あわいを往く者

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黒の黄昏 第七話 古都の収穫祭

  
  
  
    三  醜類
  
  
 栗色の髪を風になびかせて、サンは雑踏を切り進んでいった。時折歩調を緩めては、辺りをきょろきょろと見まわし、そしてまた大股で颯爽と歩き出す。それを何度も繰り返しながら、サンは大通り沿いを南へと進んでいった。
 歩幅の差を、人ごみを素早く避けることで埋めながら、シキはサンを尾行し続けた。
 敵は剣術の達人だ。迂闊に行動を起こせば、周りに被害が及ぶのは勿論、彼に逃げられてしまいかねない。となると一番確実なのは、魔術を使って相手を行動不能に陥らせることだろう。だが、そうするにはここは人が多過ぎる。シキは機会を窺いながら、ひたすらサンのあとを追い続けた。
 二角ふたかどほど進んだ所で、サンの姿が急に見えなくなった。シキは大慌てでその四つ辻まで走る。人の海を必死で見渡すと、東の脇道へ栗色の頭が消えていくのが見えた。
 大通りから一本逸れるだけで人通りはぐっと少なくなるだろう。術をかけるなら今しかない。脇道の手前、物陰に隠れながら、シキはそっと両手を前に出す。
 いざ「睡眠」の呪文を口にしようとしたその瞬間、後頭部に衝撃を受けて、シキは気を失った。
  
  
 悲鳴もなく崩れ落ちるシキの身体を、男の腕が抱きとめた。えんじの上着を隠すべくシキの頭からマントをかぶせると同時に、別な二人が、肩を組むようにして意識のないシキを支える。
 男達は、全部で五人。年の頃、二十代後半から三十代といったところだろうか、全員が見るからにならず者の風体をしている。
 そのうちの一人が、会心の笑みを浮かべて、シキの顔を覗き込んだ。一昨日の夜、警邏中のシキと一悶着起こし、回し蹴りを喰らいかけてほうほうの体で逃げ去った、あの男だった。
「おい、お前、こんな女にやられたのかよ」
 あからさまに馬鹿にした声音で、仲間の一人が言い放つ。
「っかしいな。てっきり小僧とばかり思ってたんだけどよ」
「いいじゃねえか。こいつは、予想以上に楽しめそうだ」
「違ぇねえ」
 涎をすする音とともに、下卑た声がシキの身体をなめた。「よく見りゃ、すげえ上玉じゃねえか」
「ああ、たまんねえな」
 男達は、ひとしきりシキの品定めをしたのち、彼女を囲んだまま移動を始めた。不審そうな眼差しを向ける通行人を恫喝で退けつつ、白々しくも酔っ払いを介抱する芝居をうつ。そうやって男達は、シキを抱えてゆっくりと坂をくだっていった。
  
 人ごみを避け、警備隊の巡回をかわし、男達はやっとの思いで目的地である町外れの小屋へと到達した。
 時折風に乗って微かに祭囃子が流れてくる以外は、完全な静寂が辺りを支配している。ここならば、多少大声を出されたところで、邪魔者が現れる心配はない。男達は満足そうに笑い合うと、薄暗い小屋の中にシキの身体を転がした。
 埃っぽい床の上に、えんじのジャケットが鮮やかに映える。袖口から覗くすらりとした腕も、襟元に絡まる髪も、眉間に刻まれた皺すらも、今や男達の劣情を煽るものでしかなかった。呼吸に合わせて上下するシキの胸元に、みるみる彼らの眼が血走っていく。
「誰が一番だ?」
「俺っていう約束だろ」
 いやらしい笑い声が、男達の間に細波のように広がっていく。早く代われよ、と一人が戸口の外へ見張りに出た。
「慌てんなって。時間はたっぷりあるんだ」
 一番、と言っていた男がそう言って身を屈めた時、シキが微かに身じろぎをした。
「まずい、気がつくぞ。手、押さえろ!」
「足もだ!」
 一人がシキの両手を、一人が右足、もう一人が左足、と見事な連携をもって、男達はシキの身体を押さえ込む。一番手が安堵の息をつくと同時に、シキの瞼がゆっくりと震えながら開いた。
「……ここは……?」
 身動きがとれないことに気づいたシキが、ぼんやりと首を巡らせる。にやにやといやらしい笑みを顔に貼りつけた男達を見て、数度まばたきを繰り返す。
「誰、ですか?」
「誰だろうねえ」
「何を、しているんですか」
 シキは呆然とした表情で、自分を押さえつける者どもを再度見まわした。
「何って、決まってるだろーがよ」
「警備隊の牝犬を、俺達が躾けてやろうってんだよ」
 ようやく状況を理解することができたシキは、殴られた頭が痛むのも構わずに全力で暴れ始めた。手足の戒めを振りほどくべく、力一杯身体をひねろうとする。
「無理無理ー。あんまり暴れたら、骨が折れちゃうよ?」
 必死に抵抗するシキの様子が、男達を更に煽り立てる。彼らの興奮はもはや最高潮に達していた。
「おい、上着は脱がすなよ。このまま、ぶち込んでやれ」
「解ってるさ。日ごろの恨みだ、赤ジャケットに思いっきりぶっかけてやるぜ!」
 一番手が得意げに吠えたその時、表のほうで何か重いものが落ちる音が聞こえた。
 シキのズボンに手をかけたまま、男はおずおずと顔を上げる。彼の目の前、シキの両手を押さえている男が、大きく眼を見開いていた。恐怖に彩られたその視線を追って、残る三人がゆっくりと背後を振り返る……。
 開け放された小屋の扉の向こう、見張り役が腹を抱えてうずくまっていた。その傍らに、逆光の人影一つ。
 たった一人きりにもかかわらず、その人物は凄まじいまでの威圧感を放っていた。
「お取り込み中のところ、真に申し訳ないんだが……」
 高らかな靴音が、小屋の壁にこだまする。
 風にひるがえった上衣の裾が、影の色を捨ててえんじ色に変わった。
「部下を返してもらおうか」
 ルドス警備隊隊長エセル・サベイジは、静かに腰の剣を抜いた。褐色の前髪の下で切れ長の目がぎらりと光る。
「……それとも、私が自分で取り戻したほうが良いかな」
  
  
 脱兎のごとく路地を逃げ去っていく暴漢達を見送りながら、エセルは剣を鞘に収めた。
 その後姿に、シキは深々と頭を下げる。
「……すみませんでした」
「酷い格好だな」
 シキの髪は解け乱れ、頬には汚れがついていた。皺だらけの服は、砂にまみれてすっかり白茶けている。自分のあまりにもみすぼらしい風体に、シキは思わず泣きそうになった。
「本部に戻る前に、埃を掃う必要があるな。来たまえ」
「は、はい」
 そっけなくきびすを返すエセルのあとを、シキは慌てて追いかけていった。
  
 坂を登るにつれ、再び街路は人で混み合い始めた。
 パレードは、巡回はどうなっているのですか、とのシキの問いかけに、隊長は曖昧に頷くばかりで、そうこうしているうちに二人は、大通りのすぐ裏の小洒落た共同住宅に到着した。
 綺麗に掃き清められた階段を上がって三階、エセルに促されるがままに、シキは一番奥まった部屋の敷居を跨ぐ。
 若い独身男性のものにしては、妙に整頓された部屋だった。いや、片付いているというよりも、生活感がない、と言ったほうが良いのかもしれない。最低限の用をなしているのかすら危ぶまれる程度の家具が置かれた、二間続きの部屋。がらんとした室内を見まわしていたシキは、素直に疑問を口に出した。
「……ここが隊長の家、なんですか?」
「家ではない。『部屋』だ」
 要領を得ないエセルの答えに、シキは眉間に皺を寄せた。こことは別に実家か何かがあるということなのかな、と一応納得することにする。
「何か飲むものは……と……」
「そんな、気を遣わないでください」
「喉が渇いたのは私だ。君こそ気にせずに、そこいらに腰かけて待ちたまえ」
 辺りを見まわしても、椅子の類は見当たらない。当惑するシキに、エセルの声が投げかけられる。
「向こうの部屋に座るところがあるだろう?」
 言われたとおりにアーチを抜ければ、そこには天蓋つきの立派な寝台があった。シキには調度品の価値など良く解らなかったが、それでもこの寝台が高級な品であることは見てとれた。エセルがいつも身に着けている、仕立ての良いズボンといい、真っ白で折り目正しいシャツといい、うすうすそうではないかと思っていたが、彼はかなり裕福な身の上であるのだろう。
 部屋の中に椅子を見つけられず、仕方なくシキはさっきの部屋に戻ろうとした。そこへ両手にグラスを持ったエセルがやってきて、仏頂面で口を開いた。
「座れ、と言っただろう。立ったままの飲食は淑女のすることではないぞ」
「でも、椅子が」
 反論しかけて、エセルが寝台を指し示しているのに気づき、シキはつい肩を落とした。
「掛布が汚れてしまいます」
「私が構わないと言っているのだ」
 頑として譲らないエセルに、シキは不承不承従った。それでもやはりズボンの汚れが気になって、ちょこん、と浅く腰をかける。
 その様子にエセルは小さく眉を上げ、それから豪奢なグラスをシキに手渡した。
「隊長、これ……」
「麦酒だ」
「仕事中ですが」
「生憎、ここには酒しか置いていないのでね」
 そう言って、エセルは一息にグラスの中身をあおった。
「なんだ、飲まないのなら私が代わりにもらうぞ」
 手のひらのグラスの中、黄金色の液体に細かい泡が次々と弾けている。シキの乾ききった喉がごくりと音を立てた。
 だが、このあとも仕事が待っていると思えば、これを飲んでしまうわけにはいかないだろう。何より、シキが今こうしている間も、同僚達は各々の任務についているのだ。のんびり休憩している場合ではない。
「申し訳ありませんが、仕事に戻ります」
「まあ、待て」
 シキの手からグラスを受け取ると、エセルはまたも一気にそれを飲み干した。空になったグラスを寝台脇の小卓に置いてから、そっとシキに手を差し伸べる。
「上着を貸したまえ。埃を掃ってやろう」
「大丈夫です」
 そう言ってシキは立ち上がった。「隊長のお蔭で、人心地つくことができました。ありがとうございました」
「埃を掃ってやると言っているのに」
 溜め息をつくエセルに深々と頭を下げて、シキは踵を返した。玄関へと向かおうと一歩を踏み出したところで、前触れもなく何かがシキの足にぶつかってきた。
 足払いだ、と思う間もなく、油断しきっていたシキはあっけなくバランスを崩した。転倒するシキの身体を力強い腕が捕まえたかと思えば、そのまま後方へと掬い投げる。我に返った時には、シキはふかふかの寝台の上に仰向けになって横たわっていた。
「それでは、着たまま掃うことにするか」
 にこやかにそう宣言してから、エセルがシキに覆いかぶさってくる。何が起こっているのか理解できず、ただまばたきを繰り返していたシキの脳裏に閃くものがあった。
 出動前の会議室、届かなかったインシャの声。だが、あの唇の動きは……。
『……隊長には気をつけて』
 愕然と息を呑むシキに、エセルは愉快そうに口角を上げた。
「さて、どこから埃を掃ってやろうかな」
 まるで舌なめずりをするかのごとく、エセルが上唇を軽く湿す。油断のない猛禽類のような濃紺の瞳に、好色そうな色が溢れていた。
「た、隊長っ、な、何をっ」
「無粋なことを聞くな。男と女がこの体勢で、一体他に何をすると言うのだ?」
「冗談はやめてください!」
 シキにはこの状況がさっぱり理解できなかった。これは何かの間違いだ、そう信じて必死で訴えかける。
「冗談?」
 軽く眉を上げてから、エセルは極上の笑みをシキに返した。そうして、耳元に口を近づけると、低い声で囁いた。
「私はいつだって真剣だ」
 耳たぶを震わせる熱い息に、シキは無我夢中で首を振りたくった。
「どうした? これだけ自分から誘っておいて、今更嫌だと言うのか?」
「さ……!?」
 意味が解らずに目を丸くするシキに対して、エセルは怪訝そうに眉をひそめた。
「抱いてくれ、と言わんばかりに全身で媚を振り撒いていたではないか。よくぞ今まで我慢したものだ、と自分を褒めてやりたいぐらいだ」
「はぁっ?」
 心の底からの素っ頓狂な声を上げ、シキはエセルを睨みつけた。
「訳の解らないことを!」
「解らないならば、皆に聞いてみると良い。今朝は隊の誰もがそんな君に釘づけだったぞ。いやはや、女は化ける、とはよく言ったものだ。つい昨日までは、少年のようにしか見えなかったのに、これではまるで別人だ」
 感心したように目を細めてエセルが呟く。「一体何が……、いや、誰が、君を『女』にした?」
「そんなの、知りません! 分かりません! 何かの間違いです!」
「……間違い?」
 シキの必死の叫びが届いたのか、エセルが眉根を寄せたままようやく身を起こした、その時、表の扉からノックの音が響いてきた。