あわいを往く者

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切々と望む

  
  
  
   切々と望む
  
  
  
「やっぱり岩盤が削られている」
 寝癖がついたままの茶髪を春風にふわふわ揺らしながら、眼鏡の青年が街道脇に這いつくばっている。彼を追いかけて馬車の荷台から降りた壮年の男が、苛立たしげに「ユール!」と声を上げた。
「何をやっているんだ、他の人に迷惑がかかるだろう」と、乗合馬車とは名ばかりの、幌も無い荷台に乗った四人の同乗者を振り返り、「すみません、もう少しお待ちください」と頭を下げる。
「地図を見てて絶対に自然にできた切り通しではないと思ってたんだ。この均等な幅の爪跡はどういう道具だろう。ユエ、記録しといて」
 路面の砂を周囲に払い飛ばしながら早口でまくし立てるその横には、同年代の青年がもう一人。こちらは無言で帳面に鉛筆を走らせている。
「ユエトもだ! 二人ともさっさと戻れ!」
「この街道の記録とかどこかに残ってないかな。僕の想像どおりならせんルドス時代の……」
「いいかげんにしろ」
 男の声が急激に温度を失うのを聞き、二人の青年はようやっと彼を振り返った。
 殺気すら感じさせる眼差しで、男はゆっくりと言葉を継ぐ。
「ユール・サラナン、ユエト・サガフィ。目的地はここでいいのか? ここで終わらせるつもりなら、私はそれでも構わないが」
 沈黙がしばし辺りを支配する。
 青年二人が馬車に戻るのを見届けて、男は大きく溜め息をついた。
  
    * * *
  
 街を一望する広場を背に、石造りの楼門をくぐる。かつて領主の居城だったこの場所は、今はルドス大学校と呼ばれる施設になっている。ユールはここの歴史学の学生だ。
 ナナラ山脈の東、つるばみ平野一帯が帝国領となって二年。領地は再編成され、ルドスの街には峰東州府が置かれた。山向こうからやってきた州知事とやらも、すげ替えられた新領主も、時代がかった古めかしい城はお気に召さなかったらしく、城下に新しく使い勝手の良い屋敷を構え、空いた城郭内には街なかに点在していた私塾を集めることとなったのだ。
「先生、お呼びですか」
 厩舎の向かい、使用人棟だった建物を入ってすぐ右手、歴史学の教官室には既に先客がいた。やたら背の高い赤毛の同門生、ユエトである。奥の机には彼らの師匠、そしてその手前に立つ――
「こちらは中央からお越しのボネ卿だ。国土局に所属しておられる」
 師の言葉に、ユール達の眉間に皺が寄る。帝都の役人が何の用だ、と口に出さない分別は二人とも持っていた。
 ボネはこれ見よがしな溜め息をついてから、口重に話し始めた。
「単刀直入に言おう。ユエト・サガフィ、ユール・サラナン。お前達には、私の調査旅行に助手として同行してもらう」
「どこへ」
 即座に二人から同じ言葉が飛び出した。
 小さく眉を上げるボネを見て、師がどこか得意げな笑みを浮かべる。
「東の、果ての沙漠だ」
「まさかラム遺跡!?」
 また声が揃った。
「……なるほど、一応は学究の徒らしい反応を見せるものだな」
 ボネは傍らの机から書類綴りを手に取ると、一枚二枚とめくっていった。
「流れ着いた亡国筆頭騎士の嫡男に、前領主夫人の弟。お前達のような人間が歴史を扱うことを危惧する者が中央にいてな。審問会を開くよう州知事閣下に申し伝えたのだが……」
 そこまで言ったところで、ボネは深く嘆息した。ぼそぼそと小さな声で「州知事閣下にお任せすればいいと聞いていたから、仕事のに請け負ったというのに、まさかこんな……」とぼやいたのち、気を取り直さんとばかりにゆるゆると首を横に振る。
「閣下は多忙でそのような些事に時間を割けぬ、よって審問を私に委任すると仰ったのだ」
 支配者の交代から生じる混乱は、そう簡単には収まらない。州知事の言葉も無理からぬことだ。ボネが再度大きく息をつくのを横目に、師が苦笑を浮かべた。
「君達に叛意などないと私が言っても、身内の発言だからとボネ卿は耳を貸してくださらぬのだよ。複数の人間から証言を集めて、素行調査を行って、と算段を立てている最中にも『自分の本来の仕事は別にあるのに』と焦っておられるので、一つ提案させていただいたのさ。君達を調査に連れていけば、とおり一遍の審問を行うよりもずっと正確に思想信条を把握することができるんじゃないか、とね。知事殿もそれは良い考えだと仰ってくださったので、こういう次第となったのだよ」
 そう言って師は、後ろの壁に飾られている地図へ目を向けた。
「ユールは東の沙漠に並々ならぬ興味を抱いていただろう? ユエトは野外調査そのものに憧れていたようだし。私はもう遠出ができる年齢ではないから、この機会を逃す手はなかろうて。ボネ卿にとっても、知識ある者が同行するのは、ただの人足を雇うよりもずっと利があるはずだからね」
「ありがとうございます先生!」
 またしても声を揃えて礼を言う二人に、あきれ返った声が投げかけられる。
「審問会ならぬ審問の旅だ。州知事閣下からは、お前達が我が帝国にとって害悪であるとわかった時点で然るべき対応をするよう、命を受けている。死出の旅になるかもしれないとは思わないのか」
「いつ出発ですか? うわー楽しみだなあ! 経費は国土局が出してくれるってわけですよね? 他人のお金で調査旅行に行けるとか最高だなあ!」
「装備はどこまで準備すればいいですか。武器の携帯は可能ですか」
 目を輝かせる二人を前に、帝都から来た役人改め、果ての沙漠調査団団長は、何度目か知らぬ溜め息をついた。
  
    * * *
  
 ルドスを発って一箇月と三日、街道沿いの史跡旧跡に幾度となく引っかかりつつも帝国領最東端の町サランまで来た三人は、進路を北北西に変えた。果ての沙漠にはサランからも入ることができるが、ラム遺跡には、ここから五日ほど先にあるワミルの町のほうが近いからだ。
 北へ進むにつれ木々の丈は低く森はまばらとなり、褪せた緑と赤茶色とに置き換わっていく。波打つように重なるなだらかな丘に点々と貼りついているのは、羊か山羊か家畜の群れだ。
「現在はサランの南側で弧をえがいている川だけど、何千年も前にはこの辺りまで張り出していたって説があるんだって」
 馬車の荷台に揺られながら、ユールが滔々と語り続けている。傍らのユエトに話しかけているようだが、ユエトはユエトで流れゆく風景をじっと見つめるばかりで相槌の一つも打とうとしない。
「かつて三日月湖だった所は周囲と植生が違うって話なんだけど、パッと見わからないねえ。あ、向こうのあの段差とか、岸の跡じゃないかな!?」
 すっかり慣れた、いや諦めた様子で、ボネが「馬車から落ちるぞ」と釘を刺した。
「やだなあ、もう落ちませんって。それでこの……」
 荷台から乗り出していた上半身を引っ込めて、ユールが語りを再開する。ボネはもはや癖となった溜め息をついた。
  
 ワミルは砂色の町だった。木骨造の建物はほとんど見当たらず、家々の壁に使われているのは赤みの薄い煉瓦だ。「土が違うのかな焼く温度の関係かな」とキョロキョロしていたはずのユールが、いつの間にか「この路面は混凝土コンクリートじゃないか古そうだけどいつの時代のものなんだろう」と道の真ん中にしゃがみ込んでいる。馬車に轢かれないようユエトがユールの後襟を掴んで道の脇に寄せたのとほぼ同時に、ボネが路地から姿を現した。
「馬車を借りた。荷物を載せ替えに宿駅に戻るぞ」
 次いでボネは「必要な物を確認してもらえますか」と背後を振り返る。そこには、墨のような色の髪と顎鬚をした小柄な男が立っていた。
案内ガイドを頼んだ。果ての沙漠に詳しいというタナ氏だ」
「よろしくお願いいたします、旦那様がた」
 タナは右手を手のひらを上にして身体の前に差し出してから、その手を自分の左胸にあてる。
「今の手振りはどういう意味です?」
 開口一番ユールが前のめりに問うのを聞き、ボネは毎度の溜め息をついた。
  
 翌朝、三人は朝市で買い込んだ品を、借りた荷馬車に載せていった。あらかじめサランで調達しておいた保存食の大包みと水の樽の間に水瓜みずうりを積み、転がりださないように果実酒の瓶が入った木箱を前に置く。籠に入った生きた鶏が二羽、これはタナからの到来物だ。
 タナは甥だという大柄な青年を連れてきた。リュという名のその青年も同行させたい、というタナの申し出をボネは「人手は足りている」ときっぱり断ったが、報酬は一人分で構わないからと食い下がってくる。なんでも彼に案内ガイドの経験を積ませたいのだそうだ。鶏はリュの家からの貰い物だと言われてしまうと、ボネもそれ以上反対することができなくなった。
 荷台に荷物を満載にした一行は、昼を待たずに出発した。手綱を持つのは、馬の扱いに長けているユエトだ。町外れに来ると路面の舗装は頼りなげな砂の帯と化し、茶色が目立つ草原の中を緩くうねりながら丘の合間へと伸びていた。
 人家が途絶えた所で、ボネが馬車を止めた。ルドスからずっと抱えてきた大きな旅行鞄トランクから、内部にすっぽりと嵌り込んでいる布で覆われた四角いものを引っ張り出す。
「量程車じゃないですか!」
 布の中から現れたのは木製の箱だった。高さが大人の膝ぐらい、横幅は肘から手首の長さ、前後は高さとほぼ同じ寸法で、底面には大きな径の車輪が一つと小さな径のものが二つ、箱が水平になるように顔を出している。片側の側面は少し奥まった作りになっていて、数字が書かれた歯車が四つと、垂重付きの分度器一つが設えられていた。天板には方位磁針も埋め込まれていて、これ一台で進んだ距離と方角、道の大まかな傾斜を測定することができるのだ。
「知っているのなら話が早い。お前にはここからこれを引っ張ってもらう」
「えー、記録つけるほうじゃないんですかー」
 唇を尖らせるユールに対して、ボネは「当然だ」とにべもない。
「リュは少し先を歩いて、路面にある大きな石などをけてやってくれ」
「もしかして団長の調査って地図作り?」
「そうだ。ワミルからラム遺跡を越えて更に東、この沙漠の向こうにあるというハクイの町までの道をざっくりと測量する」
 そこまで言ってから、ボネは皮肉ありげに口のを上げた。
「ルドスを発ってひと月以上。一度も私の目的を訊かなかったな」
「団長だってそうでしょ」
 さらりと返された一言に、ボネはハッと息を呑み、そうして静かに溜め息をついた。
  
 夕刻が近づき、一行はタナの先導で道を外れた。本日の野営地は丘の陰にある小さな水場オアシス。崖から染み出してくる湧水を汲み、道中地道に拾ってきた灌木の枝で火を起こす。薪も幾らか馬車に積んできているのだが、それらを使わずに済むに越したことはない。
 天幕テントを張り終えたユエトが燃えるような夕焼けをじっと眺めているのを見て、ボネが小さく咳ばらいをした。
「お前は、ここに来るまでも、ずっと黙って景色を見ていたな」
「相方とは違って」と付け加えたボネに、「別に相方でもなんでもないですが」と落ち着いた声が返ってくる。その時の表情が実に恨めしそうだったので、ボネは思わず苦笑を漏らした。
 ユエトは一瞬だけ目を見開いて、それからまた、ついと視線を遠くに向けた。
 焚火のほうから、炊事中のタナを質問攻めにしているユールの声が響いてくる。
「俺にとって文字で書かれた情報は、どこまでいっても文字でしかないんです。ユールと違って頭の中で具体的な情景が結ばれることはなく、情報の羅列だけがただひたすら蓄積していく」
 そこで一度言葉を切って、ユエトは深く息を吸った。
「だから、この目、でしっかりと見ておきたかった。それだけです」
 真摯な眼差しが世界に臨んでいる。ボネは知らず溜め息をついた。
  
「何故この沙漠に興味があるか、って?」
 皆で焚火を囲んでの夕御飯、鍋を使って生地から焼き上げたパンを頬張りながら、ユールがボネを振り返った。
「語っていいんです? 語りますよ遠慮なく好き勝手に」
 ボネが若干身を引くのを見て、ユールがニヤリと口角を上げる。
「ま、簡潔にいきましょう。僕はラム遺跡がまだ遺跡じゃなかった頃、この辺りは沙漠ではなかったんじゃないかと考えているんです」
 自信たっぷりに言いきったユールの向こう側で、タナがあきれ顔で首を横に振る。ボネはしかし「それで?」と話の先を促した。
「ルドス王国初期、今から二千年以上前の文献に既にラム遺跡の記述があります。せんルドス時代については記録がほとんど残ってないのをいいことに、超古代文明だとか超先進的魔道技術だとか色々憶測が飛び交ってますけど、ラム遺跡に関しても、沙漠の中に魔術で創られた水溢るる都市、なんて話が幅を利かせてるわけなんですよ。
 でもね、どんなに凄い技術を持ってたとしても、不便な場所にわざわざ町を作るなんて苦行みたいなことをヒトが行うと思います? もっと豊かな土地を選べば、沙漠に水を湧かせる労力を他のことにまわせるんですから。普通に人が集まりやすい場所に町ができて、人口が増えて、人々が生活のために木々を切りまくった結果、悪循環が起こって土地の保水力が失われた、っていうのが僕の立てた仮説です」
 長広舌を収めてユールが満足そうに鼻を鳴らす。
 そこにユエトの冷静な声がかぶさった。
「ここにしか町を作れなかった、という可能性は? 他の町と争って敗れたとか嫌われていたとかで、豊かな土地を追われた可能性は」
 それを受け、ボネもなるほどと顎をさする。
「逆に、何か……たとえば地政学的な理由などから、ここにこそ町を作らねばならなかった、というのはどうだ」
 二人から物言いがついたにもかかわらず、ユールの機嫌は上がる一方だ。
「まさにそういったことを調べに来たかったんですよ! 余計な雑音が混ざった資料なんかじゃなくて、あるがままの存在をまっさらな目で見るために。人里に近い遺跡はだいたい破壊されたりとして散逸してしまったりしていますからね。そうなる前に可能な限り記録を取っておきたいんです」
 いやー楽しみだなあ、と満面に笑みを浮かべてユールがパンにかぶりつく。
 ボネは東の方角に視線をやった。焚火が夜闇を炙る向こうは、果ての知れない暗黒の世界だ。
「途方もないな……」
 ふと漏らした独り言が、小枝のはぜる音にかき消される。揺らぐ炎に目を落とし、ボネはそっと溜め息をついた。