あわいを往く者

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黒の黄昏 第七話 古都の収穫祭

  
  
  
    四  復讐
  
  
 さて、時刻は、警備隊が朝礼を行っていた頃まで少し遡る。
 ルドスの高台に建つ、とある一軒の屋敷。通りから一番遠い棟の二階の部屋に、七人の男達が集まっていた。窓には厚いカーテンが隙間なくひかれ、室内は夜明け前のように薄暗い。
「それだけは絶対に承知できません!」
 上品な薄紫の上衣を纏った男が声を張り上げた。男の指に光る幾つもの装飾品が、彼の生活レベルを雄弁に物語っている。
「代わりの者にさせれば良いでしょう! ラグナ様にもしものことがあれば……」
「俺個人の問題だ。『黒の導師』も代わりがいることだしな」
 一人だけ椅子に腰をかけ、ウルスは不敵な笑みで返答した。その声に、部屋の一番隅を居心地の悪そうな表情でうろうろしていたレイが、思わず反応する。
「俺は、そんなもんになる約束なんかした憶えないぞ」
 一身に部屋中の視線を集めてしまったのを感じて、レイは更に落ち着かない様子で小さい声でつけ加えた。「それに、ナントカの導師じゃなくて『お前』がいなくなったら困る、ってその人は言ってるんじゃないか?」
「そう! そのとおりなんです! あなた様の代わりは誰にもできません。ご再考くださいませ、ラグナ様!」
 今日は年に一度の収穫祭だ。それに来賓として参加するために、帝都からセルヴァントという貴族がやってくるという。
 そしてウルスは、自らその貴族を手にかけるということを、たった今この場で宣言したところだった。
「衆人監視のパレードだ。当然警備は厳重だろう。だが……、サン」
「はい。警備隊を含む領主の騎士団が警備に当たる模様です。名誉ある沿道の警備は騎士団が、警備隊は市内の警邏を受け持つとのこと」
 名誉ある、のくだりは明らかに揶揄が込められた口調であった。サンの言葉を受けて、嬉しそうにウルスは言う。
「馬に乗るだけが能の愚鈍な連中でパレードを固めるらしい。この機に乗じないでどうするというのか」
「しかし、危険が多過ぎます! 今、ラグナ様にもしものことがあれば、せっかくまとまりつつある同志達が、再び霧散することになってしまうでしょう!」
 蒼白なおもてで口角泡を飛ばす薄紫の男に、ウルスはやや怪訝そうな表情を作った。
「手を尽くし、巣穴に引っ込んだままのアナグマを外へと誘い出してくれたのはお前だろう。いくらルドスの現領主がぼんくらだとしても、苦労や危険の伴う仕事だったには違いあるまい。どうして今更躊躇うのか」
「ラグナ様が直々にお手をくだすおつもりであると知っていたら、お手伝いなど致しませんでしたものを」
 男はつらそうな表情でそう絞り出す。「ですから、どうか自重を。何卒、他の者にお言いつけください。ラグナ様の代わりはどこにもいないのですから!」
  
  
「どうしたのだね? 難しい顔をして」
 ザラシュが眉間に皺を寄せるレイの傍らに寄って来た。
「……俺、ここにいてていいのかな?」
 いつになく神妙な表情で、レイはポツリと呟く。
 これまでの半年間、「赤い風」の三人とあちこちの町に立ち寄っては、彼らが色んな人間と会うのを、レイは少し離れた立ち位置から傍観しているのみだった。それが今回は何故かこうして一緒に部屋に呼ばれ、途方もなく大事な話を聞かされている。レイは、事ここに至って、ようやく自分の不安定な立場に思い当たったようだった。
 ザラシュはくつくつと笑うと、若き魔術師の肩を軽く叩いた。
「お前の為したいように為せば良い」
 答えになっていないその返答に、レイは軽く息を吐いた。
「……大体、俺はアイツの本当の名前すら知らないのに。ウルス? それともラグナ? それかまだ他にあるのですか?」
「ふむ。まあ、別に今更お前に隠すことでもないだろう」
 そう言って、ザラシュは静かに語り始めた。
  
 ナナラ山脈のすぐ北側に広がるという内海、オンファズ海。その更に北にカラントという王国がある……いや、あった。
 冬の長い、森と湖の大地。決して豊かではなかったが、善政を敷く国王のもとで国民は幸せな日々を送っていた。
 国政にかまけ長らく独り身であった国王は、四十路に入ってから美しい町娘と恋に落ち、そして一人の王子をもうけた。唯一の懸念であった跡継ぎの問題も解決し、カラントは永きに亘る繁栄を約束されたかのようだった。
  
「……その王子が、彼だ。カラントの忘れ形見、ラグナ王子」
 レイは、他の男達とまだ何か言い合っているウルスをそっと見やった。
「……王子様? らしくないなあ。で、そんなやんごとなき方がなんだってこんなところに?」
「帝国が東方に進出する少し前、カラントもその標的となっていたのだよ。
 幸い、事前にその情報を得たカラント王は、戦を避けるために帝国と和平を結ぼうとしたのだ。帝国側でも、セイジュ帝の強い願いから、国境の町で和平交渉の席を設ける運びとなった。
 そして、カラント王は信頼できる精鋭を引き連れて、その町へと出立し、……その道中忽然と消息を絶った」
 予想外の話の展開に、レイは思わずザラシュを振り返る。
「当然、和平は成らぬ。王は主だった側近を連れて行方不明となってしまったから、国中が大混乱だ。そんな時に、十八歳の誕生日を迎えたばかりのラグナ王子が、自ら父王の手がかりを探しに城を抜け出した」
「……らしいなあ」
「彼には母方に同じ歳の従兄弟がいた。性格は正反対だったそうだが、容貌は非常に良く似ていたらしい。彼はその従兄弟を自分の身代わりとして王宮に置き、自身は従兄弟の名、ウルスを名乗って城を出たのだ。
 そして、その一週間後、帝国に一通の書状が届いた。カラント国宮宰セルヴァントから、反故になった和平を結びたし、と。その書状には、帝国への忠誠の証として、和平を踏みにじった王と王子の首級を捧げるとあった……」
「それって……」
 瞳に怒りを滲ませるレイに、ザラシュは軽く頷き返す。
「そうだ。最初から仕組まれていた裏切りであろうな。セイジュ帝は驚いておられたが、アスラ帝はこの申し出を大歓迎していた。もしかしたら、兄帝もこの企みに加担していたのかもしれん……」
 遠くを見るような目つきで、ザラシュはしばし黙り込んだ。
「カラント王国は解体され、重職にいた者は各地に移動させられた。この館のあるじ、アカデイア殿もそんな一人だ。氏は幸いこの地で成功を修められたそうだが、零落してしまった者も数多いと聞く。カラントの民にとって、セルヴァントは憎んでも憎みきれない男なのだろうな」
  
  
  
 パレード見物の人々から少し離れた街角に、人待ち顔で佇むサンの姿があった。のんびりして見える所作とは相反して、その瞳には一分の隙もない。
 と、彼が勢い良く背後を振り返った。
 刃物のごときサンの眼差しが、一呼吸おいて緩められた。彼は大きく息を吐いてから、咄嗟に懐に差し入れた右手をそっと外へ出す。
 彼の視線の先、建物の陰から、先ほどのスリの少年が躊躇いがちに姿を現した。
「どういうつもりなんだよ」
「知り合いが困ってたら、助けたくなるのが人情ってもんでしょ」
 そう事も無げに言うと、サンは涼しげな笑みを浮かべた。
 サンが以前に何度かこの街に来たことがある、という先だってのウルスの弁の通り、彼はこの少年と既に面識があったのだ。
「今度ばかりは、礼は言わねーぞ」
 刺々しい少年の言いざまに、サンの眉が曇る。怪訝そうな表情で、サンは大袈裟に首をかしげてみせた。
「前の時はともかく、今日のは完全に濡れ衣だろ? それこそ、俺に感謝して当然だと思うけど?」
「本職はあんな手を使わない」
 その一言を聞いて、サンの目が細められた。
「へえ? んじゃ、どんな手を使うわけ?」
「それを他人に教えるほど俺は馬鹿じゃねーよ」
「……まだ、足を洗っていないのか」
 サンが小さく溜め息をつく様子に、少年は僅か頬をふくらませた。
「スリはやめたよ」
 驚きの表情で顔を上げたサンに、少年は少しだけ照れくさそうに耳の後ろを掻く。「今、庭師の見習いをしててさ。それで細々と食いつないでる」
「良かったじゃないか」
 そう微笑むサンは、本当に嬉しそうだった。
 だが、少年は再び眉間に険を刻むと、真っ正面からサンを指さした。
「俺のことはどうでもいいんだ。それよりも、問題なのはあんたのほうだ」
 ぎりぎりと歯ぎしりせんばかりに、少年はサンを睨みつける。
「何を企んでんだよ」
「別に」
 あくまでも軽いサンの物言いに、少年はつい声を張り上げた。
「だから、本職はあんな場所であんな仕事はしないんだよ。大勢で猿芝居打って、警備隊の目を人ごみに向けさせて、お前ら一体何をするつもりなんだよ!」
 肩で息をする少年をじっと見つめたのち、サンはそっと顔を背けた。
「こんなの、全然あんたらしくないだろ!」
「一年あれば、人は変わるんだ。お前がスリをやめたようにさ」
 抑揚のないサンの声に、少年は愕然と息を呑んだ。
「すぐにここから立ち去れ。俺は警告したぞ」
 そう言ってから、やにわにサンは大通りの方角に向かって手を振った。「こっちですー」
 二つの頭が、サンの声に応えるようにして人垣をかき分けてくる。
 少年は物言いたげな視線を無理矢理伏せて、そうして人波の中へと走り去っていった。歯を食いしばりながら、無言のままに。
  
  
 少年と入れ替わるようにして、ウルスの姿が人々の間から吐き出された。
「……今のは?」
「宿の客引きだそうです」
 なんでもないように肩をすくめたサンが、次の瞬間盛大にふき出した。ウルスの後ろから姿を現したレイを見て。
 ウルスもレイも、揃って南方の民を偽装していた。白い布を黒い輪で頭にとめ、白いシャツを着たウルスは、まさしく精悍な砂漠の民といった風情で、惚れ惚れするほどその装束が似合っていたが、対するレイはと言うと、頭を覆う白い色がいつもの黒装束に釣り合わないこと甚だしい。
「……レイ、お前、似合い過ぎ」
「何とでも言え」
 憮然とした表情で、レイはサンを睨みつける。
「首尾はどうだ」
「どうやら奴さんの馬車、予定よりも早くここを通過しそうです」
「仕掛けるタイミングは、ダラスに任せよう。そう伝えてくれ。俺はそれに合わせるから」
 そう言って、ウルスは視線を大通りのほうへ向けた。歓声に沸く人々を、無感動な瞳でねめつける。
 ウルスの眼差しは、気安く声をかけることを躊躇わせるほど鋭く、冷たかった。レイは仕方なく、サンのわき腹を肘で軽く小突く。
「おい、俺は一体何をすればいいんだよ」
「何って、ウルスさんから聞いてないのか?」
「聞いてねーよ」
「……じゃ、別に何もしなくていいんじゃねーの?」
 眉間に皺を寄せて、レイはサンを見る。
「でも、必要があれば手伝えって言ってたぞ」
「じゃ、レイが加勢が必要だと思った時に手伝えば?」
「だから、それが解らねーって言ってるんだ」
 サンは、呆れた、と言わんばかりの表情でレイのほうに向き直った。
「あのな、いい加減察してくれよ。細かいこと全部知ってしまったら、万が一の時にお前もタダじゃすまないだろ?」
 そして大きく溜め息をつく。「お前の事情は解ってるからさ、無理強いはしたくない。今ならまだお前は『部外者』だ」
 それを聞いたレイの胸中に去来した感情……それは一種の後ろめたさだ。一宿一飯どころではない恩を受けながら、それを甘んじて貪るだけの自分に対する。
 サンはそんなレイの心を読んだかのように、続けた。
「お前が俺達と共倒れになると困る理由は、他にもあるんだ。解るだろ?」
 そう言ってサンはきびすを返す。
「頼りにしてるぜ、『黒の導師』殿」
 レイの肩を軽く叩いて、彼はウルスのあとを追って沿道へと向かった。
  
  
 仮装した人々がゆっくりと大通りを練り歩く。色とりどりの山車が、囃子手に囲まれながら太鼓の音とともに姿を現した。
 人垣の中、長身を活かして遠眼鏡でパレードの後方を見つめていたサンが、来た、と呟いた。
 華やかな列の最後尾、煌びやかに飾られた四頭立ての箱型馬車があとに続いている。その両脇を、馬に乗った騎士と歩兵達が固めている。護衛は思ったよりも少なかったが、その代わり、沿道には三丈おきに騎士が立ち、つつがない行進を見守っていた。
 サンから遠眼鏡を受け取ったウルスは、独りごちた。
「やはり箱型で来たか」
 二人は、急ぎ足でレイのいる路地へと戻った。ウルスはサンに遠眼鏡を返しながら、嘲笑する。
「沿道に手を振る勇気もないのならば、こんなところに出てこず、さっさと城へ直行すれば良いものを。臆病者のくせに、見栄だけは一人前だな」
「俺も行きましょうか」
「手出し無用だ。あいつはこの俺がやる。そうでなければ意味がない。それよりもあとの援護を頼む。それと……レイ」
 いつもどおりに傍観者に徹していたレイは、いきなり名前を呼ばれてびっくりした。
「赤い風、というのは、昔、俺につけられた二つ名だ。その由来を見せてやろう」
 そう言って、ウルスは頭の白布を毟り取った。肩口に溢れた鉄錆色の髪が、ふわりと揺れる。それから彼は、先ほど同志の一人が連れてきた栗毛の馬にひらりと跨った。
  
  
 最後の山車がレイの目の前をゆっくりと通り過ぎていく。
 彼には、全てがまるで夢の中の出来事のような気がしてならなかった。
 自分が今ここにいるということ、何故ここにいるのかということ、故郷を捨てたということ、シキを失ったということ、ロイを裏切ったということ……。つい、現実から乖離してしまいそうになる意識を、レイは激しく頭を振って繋ぎとめようとした。
  
 時が来た。
 場違いな喧騒が大通りの向こう側から湧き起こった。
 沿道の人垣が大きく崩れる。怒号、悲鳴、そして石畳を打つ蹄の音。
 突如としてパレードの列に、何頭もの馬が乱入した。
  
 色めき立つ騎士達。
 興奮して暴れまわる馬は、その数十四頭。観客達は、わけも解らないままに口々に何か喚きながら、脇道へ、建物の傍へと一斉に避難を始めた。
 軽い恐慌が一帯を支配する。
 箱型馬車を牽いていた四頭の馬も、すっかり我を失って後ろ足で立ち上がり、暴れ、いななく。
 ウルスは馬の腹を蹴った。混乱に乗じて、大通りの真ん中、立ち往生する馬車へと突進する。護衛の騎士が槍を構えた時には、既に馬上にウルスの姿は無かった。
「屋根だ!」
 歩兵の叫びを聞いたのか、馬車の扉が開く。
 馬車の屋根の上に着地したウルスは、風に髪を逆巻かせながら、扉から身を乗り出した人物に剣を突き立てる!
 サンが援護にまわるために駆け出そうとしたその瞬間、青白い光が辺りに閃いた。
  
 ウルスの渾身の一撃は、見えない壁に阻まれていた。
 古代ルドス魔術、「盾」の術。魔術師がいるのか、と胸の内で毒づいたウルスは、青白い光の下におのれの標的とは違う顔を見て、愕然とした。
 眩いばかりの金の髪を後ろに撫でつけたその姿。精悍な鼻筋、引き締まった顎、そして暗い海の色のような瞳。見目麗しきその人は……。
「違う! そいつは……その方は、アスラ兄帝だ!」
 サンの叫びが辺りに響き渡る。その一瞬、世界は凍りついたように動きを止めた。
  
 最初にその呪縛を破ったのはウルスだった。彼はもう一度皇帝に向かって剣を振り下ろした。
 だが、またも青白い光が刃を阻む。
 そうこうしている間に、騎士達が馬車の周りに馬を寄せてきた。各々剣を抜き、馬車を、ウルスを取り囲む。
 ここまでか。ウルスは髪を振り乱して、吼えた。
  
 ウルスが泣いている。唐突にレイはそう思った。
 復讐を誓って、自分の身代わりとして命を落とした従兄弟の名を継いで、果敢にも巨大な敵に叛旗をひるがえした男が、今まさに絶望に囚われようとしている。
 レイは意を決すると懐から短剣を取り出した。素早く「打克の刃」の術を剣にかけ、狙いを定めて投げつける。
 魔術の力を与えられた短剣は、青白い光の壁をものともせずに切り裂いた。
 かん高い音が空気を震わせ、短剣が馬車の扉に突き刺さる。
 馬車を包囲しつつあった騎士達の注意がそちらへと逸れた。その隙を逃さず、ウルスは馬車の屋根から飛び降りた。間髪を入れずに、剣で四頭の馬と御者台を繋ぐ綱を切る。暴れ、逃げ惑う馬に、騎士達の包囲網が再びかき乱された。
  
 皇帝の白い頬に引かれる赤い一筋。
 じわりと滲み出る血を手の甲で拭って、アスラはレイに視線を向けた。
 禍々しいほどに冷たい、刃のような視線を。
  
「皇帝陛下をお守りするのだ!」
 ようやく我に返ったのか、徒歩の騎士達も体勢を整え始める。サンは懐から出した何かを思いっきり地面に叩きつけた。煙幕が張られ、騎士達は再び浮き足立つ。
 それを合図に、往来のあちこちで同様の煙幕が上がった。大通りの一角が完全に煙に沈み、反乱団の姿を覆い隠す。
  
  
 まだ辺りで暴れる馬達と、馬車に突き刺さった短剣。
 煙が晴れた時に残されていた蛮行の残滓は、ただそれだけであった。