あわいを往く者

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九十九の黎明 第七章 魔術師と精霊使い

  
  
 ペリテの町を出てすぐ、街道の東側にある丘を越えた所へとロミは三人をいざなった。この辺りはロミの叔父の家の土地ということで、新芽の季節には時々ここまで羊を連れてくることもあるらしい。ここならばあまり人目や人の耳を気にせずに済むと思う、と、ロミは一面の草原を見渡した。
「あなたの言葉が気になって仕方がなくて、兄に羊の番を頼んで町へ来てみたら、アルトゥルさんがいなくなった、って、皆が大騒ぎしてて……」
 黒紅の髪を風になびかせて、ロミが正面からモウルを見つめた。
「やっぱり、アルトゥルさんが……?」
 やっぱり、と言うからには、ロミはウネン達が会いに行ったのはアルトゥルだと考えていたのだろう。モウルはいつになく神妙な顔で頷くと、遺跡で別れてからの出来事をかいつまんで彼女に説明した。
「それだけ君のことが、彼にとって脅威だった、というわけさ」
「こんな『役立たず』が?」
 淡々とした声は、自虐というよりも、ただ事実を述べているつもりのようだった。そうしてロミは、おもむろに坂の下に向かって大きく右手を振った。
 ウネンの耳が、か細い〈囁き〉を捉える。
 向こうのほうで草がざわりと揺れたかと思えば、斜面を風が駆け上ってきた。
「へえ、見事なものじゃない」
 モウルが楽しげに眉を上げる。
「風を呼んでも、必ず吹いてくれるとは限らないし、風を読もうにも、いつも教えてくれるとは限らない。いつだって気まぐれで、『期待外れ』て言われても仕方がないと思う」
「使い手は使い手、精霊は精霊、って、独立独歩な感じなのかな」
 そう言ってモウルが顎をさする。
 たまらずウネンは彼に問いかけていた。
「じゃあ、モウルと神様はどういう感じなの?」
「そうだねえ、真名まなを交わし合ったことで神とは一心同体、って言ったらいいのかな。術を使う時も、神にお願いをするというよりも、なんというか、頭の後ろから生えている三本目の腕を動かすみたいな感じ」
「皆目、見当もつかない」
 真顔で返すウネンに、モウルが「だろうね」と笑う。
 今度はロミが、少しだけ遠慮がちに質問を口にした。
真名まな、とは? 真名まなを交わす、とは?」
真名まなとは、その人の〈いのち〉みたいなものさ。神と魔術師は、相手の真名まなを知ることで、互いに〈いのち〉を預け合っている、と言えるかな」
 魔術の話をする時の常で、モウルは実に楽しそうに頬を緩ませた。
「僕の場合は、見晴らしの良い崖の上に立って、風に流れる雲を見ている時だった。突然、雑然とした世界が澄み渡って、『何か』が僕の中に入り込んできたんだ。
 胸の奥の、〈たましい〉とでも言うべき、僕の核を成すものに、『何か』が触れた瞬間、『何か』は震え、その振動が〈ことのは〉となって、僕の〈たましい〉に注ぎ込まれるのが分かった。それが、『何か』の――神の――真名まなである、と知ると同時に、僕の〈たましい〉もまた神の真名まなと共鳴し、響きが〈ことのは〉となって神へと伝わっていくのを感じた。
 誰に教わったわけでもないのに、ああ、今、僕は神と真名まなを交わしたんだ、って、確信した」
 熱に浮かされるように語り続けていたモウルが、そこでふと息を継いだ。それから、静かな眼差しをロミに向けた。
「以来、ずっと、傍らに神の存在を感じている。いついかなる時も」
 モウルの視線を、驚きに見開かれた黒紅の瞳が受け止めた。
「私の時と、似ている」
 喘ぐように大きく息を吸って、ロミは話し始めた。
「あの時、私は、羊の番をしながら、なんとなく西の空を見ていた。真っ赤に染まった大きな夕日に手が届きそうな気がして、思わず両手を差し伸べたら、突然、『何か』が自分にぶつかってきたような気がした」
 ロミの右手が、胸元で固く握りしめられた。
「『何か』が、私の中に入ろうとするのが分かった。怖かった。たぶん、来ないで、と叫んだと思う。酷く寂しそうな気配を感じた次の瞬間に、私は気を失ってしまったようだった。気がついた時には家の中で、『何か』はもうどこにもいなかった。でも、時々傍らに『何か』の存在を感じる……」
 微かな、微かな〈囁き〉が、ウネンの耳元で踊る。風がロミの髪を揺らすとともに、ロミの瞳が深みを増したような気がした。
「ちょっと思いついたんだけど」と一言断ってから、ウネンはおずおずと皆の顔を見まわした。「もしかしたら、精霊も神様も、実は互いに似たような存在で、ただ、人間との結びつき方によって、その人が精霊使いになったり、魔術師になったりする、とか……?」
 ロミは、「何か」と真名まなこそ交わさなかったが、傍らにその「何か」の存在を感じているのだという。しかも、その邂逅を経て、彼女の髪の色は黒に近い色に変わったのだ。
「〈かたえ〉ではないが、かたえにある者、か……」
 ふうむ、と、モウルが腕組みをする。
 ロミが、ぽつりと問いをこぼした。
真名まなとは〈いのち〉みたいなものだ、って?」
「そうだよ」
「それでは神は、何人もの魔術師に〈いのち〉を預けている、と?」
 モウルは、まず目を見開き、それから愉快そうにウネンを見やった。「いつぞやの君と同じことを言っているよ」と。
 え? と驚くロミに、ウネンは大きく頷いてみせて、そうしてあらためてモウルのほうに向き直った。
「だって、魔術師と神様が一心同体って言うのなら、なおさら、契約が一対一でないのは変だと思うよ」
 私もそう思う、と頷くロミに目顔で応えて、ウネンはなおも言葉を重ねる。
「クージェの城にいる時に、辞書を引いてみたんだけど、〈かたえ〉って言葉には『対になっているものの一方』という意味もあったよ」
「つまり、僕達魔術師は一人一柱の契約だと言うのかい?」
「分からないの?」
 ロミの問いに、モウルがそっと眉をひそめた。
「君は、お前はいかなる存在か、と問われて、明確に答えを出すことができるかい?」
  
  
 赤みを増した太陽が西の空を滑り落ちてゆく。
 街道に降りてきたところで、ロミがつと足を止めてウネン達を振り返った。
「昼に、遺跡から帰ったあとで少し考えたんだけど」
 茜色をほんのりと頬に映して、ロミは訥々と口を開いた。
「私は、魔術師みたいに込み入ったことや難しいことはできないけど、それでも誰かの役に立てることはあるんじゃないかな、って……」
 ロミは、三人から微妙に視線を外しながら語り続ける。
「収穫した麦の穂を乾かす時に、風を呼んだら、父さん達がすごく喜んでくれたんだ。だから、畑のことをもっとよく知れば、もっと役に立つことができるんじゃないかな、って……」
 唇を強く引き結び、それからロミは、真っ直ぐに視線を合わせてきた。ウネン達一人一人に、順番に。
「畑だけじゃなくて、それ以外のことでも。色んなことを、もっとよく知れば」
「ロミならできるよ、きっと」
 心の底からの思いを、ウネンは言葉に込めた。
 はにかんだ笑顔が、みるみる夕焼け色に染まった。
  
 農場へ帰るロミを見送ってから、いざ北へ、とウネン達はきびすを返した。
「町の人、早く元に戻ったらいいな……」
 ふとこぼしたウネンの呟きに、あっけらかんとしたモウルの声が応える。
「精霊使いの彼女に対する風当たりなら、元凶の音使いがいなくなったから、早々に収まるでしょ。パン屋の子も頑張ってくれるだろうし、心配することはないんじゃないかな」
「あの娘も、自分が独りじゃないということが分かったようだし、な」
 オーリが、そう言ってちらりと背後に目をやった。その眼差しが、ロミではなくどこか遠い所に注がれているような気がして、ウネンは内心で首をかしげる。
「それにしても、あの音使いには、本当にがっかりだよ」
 モウルが、鬱憤を晴らすように罵倒語を連発したのち、全身で溜め息をついた。
「兄さんと似てる、なんて、少しでも思った僕が馬鹿だった」
「そういや、お兄さん達とは十六年間一度も会ってないの?」
 ここぞとばかりに、ウネンは気になっていたことを訊いた。
「年に一、二度、里に手紙は送ってくるんだけどね」
「モウルから手紙は出さないの?」
「相手はあちこちふらふら旅しているんだよ? こちらから手紙なんて送れるわけないでしょ」
 ああそうか、とウネンは素直に頷いた。
「どこかでばったりお兄さん達に会えたりしないかな」
 怪訝そうな表情を浮かべた二人を前に、ウネンは思いつきを披露する。
「そうしたら、お兄さんに、モウルが魔術師になったことを報告できるじゃない」
 目を丸くするモウルの横で、オーリがにやりと笑みを浮かべた。
「こいつは、まさしくそれを目的に、ヘレー探索の任務に手を上げたみたいだからな」
「僕の許可なく勝手に喋らないんじゃなかったっけね、オーリくん」
「俺の想像だったんだが、当たっていたのか」
 涼しげにうそぶくオーリを、モウルが唸りながらねめつける。
 一際深い嘆息ののち、モウルはようやくいつものすまし顔を取り戻すと、「それよりも」と、話題を変えてきた。
「彼女が精霊を呼んでいる時、例の〈囁き〉とやらは聞こえたんだ?」
「うん。聞こえる、っていうか、感じる、っていうか、震える、っていうか」
「で、祈祷師の時も似たような感じだった」
「うん」
 ふむ、と少し考え込んでから、モウルがそろりと口を開いた。
「彼女が精霊使いになった時の話や、彼女の髪の色が変化したことを考えると、精霊使いと魔術師は、『それぞれ深さは違えど、ともに神と結びつくものである』という仮説が立てられる。その上で、祈祷師と精霊使いが似たような存在らしいとなれば、君が生まれた時に祈祷師が聞いたという言葉は、神に関わるものである可能性が出てくるわけだ」
 モウルのあとを引き取って、オーリが口重くちおもに言葉を継ぐ。
「『ウネン、エンデ、バイナ』というのは、里の古い言葉で『真実はここにある』という意味だ」
 その刹那、耳鳴りがウネンを襲った。
 ――ここにあるは、我らを守りしもの……
 消えゆく声に重なって、もう一つの声が、パヴァルナの町外れで聞いた言葉が、今、明瞭にウネンの胸を貫いた。
 ――そう、真実は、ここにある……!