The one who treads through the void

   [?]

CONTRADICTING BLOCKS 第七話 終点

 
 
 
 そうだ。もっと感じろ。
 お前は私のものだ。
 
 昔日への憧憬でも構わない。
 彼らへの対抗意識でも構わない。
 この気持ちがなんだって構わない。彼女が欲しい。彼女の全てを支配したい。
 
 繋いだ手は、振りほどかれなかった。
 それだけで、もういい。錯覚でも、快楽からの派生でも構わない。彼女が私を求めてくれているのなら。ならば、もう、これ以上は求めまい。
 
 
 私は怖かったのだ。いや、今も怖い。彼女を求めて、彼女に拒絶されるのが。
 だから、求めさせる。彼女に私を求めさせるのだ。
 
 
 
 既に、志紀は半分以上意識を飛ばしてしまっていた。されるがままにジーンズを脱がされ、下着を剥ぎ取られ、剥き出しになった下半身を朗の眼前に晒しながら、彼の愛撫に喘ぎ続けている。
 内部なかへと何度も出入りする指が、突起を擦り続ける指が、もどかしくてたまらない。微かに残る意識の中、ぴちゃぴちゃと響く卑猥な音が更に志紀の理性を狂わしていく。
「イきそうなんだろう?」
 思考がどんどんと曖昧さを増し続けるその一方で、朗の声だけは明瞭に志紀の内部に響き渡り、彼女を根元から揺さぶり続けていた。
「う……うう……ん……」
「違うのか」
 わざとらしい落胆の声とともに、朗の指の動きが止められる。志紀は思わず息を呑んだ。
「どうなんだい?」
 
 怒涛のような責めが中断した事で、志紀の脳裏に、ふと、浮かび上がる懸念。
 さっきから……、いや、ずっと、頭の奥底に、何かがひっかかっている。
 ……だが、そんな小さな違和感など、狂おしいほどの身体の疼きの前では、風の前の塵にも等しい。
 
「イきそうなんじゃないのか?」
 熟れに熟れた肉芽を、朗の指が再び押さえつけた。同時に内部を荒々しく震わされ、志紀の背中がシートの上で限界まで反り返る。
「答えるんだ、志紀。ずっとこのままが良いのかい?」
 下腹部が、燃えるように熱い。
「素直になれば…………イかせてあげるよ?」
 身体の奥から、大きなうねりが押し寄せてくる。
 だめ、もう、これ以上……焦らさないで……!
「あ…………い……イきそう、なの……」
 
 表層に浮上しかけた「何か」は、再び深部へと沈み込んでいく。
 志紀は、全てを忘れて、朗の身体にしがみ付いた。
 
 朗は満足そうに笑うと、助手席を最後方に押しやった。志紀の足元に陣取り、今度は両手で志紀を嬲り始める。
 滴らんばかりの蜜壷に二本の指が突き立てられた。それらは、奥の奥まで入り込むと、波打つようにして中をいやらしくかきまわす。溢れ出した粘液を、別な指が花芽に塗りたぐる。一番敏感な部分をぬるぬると撫で付けられる感触に、志紀の身体はどんどんと煽られていく……。
 そして、ついに限界は訪れた。
「あっ…………あああああんっっ!!」
 声を押し殺す必要が無いという事に気が付いていたのだろうか、叫ぶが如き志紀の喘ぎ声は、車内の空気をより一層淫靡に彩りながら夜の暗闇に吸い込まれていった。
 
 
 身体が痺れて力が入らない。
 絶頂の余韻にままならぬ全身を持て余して、志紀はシートにぐったりと身を沈ませた。目尻に溜まった涙で、視界がはっきりしない。
 
 私、何かをするつもりだった……。
 何をしようとしていたんだっけ……。
 
 束の間訪れた安息に、再び「それ」は心の奥底から浮かび上がろうとし始める。
 しかし、それは志紀にとって本当に刹那の休息に過ぎなかった。朗が、再び愛撫を開始し始めたのだ。
 一度登りつめ、すっかり感度が上がってしまっている志紀の身体に、朗の指が再び襲いかかる。絶妙な指使いで、またもや彼は優しく花芽を撫で始めた。
 志紀の身体を絶え間なく電流が走り抜ける。大きく喘ぎ悶えながら、志紀は必死で朗の手を追いやろうとした。
 だが、朗の方が何枚も上手であった。掴まれた腕を志紀に預ける事で、逆さに彼女の両手の自由を奪い、自身は悠々と彼女の足の間に身を沈ませる。
 熱い吐息が濡れた部分を撫でる。と、思う間もなく朗の舌が、固くしこった突起をざらりと舐め上げた。
「だめっ、ですっ、もう……、だめっ……」
 びくん、びくん、と志紀の腰が勝手に何度も跳ね上がった。それをものともせずに、朗はただひたすら彼女を責め続ける。
 
 そうだ、言わなきゃ、先生に。……でも、何を?
 
 遂に志紀の身体から力が抜けた。よがる力すら枯れ果てたかのように、息も絶え絶えにシートにもたれかかり、指の動きに合わせて小さく身体を痙攣させている。
 朗は、袖口で自分の口元を拭いながら、そんな志紀を満足そうな瞳でねめつけた。
「そんなに、やめて欲しい?」
 彼女の中に入り込んだままの朗の指が、ゆっくりと壁をなぞる。
「私のモノが……欲しくないのかい?」
 壁をなぞってから、奥の方を突く。
「欲しいのなら…………そう言ってごらん」
 突いて、震わして……、そして、粘液質な音を立てて引き抜かれる。
「さあ。……志紀?」
 
 思い出した。私が何を言おうとしていたのか。
 
 だが、志紀の唇が紡ぎ出したのは、全く別の言葉だった。
 朗の眼差しを直視する事が出来ずに、彼女は力無く下を向いた。そして、微かに震える声で、こう呟いたのだ。先生、お願い……、と。
 
 
 
 リクライニングを限界まで倒した助手席に、志紀を抱いた朗が仰向けに横たわっている。
「つけて」
 朗に避妊具を手渡され、志紀はゆるゆると彼の胸から身を起こした。既に朗のスラックスとトランクスは腿のあたりまでずらされており、露になった部分から逞しい一物が天に向けて屹立している。
 
 私は、一体何をしているんだろう。
 
 志紀のほんの僅かな部分が、頭の片隅でそう呟いた。だが、残る彼女の大部分は、何かに魅入られたようにして黙々と避妊具の封を切り、そそり立つ朗のものにあてがおうとしている。
 指が触れた瞬間に、微かにそれが震えた。
 
 まだ、何も言っていない。
 
 悲壮感溢れるその声は、あまりにもかそけく、志紀の中の大勢には届かない。
 彼女の意識は、今まさにおのれがゴムに包み込んだ、怒張する朗自身に向けられていたからだ。
 仕事を成し終えた志紀に、朗が熱い視線を絡ませた。彼は非常に満足そうに、志紀に次なる命令を下す。
「乗って」
 不安定な車のシートに難渋しながらも、志紀は膝で朗の腰を跨ぎ立った。頭が天井につかえないようにやや身を屈める。
 
 まだ、何も伝えていない。
 
 志紀の必死の抵抗も虚しく、志紀はゆっくりと腰を落としていく。朗に向かって。天突く杭に向かって。
 じんじんと疼く部分に、硬い物が触った。花弁がねっとりと口を開き、涎を流しながら朗を飲み込んでいく……。
 
 まだ、何も言ってもらっていないのに……!
 
 志紀の中の小さな欠片が涙を流している。それに同調するかのようなタイミングで、大部分の志紀が大きく喘いだ。硬いものに奥の奥まで貫かれた快感に身を捩りながら。
 
 
「奥まで……届いているね?」
 朗の声が、どこか遠いところから響いてくる。絶え間ない突き上げに、志紀の身体は恐ろしいまでの官能に襲われ続けていた。
 
 それでも、自分に融合しきれない僅かな自分が、未練がましく胸の奥で呟いている。
 訊けなかった。
 答えてもらえなかった。
 ……それとも、先生はそんなものは必要無いとでも言うのだろうか。
 
「凄く、感じているね?」
 身体の中心が、燃えるように熱い。朗が身体を揺さぶる度に、炎は際限なく火勢を強め、志紀の全身を焦がしていく。
 たまらず身じろぎした結合部から、液体が泡立つような音が響いた。
 
 ……言葉にせずとも解り合える、そういう意味ならば、別に構わない。
 でも、これは……
 これでは、まるで……
 
「車が、揺れているのが、判るかい?」
 朗の囁きが、水飴のように、とろり、と志紀の心に注がれる。
「外から見れば、すぐに、判るだろうね」
 甘い……甘い、責め言葉。
「車内で、何が、行われているのか」
 嬲るように、いたぶるように、肉体を愛撫するかの如く、頭の奥底にまで快感を刻み込む。
 何度も何度も突き上げられ、志紀の身体の中はまるで嵐が吹き荒れているかのようだった。朗の動き全てが快感に直結し、志紀の身体を際限なく痺れさせていく。
 そして、頭を振りたくって悶え苦しむ志紀に、更に投げつけられる容赦ない朗の声。
「野外の、こんな、車の中で」
「や……っ、いやっ……せんせい、言わない、で……」
「こんなに、感じている、なんて……」
「だ……め…………っ」
 最奥に突き刺さった肉の剣が、まだ志紀が感じた事のない、新たな快感を呼び覚まそうとしていた。高まっていく官能に、志紀の視界がホワイトアウトしていく。
 
 ……これが、先生の望む事なのですか。
 心など要らない、と。
 愛など無くとも良い、と。
 ただひたすら、快楽のみに縛られた関係を……
 
 
「志紀、…………愛している」
 
 
 たった一言のその言葉が、志紀の意識を現実へと引き戻した。
 絶頂を待ち受けて固く閉じられていた彼女の瞼が、静かに開かれる。
 目の前に、驚きの表情を浮かべる朗の顔があった。おのれが吐き出した台詞にもかかわらず、まるで虚をつかれたと言わんばかりに見開かれたその瞳に、垣間見える怯えの色。
 
 その瞬間、志紀は全てを理解した。
 
 理解すると同時に、狂おしいほどの愛おしさが彼女の胸に押し寄せてくる。ほんの刹那途切れてしまっていた快感とともに。
 
「私も……大好きです、先生……」
 
 背中にまわされる、力強い腕。胎内で律動する熱い塊。
 一気に上りつめ、虚空に舞い上げられ、志紀の心はくるくると宙を舞った。後は、ただ、静かに潮のように引いていくたかぶりに流され、たゆとうのみ……。
 朗の胸に身体を委ねながら、朗の腕に抱きしめられながら。いつまでも、いつまでも。
 
 
 
*  *  *
 
 
 
「……っはよー……」
 次の日の朝、駅のホームで電車が来るのを待っていた志紀に、気だるそうな嶺の声が投げかけられた。
「あ、嶺。おはよう」
「機嫌良いじゃん、今日は」
「そっかな?」
 対する嶺はと言うと、酷くやつれ果てた表情で目の下にくままで作っている有様だ。
「なんだか、疲れてない?」
 何も考えずに問うたその言葉を聞いて、嶺はガックリと肩を落とし、一際大きな溜息をついてから志紀を睨みつけてきた。
「昨日、どこ行ってたんだ?」
「え?」
 もしかして、マズイ展開だろうか。心中密かに慌てる志紀を、嶺は更にねめつける。
「お前のケータイ繋がらないから、家に電話したんだけど。川村達と出かけたって?」
「えーと」
「……川村の奴にメールしたら、なんかビックリしてた。原田君じゃなかったの?ってさ」
 
 ――もしもうちのお母さんから連絡があったら、一緒に出かけた事にして――
 そう頼まれた理奈は、案の定理由を問い質してきたが、志紀があまりにも切羽詰った表情をしていたからだろう、彼女は大げさに肩をすくめてから「オッケー」と下手なウインクで返してくれた。
 
 志紀はゆっくりと深呼吸をした。それから、殊更に軽い調子で頭に手を当てる。
「あっちゃー」
 芝居がかった志紀の態度に心底呆れた風で、嶺が再度大きな溜息をついた。
「どこ行ってたんだよ」
「内緒」
「……誰といたんだよ」
「それも内緒」
 にっこりと、だが冷静に、胸を張って。
 志紀が浮かべた曇りのない笑顔に、嶺が一瞬怯む。何か言いかけたものの、彼は二の句をつぐ事が出来ずに、自分の足元に視線を落とした。
 
 軽快な電子音ののちに、電車がホームへと滑り込んでくる。行き交う人の濁流に揉まれながら二人が乗り込んだすぐ後に、ホイッスルが響き渡って扉が閉まった。
 窓の外を見慣れた風景が流れていく。
 少し混みあった車内、二人はいつものように並んで吊り革を握って立つ。
 規則正しい車輪の音もいつも通り。カーブで傾ぐ車体も、揺れに負けじと足をふんばる乗客の様子も、そして、停車駅で開いた扉に向かう人の波も。これまでむほどに繰り返された光景が、そこにあった。
 それでも、全ては移ろいゆくのだ。緩やかに、そして時には急激に。
 無言で風景を眺めていた嶺が、ぽつりと呟くように問うてきた。
「……俺の知ってる奴か」
 視線を正面の窓から外さずに。だから、志紀も同じように前を向いたまま、静かに返答する。
「知っている筈だけど、多分知らないと思う」
「なんだよ、それ」
 
 そう、本当はどんな人なのか、多分私しか知らない。
 先生が実際はどういう人なのか。
 
 減速、停車。ホームへと拡散した人波が改札口へと収束していく。そして再び加速。また減速。少しずつ客を減らしながら、各駅停車は走る。
 十五分ほどの乗車時間、志紀と嶺はずっと無言で肩を並べていた。
 
 
「楢の坂」の駅に降り立った二人は、何も言わないままに、通学路を辿っていった。
 いつになく鈍い歩調で歩く二人を、他の生徒が次第に追い抜いていく。丘の上に校舎が見える頃には、二人は同じ電車に乗り合わせていた一団の最後尾となっていた。
 
 唐突に、嶺が足を止めた。
 志紀もまた立ち止まって、怪訝そうに彼を振り返る。嶺は、これまで見た事のない真剣な表情で志紀を見つめ……それから静かに口を開いた。
 
「俺さ、お前の事、好きだ…………った」
 
 一陣の風が傍らを吹き抜けていく。
 語尾に付け足されたそれは、おそらくは彼からの最初で最後のプレゼントなのだろう。
 姉弟のように、時に兄妹のように、ずっと一緒に育ってきた……大切な、幼馴染。
 
「私も、嶺の事、好きだったよ」
 
 嶺の顔がほんの一瞬だけしかめられた。それから、彼は大きな動作で空を振り仰ぐ。
 ひとしきり言葉にならない悪態をついてから、嶺は両手を頭の後ろに組んで歩き始めた。
「今は、そいつの事が好きなんだな」
「うん」
「教えろよ。誰か」
「そのうちに」
「なんだよ、それ」
「その時に解るって」
 
 上り坂の向こうに、大きなミズナラの木が梢を広げている。
 ぬけるような青空のもと、二人はゆっくりと学び舎に向かって歩き続けた。
 
 
 
〈 完 〉