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あわいを往く者

九十九の黎明 年越し風景2

ネタバレが含まれていますので、本編を読了後にご覧ください。
  
  
  
   のちに魔女と賢者と呼ばれるようになる者達の会話
  
  
 有り合わせの書棚が並ぶ書庫の片隅、軽やかな足音が息をつく。
「ここにいたのか。皆が探していたぞ」
「逃げてきたんですよ。これ以上飲まされたら倒れてしまう」
「君の歓迎会も兼ねているからなあ。諦めてくれ」
 彼女が懐から酒瓶を出した途端、彼は露骨に嫌そうな顔になった。
「中身は水だ。酔いつぶれたことにして早々に部屋に引っ込めばいい」
「いや、皆と新年の挨拶を交わすまでは起きていますよ」
 真面目だな、と呆れたように呟いてから、彼女は彼の正面に立った。
「クルーだった君が来てくれたお蔭で、より詳しい状況を知ることができたし、ここの全機能を開放することもできた。本当に感謝している」
 大国が旗を振り全世界を挙げての一大計画。その一端を担った彼のことは、彼女も報道で幾度となく目にしていた。我らが国から送り出され厳しい選抜試験を潜り抜けることができた、僅か三人のうちの一人。
 実際に目の前に現れた彼は、そのことを一切ひけらかさなかった。いつもは口煩い連中も、謙虚な奴だと彼を手放しで褒め称えている。だが――
「先日の怪我は治ったのか」
「お蔭さまで、もう痛みもありませんよ」
 ――だが彼女は、彼の控え目な笑みの奥に昏い影を垣間見ていた。
「君は、自分が代わりの利かない人材だということをきちんと認識するべきだ。今度から野獣退治は他の者に任せてほしい」
「戦闘訓練を受けたことのある人間が少ない以上、仕方がないでしょう」
 穏やかに微笑む彼の瞳に浮かぶもの。それは使命ではなく義務、いやむしろもっと切々とした、例えばそう、贖罪にも似た……。
「ぼくは、ぼくにできることを精一杯果たすまでです」
 彼の眼差しが深みを増す。新年を祝う歓声が廊下から幽かに響いてきた。
  
  
  
   とある一組の恋人達のお話
  
  
「はい、これ、うちの両親から。皆で食べてね、って」
 大晦日の夕暮れ。町の広場には薪が組まれ、年越しの祭火の準備が着々と進められている中、未だ日常にあるミロシュの診療所。裏口の前で籠をシモンに手渡したイレナは、ちらりと家の奥に目をやった。
「今年は大晦日も年始めの日もお休み無しなんでしょ? 大変ね」
 おじさんってば仕事の虫だよね、と息つくイレナに、シモンが苦笑を返す。
「あ……、今年のコレは、半分以上俺のせいだからな……」
 イレナが目をしばたたかせていると、シモンが躊躇いがちに口を開いた。
「そろそろ一度どこか大きな町の医塾師に入門しなきゃならないな、って思ってさ。でも俺のこの足だと働きながら学ぶのは無理そうだから、学費以外に生活費も準備しなきゃ、ってことになってさ……」
 悔しそうな表情を一瞬浮かべたものの、シモンはすぐに深呼吸をした。
「このまま親父の弟子ってことで押し通してもいいんだけど、きちんとした専門家に師事したかどうかで医者としての評判も変わってくるし、親父も『最新の知識をしっかり教わってきて、俺に教えろ』なんて言うし……」
 シモンが「親父に負けない良い医者になりたい」と考えていることを、イレナは知っている。善き志を持って修行に出る高潔な彼を、応援してあげたいと思う一方で、一抹の不安がイレナの心に影を落とした。医者の修行となれば、いったいどれぐらいの期間、彼と会えなくなるのだろうか、と。
「……なにより、知識があれば、将来もっとたくさん稼げるようになるし」
 そんなふうに思い悩んでいたせいか、シモンの口から想像していた以上に卑近な動機が飛び出たことに、イレナは少しばかり驚いてしまった。
 まばたきを繰り返すイレナから、シモンが照れくさそうに視線を逸らす。
「親父に学費を返したいし、それに……将来、君に苦労をかけたくないし」
 シモンに続けてイレナの頬も、夕焼けのように赤く染まった。