あわいを往く者

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九十九の黎明 第七章 魔術師と精霊使い

  
  
 モウルが鍛冶屋から出てくるなり、道の向かい側から一人の男がウネン達のところへ駆け寄ってきた。
 先刻からもうずっと、建物の陰をうろうろと所在なさげに歩き回っては、ちらちらとこちらを窺っていた男だ。オーリが軽く右足を踏み出すのを見て、怯えた表情で少し手前で足を止める。
「あ、あの、そちらの魔術師様は、風使いなんですよね」
「そうだけど」
「俺達んところの風車にも、祝福をお願いできないでしょうか!」
「えー、っと……」
 モウルの、完璧を誇るよそゆき顔の眉間に微かな皺が寄る。折角立てた「今日の予定」を変更しなければならなくなってくるからだろう。
 物に祝福を授ける、という術は、普段モウルがよく使っているような風を操る術とは違い、施術に手間がかかるものだった。先刻もふいごに術をかけるにあたって、モウルは、ふいごばかりかその先にある炉の構造までをも綿密に検分していたし、香油を筆に含ませて何やらふいごに文様を記す際も、例えば写本工房で彩飾師が飾り文字に金箔を貼る時のように、慎重に、丁寧に、時間をかけて作業を行っていた。
「申し訳ないけど……」
 モウルが断り文句を口にのぼしかけた時、更に別の、今度は女性の声が、「風使い様!」とモウルを呼んだ。
「うちの竈と煙突に祝福を……!」
「ええと、その、まいったな……」
 モウルが覿面に言いよどむ。姉に弟という兄弟構成が影響しているのか、彼は、年上の女性からの頼み事には少しばかり弱いのだ。
「謝礼とは別に、お昼ご飯をご馳走しますよ! 勿論、お連れさんの分もね!」
 ここぞとばかりに、風車の男性が語気に力を込めた。
 思ってもみなかった申し出に、ウネンとオーリは思わず顔を見合わせる。
 モウルが観念したように両手を上げた。
「分かりました、お受けいたしましょう。ですが、お二方でおしまいですからね!」
  
  
 北門から町を出て少し行った先、川から農地へ水を汲み上げる風車の前に立ったモウルを、少し離れた所から五人の農夫がじっと見つめている。全員が依頼人の親戚で、この風車の恩恵を受けている農地の持ち主ということだ。
 そして、彼らとは別に何人もの町の人間が、風車を遠巻きにして、じろじろとモウルを見つめていた。
「魔術師様、何かお手伝いすることは……」
「そうですね、術を始める前に合図をしますから、そうしたら、次に合図するまでは僕に話しかけないでもらえますか?」
 合点承知、と、依頼人が親戚連中のもとへ走ってゆく。
 再び風車と対峙したモウルの口から、大きな溜め息が吐き出された。
「やりづらいな……」
 普段の傍若無人っぷりからは、およそ考えられない弱音が飛び出してきたことに、ウネンは驚いて「なんで?」と身を乗り出した。
「あの人達に何か問題が?」
「そっちじゃないよ、あっちだよ」
 モウルが目線で示したのは、部外者の野次馬達がいる方角だった。
 近隣の農地で働く人々や、通りすがりの通行人に加えて、わざわざ町なかから見物にやってきたと思しき人影も少なくない。小屋や灌木、茂みの陰から、こそこそとこちらを窺う人々を見やって、モウルはもう一度溜め息をついた。
 ウネンがオーリ達と知り合って四箇月、ともに旅をするようになって一箇月。「魔術師の黒」のおかげで、どの町でもモウルは他人の注目を集めていた。羨望に嫉妬、尊敬に畏怖、そして期待。だが、今、彼に浴びせかけられている視線は、それらの内のどれにも当てはまらないものだった。言うなれば、胡散臭いよそ者を見る目。ただ短簡たんかんに、「さっさとこの町から出ていけ」と。
「なんだかぼく達、嫌われてるっぽいね……」
 ウネンの囁きに、モウルがまたも嘆息する。彼らしからぬ弱気な態度が気になって、ウネンはもう一度同じ問いを繰り返した。
「でも、何がそんなにやりづらいの? あんな人達、どうせ遠くから見てるだけなんだから、無視しておけばいいじゃない」
「神と心を通わせることができるのは〈かたえ〉だけだけれど、神は決して人々の祈りから耳を塞いでいるわけじゃないからね」
 モウルの口元に、苦い笑みが浮かび上がった。
「魔術師みたいに具体的に何かできるわけじゃない。でも、祈りはまったくの無意味ではない。だからこそ、昔からあちこちに神庫ほくらや礼拝堂が建てられているんだよ」
「てことは、沢山の人に一斉に邪魔されてしまうと、術の効果がなくなることがあるってこと?」
 苦笑いはそのままに、モウルがひょいと肩をすくめる。
「相当のヘッポコ術師なら、そういうこともあるかもね」
「モウルは?」
「僕?」
 ウネンがおそるおそる問いかけた途端、モウルの両眉が大きく跳ね上がった。
「僕がそこらへんの有象無象に遅れを取る? まさか。ありえない」
 はっ、と強く短く息を吐き出して、モウルがわらう。
 尊大とも言えるその自信のほどに、ウネンはムッとしつつも安堵した。これでこそ、いつものモウルである。
「でも、今さっき、『やりづらいな』って言ってたじゃない」
「そりゃあ、邪魔が入らない環境に比べたら、多少は面倒だからさ」
「『魔術は万能ではない』ってわけ?」
 モウルの口癖をウネンが真似してみせれば、モウルが「そういうこと」と口のを上げた。
「昔話でも、『悪の魔術師』って、あまり出てこないか、出てきてもすぐに退治されるでしょ。圧倒的大多数の祈りは、時に魔術師に足枷を嵌める。まァ、良くできたハナシだよ」
 皮肉ありげな笑みを深呼吸とともに消し去って、それからモウルは、「では、始めましょうかね」と両手を大きく振り開いた。
  
  
 二件目の依頼主であるパン屋は、ほぼ町の南端にあった。
「これ、風車よりも先にパン屋に行ったほうが効率が良かったよなー」
 目抜き通りを南下し、再び鍛冶屋の近くまで戻ってきたところで、モウルがぼやく。
「時間もないし、何より疲れちゃったし、今日はもうどこへも行けそうにないな……」
「でも、風車のおじさん達すごく喜んでくれてたし」
「昼飯にもありつけたしな」
 拗ねるモウルをウネンとオーリとで慰めていると、どこからともなく「いい気なもんだな」と刺々しい言葉が聞こえてきた。
 声のほうに目をやれば、禿頭とくとうに顎髭の男が、口元を歪ませて三人を……、いや、モウルを睨みつけている。
「よそ者のくせに、魔術師だからって偉そうにしやがって。どうせ人のいい奴らから金を巻き上げて、さっさと町を出ていくんだろう?」
 服装を見る限り、その男はそこらにいるごく普通の農夫のようだった。オーリのひと睨みを受け、「ひぃい」と情けない声を漏らす。
「なんだよアンタ、図星を突かれたからって、暴力に訴えようってのか? 丸腰の人間相手に、ひでぇ乱暴者だ。ええ?」
 こんな言いがかりは無視してさっさと行くべきだ。ウネンはそっとモウルの袖を引いた。
 だが、モウルは、どこか楽しそうにウネンを振り返る。
「こういう展開は、ちょっと新鮮だなあ」
「新鮮さをありがたがるのは、野菜だけで充分だよ」
 思わず言い返さずにはいられなかったウネンに、今度はオーリが話しかけてくる。
「魚も新鮮なほうがいい」
「今、魚、関係ないから」
「おい、てめえら、ふざけてんじゃねえよ、こンの、よそ者が!」
 当然のごとく顔を真っ赤にさせた男が、地団駄を踏んでこぶしを振り上げた、まさにその時、聞き覚えのある柔らかな声がウネン達の後方から投げかけられた。
「よそ者と言うのなら、私もよそ者ですけれども」
 昨晩に宿を訪ねてきた、豊穣の魔術師がそこに立っていた。
「アルトゥル先生はもうここに根を張っていらっしゃるではないですか」
 男が、一転して神妙な表情となって、アルトゥルの前へと駆け寄る。
「そう言ってくださるのはありがたいですが、でも、まだ二年ですよ」
「そ、そうですけれども……!」
 言葉に詰まる男にアルトゥルが、悪戯っぽく、ふふ、と笑いかけた。
「そう。大切なのは、ここに長く住むか否かではありません。ここで何を為したか。そうでしょう?」
  
 禿頭とくとう男が決まり悪そうに去っていくのを見送って、アルトゥルが小さく溜め息をついた。
「悪い人ではないのですが、少し思い込みの強い方でしてね……」
 大丈夫ですか、と気遣うアルトゥルに、モウルが訥々と言葉を返す。
「金を巻き上げる云々はともかく、僕らがまたすぐにここを出るのは事実ですから」
 それだけを言って、モウルは口をつぐんだ。彼らしからぬ遠慮がちな態度を見て、ウネンの眉間に皺が寄る。
 しばらく待っても一向にモウルが喋ろうとしないので、ウネンは、今のうちに気になっていた点を質問することにした。
「アルトゥルさんは、もともとこの町の人じゃなかったんですか?」
 ええそうなんです、とアルトゥルが微笑んだ。
「神の恵みを祈りながら各地を回っていたのですが、こちらがあまりにも居心地が良いものですから、それ以来この町に腰を落ち着けさせていただいております」
 そういうことか、と、ウネンは心の中で呟いた。
 パン屋の娘ワタカは、羊飼いのロミが精霊使いになったのは半年前だと言っていた。その際、町の人からは「とうとうこの町の人間からも魔術師が出たか」という言葉が寄せられた、とも。昨晩にアルトゥルの来訪を受けた際、その言葉とアルトゥルの存在との間に生じた矛盾が気になっていたのだが、要するにロミにかけられた期待は「この町出身の」魔術師ということだったのだ。
 ここで何を為したか。先ほどのアルトゥルの言葉は、何よりも彼自身に向けての言葉だったのではないだろうか。ウネンは漠然とそんなことを考えた。
「皆さんは、今日もこちらへお泊まりですか?」
 アルトゥルの問いに、一拍待ってからオーリが「ああ」と答える。
「そうですか。我が神の神庫ほくらは、ここから少し行ったところにあるのですよ。丁度、明日は週に一度の礼拝の日です。時間があれば、是非おいでになってください」
  
  
 もしや、と思っていたとおり、次の依頼のパン屋とはワタカの家のことだった。モウルを大歓迎する店主夫妻の少し後ろで、ワタカが居心地の悪そうな表情でそっぽを向いている。「ほら、お前も魔術師様にきちんと挨拶なさい」と父親に言われて、ワタカは渋々一本調子にお願いしますと口にし、そうして、ぷいっと奥に引っ込んでしまった。
 まず竈を、次に煙突を、とあらためるモウルを、ウネンとオーリは邪魔にならないように店の外で見守った。
 北の風車の時と同様、やはりここでも、町の人間が店を遠巻きにこちらを窺っていた。とりわけ魔術師の動向が気になるようで、煙突を調べにモウルが外に出てきた時など、投げかけられる幾つもの視線が、まるで肌を刺すほどだった。
 モウルは、今度は特に愚痴をこぼすでなく、淡々と作業をこなしていた。だが、触れれば切れんばかりの眼差しは、施術に集中しているせいというよりも、何か他のことから意識を逸らそうとした結果のように、ウネンには感じられた。
「……一体、どうしたんだろう」
 知らず口をついて出たウネンの呟きに、オーリが溜め息で返した。
「似ているんだ」
 まさか返答があるなんて思ってもいなかったウネンは、驚いてオーリを振り返った。
「あの豊穣の魔術師が? モウルの知っている人に?」
 オーリが静かに頷いた。
「あいつの姉の結婚相手に」
「前に言ってた、里を出たという十歳年上のお姉さん?」
 ああ、とオーリが首を縦に振る。
「モウルはそのお義兄さんが苦手だった、ってこと?」
「いや、物凄く懐いていたんだが……」
 言いよどむオーリを見ているうちに、ウネンの脳裏に、ふと、いつぞやのイレナの台詞が浮かび上がってきた。王都からイェゼロの町に戻る途中で、彼女は、塞ぎ込むモウル達を評して「何かやらかして叱られたあとのウチの弟どもの様子と、そっくり」だと言っていたのだ。
「もしかして、何かやらかして喧嘩別れしたとか」
「いや……喧嘩ではない、が……」
「オーリ」
 後方から、地の底より響いてくるような怨嗟の籠もった声が聞こえてきた。
 振り返った視線の先、これまでになく苦々しい顔をしたモウルが立っていた。
 モウルの、抜き身の剣のごとき気配にウネンがおののく横で、オーリが、涼しい顔で「来たか」と応える。さも当然のことのように。待ち構えていたとばかりに。
 虚をつかれたか、モウルが僅かに顎を引いた。それから、すぐに悔しそうに顔を歪ませた。
「お前の様子がおかしいことを、ウネンが心配している」
 モウルがオーリとウネンから顔を背けた。
「俺も、だ」
 モウルの喉から、声にならない唸り声が漏れる。
「心配しなくても、俺は、これ以上のことは、お前に黙って勝手にウネンに喋ったりはしない」
 たっぷり一呼吸の間、こぶしを握り締め俯いていたモウルは、やがて二人からくるりと背を向けた。
「晩だ」
 モウルの声が、酷く掠れて聞こえた。
「晩飯のあとで話すから」
 そう言い捨てて、モウルは再び店の中へと入っていった。
  
  
 無事に術を終え、三人はパン屋を辞した。
 西の空は既に赤く色づき始めている。今日はこのまま宿に帰り、探索や調査は明日にまわすこととなった。ぎくしゃくとした空気とともに三人が帰途についた時、後ろのほうからか細い声がウネンの名を呼んだ。
 物置の陰から、ワタカがウネンを手招きしていた。
「どうしたの?」
 ウネンが駆け寄るなり、ワタカがおずおずとパンの入った籠を差し出してきた。
「これ、うちの親から魔術師様に、『どうぞお食べください』って」
「それなら、ちょっとモウルを呼んでくるね」
 早速走り出そうとしたウネンの腕を、ワタカがむんずと掴んで引っ張った。
「顔を合わせたくないから! ウネンから渡しておいてほしいの!」
「あ、うん……分かった」
 ウネンが頷けば、ワタカが安心したように大きな溜め息を吐き出した。
「それにしても、あの人、昨日の私の時と、今日のお父さんやお母さんを相手にする時とで、全っ然、態度が違うのね」
「ああ、まあ、今日の場合は特に、ほら、『仕事』だから」
 拗ねたように唇を軽く尖らせて、ワタカがまた大きく息を吐いた。
「仕事関係なくっても、普通は初対面の人にあんなこと言わないわよ。酷いって思わない?」
「あ、うん。確かにあの言い方は酷い」
 ウネンの返事を聞いて、ワタカがそっと形の良い眉を曇らせた。
「……言い方?」
「ええと、その、どうやらモウルは、ワタカに悪意をぶつけようとしたわけじゃないみたいで……」
 そこでウネンは、ハッと我に返った。悪気が無ければ良いというものではない、ということにようやく気がついて、慌てて「ごめん」とワタカに謝る。
「モウルの考えはともかく、やっぱりあんなこと言われたら、不快に思って当たり前だよ。言われたのがぼくなら、たぶん喧嘩になってたと思うし」
 ワタカは、しばらくの間、何も言わずにじっとウネンを見つめていた。それから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「うちは、パン焼きを請け負うだけじゃなくて、自分達が焼いたパンで商売もしてるの。粉の配分を変えてみたり酵母を工夫したりした甲斐あって、うちのパンを贔屓にしてくれる人も沢山いてね……」
 ワタカの話に、ウネンは黙って耳を傾ける。
「けれど、小さい頃に一緒に遊んでいた子が、ある時に言ったの。『おまえんちは小麦を育てなくてもパンが食えるんだな』って。咎めるように」
 そこまで語って、ワタカは唇を引き結んだ。
「ごめんなさい、なんだかよく分からない話を聞かせちゃって。パン、皆で食べてね」
 エプロンの裾をひるがえして走り去るワタカに、ウネンは、「ありがとう!」と手を振った。
  
  
 晩御飯は、ベーコンと蕪のスープに、茸の煮込みだった。相変わらず宿にはウネン達の他に客は無かったが、仮に宿屋が潰れてしまったとしても、ここの主人の料理の腕前ならば、食堂一本で立派にやっていけるに違いない。
 ウネンが、椀に残った煮汁を最後の一滴までパンで拭いとっていると、斜向かいの席のモウルが、テーブルに頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めながら、「十六年か」と呟いた。
 ちらりと左手を見れば、オーリが我関せずな様子でパンの籠に手を伸ばすところだった。あまりわざとがましい態度をとらないほうがいいのだろう、と思い、ウネンもそしらぬ顔で煮汁の染み込んだパンを口に運ぶ。
「エレグ兄さんが姉さんと一緒に里を出てから、もう十六年も経っているんだよな……」
 今二十三歳だ、とモウルは言っていたから、単純に計算して、その当時彼は七歳だったということだ。
「兄さんは魔術師でね。水使いなんだけど、こう、手をさっと振るだけで水を集めたり、果ては凍らせたり、子供心にすっごく格好よく思えて、憧れててさ。僕は、始終兄さんのあとをついてまわっては、術をかける真似ばっかりしていたんだ。兄さんが教えてくれる色んなことを、片っ端から帳面に書きつけて、僕もいつか魔術師になるんだ、って言ってさ」
 モウルは、相変わらず窓のほうを見つめたまま、ウネン達と視線を合わそうとはしなかった。左手で頬を支え、右手で木の匙をもてあそんでいる。
「ある時、僕は、たまたま兄さんの術を帳面に写せてしまって……、僕はそのことにまったく気づいていなかったんだけど、兄さんが『もしや』って言って、自分の血を――〈たましい〉のしるしを――そこに垂らしたんだ。兄さんに言われるがままに、僕は術を発動させ……、里の史上最年少の、天才まじない師の誕生だよ」
 ウネンは思わず「すごい」と声に出していた。
 ここでようやく、モウルがウネンを見た。
「でも、僕は、魔術師になりたかったんだ」
 そう言ってモウルは、どこか寂しそうな笑みを浮かべた。
「魔術師は魔術師、まじない師はまじない師。二つの道が交叉することなどあり得ない、と思われていた。だいたい、魔術師は術を磨くのに手いっぱいで、まじない師の修行をする暇なんて無いし、そもそもまじない師になろうなんて思わない。そして、まじない師になれた時点で、大抵の人間はそこで納得もしくは妥協する。両方を兼ねる者なんて誰も聞いたことがなかったからね。だから僕は、もう魔術師にはなれないんだ、と絶望した」
 隙間風が窓をがたがたと震わせる。
 モウルが、手元に視線を落とした。
「でも、それ以上に落ち込んでいたのが、エレグ兄さんだった。自分が余計なことをしたせいで、僕の夢を潰してしまった、と、彼は自分を責めていたようだった。とても真面目な人だったからね」
 と、それまでのしんみりとした調子からは一転して、モウルは、にやり、といつもの笑みを浮かべた。
「で、まあ、ここまでなら、事態も比較的単純で良かったんだけどさ」
「あいつか」
「そう、あいつ」
 なにやらオーリと頷き合ってから、モウルが派手な溜め息をついた。
「里にはローという名のまじない師がいて、んで、ローはどうやら僕の姉さんのことが好きだったらしく、エレグ兄さんに突っかかってばかりいたんだよ。そんな奴が、こんな美味しい出来事を放っておくわけがないだろう? 『お前のせいで、モウルは夢を奪われたんだ』とか『ソリルにまとわりつく弟が邪魔で、わざとまじない師にさせようとしたのだろう、酷い奴だ』とか、それはもう、好き放題、言い放題だよ」
 依然として頬杖をついたまま、モウルは羽虫を追い払うように右手をひらひらと振る。
「ついでに僕にも『そもそもお前なんかが魔術師になれるものか。まじない師を、自分の力不足の言い訳に使わないでくれ』だってさ。笑っちゃうね」
 モウルの碧の瞳が、ランプの炎を映してぎらりと光った。
まじない師であることを言い訳にしているのは、あいつのほうだ。エレグ兄さんに対抗して神を求め続け、どうやら叶いそうにないとみるや、せめて呪符だけでも使えるようにならないか、と、悪あがきの末にようやくまじない師になれたくせに。あれ絶対、僕が『天才』とか『史上最年少』とか言われてもてはやされたのが気に喰わなかったんだぜ」
 あからさまに鼻でわらって、モウルは頬杖をいた。身を起こし、正面からウネンを見つめ、口のを引き上げる。
「とは言え、それまで落ち込んでいた僕が『絶対魔術師になってやる』って発奮できたんだから、ローには感謝するべきなのかもね」
 そう言うモウルの視線は、氷のように冷たかった。ローというまじない師に感謝する気など、砂粒ほども無いに違いない。
「でも、僕が『いつか魔術師になるから』って言っても、兄さんは力無く微笑むだけだった。だから、そのうち僕もこの話題を持ち出さなくなって、そのまま兄さんは姉さんと里を出て行ってしまって……」
 食堂の扉をちらりと見やってから、モウルは静かに言葉を継いだ。
「アルトゥルさんを見た時に、ちょっと色々思い出しちゃってさ。それで、まあ、少しばかり調子が出なかった、ってわけ。以上、僕の話は終わり」
 最後はあっけらかんと言い切って、モウルが両手を打つ。
 ふと、不思議な気配を感じてウネンが左を見れば、オーリが驚いた顔でモウルを凝視していた。
 モウルもオーリの表情に気づいて、眉間に深い皺を刻む。
「なんだよ」
「……いや、お前がここまで語るとは思っていなかった」
「オーリが喋れって言ったんだろ」
 恨めしそうに口元を歪ませたと思いきや、すぐにモウルは爽やかな笑みを満面に浮かべた。
「こんなふうに、たまには自分の気持ちを整理するのもいいものだよ。ほら、オーリも色々と吐き出してみなよ」
「うるさい」
 すっかりいつもの調子を取り戻した二人を前に、ウネンもまた、頬が緩むのを抑えることができなかった。