頭が痛い。
原因は多分、使い過ぎ、だ。
志紀は思わず苦笑した。半年後に受験を控えて、こんな事で頭の使い過ぎとは、先が思いやられる。
あれから半日と少し、志紀は思いっきり合宿を楽しんだ。……いや、正確には「志紀の大部分は」楽しんだ、だ。
友人達とふざけ合い、笑い合い、はしゃぎ合いながらも、志紀の奥底には、ある一つの事柄に縛られた心が常駐しており、それは絶える事無く、残る大部分に負荷をかけ続けていた。
パラレルで思考する事は、志紀にとってとりわけ珍しい事でもないが、それはあくまでも断続的、短期的に限っての事である。所詮自分のキャパシティはその程度なのだろう、と彼女は考える。
それが、かれこれ二十時間も働きっぱなしなのだ。疲れないわけがない。
ノックの音を聞いて、志紀の中の多寡が逆転した。志紀を苛 み続けていた部分が一気に表面に浮上して、そのかさを増やす。それと入れ替わるようにして、大多数を占めていたその他の部分が、急速に萎んで奥底へと沈んでいく。
その瞬間、志紀は気が付いた。先刻まで、堂々巡りの自己分析を繰り返していた部分も、結局のところ同じように同じ対象に心乱されていたのだ、という事実に。ぐるぐると思考を空回りさせて、そんな自分を必死で誤魔化そうとしていたに過ぎなかったのだ。
「皆、帰ってしまったよ」
化学室への扉が開いて、その対象が姿を現す。
そう、志紀がどう足掻こうが、間違いなく彼女は彼に絡めとられてしまっていたのだ。
「待ち遠しかったかい?」
そんな短い一言を聞いただけで、身体の奥が熱くなってくる。
夏休み前のあの時から二週間、朗の事は気にはなっていたが、日常生活に差し障りがあるほどではなかった。それなのに、合宿で再会してたったの三日、この胸の昂ぶりは一体どういうことなのだろう。
志紀は返事をする事は勿論、身動きする事も出来ずに、スチール製の本棚の陰に立ち尽くしていた。
朗が小さく笑う気配がする。
「暑いね、ここは。喉が渇いたんじゃないか?」
意を決して志紀は本棚の隙間から一歩を踏み出した。薄い色のカーテンを透かした日光が、部屋中をぼんやりと照らしている。
朗は、部屋の隅に置かれた古い小型の冷蔵庫の前にしゃがみこんで、中から緑茶のペットボトルを取り出しているところだった。
「どうぞ」
「あ、別に大丈夫です」
「水分を摂っておいたほうがいい」
「でも、本当に喉乾いてないし」
「そんなに固辞するのなら、飲ませてあげようか。……口移しで」
「いただきます」
慌てて手を伸ばす志紀に、朗は笑ってボトルを手渡した。その柔らかい視線に、志紀の目は一瞬釘付けになる。
昨夜の、凄みのあるあの笑み。そして今しがた零れた笑顔。全く異なる朗の気配に、志紀の気持ちはジェットコースターのように、上昇と降下を繰り返す。
「結局のところ、二人で落ち着ける場所というのは、準備室しか無いんだよな」
その口調は、あまり残念そうには聞こえなかった。多分、化学準備室は先生にとっては、自分の部屋みたいなものだからなのだろう。そう考えると同時に、志紀はペットボトルの処遇に悩んでもいた。
「飲まないのか?」
「いえ、その、コップ……」
「そのまま、飲めるだろう?」
「ええ、まあ、そうなんですけど……先生は?」
「気にしなくて良い。まだあるから」
少し気が引けたが、あまり躊躇ってばかりいると、先生なら本気で口移しを実行しかねない。そう思って、志紀はすぐ傍の長椅子に座った。思い切ってボトルに口をつけると、冷たさと苦味が口の中に広がり、身体の内側から熱が引いていく。
「良く飲んでおくといい。どうせ、直ぐに消費される」
消費?
お茶を飲みながら、怪訝そうに視線だけで問いかける志紀に、朗が微笑む。
眼鏡の奥の瞳は、今度は笑っていなかった。
「汗もかくだろうが……、何より君はとても濡れやすいようだからね」
ごくり、と、液体を嚥下する音が志紀の喉で響いた。
急に静けさを増したように感じる室内に、型遅れの扇風機のモーター音だけが低く響いていた。
長椅子のスプリングが軋む。
志紀のすぐ左に朗が腰を下ろした。彼は、硬直する志紀の手からボトルをそっと取り上げ、蓋をして傍らの小机の上に置く。それからゆっくりと志紀の方に向き直ると、彼女の耳元に口を寄せた。
「あの神社では、随分感じていたね」
否定出来ないが、肯定はしたくない。それ以前に、まるで蛇に睨まれた蛙のように、志紀は声帯どころか手を動かす事すら出来なかった。
「ああいうシチュエーションも、悪くない」くっくっ、と口の中で笑いながら、朗は悪戯っぽく続けた。「クセになりそうだ、と言ったら、どうする?」
その一瞬、びくん、と志紀の身体が震える。過敏に反応する身体を自覚して、彼女は耳まで真っ赤になった。
「まぁ、この部屋にしても、世間的にはかなりアブノーマルな部類に入るだろうが……」
朗の指が、そっと志紀の髪に触れる。そのまま地肌をなぞるようにして、朗は彼女の髪を梳 き始めた。殊更にゆっくりと、ねっとりと指を這わしていく。
また、志紀の身体がびくんと震えた。
「今回はおあずけが長かったからな。随分と感度が上がっているね」
おあずけ?
志紀が問いを発する前に、つい、と朗の指がうなじに流れた。ぞくぞくするような感触に、志紀は思わず吐息を漏らす。
「あの時の君の残念そうな顔は、ちょっと破壊的だったよ」
そう囁きながら、朗は志紀の耳元に唇を這わせた。
まただ。
また……身体が、胸が、……下腹部が、痺れるように疼く。
そこを触られているわけでもないのに、じんじんと熱い。
志紀の呼吸が、どんどんと荒くなってきた。
「は……かい、てき……?」
ぐい、と志紀の顔が朗の方に向かされる。その荒々しい手つきとは裏腹に、思いの他優しい口付けが志紀の唇に落とされた。
「ああ、そうさ。理性も何もかも……壊されてしまいそうだった……」
その囁き声と同時に、志紀を背後から抱くようにして、朗は彼女の両手首を両手で掴む。志紀の背中に、朗の身体が密着した。
「あの……、先生……?」
当惑する志紀の身体が、右に倒された。朗の手によって、志紀の両手が肘掛に誘導される。
長椅子に腰掛けたまま上体だけをねじって、肘掛に両手をついた志紀の胸元、朗の手が伸びてくる。やや前屈みになった胸を、熱を帯びた掌が背後から鷲掴みにした。
志紀の脳裏に神社での記憶が蘇り、一瞬だけ腕が粟立った。だが、あの時とは違って、朗の指はまるで壊れ物を扱うかのように優しく、柔らかいふくらみを掬い上げるようにして揉んでいる。
じわり、と、身体の奥から何かが溢れ出してくるのが分かった。
――君はとても濡れやすいようだから――
快感に埋没しそうになりながらも、志紀の意識の一部が先刻の朗の言葉を吟味している。
あの台詞は、他者との比較から導き出されたものだ。
……当たり前だろう。
先生は大人で、男で、頭も、見た目も良くって……、周りの女性が放っておくわけがない。
どうして……、
どうして、私が、今、ここに、居る?
先生には、もっと、先生に、ふさわしい人が……
「ああああっ!」
思考は、怒涛のような快感に中断された。
気が付けば、志紀のシャツはボタンを全て外されていた。キャミソールも、キャンプだからと選んだスポーツブラも、首の下まで捲り上げられ、露になった胸の先端を朗の指が優しく撫で回す。彼の指にくにくにと突起を嬲られる度に、鋭い快感が身体中を走り、下腹部がどんどん熱くなってきた。
志紀の腕から力が抜けた。がくん、と傾 いだ身体を必死で起こして、彼女は律儀にも先刻と同じ体勢をとろうとする。
朗の息が耳にかかった。
「気持ち良いかい?」
「あ……う……んっ……」
「こんなに、硬くなってる」
朗の指が、志紀の限界まで張り詰めた乳首をそっとつまんだ。そのままゆっくりと指先で転がされ、志紀は堪 らず激しく身悶え始めた。
「あっ、やっ……!」
「声が大きい」
「っ!」
その言葉が志紀にもたらしたのは、恐怖よりも官能だった。してはいけない場所で、してはいけない行為に、耽る。その背徳感。
熱いものが、また溢れてきた。濡れた感触が、今やはっきりと分かる。
やっぱり、私、ヘンだ。どうしてこんな……。
「欲しい、かい?」
胸への愛撫を途切れさせる事なく、朗が囁いた。心なしか、彼の息づかいも荒い。
「……ほ……しい?」
「そうだな、…………もっと、気持ち良くなりたいかい?」
羞恥心の欠片 が、志紀に頷くのを躊躇わせた。だが、その瞳に浮かぶ熱情は、隠しようが無い。
朗が口の端を上げ、身体を離す。
強い力で肩を押され、志紀が長椅子の上にうつ伏せに倒れこむ。
椅子からはみ出している彼女の両足を抱え上げると、朗はジーンズを脱がし始めた。身を投げ出し、されるがままになっている志紀に、容赦のない声が投げられる。
「びしょ濡れだ。すごいね」
「……そんな……っ」
「恥ずかしがる事はないだろう」
脱がし終わったジーンズを傍らに放り出して、朗はうつ伏せの志紀の腰を抱えた。「これから、もっと恥ずかしい事をするのだから……」
腰だけを高く突き出すようにして、志紀の膝を立たせる。獣じみた自分の格好に、志紀が狼狽して身を起こそうとするより早く、朗の手が尻たぶを掴んで左右に広げた。
「せんせ……、なにを……」
志紀の抗議の声は、直ぐに嬌声に変わった。朗の舌が、濡れそぼった部分に、くちゅり、と音を立てて入り込んできたのだ。
「や……っ! だめっ! 先生、汚いって……!」
「まだ、そんな元気があったのか」
暴れだした志紀の腰を押さえ込みながら、朗は呆れたような、それでいて嬉しそうな声を出した。
「だって、そんな……あぁあっ」
ざらざらとした舌の表面に敏感な突起を舐め上げられて、志紀が大きく喘ぐ。すっかり膨らんだ花芯を、柔らかい肉塊が間断なく震わせた。それは、ゆっくりと芽の包皮を剥くように表面を擦り続ける。
志紀が意識しないままに、彼女の腰が揺れ始めた。朗の愛撫を存分に貪ろうとして、艶かしく波打っている。
液体をすするような、いやらしい音。
秘部にかかる、朗の荒い息。
腰を強く押さえる、熱い男の指。
だめ、おかしく、なりそう……!
抑えきれない絶頂の叫びは、口元を覆った朗の手が封じた。息苦しさと、その掌の熱さに、志紀は半ば意識を失って肘掛の上に崩れ落ちた。
長椅子の上にぐったりと横たわる志紀を見下ろしながら、朗は立ち上がった。満足そうな笑みを浮かべたまま、濡れた口元を手の甲で拭う。それから、ポケットから避妊具を出し、ベルトを外した。
ふと、朗の中の冷静な部分が警告を発する。何かに納得したように微かに頷いてから、彼は部屋の隅の荷物からタオルを一枚とってきた。
「志紀、これを」
「…………?」
声も無く、虚ろな瞳で顔を上げる志紀の傍に、朗はタオルを置く。
「声が抑えられなかったら、これを噛んでおくといい」
散々焦らされた後だからだろうか、今日の志紀はこれまでにも増して激しく声を上げて悶えていた。前戯でこんな有様なれば、この後、彼女がどんなに乱れるか分かったものではない。
それに……、正直、自分も余裕が無い。抑えが効きそうにない。
たぎる欲望がおのれの全てを乗っ取ろうとしていた。朗は右膝で長椅子の上に立つと、志紀の腰を持ち上げた。両手の親指で、彼女の秘められた部分を大きく開かせる。
もう、彼女は何も抵抗しなかった。おそらくは期待しているのだろう。そんな事を言えば彼女は否定するだろうが、身体が雄弁に物語っている。ぬめぬめと光る蜜壷は、こうしている間も、愛液を次々と滴らせていた。
おのれ自身を、濡れそぼる秘裂にあてがう。ゴム越しにもはっきりと判る、張り出したえらと浮かび上がる血管に、朗は口角を吊り上げた。
まさしく、凶器だ。こんなグロテスクなモノが、彼女を――この、華奢な身体を貫くのだ。
無言で、朗は志紀の腰を自分に引き寄せた。すっかりとろけきった彼女の内部に、猛り狂う肉の杭が埋め込まれていく。
志紀の身体に力が入るのが、朗にはダイレクトに分かった。熱い柔肉が四方から絡みつき、圧迫する。朗が奥の奥まで腰を突き入れると圧迫感は更に増した。みっちりと肉棒を咥え込んだ媚肉が、うねるように朗を責める。
「……最高だよ、志紀……」
半分無意識のうちにそう呟いて、朗は静かに腰を動かし始めた。
ほどよい締め付けと、摩擦。先端が抜けそうなぎりぎりまで腰を引き、それからまた奥まで突き入れれば、卑猥な水音が鳴る。
もう一度、さらにもう一度。熱に浮かされたような面持ちで、朗はゆっくりと腰を動かし続けた。
「凄く、締め付けてくるな……」
囁きに応えるようにして、志紀の内部が更に熱を帯びる。まるで亀頭を絡め捕るかのように、肉襞が波打つ。
「いいぞ……」
最奥を突く度に、志紀の背中が反り返った。高まる快感に耐えながら、朗は何度も抽迭の角度を変えて志紀の反応を楽しんだ。
激しさを増していた志紀の切なげな喘ぎ声が、途中で急にくぐもった。
驚いた朗の視線の先には、先刻渡したタオルを、まるで猿轡のように咥えた志紀の姿。
その瞬間、朗の意識が弾けとんだ。
長椅子が軋む音。志紀の喘ぎ声。肉と肉がぶつかり合う音。
秘筒から溢れ出した蜜が、激しい朗の動きに飛沫を散らす。
押し広げるようにして挿せば絡みつき、引けば吸い付くように纏わりつく。何度も何度も、夢中で腰を打ち付けて、朗は志紀を貪り続けた。
準備室に入ったのは、四時過ぎだった。
志紀を家の傍まで送り届けた、その帰り道。ハンドルを握りながら朗は苦笑した。食事やロスタイムを考慮しても、都合二時間以上志紀を抱いていた事になる。……自分がこんなに追い詰められていたとは、想像もしていなかった。
既に時計は八時半を回っている。少し渋滞気味の幹線道路、前の車のブレーキランプが光量を増し、朗の視界を赤く染めた。
信号を待つ朗の視界の端、夜空に何かが煌いた。
ふ、と顔を向けると、遠くの空に大輪の花が咲いて……暗闇に消える。
そういえば、今夜はどこぞの花火大会だと、帰りのバスの中で誰かが話していた。
また一発、光の筋が虚空を駆け上がっていく。今度は枝垂桜のような光。
遥か夜空の小さな炎が、朗の脳裏で昨夜の情景と重なる。
市販の、小型の打ち上げ花火。いくら玩具の花火とはいえ、筒ものを生徒に任せるのは躊躇われたため、一同を少し下がらせて朗が火を点けた。
小さい火を散らす導火線。少し遅れて、小気味の良い爆発音とともに風が打ち上げられ、申し訳程度の火花が夜空に展開する。
「たーまやー! って、これでおしまい?」
「って、ショボ過ぎー」
「次、ドラゴン行こうぜ! ドラゴン!」
大騒ぎする生徒達を眺めながら、朗は一人静かな笑いを漏らしていた。先刻、宿泊所の自分の部屋での、あまりにも無防備な志紀の様子を思い出したからだ。
真っ白な雪原に、足跡をつけていくようなものだろうか。これまで「男」を知らなかった彼女の心におのれが刻み付けられていくさまは、筆舌尽くしがたいほど朗を高揚させた。
踏みにじりたい。
どこまでも続く白銀の平面を、ただひたすら踏み荒らしたい。
だが、同時に、その白さを失う事を朗は恐れていた。身勝手な話だ、と自嘲しつつも、志紀の「雪」が深い事を朗は祈らずにはおられなかった。ならば……どんなに雪面を荒らそうとも、無粋な地表が露出する事はないだろう。
山口教諭が噴出花火に火を点け、辺りは急に明るくなった。硫黄の燃える臭いと、白煙が周囲にたちこめる。
「原田先輩ー! 踊るなら是非中央で」
「おっし、行くぜ、珊慈!」
「一人で行ってこーい!」
かつての自分も、あんな風に馬鹿騒ぎをした……のだろう。
ぼんやりと浮かび上がった過去の記憶は、薄靄に霞んでいる。忘れてしまった、というわけではない。神社で志紀と交わした会話では、懐かしい思い出がまさしく芋づるのように、次々と溢れ出してきていたではないか。
繰り返される情景。今年も、去年も、一昨年も、そして十二年前も。あの時、確かに自分はあの場所で、あのように……。
目の前の信号が青に変わる。朗は思考を打ち切った。
ゆっくりと流れ出す車の列。朗は再び運転に意識を集中させた。
朗は無意識のうちにその不快感の正体から目を背けようとしていた。
< 続く >