あわいを往く者

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九十九の黎明 第四章 祈りの丘

  
  
  
 王都クージェから北西に四日のところに、パヴァルナという町がある。クリーナク王の実の弟エドムント公が治める、高原の町だ。ほぼ毎年、暑さの厳しい八月になると、国王一家は涼を求めてパヴァルナへ赴いているとのことだった。
 ウネン達が住むチェルナ王国は、三つの国と、海と、山脈とで国土を囲まれている。
 南海の海岸に沿って南東の方角へと進めば、製紙業の盛んな緑の国、カォメニに突き当たる。東には、七十年前にチェルナと一戦交えた、草原の国タジ。北は、長きに亘る群雄割拠ののち、今の王の治世になってようやく一つの国としてまとまったラシュリーデンだ。
 そして、国土の西端を南北にばさりと切りとるのが、「大山脈」と呼ばれる大いなる連峰だった。冬は全てを凍らせるやいばのごとき風を、夏は心地よい冷涼な息吹を、遥か高みから吹きおろす天険。そこに連なる山地の東の片隅に、パヴァルナは位置しているのだった。
 ハラバルの書斎にて、パヴァルナ行きを命じられたウネンは、目を白黒させながら「名代、ですか?」と驚きの声を上げた。
「ハラバル先生の代わりを、ぼくが? それはちょっと、いや、かなり、無理があるのではないですか?」
 するとハラバルは、いつものしかつめらしい表情を僅かに緩め、「では最初から順を追ってお話ししましょう」と、窓際の自分の机に着席した。
「先日のスハーホラの金山の件で、王弟であるエドムント様にも諸々の書簡をお送りしたのですが、その際にクージェの城に新しい魔術師が来たと知ったエドムント様が、折り返し相談の書簡を送ってこられたのです。その新人魔術師がジェンガ様に追い出されてしまう前に、ちょっと助けてほしいことがある、と」
 ウネン達が初めてクリーナクとまみえた時、王が「新しい魔術師が居つかない」とぼやいていたことを思い出し、ウネンは、胸の奥でひっそりと溜め息をついた。あのモウルですら一箇月で音を上げるのだから、ごく普通の太さの神経しか持ち合わせていない者がジェンガ翁の攻勢を耐えきるのは、かなり難しいと思われる。
「モウル様にご相談したらば、快く引き受けてくださるとのことでした。ですが、モウル様曰く、ウネンを守るという役目を捨て置くわけにはいかないため、ウネンもともにパヴァルナへ赴くことが条件だ、と仰いました」
「ぼくも?」
 ウネンが目を丸くして自分を指差せば、ハラバルが「ええ」と頷く。
「それと、モウル様の傍近くを守る者は、気心知れたオーリ殿がよい、とも」
 それでさっきオーリが主館へやってきたのだな、と、ウネンは一人合点した。
「実は、例の金山の件のせいで、今年のパヴァルナ行きは取りやめになるはずでした。なにしろ、王妃様はヴルバ様の従妹であらせられますので、ヴルバ様の裁判が終わるまでは、王都をお離れになるわけにはまいりませぬ。エドムント様は、いつもの避暑のついでに力を貸してくれ、と書簡にお書きになっておられましたが、陛下は、モウル様だけをパヴァルナに遣わそうと考えておられました。ですが、それを聞いたダーシャ様が……」
 そこで一旦言葉を切って、そうしてハラバルは深く息を吐いた。
「ダーシャ様が、異議を唱えられたのですね」
 パヴァルナ行きの相談の場に姫が居合わせることになったのは、間違いなく、「モウルを助けてあげて」と姫をけしかけた自分のせいだ。ウネンは申し訳なさに、つい身を小さく縮ませる。
「ええ。従兄弟のジョナーシュ様に会いたい、と、涙ながらに陛下に訴えになって……、それで、ダーシャ様もパヴァルナへ、と……」
 ハラバルの口から、またも大きな溜め息が漏れた。
「今まで、陛下が王都を留守にできぬ場合は、代わりにわたくしが皆様のお伴を務めさせていただきました。ですが、今回ばかりは、わたくしも王都に残らざるをえませぬ。そこで、ウネンには、モウル様のお申し出とは別に、わたくしの代わりとして……」
「いや、しかし、ぼくなんかじゃ……!」
 ハラバルの名代とは、つまりクリーナク王の名代でもあるということなのか。あまりにも重大な役割に、ウネンは必死で首を横に振りまくる。
 そんなウネンの様子をどこか満足そうに見つめると、ハラバルは微かに口のを引き上げた。
「話は最後まで聞きましょうな。城に来たばかりのあなたに、本来わたくしが担うべき役割を全て任せるつもりはありませぬ。特に対外的なことの多くは、既に他の同行者に割り振っております。それでもわざわざあなたをわたくしの名代としたのは、肩書きが明確なほうが、余計な不便がないであろうと思っただけのことです」
 城に来て目の当たりにした、序列というもの。その重みをあらためて突きつけられて、ウネンは知らず生唾を呑み込んだ。そして、オーリが近衛兵を志願したのは、克己の心だけが理由ではなかったのかも、とも思い至った。修行とばかりにただ無暗に苦境に身を投じていたのではなく、したたかに世のならいを見据えていたのかも、と。いや、それとも――
もっとも、モウル様は、『ウネンは僕の弟子ということにしてもいいけど』と仰ってましたが……」
 ――それとも、単純に、モウルの部下になりたくなかっただけかもしれない。
 結局オーリは、書類の上ではその運命から逃れられなかったわけだけど。ウネンは心の中で苦笑を浮かべてから、「先生の名代、謹んで拝命いたします」と神妙な顔で右手を胸に当てた。
  
  
 ダーシャ姫の、初めての一人(親の手を離れての)旅は、総勢十一名での道行きとなった。ウネン達三人に加えて、王の近侍スィセルと、ダーシャが幼い頃から世話になっているという眼鏡の国語教師ナヴィ女史、そして護衛の兵二名に御者を含む使用人三名、といった面々だ。
 パヴァルナ行きが決まった翌々日の昼下がり、荷物を積んだ荷馬車に二人の使用人が、箱型の立派な馬車には、女性陣に加えて、ダーシャのたっての願いでモウルがともに乗り込んだ。二台の馬車は四騎の騎馬に前後を守られ、いざ街道を西へと進む。
 ウネンにとっての初めての馬車の旅は、驚くほど楽で、そして少しばかり退屈だった。
 馬車の布張りの椅子にはふかふかの詰め物がなされていたが、小刻みに突き上げるような馬車の揺れは、座る者に路面の状態をつぶさに伝えてくれる。それでも、ただ座っているだけで目的地まで移動できるというのは、まるで夢のようだった。
 これで外の景色を眺めることができれば言うことなしなんだけどな、と、ウネンは小さく息をついた。勿論、馬車には窓がついていたが、同乗者そっちのけで窓にかぶりつくわけにはいかないということは、ウネンにも充分に理解できたからだ。
 ウネンの向かいの席では、モウルが寝不足を理由に、馬車に乗り込むなり早々に背もたれに身を沈めて目をつむってしまっている。その隣に座るダーシャが、ナヴィやウネンに楽しそうに話しかけては、そうだ静かにしなきゃ、とモウルを見やって慌てて口をつぐむ様子が微笑ましい。
 はしゃぎ疲れたか、ダーシャの口数が随分減ってきた頃になって、ナヴィが穏やかな眼差しをウネンに向けた。
「ウネンさんは、算術以外にどんな教科が得意なの?」
 女性にしては短めの、肩にかかる程度の砂色の髪をしたナヴィは、今年四十歳を迎えると言っていた。王城へは通いで週に二度、ダーシャばかりか王妃にも詩歌や文学を教えに来ているらしい。
「あ、ええと、科学です」
「国語や歴史は?」
「その……、本を買う余裕がなかったし、ヘレーさん――ぼくの……、前の先生、です――も専門外だったみたいで、あまり詳しくはありません」
 ウネンがそう答えた途端に、ナヴィの眼鏡がきらりと光った。
「では、この旅行の間だけでも、ダーシャ様と一緒に勉強してみない? 数字の世界もいいでしょうけど、文字の世界も楽しいわよー」
 賛成! とダーシャが嬉しそうに両手を打って、また慌てて隣のモウルを心配そうに見やる。
 別に旅行の間に限らなくてもいいのよ? とにっこりと微笑むナヴィに、ウネンは、少しどぎまぎしながら、ありがとうございます、と礼を言った。
  
  
 スィセルによると、いわゆる「持てる者」の間では、パヴァルナは避暑地として人気が高い町ということだった。それを裏付けるかのように、王都からパヴァルナへ向かう道は、イェゼロと王都を結ぶ街道よりもずっと路面の状態が良好だった。
 途中の町々にある宿泊施設も、安い木賃宿から、見るからに立派な宿屋まで、多種多様な等級のものが揃っていた。そして、ダーシャ王女一行のために手配されていたのは、町で最も上等な宿屋だった。
 ウネンに割り当てられたのは控えの間の簡易寝台だったが、その快適さは、彼女が今まで経験したことのないものだった。亜麻の敷布の裏には分厚いフェルトの層があり、下に敷かれた寝藁の、あのちくちくする不快感をまったく感じさせてくれなかったし、さらりとした綿の掛布は、まるで風をまとっているかのようだった。一泊するのにどれくらいのお金がかかるんだろう、と、想像をめぐらせる間もなく、ウネンは心地よい眠りに落ちていた。
  
 王都を発って三日、明日にはパヴァルナに到着するという馬車の中、ダーシャがいつになく欠伸を連発しているのを見て、モウルが心配そうに口を開いた。
「大丈夫ですか? なんだったら、僕は後ろの馬車に移動しますから、少し横になってお休みになれば……」
 初日は馬車の中で寝倒していたモウルだったが、おかげで寝不足が解消したのか、二日目以降は居眠りすることもなく、いつものあの外面の良さを存分に発揮し、車内の雰囲気を盛り上げる一翼を担っていた。ナヴィとモウル、二人の「先生」の語る物語は、分野は違えどともに興味をかきたてられるものばかりで、ウネンは勿論、あの勉強嫌いなダーシャまでもが、膝を乗り出して熱心に耳を傾けていた。
 モウルに気遣われたダーシャは、弾かれたように背筋せすじをぴんと伸ばすと、「大丈夫です!」と首を振った。「だから、もっとモウル様のお話を聞かせてください」
「昨夜はよく眠れなかったのですか?」
 絵にかいたような気遣わしげな顔で、モウルが問うた。いつぞや、城の櫓塔で頭を押さえて呻くオーリに対して見せた表情とは違って、目元に若干の余裕の色が見える。なるほどこれが「素の顔」との差か、と、ウネンは頭の中の帳面に書きとめた。
「昨日のお部屋、除虫香が煙たくて……。蚊帳だけで充分だと思うのに」
 唇を尖らせるダーシャに、ナヴィが柔らかく微笑みかける。
「ダーシャ様が蚊に刺されるようなことがないように、との宿屋の配慮ですよ」
「それなら、窓にガラスを入れておいてほしかったわ。そうすれば、鎧戸の隙間からどんどん蚊が入ってくるなんてこともないでしょう?」
「この季節に窓を締めきってしまうと、暑くて眠れないではないですか」
 ナヴィが溜め息をつくのを見て、ダーシャの形の良い眉が寄せられた。
「あら、わたしのお部屋は暑くないわ」
「クージェのお城が特別なんですよ。私の家は勿論、主人の実家も、別荘も、夏は窓をあけ放さないととても過ごせませんから」
 それは、ウネンが初めて王城を訪れた時にも感じ入ったことだった。高台ゆえ絶えず涼風が吹き抜けることに加えて、建物を形作る重厚な石材が外部の熱を遮断しているのだ。
「それに、ガラスは高価ですからね。気軽には用意できませんよ」
 優しく諭すようにナヴィに語りかけられ、ダーシャがしゅんとうなだれる。
 ナヴィの言うとおり、ガラスはちょっとした贅沢品だ。イェゼロの町でも、窓ガラスが嵌まっていた家は一握りしかなかった。ミロシュの診療所も、診察室には窓ガラスを入れていたが、他の部屋の窓は鎧戸のみだった。
 ヘレーも、なんとかお金をやりくりして、薬品の蒸留に使うガラス瓶を、少しずつ少しずつ買い足していた。三年前、地震でそれらが次々と壊れていく音を聞いた時の悔しさを思い出し、ウネンは知らず唇を噛む。
「もっとガラスが安くなったらいいのに。そうしたら、みんなのお家にもガラス窓がつけられるでしょう?」
 可愛らしい溜め息とともに、ダーシャが呟く。
「そうですね。そうなったらどんなにか良いか」
「お父様にお願いしても、無理なのかしら」
 ダーシャの発言は、少々無邪気が過ぎた。それまで聞き役に徹していたウネンだったが、思わずダーシャとナヴィの会話に口を挟む。
「ガラスの生産量が増えれば、その分値段も下がるはずですが、そもそも、材料を調達するのが大変だと聞いています。材料費が高ければ、出来上がったガラスの値段も高くならざるを得ないですし」
 ウネンの言葉を受け、モウルが得意げに口角を上げた。
「ガラスの製造に必要なトロナ石は、タジ王国から輸入しているんですよ。あそこには大きな塩湖がありますからね」
「タジ王国、って、ジェンガおじい様の仰る、あのタジの国?」
 目を丸くさせ小首をかしげるダーシャに、モウルがここぞとばかりに弱々しい笑みを浮かべてみせる。
「ええ。ジェンガ様の時代とは違い、の国と我が国の間では、今や普通に商取引が行われているんですよ」
「まあ、おじい様ったら、そんなこともご存じないから、モウル様を悪者扱いなさるんだわ!」
 流石はモウル、煽れる機会は逃さない。
 ウネンは苦笑を押し殺して、話を続けた。
「輸入ができなくなったり、埋蔵量が尽きてしまったりすれば大変だ、って、ヘレーさ……前の先生も言っていました。そうでなくても、足元を見られて高く売りつけられてしまいがちだし。空気中の窒素を固定できるようになったら、もっと安くガラスを作れるようになるのに、って……」
 その瞬間、視界の端でモウルが眉をひそめるのが見えた。
「窒素?」
 怪訝そうに問いかけるナヴィに、ウネンは姿勢を正して頷いた。科学……特に化学は、ヘレーの得意分野だったのだ。熱の籠もった眼差しで語る在りし日のヘレーの姿を脳裏に思い浮かべながら、ウネンは、頭の中で帳面をめくる。
「はい。アンモニアを生成して、それを使って炭酸ナトリウムを……」
 突然モウルが、短い呻き声を漏らして上体を屈めた。
「モウル様! どうしたの?」
 ダーシャの上ずった声に、ウネンは語りを中断してモウルを見た。
 先ほどまでの元気はどこへやら、モウルは、青い顔をして右手で口元を押さえている。
「すみません、どうやら馬車に酔ったようです……。実は今日は朝から少し気分がすぐれなくて……、先ほどまではなんとか我慢できていたのですが……」
「まあ、どうしましょう」
 差し出されたダーシャの手を丁重に押しとどめ、モウルがゆらりと顔を上げた。
「少し馬車を止めていただいて、外の空気を吸えば、すぐに良くなると思います……」
「分かりました」
 ナヴィが、窓から顔を出して、御者に馬車を止めるように言う。
 座席の揺れが次第にゆっくりになって、ほどなく馬車は動きを止めた。
「どうされましたか!」
 馬車を先導していたスィセルともう一人の兵士が、血相を変えて馬車へと寄ってくる。しんがりのオーリ達も追いついてきたところで、ナヴィが声を張り上げた。「モウル様が少し馬車に酔われたそうなのです」と聞き、馬上から安堵の溜め息が漏れる。
 道の脇に馬車を寄せ、一行は少し休憩をとることにした。
  
 オーリに抱えられるようにして、モウルがよろよろと馬車を降りる。続けてナヴィが、ナヴィの手を支えにダーシャが、そして最後にウネンが地に降り立った。
 モウルは、オーリの手を借りて、馬車からは少し離れた、ほどよい大きさの石に腰をおろす。
「大丈夫?」
 ダーシャが、心配そうにモウルの顔を覗き込んだ。
 モウルは、大儀そうに顔を上げると、かすれ声で応える。
「ええ、なんとか。でも、体調が悪いことよりも、こんな見苦しい姿を姫様の前に晒さねばならないことのほうがつらいですね……」
 ダーシャがハッと息を呑むのに合わせて、ウネンはここぞとナヴィに進言をした。
「モウルはぼくとオーリが見ておきますから、ナヴィ様はダーシャ様とともに馬車でお待ちくだされば」
「そうですね。では、ダーシャ様、私達は先に馬車に戻りましょう」
 モウルの矜持を慮った二人が、馬車の中に収まったのを確認するなり、力無くうなだれて座るモウルから、冷ややかな声が聞こえてきた。
「知識自慢は別の機会にお願いできますかね。僕とオーリだけの時なら、いくらでも拝聴いたしますから」
 オーリがモウルの体調を心配している様子がないことに加えて、何より、不自然なまでに唐突なあの変調だ。やはり仮病だったのか、とウネンは大きく溜め息をついた。
「自慢するつもりなんかなかったよ。ただ、その、ぼくの知っていることを言っただけで……」
「それを自慢って言うんだよ」
 吐き捨てるようなモウルの声音が、ウネンの頬を張る。手のひらに爪が食い込むほどにこぶしを握り締め、ウネンは奥歯を噛み締めた。
 あの時、ウネンの心の奥で首をもたげていたもの。それは、ナヴィやモウルに対する対抗心だった。自分にだって存在価値はある、ここにいていい理由があるんだ、と、ただそれを証明したくて、ウネンは自分の知っている知識を披露したのだ。
 それを自慢と言わずしてなんと言うか。返す言葉を見つけられずに、ウネンは顔を伏せた。
 と、頭上遥か上から、大きな溜め息が降ってきた。
「何があったのか知らんが、始終他人に知識をひけらかしているお前が、偉そうに言えることか?」
 オーリの言葉を聞くなり、モウルから何とも言えない唸り声が漏れた。
「僕は、時と場合と内容をわきまえているから、いいんだ」
 その言葉を聞いた途端、ウネンの頭の中で、思考の糸が一本、繋がった。今しがたまで燃えるように上気していた頬が、冷水を浴びせかけられたかのように一気に冷める。
「まさか、モウル達の言う禁断の知識、って、ああいう化学知識のこと?」
 モウルが、馬車酔いの演技を続けたまま、全身で大きく息をついた。
「あの人にも困ったものだな……。科学知識を教え込むにしても、世間一般の『常識』も、きちんと押さえておかないと駄目だってのに……」
 独白のごとき呟きは、間接的ではあるがウネンの問いを否定しているようだった。常識さえ押さえておけば、あの程度の知識なら問題ない、ということなのだろう。
 でも、と、ウネンは唇を噛んだ。それならば、あんなに厳しくウネンを咎めたてなくてもいいじゃないか、と。
 モウルがようやく顔を上げた。薄い笑みを口元にのぼして、ウネンの考えなどお見通しだといわんばかりに、言葉を継ぐ。
「姫様が一般的じゃない言葉を覚えちゃって、変人呼ばわりされたら拙いでしょ」
 モウルが身を起こしたことに気づいて、ダーシャが「モウル様!」と馬車の窓から身を乗り出している。
「世間一般の常識」だの「一般的ではない言葉」だの、ならば、それをどうこう言うモウルは一体何なのか。ムッとした表情を隠せないまま、ウネンは、ダーシャに手を振るモウルをじっと見つめた。