あわいを往く者

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九十九の黎明 第五章 旅立ち

  
  
  
 ウネンが炎の神の神庫ほくらを訪れてから、二日が経過した。
 昨日からしとしとと降り続いていた雨もようやく上がり、濡れそぼった世界が、雲間から顔を出した太陽の光を受けて眩いばかりに輝いている。九月に入ったとはいえまだまだ日差しは厳しく、路面から立ちのぼる湿気が、汗と混じり合って不快なことこの上もない。王城のひんやりとした部屋を恋しく思いながら、ウネンは地図を片手に大通りを進んでいた。
 ハラバルの使いで時計工房へと向かうウネンの横には、またしてもオーリの姿があった。まったく知らない人ではなく気心知れたオーリを護衛としてつけてもらえるのはとてもありがたかったが、同時にウネンは多大な申し訳なさも感じていた。
 そもそもウネンが町へ下りなければ、護衛などに貴重な人材を割く必要はないのだ。いっそ、ほとぼりが完全に冷めるまで、ウネンは王城に引き籠っているべきなのかもしれない。ウネンはハラバルにそう進言したが、彼は「ふうむ」と顎をさすったのち、ゆるゆると頭を横に振った。
「このたび、厨房に新しく時計を設置することになったのですよ。普段ならば、親方に城までご足労願うところなのですが、急ぎの用向きを含みますゆえに、ここで彼に余計な負担をかけるわけにはまいりませぬ。そこであなたには、わたくしの書いた図面を持っていって、工房の親方にその図面の説明をしてもらいたいのです」
「図面、の、説明」
「ええ。ですから、誰を使いに出しても良い、とはまいりませぬ。生憎とわたくしには手が離せない用事がありますし、仮にわたくしが赴くとなれば、その際はおそらく護衛は一人では済みますまい」
 それはまったくそのとおりだ、と、ウネンは神妙な顔で頷いた。
「それに、彼は大変優秀な職人です。時計作りにおいて、王都で一番の腕前を持っていると言っても過言ではないでしょう。彼ならばそう遠くない未来に、自由に持ち運びのできる大きさの時計を作り上げることができるに違いありません。その工房をおとなうことは、きっとあなたのためにもなることでしょう」
 そんなわけで、二日も空けずにウネンは再びオーリとともに町ゆく人となったのだ。
 今回の目的地は職人街だ。ハラバルから渡された地図によると、大通りを中央広場まで行かずに三かど手前で西に折れ、入り組んだ路地をしばらく進んだあたりに、木工を中心とした幾種もの工房が集まった区域があるということだった。
 風の無い蒸し暑い街路を、大小二つの影が黙々と歩く。
 前回の町行き以来、ウネンはずっと落ち着かない時を過ごしていた。
 オーリ達は一体この先どうするつもりなのか。尋ねてみようにも、オーリの普段の活動拠点は城の外郭で、ウネンと顔を合わす機会はほとんど無い。そしてモウルはといえば、ウネンと同じ建物に居ることこそ多いが、ここしばらくやたら忙しそうで、日々の挨拶を交わすことすら覚束ない有様だったのだ。
 となれば、こうやってオーリと二人で町を歩いている今この時が、ウネンが彼を問い質す絶好の機会のはずだった。
 なのに、ウネンの口は、依然として貝のように固く閉ざされたままだった。
 ウネンには、自分が足手まといにしかならないという自覚が山ほどあった。腕っぷしは勿論、旅に必要な技能や生活力、そして何より路銀までもが圧倒的に不足している。こんな自分が、彼らに一体何を言おうというのだろうか。情けなさと口惜しさに、ウネンは、ただ奥歯を強く噛み締める。
 馬の乗り方を教えてくれるって言っていたのに。八つ当たりめいた泣き言を胸の中で呟きながら、ウネンは路地を歩き続けた。
  
 目的地である「ビリーク時計工房」の看板が見えてきたところで、ウネンは胸一杯に息を吸い込んだ。うじうじ悩むのはここまでだ。今からウネンは、王の補佐官の助手として、課せられた任務をきちんと遂行しなければならない。胸の奥にわだかまるもやもやとしたものをも吐き出すつもりで、ウネンは一気に息を絞り出す。
 よし、と、小さく一声、ウネンは気持ちを切り替えて工房の前に立った。
  
  
 時計工房の親方は、精密な作業をこなす職人というよりも、腕力をもって大斧を振り回すきこりといった風情の男だった。大柄でずんぐりとした体格に、顔面を覆う見事な髭。夜の森で出くわしたら十中八九熊と間違われるのではないだろうか。
 ウネンの話を聞いた親方は、三人の職人が黙々と作業台に向かっている工房の、一番奥まったところにある大きな机の上に、早速ウネンの持参した図面を広げた。ウネンの説明に合わせて該当箇所を指で指し示しては、真剣な表情で幾つもの質問を繰り出してくる。ウネンは、自分が使いに出された意味を何度も噛み締めながら、親方の疑問を一つずつ潰していった。
「ふむ。よく解りました。必ずや、皆さんのご期待にそえるものを作ってみせましょう」
 既存の部品や模型も交えての話し合いののち、親方が自信たっぷりに自分の胸を叩いた。
 よろしくお願いします、と応えてから、ウネンはハラバルからことづかっていた二つ目の要件を切り出した。
「あ、それと、もう一つ、ハラバル先生が、これを……」
 ウネンは、鞄から一通の封書を取り出した。「できればこの場でお返事をいただければ、とのことです」
 しっかりと糊付けされた封筒を怪訝そうに見やってから、親方は「読ませてもらいますよ」と、胸元のポケットから取り出した金属製の物差しで封を切った。
 ふむふむ、ふむん、と何度も頷きつつ手紙を読み進める親方を、ウネンは無言で見守る。この封筒に関しては、ウネンは、「このまま親方に手渡すように」としかハラバルから聞かされていなかったのだ。
 やがて親方は、「なるほどね」とにんまりと口角を引き上げた。それから、ウネンの頭のてっぺんからつま先までを、まじまじと見まわした。
「あのー、何か……?」
「あ、いや、失礼」
 ごほん、と咳払いをしてから、親方は髭面をくしゃくしゃにして笑った。
「お返事をする前に、少し待っていてもらえますかな?」
 不思議に思いつつも、ウネンは「はい」と頷いた。返事を持って帰らなければならない以上、待つ以外の選択肢は存在しないからだ。
 親方は、封書を手にいそいそと奥へと引っ込んでいった。
 待たされること、およそ半時間。工房の、自分が立つ位置から見える範囲をあらかた見尽くしてしまったウネンが、部屋の中をうろつきまわりたい欲求と必死で戦っていると、ようやく奥の扉があいて親方が姿を現した。
「『確かに承りました』とハラバル先生にお伝えください」
 そう言って親方は、満足そうな笑みとともに、大きな手をウネンに差し出した。
「なあに、大船に乗ったような気でお待ちいただけたら」
  
  
 親方と握手を交わして工房を出たウネンは、少し先まで道を進んでから、特大の溜め息をついた。
 横に並んだオーリが、もの問いたげにウネンを見下ろしてくる。
「緊張したー」
「堂々たるものだったがな」
 真っ向から投げかけられた褒め言葉に、ウネンは思わず目を丸くした。ややあって、じわじわと込み上げてくる嬉しさのままに、「そ、そうかな……」と頭をかく。
 と、気持ちが緩んだせいだろうか、ウネンの腹の虫が一際派手に空腹を主張した。
「腹が減ったか」
 他人事とばかりに問いかけてきたオーリの腹からも、負けず劣らずな音が鳴る。またたきの間視線を逸らし、それから再びウネンを見て、オーリがあらためて口を開いた。
「腹が減ったな」
「思ったよりも時間がかかっちゃったからなあ」
 ウネン達が時計工房にいる間に、時刻はとっくに昼を過ぎてしまっていた。親方や職人さんも、すきっ腹を抱えていたのだろうな、と、ウネンは今更のように申し訳なくなる。
「今から城に帰っても、たぶん昼飯は残っていないな……」
 そう呟いたオーリの表情は、本当に残念そうだった。ウネンはなんとか笑いをこらえ、殊更に涼しい顔を作ってみせる。
「朝に沢山食べたから、一食ぐらい抜いてもいいけどね」
「食え」
 驚くべき素早さで、オーリが言葉を返した。
「子供は、食わなきゃならん」
「もう十五だけど」
「生物学的にはまだ子供だ」
 生物学的、って一般的な言葉なのだろうか。ウネンが思わず考え込んだその時、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。
「おーい、ウネンー! 護衛さーん!」
 慌てて上に顔を向ければ、進行方向の左手にある二階建ての建物の屋根の上で、コニャが両手をぶんぶんと大きく振っているのが見えた。
「こんにちは、コニャ! 仕事中?」
 ウネンもコニャに向かって手を振り返した。
 コニャがいる建物は、どうやら集合住宅のようだった。ざっと見ただけでも六つの煙突が、土器色かわらけいろで葺かれた屋根から、所狭しと突き出ている。
「もう終わって片付けてるところ。あとは部屋の中で暖炉回りを綺麗にしてくるだけだよ!」
「お疲れさまー」
 ウネンのねぎらいに、コニャは嬉しそうに破顔して、それから、見ている者がはらはらするぐらいに屋根の端から身を乗り出してきた。
「あのさ、僕、お昼まだなんだけど、ウネン達は?」
「まだだよ。っていうか、落ちそうだよ、危ないよ!」
「じゃあさ、一緒に食べない? 急いで終わらせてくるから、ユウ先生のところで待っててよ。美味しい屋台を教えてあげる!」
「分かったから、もう少し後ろに下がってよ!」
「ウネンは心配性だなあ」
 おろおろと手を振るウネンを見て、コニャが悪戯っぽく笑う。
 ようやく姿勢を戻したコニャを見て、ウネンは大きく息をついた。と、同時に傍らからも同様な溜め息が降ってきたことに気がついて、ウネンは知らず頬を緩ませた。
  
  
 中央広場の代筆屋では、先日と同じカミルとカレルの兄弟と、コニャと同い年ぐらいの少年が、蝋板にたどたどしく文字を刻んでいた。
「でっかい、でっかい、って言うから、どんなにでかいのかと思ったら、フツーにでかいだけじゃないか」
 どうやら兄弟から噂を聞いていたらしく、少年は小生意気な表情でオーリを見上げ、「なあ、あんた強いの? 悪い奴切ったことあんの? その剣、本物? やっぱ重いの? ちょっと持たせてよ。ちょっとだけでいいからさぁ、ほら」と、鉄筆を放り出して迫ってくる。
「はいはい、お客さんが来たから、君達は外に出てね」
 ユウが大きく手を打ち鳴らして、そうしてウネンとオーリを招き入れた。二人とも、今度ばかりは遠慮することなく素直にユウの言葉に従う。
「ちょっとぐらい触らせてくれてもいいじゃんかよー、ドケチ」
 唇を尖らせ文句を言いつつも、少年は蝋板を持って外に出た。恨めしそうにオーリを振り返っては、「俺だって大人になればでかくなるんだかんな」とぶつくさ呟いている。
「ベンはでっかくないよ」
「大人になったら、って言ってるだろ」
「でっかくないよね」
「だから、人の話を聞けよ!」
 子供達はひとしきり大騒ぎを繰り広げたのち、誰とはなしに店の前に落ちる庇の影の中に座り込み、やがて真剣な表情で文字の練習を再開した。
  
「遅いですねえ……」
 代筆屋に来てそろそろ一時間が経つというのに、コニャが姿を見せる気配は一向になかった。ユウは何度も席を立っては、きょろきょろと広場を見まわしている。
「ご飯が遅くなってしまいますね……」
「大丈夫ですよ」
「いや、あまり遅くなっては、夕飯に障りますからね」
 ユウがあまりにも心配そうに眉を寄せるものだから、ウネンは、どうってことはない、とばかりに軽く肩をすくめてみせた。
「食べられなかった時は、食べられなかった時で……」
「食え」
「食べましょう」
 ウネンの言葉が終わりきらないうちに、オーリとユウが声を揃えて反撃した。互いに顔を見合わせて、そこで恐縮し合うかと思いきや、二人は大きく頷き合い、揃ってウネンのほうに向き直る。
「子供は食べなきゃだめです。身体をつくるためにしっかりと栄養をとらなければなりません。きちんと食べましょう」
「ほらみろ」
 ぐうの音も出せずに、ウネンは身を小さくして、「はい」と返事をした。
「コニャには私からきちんと伝えておきますから、お二人はさっさとお昼を食べに行ってください」
「……はい」
  
 ウネンとオーリは、広場の端のほうに出ていた屋台で羊肉の串焼きを食べた。肉そのものは少々噛み応えがあったが、タレの味も焼き加減も絶妙で、空腹であることを差っ引いても充分にお釣りがくるほど美味かった。
 食事を終えてユウの店に戻っても、コニャはまだ姿を現してはいなかった。ウネンは、次の機会を楽しみにしている旨のコニャへの言伝をユウに頼み、代筆屋をあとにした。
  
  
 ハラバルに時計工房の親方の回答を伝え、机仕事に戻ったウネンは、現実から目を背けるようにして手元の作業に没頭した。悩んでも仕方のないことは悩むだけ無駄というものだ、と自らに言い聞かせて。
 城に帰るのが遅くなった分、仕事を優先したいから、と、ウネンは夕食を作業部屋に運び出し、一人きりで食事をとった。ウネン自身、自分が拗ねているという自覚は多分にあったが、拗ねることぐらいしかできないんだから拗ねさせろ、という自暴自棄な気持ちが、今は何よりも強かった。思考停止ほど愚かしいものはない、と、頭では解っていたのだが。
  
  
 時計の針が午後七時を過ぎた頃、部屋の扉が控えめに叩かれた。
 夕食の食器を下げ忘れていたことに気がついて、ウネンは慌てて扉をあけた。開口一番、「すみません、今、返しに行きます!」と詫びを入れる。
 使用人頭が、苦笑を浮かべて首を横に振った。
「ああ、食器はいいんですよ。あとで誰かに取りに来させます。私がまいりましたのは、ウネンさんにお客様がお見えになったとお知らせするためですので」
  
 自分を訪ねてきた人物の名前を聞いて、ウネンは眉を曇らせた。あとからあとから込み上げてくる嫌な予感を必死で呑みくだしながら、客人が待つという第二城門へと向かう。
 王城の内郭と外郭とを繋ぐ大きな門の、篝火に照らされた一画。門番の横に立つユウの不安そうな様子を見て、ウネンは心臓が縮み上がる思いがした。
 果たして、ユウはウネンの姿を認めるなり悲痛な声を上げた。「コニャが帰ってこないんです!」と。
「あれから私の店にも一度も姿を現さなくて、どうしたんだろうな、と気にはしていたのですが、晩課の鐘(午後六時の鐘)の少し前に、コニャのお母上が、コニャを知らないか、とお見えになって……」
 あちこち走り回っていたのであろう、ユウの前髪は、汗で額にべったりと貼りついてしまっていた。
「午後に煙突掃除が一件入っていたらしいのですが、どうやらそちらにも顔を出していないようで……。それで、お父上と二人で、今、心当たりを探し回っているところなのですが、どうにも埒が明かず……。ウネンさんは、何かご存じないですか?」
 まさかの想像が見事に的中してしまった衝撃で、ウネンはすぐには言葉を返すことができなかった。そして同時に湧き起こる、途轍もなく大きな自責の念。コニャがユウの店になかなか現れなかった時点で彼を探しに行っておれば、こんなことにはならなかったかもしれない、と。
「ぼくと会った時にコニャが掃除していた家には……?」
「それが、あの子は、まだそういった記録をつけていなくて……。午後の仕事についても、先方さんが怒鳴り込んできて初めて分かったらしく……」
「分かりました。じゃあ、ぼくは、コニャがお昼に掃除していた家を探して、話を聞いてみます。何か分かれば、ユウさんのお店に行けばいいですか?」
「そうですね。私がいなくとも、たぶん誰かが詰めていると思いますので、お願いします」
  
 再び捜索へ戻るユウと別れ、ウネンは主館へと走って帰った。走りながら、ハラバルが居そうな場所を幾つか思いえがくと同時に、どうやって外出許可を求めようか思案する。
 玄関扉を押し開いた途端、目の前にハラバルが立っているのを見て、ウネンは目を丸くした。
 何事ですかと問われるよりも先に、ウネンは半ば反射的に、来客の理由と今日の午後の出来事とをかいつまんでハラバルに話していた。
「現時点で、彼を最後に見たと思われる人間を探し出せるのは、ぼくだけなんです。どうかぼくを行かせてください!」
 息を継ぐのすらもどかしい気持ちで、ウネンは一気に語り終えた。
 射るような眼差しでウネンの話を聞いていたハラバルは、ほんの刹那、満足そうな笑みを口元にのぼして、そうして「いいでしょう」と力強く頷いた。
「すぐにでも出かけるつもりですね? では、護衛をつけに、わたくしも下へ、騎士館へ参りましょう。そのほうが時間が節約できます」
「ありがとうございます!」
「時刻が時刻ですから、護衛は複数用意したほうがいいですね」
「えっ、そこまで皆さんのお手を煩わせるわけには……」
 ハラバルと二人、早足で外郭へと向かう道すがら、ウネンは恐縮して声を上ずらせる。
 ハラバルが、ふふ、と微笑を洩らした。
「おそらく、既に待ち構えていると思われますが、ね」
 言葉の意味を問い質す間もなく、ウネンの目は、騎士館の前に二つの人影を見つけていた。
 オーリとモウルが、そこに立っていた。