お菓子の日
お椀一杯の扁桃 の実に、昨日挽いてもらったばかりの小麦粉。奮発してバターもケチらず買ってきた。鶏卵は、竈係のパヴラおばさんからのご厚意だ。
お昼時の、上を下への大忙しが一段落した厨房の調理台の片隅に、ウネンはそれらの材料を並べた。部屋の反対側にある長いテーブルで、一足遅い昼食をとる厨房係の使用人達に、「場所をお借りします」と頭を下げ、「使った道具はあとでぼくがきちんと洗っておきます」と忘れずに付け加える。
「頑張れよー、おチビ先生」と料理長が気安い口調で応えたその時、竈の横にある勝手口の扉が開 いた。
扉の向こうに停められた手押し車から、若い使用人が、大きな籠をえっちらおっちらと地面に下ろす。それをもう一人が、いとも軽々と持ち上げて、勝手口の中へと入ってきた。
「あ、オーリ」
ウネンに呼びかけられ、オーリは驚いたように目を見開いた。だが、背後から「向こうの棚の前に置いてもらえますか」と声をかけられ、「分かった」と視線を手元の籠に戻す。
「なんだい、カシュパール。またオーリさんをこき使ってるのかい」
パヴラが悪戯っぽく口角を上げる。
二つ目の籠を必死の形相で運んできたカシュパールは、これ見よがしに下唇を尖らせた。
「こき使うつもりなんてありませんよぅ。偶然、一の門でオーリさんと出会って、運ぶのを手伝ってくれる、って言われて、それで……」
「『重くて運べなーい』とか、わざとがましく弱音を吐いてみせたんじゃないの?」
「あ、いや、そんなことはなかった。たまたま手が空いていたので、いい運動になるな、と思って、俺のほうから声をかけたのだ」
パヴラにここぞと突っつかれるカシュパールを気の毒に思ったのだろう、オーリが慌てて彼の援護にまわる。
パヴラは、あっはっは、と豪快に笑うと、「分かってるよ、ごめんごめん」とカシュパールとオーリを順に見やった。
「前も、下で荷おろしを手伝ってくれた、って聞いてるよ。いつも、うちの甥っ子が世話をかけてすまないねえ。でも助かるよ、ありがとう」
クージェの王城は、町を見下ろす岩山の上に建てられている。中でもここ主館の周辺は一番の高台となっており、同じ城内においても荷物の運搬は、なかなか骨の折れる仕事なのだ。
皆から口々に礼を言われたオーリは、微かに頬を緩めると、小さく会釈を返して棚の前を離れた。食事を続ける一同の傍を通り過ぎ、勝手口に向かいかけたところで足を止め、しばしの逡巡ののち、ぐるりとウネンを振り返る。
「どうしたんだ?」
「どうした、って、ああ、これ?」
調理台の上に展開する大小の袋と器などを、ウネンが指差せば、オーリが「うむ」と頷いた。
「これはね――」
と、ウネンの返答にかぶって、聞き覚えのある声が食堂へと通じる開口部から聞こえてきた。
「ご馳走様でしたー」
モウルが、空いた食器を持って厨房に姿を現した。
「おやおや、モウル様」
料理長が食事半ばに席を立って、モウルの持つ皿を受け取りにいく。
「いつものように食卓に置いておいてくだされば、あとでわたくしどもが片付けますのに」
「今日のスープがとても美味しかった、とお伝えしたくもあったので。ああ、勿論、いつも美味しくいただいていますけれども」
恐縮です、と頭を下げる料理長に、よそゆきの笑顔を振りまいたモウルは、入ってきた通路へは戻らず、そのままウネン達の傍へと寄ってきた。
「モウルは、今、お昼だったんだ。少し遅かったんだね」
そう言えば、先刻の食事時にモウルの姿はテーブルにはなかった。手が離せない仕事か何かで部屋で食事をとることにしたのかな、とウネンは漠然と考えていたのだが、どうやら違っていたようだ。
「まあね。それより、こんなところで二人揃って一体何してんの?」
モウルの問いを受け、オーリも物言いたげにウネンを見やる。
ウネンは静かに深呼吸をした。これで失敗はできなくなってしまったぞ、と。
「実はね、パヴラさんの故郷では、今度の休日は『お世話になった人や好きな人にお菓子をあげる日』なんだって。それで、ぼくもちょっと頑張ってみようかなって思ったんだ。丁度、今日はお昼からお休みだしね」
気合いを入れるべくウネンが胸を張るのを見て、向こうのテーブルからパヴラが「そうそう」と話しかけてきた。
「九時課の次の鐘(午後四時)までなら、窯も調理台も、自由に使ってくれていいからね。薪くべなんかも、適当に手が空いてる人間に頼んでくれて構わないからさ」
「ありがとうございます!」
頑張りなよ、との声援に、ウネンは満面に笑みを浮かべて調理台に向き直った。さて、と勢いよく袖まくりをする。
モウルがそっと口元を緩ませて、ウネンの手元を覗き込んできた。
ほぼ同時に、オーリも相変わらずの仏頂面でウネンの傍に寄る。
「お菓子かぁ。そりゃ楽しみだなあ」
「手伝おうか」
二者二様の発言にウネンが何か応えるよりも早く、口にした当人達が「えっ?」と驚いて互いに顔を見合わせた。
「貰える気でいるのか?」
「オーリは欲しくないの? ていうか、『お世話になった』っていうなら、僕にも充分権利があると思うんだけど」
なんだかややこしいことになってきたぞ、と、ウネンは大慌てで二人の間に割って入った。
「勿論二人にもあげるつもりだよ!」
「ほらね。楽しみだなー」
にんまりと、どうやら本気で嬉しそうに、モウルが微笑む。
その横で、オーリがますます眉間の皺を深くさせる。
「俺の分もあるのなら、なおのこと手伝おう」
「え?」
「え?」
怪訝そうに問い返すモウルに、オーリもおうむ返しに同じ言葉を返す。
しばしの沈黙を経て、モウルが訝しげにオーリの胸元を指差した。
「なんでオーリが手伝うわけ?」
「丁度、今日の午後は輪番から外れていて時間が空いている」
「いや、そういう意味じゃなくて。ウネンは僕らにお菓子を作ってくれる、って言ってるんだよ? 貰う立場のオーリがなんで手伝うのか、って訊いてるんだよ」
「自分の分があると知らなかったらともかく、知っていて、どうして手伝わない?」
見事なまでに、会話が噛み合っていない。
モウルが盛大に首をかしげた。
「贈り物、って、貰う側があまり口や手を出さないものだと思うんだけど?」
「贈り物……?」
たっぷり一呼吸、それからオーリはやにわに右手で口元を覆った。視線を足元に落とし、狼狽えながら、「いや、しかし」と呟いたきり硬直する。
「え? 何? どうしたの?」
ウネンの問いに、オーリは口元を押さえたまま、「なんでもない」と絞り出した。
明らかに普通ではないオーリの様子に、ウネンは、真正面からオーリの顔を見上げる。
「なんでもないことないよ。何か問題が?」
「いや、そういうわけじゃない」
「ぼく、何かまずいこと言ったかな?」
ウネンの周囲に視線を彷徨わせていたオーリが、とうとう観念したか大きく肩を落とした。
「いいや。単に、俺が……、その、贈り物ってのが、初めてで、それで、見当違いなことを言っていただけだ。……面目ない」
おのれの失態に恥じ入るように、オーリは、ついと視線を逸らせる。
失言をあげつらうつもりなど無かったウネンは、慌てふためいて両手を振りまくった。
「あっ、でも、その、実はお城の皆の分も沢山作るつもりだから、正直なところ、手伝ってもらえるととっても助かるんだけど!」
オーリが、モウルが、目をしばたたかせた。
「勿論、オーリの分は全部ぼくが作るよ。自分で自分の分作っちゃったら、『贈り物』にならないもんね。手伝ってくれたお礼も込めて、特別に他の人のより大き目にして、砂糖もたっぷりまぶしてあげる」
「『特別に』なんて言われちゃうと、弱いなあ」
モウルがいそいそと袖まくりをしながら、オーリの横に並ぶ。
オーリは、殊更に冷ややかな眼差しをモウルに突き刺した。
「『口や手を出さないもの』じゃなかったのか」
「僕らの分はウネンが作ってくれる、って言ってたじゃない。耳悪いの? 君」
オーリが、ぐぬぬ、と奥歯を噛み締める。
「じゃあ、あらためて、僕も手伝うよ、ウネン」
「ありがとう!」
では早速、扁桃 を粉にするのを頼もうかな。ウネンは、すっかり上機嫌で木製の乳鉢を手元に引き寄せた。
〈 了 〉
※モウルが厨房に顔を出したのは、料理長の「おチビ先生」って呼びかけに続けて、パヴラがオーリの名を呼ぶのが聞こえてきたから。さびしんぼか……。