あわいを往く者

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天穹に詩う

  
  
  
「余所者の魔術師など相手にするな」
 迎えの馬車に強引に乗せられて、領主の城へと連れてこられたマニに、彼は開口一番こう言った。
 重厚な石造りの、古い城。小さな窓から差し込む陽光が、等間隔に闇を切り抜いている。光と影とがせめぎあう薄暗い部屋の中、奥の長椅子に腰掛けた領主は、機嫌の悪さを隠そうともせず、忌々しげに鼻を鳴らした。
「聞けば、まだ第三の位しかない、とんだ落ちこぼれだそうじゃないか」
 長椅子から五歩ほど下がったところに立ちながら、マニは知らずこぶしを握り締めていた。
「そもそも、なんだ、そのみすぼらしい服装は。お前の両親もだが、栄えあるルドス王の末裔が、そのような町人と変わらぬ身なりをするなど、正気の沙汰ではない」
 藍の瞳に浮かぶ、嘲りの色。金糸を束ねた麗しい髪すらも、今は影に沈んで冷たく見える。
 幼い頃よく一緒に遊んでくれた、五つ年上の優しい「兄さま」が、いつの間にこんなに遠くなってしまったのか。マニはそっと唇を噛んだ。
「私どもは、自らの身の丈にあった生活をしているだけです」
「服なら幾つもあつらえさせたであろう」
「あのような服をまとって、仕事などできません」
「だから、君が働く必要などない、と言っている」
 指で肘掛けを苛々と叩きながら、領主が吐き捨てた。
 高い天井にこだました声が、隅の暗がりに呑み込まれていく。
 マニは、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「何も知らず、何もできず、ただ着飾って、あなたの隣で愛想をふりまいておけばいいというのですか」
「それは違う」
 予想外の返答に、マニは目をしばたたかせた。もしや自分は、何か誤解をしていたのだろうか、と。
 だが、彼の次の言葉に、マニは我が耳を疑った。
「君が微笑みかけるのは、私だけでいい。そんなことをせずとも、君の美しさは、万人を魅了する。勇猛な王に、美しい后、これ以上の組み合わせがあろうか」
 愛している。いつも別れ際にそう囁く、彼の言葉を疑うつもりはない。けれど、と、マニは唾を呑み込んだ。
 ――けれど、彼は一体何を愛しているのだろうか。
 室内が急に暗さを増したように、マニには感じられた。
 彼が求めているのは、何なのか。彼にとって、そもそもマニという存在は何なのか。
 領主が、ゆらりと立ち上がった。
 マニは身動き一つできずに、ただその場に立ち尽くす。
「マニ、我がもとに来い。そして、我が子をせ。かつてこの地に栄えたルドス王国を、我らが血で再びこの世に甦らせよう」
 斜めに降り注ぐ日の光の中に、領主が歩みを進める。まばゆく照らされる足元に対比して、上半身が闇に沈んだ。まるで、暗黒をその身にまとうがごとく。
 マニの胸の奥に、何か冷たいざらざらしたものがせり上がってきた。これが恐怖というものだ、と、その刹那彼女は理解した。
 闇の手が、マニに向かって伸ばされる。
 彼女は反射的にそれを払いのけた。
「し、仕事がありますゆえ、これで失礼いたします……!」
 無礼を承知で、マニは踵を返した。そのまま、後ろを見ることなく部屋を飛び出す。
「四年も待ったのだ。これ以上はもう待てぬ!」
 追いすがる声を振り払いながら、マニは暗い廊下を走り続けた。
  
  
  
 治療院の裏、教会の畑の柵にもたれながら、マニははなうたを口ずさんでいた。
  
 領主の城を辞して治療院へと戻ってきたマニは、自分が今日休暇扱いとなっていることを知った。今からでも、と仕事に戻ろうとしたマニを、同僚達は口々に「もう今日は休んでていいから」と押しとどめた。
「領主様を気にして言ってるんじゃないよ」同い年の同僚が、いつになく真剣な顔でマニに語りかけてきた。「今日のアンタ、本当に顔色悪いんだもの。折角休みになったんだから、ゆっくりしておきな」
 他の皆も、心からマニのことを心配してくれているようだった。
 半年前のマニならば、とてもこんなふうに考えることなどできなかっただろう。こうやって心安く同僚達と言葉を交わすことも、無かったに違いない。
 皆の気遣いに甘えて、マニは治療院を出た。風の気まぐれからいつもとは違う裏手の道を選び、菜園の脇を通る。
 ふと辺りを見渡せば、蔬菜達が瑞々しい葉を気持ち良さそうに秋風に揺らしていた。
 マニは足を止めると、目の前の柵に寄りかかった。
 まばゆいばかりに降りそそぐ日の光が、夏を名残惜しんでいる。
 鼻腔をくすぐる土のにおいに、草の香が混じる。
 さやさやとそよぐ緑をぼんやりと眺めるうち、いつしかマニは、風のまにまに心に思いつく旋律を口にしていた。
  
  
 そうやって、どれぐらいの時が過ぎただろうか、土を踏みしめる音が聞こえて、マニは背後を振り返った。
 ヒューがそこに立っていた。
 栗色の髪が、陽を映して黄金色に輝く。乱雑に切りそろえられた前髪の下で、穏やかな瞳がそっと微笑んだ。
 マニの鼓動が、ほんの少しだけ、速まった。
「精霊使いなんだ?」
「え?」
 突拍子もないことを唐突に問いかけられて、マニはゆっくりとまばたきを繰り返した。
「その歌。魔術の波動を感じる」
 いつもと変わらぬ静かな口調で、ヒューはもう一度繰り返した。「精霊使い、じゃないの?」
 精霊使いとは、精霊と契約を結び、それを使役する技の持ち主のことをいう。ただ、その時にヒトの言語が使われることはない。もっと観念的な、いわゆる「うた」と呼ばれるもので彼らは精霊と意思を通わせるのだ。
「あなたが歌うと、ここらの草や花の気配が『揺れる』んだ。まるであなたに語りかけるかのように」
 そう言って、ヒューはにっこりと笑った。
「まさか……」
「意識せずにうたを交わしていたの? すごいや、愛されているんだね」
 ヒューの口から愛などという言葉が飛び出してきたことに、マニはつい狼狽して視線を伏せた。
「でも、精霊使いなんて、子供の頃に昔語りで聞いただけで……」
「確かに、精霊使いは圧倒的に数が少ないからね」
 知らなくて当たり前だよ、と優しい声が慰めかけてくれる。
「精霊使いの技には、魔術と違って、系統づけられた習得方法が存在しないんだ。それに、何よりも精霊に好かれなきゃいけない。こればっかりは、個人の努力だけでは、なんともならないんだよね」
 流石は魔術師、専門の分野だけに、その語りは流暢だ。自信に満ち溢れた声音にマニはじっと聞き入っていた。
もっとも、魔術の場合も、魔力を『練る』能力については、個人の努力なんて関係ないわけだけど」
 魔力を練るちから無くして、術師になることは不可能だった。その適性を量るのが「見極めの儀」であり、癒やし手、魔術師の別なく術師を志す者は皆、この儀式を通過する必要があった。
「たぶん、魔術も、精霊使いの技も、根っこは同じなんだと思うんだけど……」すっかり思索に夢中になってしまった様子で、ヒューは語り続ける。「精霊と契約しているという状態が、魔術における呪文を唱えている状態に等しい、とか。それなら、力場が互いに相克し合う可能性がある。精霊使いと他の魔術との親和性の低さも、説明できるかも……」
「親和性……?」
 つい聞き咎めたマニの呟きに、ヒューが、しまった、という表情になる。そのことが、余計にマニの注意を引いた。
「どういう意味なんですか?」
「あ、いや……」
「他の魔術と、何がどう馴染まないというのですか?」
 マニは、まっすぐヒューを見つめた。
 ヒューは、大きく息を吐き出したのち、思い詰めたような眼差しをマニに向けた。
「精霊使いは、他の魔術との相性が悪い、という話を聞いたことがある」
 たっぷり一呼吸の間、マニは言葉の意味を理解することができなかった。
 まばたき一つ、少し遅れて、それは鋭い刃物のようにマニの胸に突き刺さる。
  
 魔術に対する適性は充分だ、そう「見極めの儀」で告げられた。にもかかわらず、いつまでたっても進まない修行。同じ時期に入門した者達はおろか、後輩ですら、次々と新しい術を習得しては、一人前の癒やし手として第一線で働いているというのに。
 努力が足りないのだろうか。マニはこの四年間、ずっと自問自答を続けてきた。足りないのなら、あとどれぐらい頑張ればいいのだろうか。寸暇を惜しんで修行に励んだ結果、身体を壊したこともあった。何度も何度も本を読み、教えを請い、ひたすら練習を繰り返した。
 そこまでしても、彼女が満足に使えるようになった術の数は、片手で足りる程度しかない……。
  
 マニは、唇を噛んだ。
 こめかみの脈動する音が、ごうごうと頭蓋に反響する。吹き荒ぶ嵐のごとき轟音に絶えかねて、マニは耳を塞いでその場に膝をついた。
「大丈夫!?」
 ヒューの声が、どこか遠くから聞こえてくる。
「ひどいわ……」
 嵐は一段と激しさを増し、逆巻く濁流がマニを呑み込む。空気を求めて荒い呼吸を繰り返しながら、マニは言葉を絞り出した。飲み込んだ水を吐き出すかのように。
「頑張って勉強して、練習して、どうしても上手くいかなくて、それでもいつかきっと私にもできるようになる、って信じていて」
 ――領主様をお待たせして、皆には迷惑をかけて。
「なのに、よく分からないちからのせいで、全部無駄になってしまうなんて……!」
「無駄になんてなってないよ」
「いいえ! どうせ私は何もできない、何も期待されない。家柄も、見た目も、ただ父母から受け継いだだけ。私が持っているものなど、何一つ無いのよ……!」
 これまで胸の奥底に封印していた澱が、荒れ狂う波にによって水面へ巻き上げられる。そうしてそれは涙となって、ぽたりぽたりと大地を濡らす。
 俯くマニの視界に、そっと影が差した。
「……ごめん」
 おそるおそる顔を上げれば、目の前にヒューの顔があった。
 見たこともないぐらいに真摯な瞳が、マニの姿を映していた。
「あなたを傷つけるつもりなんてなかった。あなたが精霊使いと知って、何か力になれないかと思って、つい……」
 苦渋の表情で、ほんの一瞬ヒューが目をつむる。それから彼は、もう一度まっすぐマニを見つめた。
「あなたには、あなたにしかできないことがある」
 マニは、呆然とヒューを見つめ返した。
「嘘」
「嘘なものか」
 ヒューらしからぬ力強さで、彼はきっぱりと言いきった。
「僕は、あなたに怪我を治してもらったよ。痛がっている子供をあやしたり、不安そうな人に声をかけたり、いつも皆のために働いているじゃない」
「そんなの、私でなくとも……」
「僕は、あの時怪我を治してくれたのがあなたで、本当によかったと思ってる。たぶん、他の人だって同じだよ。皆、あなたと出会えたことを喜んでいる」
 再びマニの胸に何かが突き立った。一際高く鼓動が跳ね上がり、みるみる息が上がってくる。
 だがそこに痛みはなかった。那辺から湧きあがる熱だけが、マニの胸の奥を満たしている。
「だいたい、僕なんてあなた以上に何も持っていないんだよ? 少しぐらいは僕にも自信を持たせてよ」
 朗らかに笑うヒューに支えられて、マニはふらふらと立ち上がった。
「ね、うたってみて」
「え? でも、私、どうすればいいのか……」
「さっきみたいに歌えば、精霊のほうが合わせてくれるよ、きっと」
 だって、皆あなたのことが大好きなんだから。そう正面切って言われて、マニは思わず顔を伏せた。
「すごい。耳までまっ赤っかだ」
「意地悪」
 少しだけ唇を尖らせてみせて、それからマニは畑のほうを向いた。
 ゆっくり呼吸を整え、静かに息を吐き出してゆく。
 素朴な旋律が、ふうわりと辺りにたゆとうた。それは、土の香りと交じり合いながら、緑の葉をさやさやと揺らす。
 ふと、マニの視界の端で、何かが動いた。
 ヒューが、何か呪文を唱えていた。
 囁くような詠唱を、指が優雅な動きで大気に編み込んでいく。なにやら満足そうに彼が頷いた瞬間、マニを中心に風が周囲へ吹き渡っていった。
 うたが、風に乗った。
 世界が、広がる。そうマニは思った。自分の中から溢れ出る調べが、みるみるうちに菜園を、小路を、治療院の裏庭を、覆い尽くしていくのが分かった。
 それに呼応するようにして、なにか温かな気配がマニの中に流れ込んでくる。
 ああ、と、マニは目を閉じた。
 瞼の裏に、家の庭の景色が浮かび上がってきた。
 近所の人々が、街一番の美しさと誉めそやす庭。庭師を雇う余裕などないため、朝な夕な、丹精込めて母とマニの二人で世話をしている庭。心に浮かび上がるままに、はなうたを口ずさみながら水をやれば、緑なす木々が嬉しそうに枝を揺らす……。
「本当は、声を届ける場所をいかに一点に集中させられるか、が勝負な術なんだけどね」
 ヒューの声に、マニはそっと瞼を開いた。
「でも、こういう使い方だって、いいと思わない?」
 ヘッポコ万歳、と嘯くヒューに、マニは心からの笑顔を向けた。