あわいを往く者

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九十九の黎明 第十二章 守りしもの

おさ様……」
 強い光を放つ碧の瞳に、引き結ばれた唇。切り立った眉骨弓といい、真っ直ぐ通った鼻梁といい、間違いなく彼はオーリの曾祖父だった。年齢は八十五歳を超えているはずだが、漆黒の髪色のせいで十歳以上は若く見える。
『やはり君か。久しぶりだな、ヘレー』
 良く通る力強い声で、里長さとおさが口を開いた
『司令船との接続が突然復活したから、驚いたぞ。まだ動いていたとはな』
 里長さとおさはそこで一旦言葉を切り、辺りに視線を巡らせる。
『モウルとオーリも一緒か。端で倒れているのは……』
 ウネン達から見て右側に目をやった里長さとおさが、眉をひそめた。おそらく、あの血だまりを見たのだろう。
 ヘレーが、絞り出すようにして、一言、「エレグです」と返答した。
『……なるほど。謀反者は、エレグだったのだな……』
 深い溜め息が音声発生装置スピーカーから漏れる。
 それから里長さとおさは、ヘレーの後方に横たわるウネンを、あらためて見つめた。
『そして、そこにいるのが、先月にお前達が受け入れた、新たな里人さとびとだな。認知がなされてしまったものの、これだけ距離が離れておれば、とても〈誓約〉はかけられぬ。我が神が頭を抱えておられたぞ』
 里長さとおさは苦笑を浮かべると、思いのほか優しい眼差しをウネンに向けた。
『枷持たぬ同胞はらからよ。名を教えてくれ』
「ウネン、です」
 刹那、里長さとおさは驚いたように眉を上げ、そうして静かに微笑んだ。
『ウネン――真実――か。なんとも、象徴的な名だ……』
 真実、という言葉が里長さとおさの口から零れ落ちたのを聞き、ヘレーが身じろぐ。机の天板についた両手をそのままそっと握り締めて、ヘレーはまなじりを決して画面を、里長さとおさの顔を、見上げた。
おさ様、おさ様は、本当に書庫の魔女なのですか」
 ヘレーの問いに、里長さとおさはついと目を伏せた。
『……そうか。賭けは、私の負け、か』
 どこか満足げに呟いてから、里長さとおさ――書庫の魔女は、再び視線を上げた。強い眼差しで一同を見渡した。
『司令船が生きていたということは……ガルトゥバートル……船の管理者は……』
「船の頭脳に真名まなを引き継いでおられました」
 書庫の魔女は、ほう、と感心したように息を漏らした。それから、『流石だな』と目を細めた。
『どんなにその目的が崇高で正しいものなのだとしても、手段に瑕疵があるなら、それは間違っている。かつてガルトゥバートルが私にそう言ったんだよ。いくら大義名分で糊塗しようと、真実が変質することはない……』と、自分の胸にそっと手を当て、一言ずつ噛み締めるように言葉を続ける。『そう、常に真実はここにあるウネン・エンデ・バイナ、と』
 話に聞き入っていたオーリとモウルが、ちらりとウネンに視線を落とした。
 静まりかえった部屋の中、書庫の魔女の語りはしんしんと降り積もってゆく。
『けれど、私は、あとからやってくるはずのあの子のために、どんなことをしてでも、科学文明を残しておいてやらなければならなかった。あの子が冬の寒さに凍えずにすむように。病気や、あらゆる災厄に命を脅かされずにすむように。だから、知識を囲い込んだ。秘匿した。何人もの罪もない同胞はらからの肉体を乗っ取ってまでして』
 あの子、という言葉が特定の誰かを指すのかどうか。それは、ガルトゥバートルの記憶にも記されていなかった。だが、それが誰にせよ、彼らの入植からもう二千年が経っている。そのことが何を意味するのかは、ここにいる全員が――おそらくは書庫の魔女自身も――察しているに違いなかった。
 書庫の魔女が、そっと唇を噛む。
『真実を明かせない行いが正義にもとるということは、私も解っている。だから、賭けをすることにしたんだ。私の言うことに唯々諾々と従うのではなく、おのれの頭で考え、疑問を持ち、私の罪に気づく者が現れたら……、もう、終わりにしよう、と』
 どこまでも深い碧が、静かに皆を見つめてきた。
 真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに。胸を貫く、碧い瞳。
『ヘレー、里に戻ってきてくれ。そして、皆で、新たな里の有りようを探そう』
 ヘレーは大きく息を吸い込んだ。それから、絞り出すように一言を返した。
「解りました」
『……ありがとう』
 微笑みを残して、通信は切れる。
 あとには、ただぼんやりと光を発するばかりの墨色の画面だけが残された。
  
  
  
 里の移民船との通信を終えたあと、ウネンは、中央制御室から寝台のある個室に移された。流石に寝具はとうの昔に失われてしまっていたが、空調によって部屋は初夏のような陽気で満たされ、ウネンは、ヘレーが携帯していた鎮痛剤の助けを得て、丸一日泥のように眠りこけた。
 その間にオーリとモウルが一旦宿にとって返し、追加の薬や食料、そして着替えや毛布を持って戻ってきてくれた。
 ヘレーの治療と、そして何より神の加護のおかげで、ウネンの傷は早々に出血が止まり、三日目に入っても不吉な炎症を起こすことはなかった。勿論、刺創が完全に塞がったわけではなく、身体を動かすことなどもってのほかだったが、それでも、二、三日中には担架での移動が可能になりそうなほどには快方に向かっていた。
  
「それにしても、見事に真っ黒になったねえ」
 寝台に横たわるウネンの髪を、ヘレーがしみじみと撫でる。温かい手のひらの感触がなんだか少しこそばゆくて、ウネンが目を閉じてじっとしていると、ノックの音とともに扉がひらき、モウルとオーリが部屋の中に入ってきた。
「話ってなに?」
 朝食を届けに来た際にウネンが「あとで話がしたい」と言ったことを、二人は忘れずにいてくれたのだ。
 二人が寝台の傍までやってくるのを待って、ウネンは少し改まった声で「これからのことなんだけど」と切り出した。
「この船の、動力を止めようと思うんだ」
「ええっ? この司令船を放棄する、ってこと? ナンデ!?」
 血相を変えて身を乗り出してくるモウルに、オーリが冷ややかな視線を突き刺した。
「ウネンに、里長さとおさのようにずっと船に居ろ、とでも言うつもりか」
 それは困るよねえ、と、ヘレーが相槌を打つ。
 うん、とヘレーに頷いて、ウネンはモウルを見上げた。ほんのちょっぴり申し訳ない気分で。
「それに、ぼく一人でこの船を維持するのは不可能だし……」
「そんなの、生活費稼ぐのも身の回りのお世話も全部僕がしてあげるからさ、せめて一年、いや半年ぐらいはこのまま船を維持して、隅々までじっくりと調べてみない?」
 必死の剣幕でウネンに詰め寄るモウルを、オーリが「いいかげんにしろ」と引き戻した。
「あいつを、さっさとルドルフ王に引き渡す必要があるだろうが。いくら今が冬だといっても、もたもたしていたら判別がつかなくなってしまう」
「ヘレーさんとオーリで運んでいけばいいじゃない」
「本気で言っているのか」
 みるみる殺気立つオーリの様子に、さしものモウルもしぶしぶ身を引いた。とは言え、やはりまだ諦めきれないようで、「勿体無い……勿体無い……」と口の中でもごもご呟いている。
 ウネンは苦笑を浮かべて、モウルをなだめにかかった。
「でも、ここにあった本やデータは、全部、書庫の魔女に渡しちゃってるし、余分な機械や道具は、ほぼ全部船の補修用の材料に使っちゃってるから、骨と皮しか残ってないようなものだよ」
 大勢で共同体を営むナランゲレルとは違い、ガルトゥバートルはあくまでも孤独だった。隠遁生活を送りながらでは、物資の調達も難しい。材料や部品の「共食い」は、ガルトゥバートルの存命中から頻繁に行われていた。
 それでも、ガルトゥバートルの部屋――ウネンが今使っているこの部屋――だけは調度がそっくり残されていた。そのことに思いを巡らせるたびに、ウネンは胸の奥にむず痒い嬉しさを覚えるのだった。
「骨と皮って言っても、源文明の骨と皮だよ? 充分調べる価値はあるって……」
「しつこいぞ」
 言葉尻を捕らえてなおも食い下がるモウルに、オーリがぴしゃりと言い放つ。
 ウネンも、溜め息一つ、一番の懸念を口にした。
「それに、このままにしておいて、誰かさんに悪用されたら困るし」
「もう君らに黙って勝手なことはしないって」
「……本当かなあ……」
 ウネンに加えてオーリまでもが、疑わしそうにモウルをねめつける。
 ヘレーが「日頃の行いがものを言うねえ」と微笑むに至って、とうとうモウルは拗ねてそっぽを向いてしまった。
「でも、本当に、いいのかい?」
 ヘレーにあらためて問われて、ウネンは「うん」と言い切った。
「全てのヒトに、全ての知識に触れることができる権利を。それと同時に、それらを正しく維持保全していく義務も。……それを後世に伝えるために、森の賢者は船に〈かたえ〉を引き継がせたんだ」
 ウネンはそこで大きく息を吸い、三人をゆっくりと見まわした。
「だから、もう、いいんだ」
 ヘレーが、オーリが、静かに頷く。
 モウルが、仕方がない、とばかりに大きな溜め息を吐き出した。
「全てのヒトに、全ての知識に触れることができる権利を、ね……」
 皮肉ありげに口のを上げるモウルに、ヘレーが諭すように声をかける。
「知識はちからだ。人はることによって、より多くの選択肢を手にすることができる。自分の手で、未来を切り開いてゆくことができるのだよ」
「でも、それって、一見、理想郷のように思えますけど、面倒がる人も多そうですよね。全ての事象に対して誰もが当事者、自分の脳みそで考えて動け、口をあけて餌を待っているだけじゃだめだ、ってことでしょ? そういう苦労を嫌がる奴ほど、頑張ってる他人の足を引っ張るのが好きそうな気がするんですがね」
「……君も、色々と苦労をしてきたんだね……」
 モウルとヘレーの会話を聞いているうちに、ウネンの脳裏に、一つの情景が浮かび上がってきた。ウネンの知らない、遥か昔の情景が。
 緑なす丘を背景に、漆黒の長髪の女性が苦笑を浮かべて肩をすくめている。若い頃から全く変わらない、真っ直ぐな碧い瞳をこちらに向けて。
 その眼差しがモウルのそれと重なって、ウネンの胸が不意に高鳴る。
「どうした?」
 心配そうにオーリに問われ、ウネンは「なんでもないよ」と静かに目を伏せた。
「モウルの言いたいこともよく分かるんだけど、でも、少しずつ、少しずつでいいから、前へ進んでいけたらいいなあ、って思うんだ……」
「神による〈初期化〉が再びなされるかもしれなくとも、か?」
 オーリの問いを聞き、モウルとヘレーも口をつぐんでウネンを見つめる。
 ウネンは、そっと目を閉じると、内なる友人ナイズの声に耳を傾けた。
「神々も、少しずつ変わってきているみたいだからね。きっといつか、ぼく達が無理なく共存できる方法が見つかるんじゃないかな……」
 そうだったらいいな。そう付け足して瞼を開けば、皆の笑顔がウネンを迎えてくれる。
 ウネンはすっかり嬉しくなって、満面に笑みを浮かべた。
「で、源文明の記憶を手に入れて、君はこれからどうするのさ?」
「ナイズ――ぼくの神――が言うには、木々の根が船を砕いてしまうまでは、この森に居る神様達が、適当に船を隠してくれるらしいから、ややこしいことはあまり気にせず、今までどおりに生きろ、だって」
「そんなに具体的なやりとりができるんだ」
 いいなあ、羨ましいなあ、と、モウルが熱の籠もった視線をウネンに寄越す。
 それを遮るようにして、オーリがモウルの前に出た。
「先ずは一旦ヴァイゼンに戻って、それから、クージェ、だな?」
「うん。ハラバル先生に報告書を出しに行かなきゃならないし。あと、イェゼロの町にも顔を出さないと。イレナ達も心配してるだろうし……」
「てことは、僕らも……」
 と、モウルが得意げな表情でオーリの隣に並ぶ。
 オーリは、軽く眉を上げてモウルを一瞥したのち、ウネンに視線を戻して、僅かに目元を緩ませた。
「護衛続行だな」
「お世話になります」
 また彼らと旅ができる。嬉しさからほころびそうになる口元を、なんとか引き締めようとウネンが密かに奮闘していると、オーリが、ついとヘレーを振り返った。
「……あんたはどうするんだ」
「私も君達とともにヴァイゼンへ行って、そのあとはソリルさんを連れて里へ戻るよ。イェゼロには、諸々が落ち着いたらまた顔を出しに行こうかと思う」
 ヘレーは、ほんの少しだけ寂しそうな笑みを浮かべて、オーリとウネンを交互に見やった。
「今度は、私がお前達を『行ってらっしゃい』と見送る番だな」
 オーリが、面食らったように目をしばたたかせた。それから、少しわざとらしく顔をしかめて、鼻を鳴らした。
 そんなオーリを、ヘレーはしばし目を細めて見つめていたが、ふと、何かを思い出したようにウネンの顔を覗き込んできた。
「ええと、ウネン、その、なんだ、一つ聞いておきたいことがあるんだけれど……」
 ごほん、げほん、と、取ってつけたような咳払いをしつつ、ヘレーはちらりと視線を横に走らせる。
「……えー、その、ほら、君が〈かたえ〉を引き継ごうって時の、あの、『オーリ達のことが大好き』って、ええと……」
 途端にウネンの頬がカッと熱を帯びた。
「『達』って言ったでしょ! お父さんだって、イレナ達だって、皆入ってるんだよ、勿論!」
 あまりの気恥ずかしさに、ウネンは咄嗟に毛布を顔の上まで引っ張り上げる。
「ウネン?」
「ぼ、ぼく、なんだか眠たくなってきたから、少し寝るね!」
「そうかい。じゃあ、お昼ご飯ができたら起こしてあげるからね。ほら、二人とも、そんなところでぼさっと突っ立ってないで、ヴァイゼンに戻る方法について、あちらで相談しよう」
 彼らが部屋を出ていく音を、ウネンは毛布を頭までかぶったまま聞いていた。とんだ甘えん坊だ、と彼らにあきれられませんように。そう祈りながら。
  
  
  
 マンガスの遺体の入った麻袋を担架に乗せ、ヘレーとモウルで持つ。ヴァイゼンまでの一箇月近い道のりの間は、ウネンが、記憶の本棚から魔術の知識を引っ張り出して、保冷を試みることになった。
 当のウネンはというと、マントと革帯で作った簡易担架に横たえられ、オーリの肩から身体の前側に、まるで物売りの荷物のようにぶら下げて保持されている。
 こうやって徒歩で樹海を出たあとは、ロゲンの町で大き目の荷台を手に入れ、ヘレーとモウルの馬を使って二頭立ての馬車とし、それにウネンとマンガスを乗せる、という算段なのだ。
 船尾に近い、荷物用の出入り口から外に出た一同は、広場の端で背後を振り返った。
 活動を停止し、空の器となった司令船が、静かに皆を見下ろしてくる。
「『二つの司令船』と言っていたな」
 ぼそりとオーリが呟いた。一週間前、ここで初めて船の神と言葉を交わした時のことを、彼もまた思い返していたのだ。
「もう一つの司令船と、その司令船が管轄する移民船は、この星の裏側に降りたらしいよ」
「そっちは、今、どうしてるんだろうか」
 モウルの問いに、ウネンは「分からない」と答えた。
「今の技術力では、到底渡ることの叶わない、広い、広い、海の向こうなんだって」
 目を閉じれば、空から見た青い星の姿が瞼の裏に浮かび上がる。ウネン自身はまだ見たことのない、宝石のような青いたまが。
「いつか、このフセルガリグ大陸の地図を作り終えたら、探しに行けたらいいなあ」
 所詮は夢物語でしかなかったが、誰も「無理だ」とは言わなかった。「そうだな」と、「そうだね」と、同意の声がウネンの鼓膜をくすぐる。
「フセルガリグ大陸って?」
 と、ヘレーが怪訝そうにウネンに尋ねた。
「書庫の魔女がそう呼んでいたらしいんだけど、里には伝わってなかったんだ?」
「初めて聞いたよ」
 囁くようにそう答えて、ヘレーが目元を緩めた。
希望の星フセルガリグ、か……」
 森を越え、海をも臨むかのように、オーリが虚空に視線を投げる。
 ウネンもつられて、顔を上へ向けた。
 風に揺れる木々の向こう、青い空が、どこまでも広がっていた。
  
  
  
〈 完 〉
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