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あわいを往く者

九十九の黎明 責任の在り処と

  
  
  
   責任の在り処と
  
  
  
 王都の中央広場、代筆屋と修繕屋という隣り合った二つの家の前には、あり合わせの台や机が広げられ、持ち寄った食べ物や飲み物片手に何人もの人々が、大いに語らい、笑い合っている。
 旅立つウネンを笑顔で送り出したい、という煙突掃除屋コニャの意を酌んで、代筆屋のユウと修繕屋のワッター(コニャ行方不明事件の際に、連絡役としてユウの店に詰めてくれていた人だ)が采配してくれた、この送別会。ウネンが直接関わった人間以外にも、代筆屋で知り合った子供達の親兄弟や、「育ての親を探しに旅立つちびっ子」の話を聞きつけて激励しに来た町の人など、差し入れを持参すれば仲間入りできるらしい、と人の輪は広がり、ちょっとした騒動を挟んで、ウネンはかれこれ二十人以上から前途を祝され旅路の平穏を祈られ続けていた。
 ウネンに声をかける人が一段落したところで、ユウが彼女を自分の店先へと手招きした。入口脇に丸椅子を並べて、「ちょっといっぷくしましょう」と飲み物を取りに再び人だかりの中へ戻っていく。人に囲まれることに疲れてきていたウネンは、その心遣いに素直に甘えて、丸椅子にぽてんと腰を落とした。
  
 誰かが歌い出したかと思えば、それに合わせて踊る人も出てきて、なんだかお祭りみたいだな、とウネンは上機嫌で豆茶のカップを傾けた。ありがたくもこのお茶は、隣の椅子に腰かけているユウが持ってきてくれたものだ。
 モウルは相変わらず人々の中心にいた。広場に来てすぐと比べたら、笑顔からよそゆき成分が随分と薄れてきている。普段からそうしておけばいいのに、と唇を尖らせたウネンだったが、すぐに、あの笑顔は彼にとって鎧みたいなものなのかもしれない、とも思い直す。人見知りか。
 オーリはといえば、屋台の脇でお祭り(もうお祭りと断言してしまってもいいだろう)に新しく加わった人が持ってきた焼き茎芋くきいもを黙々と頬張っていた。宴が始まってしばらくの間、〈いい感じの棒〉を持つちびっ子達に囲まれていたから、あまり満足に飲み食いできていなかったに違いない。
 と、場の陽気な雰囲気にそぐわぬ事務的な声が、ウネンのすぐ横手から降ってきた。
「ええと、この集まりの責任者は……」
 仰ぎ見たウネンの視線の先、茶色の顎鬚を短く整えた若い男が立っていた。革の胸当てをつけて剣を佩いた自警団員、確かあの晩コニャを保護してくれた二人のうちの一人だ。
「おや、ヨシュさん、どうしました?」
 自警団員ヨシュは、ユウが立ち上がろうとするのを手振りで押しとどめた。
「ああ、あなたでしたか。あの時捕まっていた少年がいて、お城のお嬢さんもいて、……って、お手柄の三人全員が揃っているのか。ジウニーさんからの話だ、って聞いていたけれど、宝石泥棒退治の打ち上げですか?」
 ジウニー誰それ、とウネンが小首をかしげるのと同時に、ユウが「ジウニーさんというのが、例の宝石の持ち主ですよ」と説明してくれる。
 続いてユウは、朗らかな笑みをヨシュに向けた。
「いえいえ、そのお手柄のお三方が、遠くに旅立つと聞いて、送別会を開いているんです」
「旅、って、お嬢さんもかい?」
 目をみはるヨシュに、ウネンは「はい」とおずおず頷く。だが彼女の覚悟とは裏腹に否定的な文言は特に続かず、ユウもヨシュもあっさりと本題に戻っていく。
「ええと、何か問題が? 広場の使用に関しては、参事会の許可は取れたとジウニーさんにお聞きしていますが……」
「あー、問題があるわけじゃないんですが、問題が起きるんじゃないか、って心配した奴が公会堂に文句を言いに来たらしくて……」
 そう言ってヨシュは、ぐるりと周囲を見まわした。
「そこそこ大勢集まってきているみたいだからねえ。それで僕が見まわりにやってきた、ってわけなんだけど……」と、そこで彼は、実にイイ笑顔を見せる。「オーリさんとあの魔術師様がいるなら別に必要なかったな! ところであの屋台は『ドングリ肉屋』のやつですよね?」
 意気込む彼の様子を見るまでもなく、これまでのほかの人々の反応を考えても、あの屋台は普段からかなり評判がいいようだ。
「ジウニーさんのご厚意ですよ、ヨシュさんも是非!」
 ユウの言葉が終わりきらないうちに、ヨシュは礼もそこそこに人々の輪の中へと突進していった。
  
 オーリが固焼きパンの最後のひとかけらを口に放り込みながら、ウネンのほうへとやってきた。
 宴会が始まってすぐにウネンも食べたが、あのパンは「ドングリ肉屋」とやらが豚肉の煮込みを載せる皿代わりに使っているものだ。煮汁が沁み込んだパンはほどよくやわくて味わい深くて、オーリがそこはかとなく幸せそうにしているのもよくわかる。
「食べたか?」
「食べた食べた。すごく美味しかったよね」
 ウネンがそう答えた途端、オーリがハッと息を呑んだ。
「お代わりは要るか?」
「いや、もうお腹いっぱいだから大丈夫だよ」
「そうか」
 ユウさんもオーリも、なにかとぼくに食べさせようとするなあ、と思いながら、ウネンは隣の椅子に目を落とした。さっきまでそこに座っていたユウは、ワッターに呼ばれて向こうのほうへ行ったっきりだ。
 ユウが戻ってきたら自分の椅子を空けたらいいか、と考えたウネンは、オーリに椅子を勧めようとした、その時。
「なあなあ、やっぱ剣触らせてくれない?」
 代筆屋で出会った時からもうずっとオーリの剣を気にしているベン少年がやってきて、飽きもせずに同じ要求を口にした。
「駄目だ」
 毎度同じ、にべもない返答が、オーリから発せられる。
「盗ったりしないよ、すぐ返すよ」
「駄目だ」
「壊したりもしないさ」
「駄目だ」
「危ないこともしないよ。振りまわしたりなんか絶対しないし。約束する」
 オーリは一際大きく溜め息を吐き出すと、腰の剣に、鞘口の辺りに、そっと手を添えた。
「これは、他人が触っていいものではない」
 話を打ち切らんといつになく険しい目つきでベンをねめつけるオーリに対し、しかしベンは怯むことなく食いさがる。
「その子はさっき持ってたじゃないか」
 話の矛先をいきなり向けられて、反射的にウネンは椅子の上で姿勢を正した。
「え、あ、あれは、邪魔にならないようにってオーリが自分で外したんだよ! それに、持ってた、というよりも、預かった、って感じで……」
「剣帯の端っこを地面に引きずってたの、見たぞ。俺ならもっと上手く持てるし、もっと大事に扱うし!」
 そう胸を張り、「ん!」と右手をオーリに向かって突き出すベンを、オーリは無言で見おろしている。
 しばしのち、いらいらとした様子でベンが口元を歪ませた。
「俺のことが、そんなに信用できないっていうのかよ」
 また大きな溜め息を一つ。それからオーリは、ゆっくりと言い含めるようにして話し始める。
「信用する、しない、もあるが、一番は責任の問題だ」
「なんだよそれ」
 溜め息を繰り返すかと思いきや、オーリは静かな眼差しでしばしベンを見つめ、それからやけに平坦な声でベンに告げた。
「あそこにいる子供の、誰からでもいいから、棒を一本借りてこい」
 オーリが指さした先では、数人のちびっ子達が〈いい感じの棒〉で遊び続けていた。オーリに懐いているカミルとカレルの兄弟のほか、コニャによく似た幼い女の子も一人。すぐそばにコニャの弟もいるから、きっと妹なのだろう。
「棒? 棒を借りてきたらいいんだな?」
 言うが早いか、ベンは全速力で走りだす。
 即座にオーリもそのあとを追った。驚くべきことに足音ひとつ立てず、気配まで殺して、まるで獲物に向かって滑空する鷹のように。
 ウネンも慌てて二人を追いかけた。
 ベンはちびっ子達の輪に飛び込むなり、コニャの妹を相手に押し問答を開始する。
「貸してくれてもいいだろ」
「いや! これ、あたしのだもん!」
「ちょっと借りるだけって言ってるじゃん」
「やだ!」
「すぐに返すって」
「やだもん! やだもん!」
「だいたい、女が棒なんか持ってどうするんだよ」
 嘲笑うようなベンの声音はウネンの胸にも突き刺さり、知らず彼女は奥歯を噛み締める……。
「すぐ返すからさぁ!」とベンが力ずくで棒を手にした、次の瞬間、彼の手からその棒が
 勢いよく振り返ったベンの目の前には、オーリが立っている。ベンから奪い取った棒を頭上に掲げて。ただ無言で。
 ベンのおもてで、あっという間に驚きが恐怖に塗り替えられていく。見上げるばかりの大男が、棒を振りかざして自分を見おろしているのだ。無理もない。
 棒を高くに保持したままで、オーリが静かにベンに語りかけた。
「お前はその子に、この棒を『すぐに返す』と言っていたな。だが、こんなふうに返せなくなってしまったら、どう責任を取る?」
 事の成り行きを息を詰めて見守っていたウネンの口から、「あ……」と声が漏れる。
 オーリはウネンを見やって小さく頷くと、再びベンと真正面から視線を合わせた。
「俺がさっき責任の問題だと言ったのは、こういうことだ。お前に剣は貸せない」
「……でも、その子には……」
 唇を噛んだベンが、それでもまだ諦めきれずにわらくずにしがみつく。
 オーリが、ふ、と目元を緩めた。
「俺が望んで預けた以上は、何が起こっても全部、俺自身がひっかぶる。そういう覚悟だ」
「じ、じゃあ……」
 まだ言うか、と眉根を寄せたウネンの視界に、誰かの背中が勢いよく飛び込んできた。
 このお祭りの見まわりにやってきたという自警団員、ヨシュだった。
「おい少年、お前また、剣を触らせろとかなんとか、ふざけたことを言ってんのか」
 オーリの隣に並んだヨシュは、ぐぐいとベンに覆いかぶさるように上体を屈めた。
「この人が優しいからって、調子に乗るんじゃないぞ」
「や、やさしい……?」
 ベンが露骨に不服そうな顔になるのに加えて、オーリまでもが信じられないような表情を浮かべてヨシュを見ている。そんなに驚くことないのに、とウネンは思った。
「優しいだろうが。僕はこんな親切に説明なんてしなかっただろ。ていうか、ここまでしつこくするのなら、今度は怒鳴るだけじゃ済まさないぞ」
 なるほど、どうやらヨシュもベンの標的になったことがあるようだ。
「だいたい、何を勘違いしているのか知らないが、このお嬢さんは、オーリさんにとっては、護衛対象で、これからともに旅をする仲間で、付き合いも長い――長いんですよね?――そう、長い付き合いの間柄なんだぞ。なんで同じように扱ってもらえると思ったんだ?」
 ようやく腑に落ちたか、ベンが言葉もなくうなだれる。
「なんでそう思ってしまったのか、よく考えろ。それができないようじゃ、お前に自警団は無理だ」
 ヨシュはそっと――思いのほか優しく、そうっと――ベンの手から棒を取り上げて、それからコニャの妹を手招きした。
 棒を返してもらえたコニャの妹が、「ありがと!」と満面の笑みで仲間のところへ戻っていく。
「ま、僕はともかく、オーリさんが武器を触らせない理由には、もしも万が一のことが起こった場合、お前が責任に押し潰されないように、って配慮もあるんだよ。僕ぁともかくな」
 俯き立ち尽くすベンのこぶしから、少しだけ力が抜けた。
「さて、そろそろ戻ろうかな」と言って、ヨシュが身を起こす。
「良き旅を」と広場をあとにするヨシュを見送りながら、ウネンはちらりと意識をオーリに向けた。
「――ぼくには配慮しないんだ?」
 ヨシュの弁をまぜっかえすウネンに、事も無げな声が降りかかる。
「お前はそんなことで腐るような人間じゃないだろう?」
 そういうわけでは、とかなんとか返答があったら「冗談だよ」と返そう、と考えていたウネンは、予想外の言葉に驚いて、大きな動作でオーリを見上げた。
 オーリはまっすぐ前を向いたまま、まるで明日の予定を語るかのようななんでもない口調で、話し続ける。
「それに、お前が責任を感じるような事態にはさせん。俺も、モウルも」
 嬉しさに頬が緩むに任せ、ウネンもまたオーリが見つめるほうに目をやった。これから自分達が向かう、北の方角へと。
  
  
  
〈 了 〉