるわよー」
 スズキの話を受けて、サトウも再び前のめりに口を開く。
「そうそう。ところで、もう履修登録した? 学部が違うから授業内容について細かいアドバイスはできないけど、入力ミスにはくれぐれも気をつけなきゃだよ。前期テストの成績が出て初めて『履修登録失敗してた!』って気づく、なんて悲劇もちょこちょこあるみたいだからね。あれはもう、気の毒としか言いようがないわー」
 サトウが語る話のあまりの恐ろしさに、ヒカリも茉莉もほぼ同時に背筋せすじを震わせた。高校でも選択科目を選ぶ場面はあったが、締め切りまで何度も先生が「まだ出ていないぞ」と教えてくれたし、書面で提出するから確認もし易かった。何より、選択する必要があるのが社会科や理科など数科目だけという高校時代と違い、大学のそれは段違いに数が多い。そして、必要な単位が取れていなければ研究室に所属することができず、四回生なのに三年生、なんて悲しい事態に陥ることになるのだ。
 若干青い顔をして、茉莉がサトウとスズキを交互に見る。
「あのぅ、サークルの先輩に経済学部の人はいますか?」
「いるけど、最近バイトが忙しいって言って、サークルにあまり出てこないのよ。お役に立てなくてごめんね」
 スズキが申し訳なさそうに眉を寄せた。それを見てサトウが、「でも!」とこぶしを握り締める。
「でも、遊んでばっかりのサークルよりも、ずっと有意義な大学生活を送れるのは保証するから!」
「そうよ。ひどいところじゃ、ただ女の子と仲良くなりたいだけ、なんてサークルもあるから気をつけないと。活動内容が遊びばっかりのところとか、ね」
「あー、まぁ、そういうの、ありますね……」
 ついヒカリが相槌を打つと、スズキが「あら」と眉を跳ね上げる。
「もしかして、そういうのに、もう出会ってしまった?」
「ええ、まあ、そこまで極端なやつではないとは思いますが……」
 数日前、「ボランティアに興味ない?」と話しかけてきたくせに、手渡されたチラシがさっぱり意味不明だったサークルがあったことを、ヒカリは思い出していた。
『この、花見、てのはなんですか』
『メンバーの親睦を深めるために、毎年やってるんだよね。もうかなり散っちゃってるけど、花より団子っていうし!』
『この、カラオケ定例会、てのは』
『ただ集まって話するだけじゃ、親睦だってそんなに深められないじゃない?』
『この、バーベキュー、て』
『ほら、皆で力を合わせてボランティア活動をするためにも、親睦を深めて……』
 ヒカリだって娯楽の重要性は理解している。仲間意識を高めるためにもモチベーションを引き出すためにも、「お楽しみ」は必要だ。だが、勧誘のチラシにそれしか書かれていないのは、いかがなものかと思わざるを得ない……。
「松山さんも雛方さんも可愛いから、そういう連中に絶対に狙われると思うよ。そういう意味でも、さっさとうちのサークルに入って、安全圏に身を置くのがおすすめだよ!」
 力説するサトウに、茉莉が「えっと」と息を継ぐ。
「それじゃあ、具体的にどういう活動をしているんですか?」
 茉莉の質問を受けて、ヒカリも小さく挙手をする。
「とりあえず、活動内容などを書いたチラシをもらえますか?」
 その刹那、得も言われぬ空気が上回生二人の間におりた。
 一拍の間ののち、サトウがわたわたと両手を動かしながら応える。
「え、あ、チラシは、今ちょうど切らしてて……」
「無いんですか?」
「印刷するの、すっかり忘れてて……ああもう、私の馬鹿馬鹿! 昨日にスズキさんにも言われてたのに。すみません、スズキさん……」
「気にしないで。確認しなかった私も悪いから」
 凹むサトウの肩をぽんぽんと優しく叩いて、スズキが神妙な顔をヒカリ達に向けた。
「手際が悪くてごめんね。今回は口で説明させてくれるかしら」
 二人が何か言う前に、スズキは落ち着いた声で言葉を続ける。
「さっきも言った、社会人や他の大学の人と一緒に、定期的に勉強会をしてるのよ。それとは別に、留学生による英会話講座も開いてるわ。試しに一度、参加してみる?」
「いつあるんですか?」
 興味深そうに茉莉が尋ねると、スズキもサトウもパアッと満面に笑みを浮かべた。
「一番近い日は、明日ね。授業が終わったら迎えにいくわよ」
「わざわざ悪いですよ。直接行きますよー」
「あ、でも、ちょっと離れてるから……」
 思ってもいなかった言葉を聞いて、茉里もヒカリも思わず眉を寄せた。
「離れてる? もしかして、大学の外なんですか?」
「そうなの。だから、慣れるまでは私達と一緒に行きましょう」
 両手を合わせてにっこりとスズキが笑った、その直後、背後でガサリと木の葉擦れの音がしたかと思えば、何者かがテーブルの横に立った。
「さくらちゃん!?」
 茉莉が目を丸くして、突然現れた来訪者の名を呼ぶ。
 着ぐるみ〈さくら〉の丸っこい指が、まず上回生達を交互に指さして、それから大きな動作で自分の足元を指し示した。
「足?」
 ヒカリと茉莉の声がきれいに重なる。
〈さくら〉は、違う違う、とばかりに右手を振ってみせてから、もう一度、上回生二人に続けて自分の足元を指さす。
「地面?」
 と、ヒカリが答えるも、〈さくら〉の答えは同じく、違う違う。
「下?」
 これは茉莉。
 ――違う。
「土?」
 再度ヒカリ。
 ――違う違う。
「草?」
 今度は茉莉。
 ――違う違う違う。
 まどろっこしそうに身体を揺らした〈さくら〉は、次に両腕を大きく広げて、ぐるーっと周囲を指さして回る。
「このあたり?」
 ヒカリがそう言うや、〈さくら〉はなにやらひとしきり身悶えしたのち、腕を小刻みに震わしながらヒカリを指さした。どうやら、惜しい、と言いたいように見える。
「『このあたり』で惜しい、ということは、この広場のことか、それとも……」
 茉莉の呟きのあとを、ヒカリが引き取る。
「それとも、ここ、この大学、か?」
 正解! という声が聞こえてきそうなほど、〈さくら〉が軽やかに飛び跳ねる。それからあらためて上回生二人を指さして、不思議だなー、というふうに可愛らしく首をかしげた。
「この大学……、もしかして、勉強会をどうしてこの大学で行わないのか、って訊きたいのかな?」
 つられて首をかしげた茉莉に対して、〈さくら〉がぶんぶんと首を縦に振った。
 上回生二人は、着ぐるみ登場以来すっかり度肝を抜かれた様子で、二人手を取り合って硬直している。
 居住まいを正したヒカリは、先ほどの茉莉の質問をそっくりそのまま繰り返した。
「勉強会を、どうしてこの大学で行わないんですか?」
〈さくら〉は、いいぞー、と言わんばかりに全身で喜びを表現している。それを見ていた茉莉も、「そういえば……」と右手を口元にあてた。
「放課後……大学でも放課後っていうのかな……、まあいいや、放課後に空き教室を使うって言ってたサークルがあったよ。それなら、勉強会も同じように空き教室を借りて行えるんじゃないかなあ」
 ヒカリと茉莉と、二人で頷き合っていると、ようやくスズキが言葉を発した。
「残念だけど、他の大学の人が参加することもあって、そういうのは無理なのよ」
 その言葉が終わりきらないうちから、〈さくら〉が右手をブンブンと振り始めた。先ほどと同じ、違う違う、と。
「違う、ということは……」
「つまり、他大学の人がいても教室を使うことができる、ってこと……?」
 即座に〈さくら〉が、茉莉をビシッと指さす。駄目押しにサムズアップも決めて、正解、だ。
 次に〈さくら〉は両手を前に、何かを差し出すようなジェスチャーを見せた。続けてそそくさと立ち位置を変え、身体の向きも百八十度変えて、賞状を受けとるような動きをする。
「書類を出せば、使用許可が出る、と?」
 今度はヒカリが、正解、の指さしを受けた。「おおー」と感心する茉莉が、ハッと何かに気づいた様子で、「待って」と鞄に手を突っ込む。
 ほどなく、何枚ものサークルやクラブの勧誘チラシがテーブルの上に広げられた。
「ほら見て、これとか」
 茉莉がチラシの束から引っ張り出してきたのは、会話クラブのものだった。そこに記された文章を、指でなぞって皆に示す。
「来週、文学部一号館でお茶会をするって。語学専門学校の先生も来るらしいよ」
「なるほど。大学外の人間がいるからといって、教室の使用許可がおりないわけではない、と」
 そう言ってヒカリが茉莉を見やれば、強い視線が返ってくる。茉莉ともう一度大きく頷き合ってから、ヒカリは上回生二人をねめつけた。
「大学の施設を使わない、他の理由があるんですか?」
「え、いや、その」
 うろたえるサトウに一瞥をやって、スズキが、ふう、と息をつく。
「日程が変更になったり都合がつかなかったりすることが少なくなくて、外部の施設を使うほうが楽なのよね」
 そして、少しあきれたような表情を浮かべ、「まさか、こんな活動内容とは関係のないことに、引っかかりを感じる人がいるとは思わなかったわぁ」と肩をすくめる。
「どこで活動するかよりも、どういう活動をするか、が重要じゃないかしら。狭い場所にこだわっていないで、広い世界に飛び出していくのが、前途ある私達には必要だと思わない?」
 滔々と流れるように展開する弁舌は、落ち着いた声と柔らかな話し方で、聞いていて心地よくすらある。このまま話題が流れていきそうになった、その時、〈さくら〉がテーブルの上のチラシ達をトントンと指で叩いた。
「え? チラシ?」
 ジェスチャークイズ再開の予感に、真っ先に茉莉が飛びつく。
 それを待って〈さくら〉は、チラシと上回生達とを交互にビシバシ指さし始めた。
「『あんたらのチラシはどれだ』ってところかな?」
 正解、の指さしがヒカリに向けられる。
「あ、それが、今、チラシを切らしてるらしいんですよ」
「ていうか、普通、この時期にチラシを切らすか……?」
 眉を寄せる二人を前に、〈さくら〉がゆっくりと頭を縦に振った。いいところに気がついたな、とでも言いそうな尊大な態度だ。
「そんなことを言われても、切らしてしまったのは事実だから仕方がないでしょう」
「忘れた私が悪いんです……」
 そうこうしている間に〈さくら〉は、テーブルの上の適当なチラシを一枚取って裏返し、右手を軽く振って茉莉の注意を引いてから、チラシの裏に何か書くようなそぶりをし始めた。
「メモをとれ、ってこと?」
「そうだ、チラシを切らしているだけなら、内容を聞いてこっちで書きとればいいんだな」
「ていうか、もういっそ印刷前の原稿を見せてもらえばいいのでは?」
 ナイスアイデアが出たところで、ヒカリと茉莉は揃ってスズキを、サトウを見た。
 わなわなと口元を震わせたスズキが、〈さくら〉をキッと睨みつけた。
「ああもう! 私達は別に遊んでいるわけではないんで、関係ない人はどこかに行ってもらえます?」
〈さくら〉は両手で自分を指さして、次いでスズキを指さした。私もあなたに関係がある? 私はあなたに話がある? 私はあなたと遊んでいる? 幾つもの可能性を思い描いたヒカリだったが、当のスズキはどうやらこのジェスチャーを「煽り」だと受け止めたようだった。
「なんのイベントで大学に来ているのか知りませんが、早く自分の仕事に戻ったらどうですか!」