あわいを往く者

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九十九の黎明 第二章 王都へ

  
    * * *
  
「お前なんて、産まなきゃよかった」
 溜め息とともに繰り言が吐き出される。
「男の子ならね、まだ、甲斐はあったってものだったのに」
 呪いの言葉のように、毎日、毎日。昨日も、今日も。たぶん明日も。
 でもこれは、雨が降るのと同じようなこと。風が吹くのと同じようなこと。また温かい日が差す時を待つまでのこと。
 ああ、おなかすいたなあ。ぼくはすきっ腹を抱えて路傍にうずくまる。
「まったく、あんたの母ちゃんはどうしようもないね」
 畑向こうのおばさんが、肩をいからせて、怖い目を小屋のほうに向けた。
 そんなことないよ。母さんは優しいよ。ただ、ぼくがどんくさくて何もできないから、怒るだけなんだ。
「父ちゃんもだよ。行商人だって? ずーっと家族放ったらかして、何やってんだろうね。ほら、これお食べ。このまんまじゃあんた、死んじまうよ」
 おばさんに小さな干し芋を手渡された時、辺りに金切声が響き渡った。
「ちょっと! うちの子に何を余計なことしてるのよ!」
「余計なこと? あんたがこの子を放ったらかしにしてるのが悪いんだろ! 見てごらんよ、もうすぐ五つだってのに、可哀そうに、こんなに小さくて! 手足なんてまるで棒っきれじゃないか!」
「そんなこと言って、わたしから可愛いこの子を取り上げようと考えてるんでしょう!」
 その瞬間、ぼくの胸はお日さまのように温かくなった。ほら、母さんは、本当はぼくのことが好きなんだよ。
 母さんは、おばさんを追い返して、ぼくを小屋のほうへ引っ張っていく。
「まったく、油断も隙もないわね。そんな干し芋なんて捨てておしまいなさい」
 ぼくの喉がごくりと鳴るのを聞いて、母さんが目を剥いた。
「なによ、母さんよりも、余所のおばさんのほうがいいっていうの?」
 慌てて干し芋を放り投げたぼくに、母さんが優しく笑いかけてくれた。
「そうそう。そんなゴミみたいな芋じゃなくて、そのうちにすごいご馳走を、お腹いっぱい食べさせてあげるからね」
 ああ、おなかすいたなあ……。
  
    * * *
  
 肉の焼けるいい匂いで、ウネンは勢いよく目を覚ました。一斉に合唱を始める腹の虫と、何よりも「寝過ごした」という焦りとが、一気に目を覚まさせてくれる。
 身支度も早々に、ウネンは階段を駆けおり台所に飛び込んだ。竈の前に立つ背中に、「ごめんなさい!」と頭を下げる。
「いいの、いいの。この間の地図、仕上げてしまうって言ってたもんね。晩遅くまでお疲れさん」
 ゾラがにっこりと振り返った。その手元では、薄切り肉が人参とともに炒められている。傍らには、スープの入った大鍋に、焼き上がったパンの籠。どうやらウネンが手伝う余地は無くなってしまったようだ。
「水汲みは……終わってるよね。そうだ、馬の飼いつけ(餌やり)を」
「それも大丈夫よー」
 歌うような節回しで、ゾラが答える。普段も朗らかな「診療所のお母さん」だが、今朝は特に機嫌が良いようだ。
「それよりも、ねえ、見て、ウネン。立派な鹿肉でしょ? 美味しそうでしょ?」
「あ、うん」
 それよりも、と言われても、そう簡単に自分の失態を割り切ることはできない。ミロシュの家に引き取られてから三年、ウネンは、片足を失ったシモンの代わりにゾラの手伝いをすることが、自分の使命だと思っている。外に働きに出るようになったところで、筆写師の賃金など、まさに雀の涙だ。ウネンは、ミロシュ達の負担にだけはなりたくなかったのだ。
 ウネンは唇を噛んだ。今までも夜更かしをしたことは何度もあったが、こんなふうに翌朝に障ることなんて一度としてなかったのに、と。
 原因は、分かっている。全てはあの忌々しい悪夢のせい。そして――
「あの胡散臭い魔術師のせいだ」
「それって僕のこと?」
 食卓のほうから、まさかの元凶の声が飛んできて、ウネンは弾かれたように背後を振り返った。驚きのあまり言うべきことが見つからず、あくあくと口を動かして、食卓の長椅子に座るモウルを指差す。
 折しも勝手口の扉がひらき、オーリが中へ入ってきた。「飼いつけ、終わりました」と短くゾラに報告する。
「朝早くに、鹿を一頭差し入れしてくださってね。ご近所さんにもお分けしたのよ。せっかくだから一緒に朝ご飯食べよう、って言ったら、色々と手伝ってくださって」
 楽させてもらっちゃったわー、と、はなうた混じりでゾラがフライパンを竈の天板から上げた。
 ウネンは、オーリの前にいくと、正面から彼を見上げた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
 オーリが口を開くよりも早く、モウルのほうから返答があった。
「そちらさんは、何も仕事をしてないように見えるんだけど」
 自分のことは棚に上げることにして、ウネンはモウルに冷ややかな目を向けた。
 オーリも、むっとした表情もあらわに、横目でモウルをねめつける。
「そもそも、鹿を仕留めたのも解体したのも俺だしな」
「運ぶの手伝ったでしょ」
「それだけだな」
 それだけで、涼しげな顔をして食卓でふんぞり返っているのか。そうウネンが眉を上げる横で、ゾラが食器棚から皿を出し始めた。
 慌ててウネンも、配膳を手伝うべく台所へ向かう。
「モウルさんには、食事の準備中、面白い話を沢山聞かせてもらっちゃったから、それでいいのよ。いっぱいお喋りできて、楽しかったわー」
「こちらこそ、楽しいひとときをありがとうございました」
 どこからどう見ても礼儀正しい好青年、といった風情で、モウルがゾラと言葉を交わしている。
 そう言えば、昨日お使いから帰った時も、モウルが鞄を運んでくれたことを見ていた親方が、彼のことを「親切ないい若者だな」などと評していた。ウネンは心の中で、騙されてるよ親方、と叫んだものだったが、今もまた、ゾラに対して同じことを言いたくてたまらなくなった。単なる悪口と受け取られてしまったら困るから、実際に口にはしないけれども。
 ウネンは、自制心を総動員させながら、スープの鍋を食卓に置いた。食器棚から人数分のボウルを出してきて、スープをよそう。
「先日は、こいつのせいで迷惑をかけた」
 オーリが、少し申し訳なさそうにウネンに話しかけてきた。
「こいつが遅れてこなければ、依頼人のあんたを危険な目に遭わせるようなことはなかった」
「ハローの町で君が余計な仕事を引き受けたのが悪いんでしょ」
 即座にモウルが異議を申し立てる。
「あれぐらいでぶっ倒れるお前が悪い」
「魔術って、凄ーく消耗するんだよ。ていうか、僕が遅れたんじゃなくて、君が勝手に先に行ったんじゃないか。寝込む相棒を放ったらかしとか、酷いんじゃない?」
 放ったらかし、という単語に、ウネンの背筋せすじが反射的に震える。今朝がた見た悪夢が脳裏に浮かび上がってきて、ウネンは思わず頭を振った。
 その間もオーリの追及は続いている。モウルに対して余程鬱憤が溜まっていたのか、彼にしては珍しい饒舌ぶりだ。
「寝込む? 随分楽しそうだったがな」
「だって、あの……ええと、宿屋の娘さんが……」
「エマ」
「そう、エマさんが看病させてくれって言うから」
 名前ぐらい覚えてあげなよ、と、ウネンは内心で溜め息をつく。
「語らいを邪魔するな、と言ったのは誰だ」
「だからって、置いて行くことないじゃないか」
「あらあら、モウルさんはモテるのねえ」
 ころころと楽しそうにゾラが笑った、その時。家の表、診療所のほうから、扉を叩く音が聞こえてきた。
  
  
「朝早くからすみません。私はスィセル、こちらがトゥレク。ともに、チェルナ国王クリーナク様に仕えている者です。このたびは、我があるじより、ウネン様への書状を預かってまいりました」
 診察室の椅子に座るのは、二人の青年。褐色の髪の、やや線の細いほうが王の近侍スィセルで、いかつい体躯の四角い顔が、近衛兵のトゥレクとのことだった。
 二人の向かいの長椅子には、まだ若干髪に寝癖が残っているミロシュと、ウネンが座っていた。その後ろにシモンとゾラが立ち、一番奥の壁際には、何故かオーリとモウルの姿まである。
「なんて書いてあるんだ、ウネン」
 そわそわと問いかけるシモンの声を受けて、ウネンは国王の手紙から顔を上げた。
「ざっくり言うと、城に来てくれ、って」
「ざっくりし過ぎだろう、もう少し詳しく頼む。いや、私にも読ませてくれ」
 息子同様、落ち着かない様子で、ミロシュがウネンから羊皮紙を受け取った。ふむふむ、そうか、と頷いてから、後ろに立つ皆に聞かせるべく身体をひねる。
「先日のチェルヴェニーとのいざこざの話ではなく、地図の話を聞きたいんだそうだ」
 バボラークとチェルヴェニーの境界争いについては、どうやら当事者同士で一応の決着をつけることができたようだが、一連の出来事は、しっかりクリーナク王の知るところとなった。そして王は、たいして珍しくもない二封臣間の諍いそのものよりも、発端となった「鳥の眼を持つ者が作った地図」に、いたく興味をいだいたのだという。
「是非とも城へおいでくださり、お話を聞かせてほしい、とことづかっております。差し支えなければ我々とともに王都へ来ていただけませんか」
 ウネンは、そっとミロシュを見上げた。
 ミロシュが、力強く頷いてみせる。
 王の使者に向き直ると、ウネンは胸一杯に息を吸い込んだ。
  
  
「なんで、あんた達も一緒に行くわけ?」
 ウネンが王都へ行くという話を聞きつけてやってきたイレナが、開口一番、不服そうな声を上げた。
 ミロシュの家の居間には、出立の準備を終えたウネンと、同様に旅の出で立ちで身を固めたオーリとモウルの姿があった。
「護衛だ」
「護衛? 王様の使いの人がいるんでしょ?」
 オーリの返答に、イレナは眉間に皺を寄せて、表通りのほうを指差した。「立派な馬を連れた、小奇麗な服の、ひょろっとした人とがっしりした人。診療所の前に人垣ができてたわよ」
「帰り道も送ってくれる保証はないし、そもそも、彼らにまたイェゼロまで往復させるのは効率が悪いでしょ」
 とモウルがにっこりと笑って、「それに」と言葉を継ぐ。
「実は、僕、彼女に地図の仕事を頼むつもりなんだ。その前に彼女の身に何かあったら困るからね。そんなわけで、護衛をするのはあくまでも僕らの都合だから、報酬は無くていいよ、お得だよ」
「じゃあ、私も行く」
 きっぱり言いきったイレナに、ウネンは思わず目を丸くした。
「ええっ!? 王都まで? 遠いよ? 何日もかかるよ?」
「わかってるわよ」
「イレナのお父さんとか、絶対反対しそうだし」
「説得は母さんに任せるわ。ねえシモン、別に構わないでしょ? さっきウネンが言ってた理屈なら、この二人だってきちんとイェゼロまで戻ってくる保証はどこにもないわけだもの。イェゼロの人間が護衛するのが安心だと思わない?」
 診察室と居間とをそわそわと往復していたシモンが、目を剥き顔をしかめ、何かを言いかけては黙りを繰り返したのち、絞り出すような声で「……ぅウネンを頼む……」と吐き出した。
「任しといて! シモンがそう言ってくれるのなら、母さんは反対しないもの。だから大丈夫よ、ウネン」
 にっこりと微笑みかけられて、ウネンは胸の奥が温かくなるのを感じた。正直なところ、この状況をやはり少し心細く思っていたのだ。
「……ありがとう、イレナ」
 イレナが得意げに胸を張る。と、オーリが口元に微かに苦笑を刻むのを見て、彼女は若干きまりの悪そうな表情を浮かべた。
「あー、えーと、あんたが信用できない、って言うつもりはないんだけど……、でも……」
 ごにょごにょと語尾を濁らせながら、イレナはモウルを横目で見やった。
 モウルが、にこやかに自分で自分を指差してみせる。
「自分で言うのもなんだけど、僕はとっても役に立つと思うよー」
「そりゃ、まあ、〈双頭のグリフォン〉なんて呼ばれちゃうわけだから、腕前はいいんだろうけど……」
「いや、だから、その二つ名ヤメテ」
「なんっか、胡散臭いのよねえ。特にその笑顔。目が笑ってないもの」
 困ったな、とばかりに芝居がかった調子で肩をすくめるモウルだが、確かにその目は先刻からと同じ、鋭い光を宿したままだ。
「とにかく、私もウネンと一緒に行くから! すぐに用意してくるから待ってて!」
 言うが早いか、イレナは来た時と同じように、物凄い勢いで部屋を飛び出していった。