あわいを往く者

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九十九の黎明 第四章 祈りの丘

  
  
「で、どうするの?」
 表通りに出てすぐに、ウネンはモウルを振り返った。水の魔術師に半ば追い出されるようにして水車舎を出てきてしまったが、彼に会いたがっていたモウルは、無事目的を果たすことができたのか否か、とても気になっていたからだ。
「そうだね。とりあえず、そこに並んでる人に、さっきの少年のことを訊いてみようかなあ」
 そう言ってきょろきょろと聞き込みの相手を選定し始めるモウルに、オーリが「おい」と声をかけた。
 オーリが指さしたほうを見れば、道の向こうの路地の陰で、他でもない例の少年がこちらの様子を窺っている。
 モウルが、口のをすっと引き上げて、歩き始めた。少年のほうへ……と思いきや、彼が佇んでいる角へは近寄らず、そのまま表通りを西へと進んでいく。
 ウネンとオーリは、慌ててモウルのあとを追った。少年を横目で見ながら、どうするつもりなのかモウルに尋ねようと、歩調を上げる。
「ま、待ってくれよ!」
 追いすがる声を振り返った先、路地から飛び出した少年が、思い詰めたような表情で立っていた。
「あんた達は、本当に、ノル先生を追い出しに来たんじゃないのか」
 少年のほうから話しかけてもらおうというのが、どうやらモウルの思惑だったようだ。狙ったとおりの展開に、モウルは喜色を瞳にたたえて少年の前に出る。
「違うって言ってるでしょ。それとも、追い出してほしいの?」
 途端に、少年は勢いよく何度も首を横に振った。その様子を、モウルが目を細めてじっと見つめている。
 少年から視線を外さぬままモウルはゆっくりと深呼吸をし、そうして口元をそっとほころばせた。
「師の心、弟子知らず、というか、いやはや」
「え? どういうこと?」
 反射的に問い質すウネンを右手で押しとどめて、モウルは少年に話しかけた。
「君、魔術師になりたいんだって?」
 少年は、今度はゆっくりと、力強く、頷いた。
「理由を聞かせてもらってもいいかな? 僕で良ければ、力になるよ」
 モウルの浮かべた微笑みがあまりにも完璧過ぎて、普段の彼を知るウネンとしては、その奥に隠されているものを思わずにはいられない。
 だが、少年にとっては、それはこの上もなく魅力的な申し出だったのだろう。彼は思いのほかすんなりと眉間の皺をほどいた。
「……父さんが、少し前から体調を崩してて……、僕と母さんで畑仕事を頑張ってるんだけど、今年は雨があまり降らなくて……、でも、今年も出来高が悪かったら、領主様に払う分が足りなくなって……」
 最初はモウルの顔をじっと見つめていた少年の視線が、次第に下方へ、足元へと落ち込んでゆく。
「それで、隣の畑のペルツのクソおやじが、貢租を肩代わりしてやる代わりに土地を半分寄越せ、って言ってきて……」
 少年の両のこぶしが、震えながら固く握りしめられた。
「確かに、前からペルツのところには、農具を貸してもらったり、色々世話になったりしてるけどさ、だからって、別に僕らはペルツの奴隷じゃない。なのに、三年前も、雨が少なくて野菜が駄目になって、助けてやるって恩を着せてきて、それで、代わりに姉ちゃんを二番目の嫁に、って無理矢理連れていって……」
 最後のほうは、もう、言葉にならなかった。地の底から響くような唸り声を漏らしたのち、少年は顔を上げた。唇をきつく引き結び、おとがいに力を込め、それからモウルを真っ直ぐに見上げた。
「僕は、水が欲しい。水さえあれば、もうあんな奴らの言いなりになんかならなくてすむんだ。ねえ、教えてください。どうやったら僕にも魔術が使えるようになるんですか!」
 抜き身の剣にも似た少年の眼差しを、モウルは平然と受け止める。彼はしばし無言で少年を見下ろし、それから二角ふたかど向こうに見える水車舎に目をやった。
「さっきの……、ええと……」
「ノル」
 お約束のように言いよどむモウルに対して、オーリがぼそりと助け船を出す。
「そう、ノルさん。君は、ノルさんにも同じことを頼んだんだ?」
「うん。でも、先生は何も教えてくれなかった」
 そう答えた少年の口調は、ウネンが想像していた以上に冷静だった。彼は、どこか誇らしげに胸を張り、力の籠もった目でモウルを見つめる。
「だから、僕は先生の真似をすることにしたんだ」
「真似?」
「先生の知っていることを全部知ったら、僕も魔術が使えるようになるんじゃないかと思ったんだ。先生の家にある本を全部読んだら、僕にもなにか分かるかもしれない、って。それで、先生に頼んで先生の家にある本を順番に貸してもらってたんだけど……、この前に突然、『もうここへは来るな』って怒られて……」
「君、文字が読めるんだ」
 ウネンが思わず上げた感嘆の声を聞き、少年は若干照れくさそうに視線を落とす。
「先生が教えてくれた」
 なんだかんだ言って、どうやらあの水の魔術師は面倒見がいい人のようだ。もしかしたらモウルが変に突っかかっていかなければ、ウネン達ももっと友好的に話ができたのかもしれない。
 ウネンの溜め息に気づくこともなく、モウルは相変わらずの調子で少年に語りかける。
「先達の魔術師と交流を持つというのは、全くの無駄ではないと思うけど、基本的に魔術師は、『なる』というよりも『見出される』ものだからなあ。あの人も、それぐらい教えてあげたらいいのに」
「みいだされる?」
 少年が、怪訝そうにまばたきを繰り返す。
 ウネンもまた、話を聞き漏らすまいと、気を引き締めてモウルのほうに向き直った。魔術のこと、ひいてはあの〈囁き〉の正体について、何か少しでも手掛かりを得られないかと期待して。
「そう。僕もそうだし、あの人もきっと同じ。日々の生活の、ふとした折に、神を見出し、神に見出されたんだよ」
 真剣な面持ちで聞き入る二人の聴衆を前に、モウルは得意げに話し続けた。
「例えば、賑やかな広場が突然静まりかえるように。例えば、辺りに立ち込めていた靄が、すうっと引いていくように。感覚が澄み渡る瞬間を想像してごらん」
 そう言って、モウルは少年と目線を合わせるべく、上体を少し屈ませた。
 逆光を受けてモウルのかんばせに影が差す。深みを増した碧の瞳を、少年が食い入るように覗き込む。
「そんなふうに目の前が晴れると同時に、君は、君に重なる『何か』の存在を認識するだろう。互いの〈たましい〉が触れ合い、胸の奥が震え、その震えが〈ことのは〉を、神の真名まなを、伝えてくれる」
 大勢の人が行き交う表通りの片隅、モウルの声がウネン達を世界から切り離す。その音吐おんとは一息ごとに透明度を上げ、那辺へ渡る涼風のごとく、ウネンの頬を撫で、オーリの髪を揺らし、少年の額の汗を吹き払う。
「同時に君の中でも共鳴が起こり、それが神へと伝わっていくんだ。それこそが、君の真名まな真名まなを交わした瞬間、君の髪の色は光すら映さぬ黒へと変貌し、以降常に傍らに神を感じるようになる。古い呼び名である〈かたえ〉のとおり、魔術師とは神の傍にいる者なのだからね」
 歌うように、ながむように、モウルは語り続けた。双眸に碧落を映し込んで。
「どうやって神を見出せばいいのか、それは僕にも解らない。その時が来るのを待て、としか言えない。来るかどうかもわからない。来ないかもしれない。ただ、本を読んだり世の中を見たりして、よく考え、感覚を研ぎ澄ませておくのは、とても大切なことだと思うよ。猫がヒゲを立てるように、ね」
 最後の最後でモウルはいつもの調子に戻って、悪戯っぽく片目をつむってみせた。
 町角の喧騒が一気に周囲に戻ってくるのと同時に、少年が面食らった顔で目をしばたたかせる。
 ウネンもまた、深く深く息を吐き出した。モウルの語りを聞いているうちに、なんだか自分の傍らになにものかの気配を感じたような気がしたからだ。
 またしてもモウルの弁舌にいいように乗せられてしまった。悔しさを紛らわせるべく、ウネンは隣に立つオーリに小声で話しかける。
「モウルって、腹が立つぐらい弁が立つね」
「ああ」
 即答が、溜め息とともにウネンの頭上から降ってきた。
「二人を足して二で割ったら丁度良かったのに、と、よく言われたな」
「あー……」
 ここで肯定してしまうのは、流石に少々オーリに失礼なのではないだろうか。頷くに頷けぬまま、ウネンは曖昧に語尾を誤魔化した。
  
 ありがとう、と大きく手を振りながら、少年は川の北岸へと橋を渡っていく。
 少年の後姿が橋の半分を過ぎたところで、モウルがやけに優しい声でウネンの名を呼んだ。
「……何?」
 ウネンがおもてに露骨な警戒の色を浮かべてみるも、モウルはまったく意に介した様子もなく、にっこりと極上の笑顔を返してくる。
「ねえ、ウネン、君さ、ちょっとあの少年のあとをつけてくれない?」
「そういうことなら、俺が……」
「僕やオーリじゃあ、どう考えても、悪目立ちしすぎるんだよね」
 名乗りを上げたオーリを一刀両断にして、モウルが再度ウネンに微笑みかけた。
「その点、君なら、どこからどう見ても『ただの子供』だからね。その辺をうろちょろしてても、誰にも見咎められずにすむ」
「そんな頼み方をされてホイホイ引き受ける人がいたら、びっくりだ」
 ウネンは、この瞬間、オーリが始終眉間に皺を寄せている理由が身に染みて理解できたような気がした。
 モウルはと言うと、ふむ、と、右手を顎に当てたのち、今度は真顔でウネンの顔を覗き込んでくる。
「君には、僕やオーリが持ち得ない素晴らしい能力がある。――無邪気な子供に自らを擬態することができる、という能力だ」
「前にオーリに、『自分が何もできない時は、煽らないでくれ』って言われてなかったっけ?」
「どうでもいいが、そろそろあの子供が橋を渡り終えるぞ」
 オーリの冷静な一言を聞くや、モウルが慌てて「頼むよウネン、お願いします」と姿勢を正した。
「自分一人に丸投げし過ぎ、って偉そうにオーリに言ってたけど、モウルだって結構他人をこき使ってるじゃないか」
「こういうのは、『役割分担』って言うんだよ」
 まったく悪びれた様子もなく、モウルが爽やかに微笑む。
 ウネンは両手を腰にあてて、溜め息を呑みくだした。
「で、彼のあとをつけて、何を調べればいいの?」
  
  
 ヘパティツァ川を渡り、通りを更に先へ。少年が向かっているのは、町の北門のようだった。
 石積みの城壁に穿たれた門の横には小さな詰所が建っていたが、付近に門番の姿は見当たらなかった。たまたま席を外しているだけなのか、これが常態なのか、そんなことを考えながらウネンが歩いていると、建物の陰で門番二人がテーブルに向かい、チェスに興じているのが見えた。
 少年は、わき目もふらずに門を通り抜け、そのまま野道を真っ直ぐ北へ――パヴァルナの人々が所有する農地が広がっているほうへと進んでいった。
 ウネンは、背の高い草や灌木の陰を選んでは、少年と充分に距離をとって、そのあとをついていった。
 緩やかな丘を東に迂回したところで、ウネンの目の前に見覚えのある風景が広がった。
 行く手を横切る光の筋は、領民達のための用水路だ。午前中に散々見てまわった領主直営地は、その向こう側の坂の上にある。一段高い領主の土地からは、他の農地の様子が一望できたのだ。
 ウネンのいる場所から少し右手には、頑丈な木柵が、前方、北の方角へと波打ちながら伸びていた。柵の東側に目をやれば、緑の陰にのんびりと草をむ羊の群れが散見できる。どうやらこのあたりが農地の東端になっているようだ。
『おそらく、あの少年は、今から農地へ戻るんだと思う。彼の話が本当なら、日中にぶらぶら遊んでいる暇なんて無いはずだからね』
 先刻、橋を渡りきろうとしている少年を見送りながら、モウルはそう言った。
『で、君には、彼の土地がどういう場所にあるのか、どのような状態なのかを見てきてほしいんだ。君なら、そこらの人よりもずっと多くのことを〈見る〉ことができると思う。頼んだよ』
 面倒なことを簡単に言ってくれるあたりは、モウルもエドムント領主と大差ない。そう溜め息をつきつつも、ウネンはちょっぴり上機嫌だった。やはり、「君ならば」と能力を買われるのは、誰からであろうと――たとえ胡散臭い魔術師からであろうと嬉しいものなのだ。
 よし、と気合い一番、あらためてウネンは周囲を見回した。
 少年が、用水路に渡された丸太を渡る。
 畑のへりでいっぷくしていた中年の女性が、少年に気づいて手を振るのが見えた。
「遅かったね、リボル」
「ごめん、母さん」
 風にのって、二人の会話が微かに聞こえてくる。
「どうだった? 先生は何て?」
「心配ない、って言ってた」
「そうかい、よかったね」
 母親が、よっこいせ、とばかりに腰を上げた。
「領主様だって、先生には色々お世話になってるんだからねえ。そんな簡単に追い出すわけがない、って思ってたんだよ」
 互いの距離が縮むにつれ二人の声は小さくなり、とうとうウネンには何も聞こえなくなった。
 ウネンが立ち木の陰に隠れて様子を窺う中、リボルと呼ばれた少年とその母は、めいめい農具を手に持つと、畑仕事を再開する。
 ウネンは、頭の中で大雑把な地図をえがきながら、昼前に見た光景を記憶から掘り出していた。農民達の用水路を流れる水が、幾つもの農地を通過していくたびに少しずつ減り続け、最後には泥の表面を薄くなぞっていくだけになってしまっていたことを思い出していた。
 リボルの畑は、まさに、その、農地のどん詰まりにあった。
「水が欲しい」との悲痛な願いは、リボルのものである以上に畑に植わる作物達の願いでもあった。全体的に白茶けた土に、乾ききった敷き藁、半ばしおれてしまっている葉々。実を結ぶどころか、枯れずにいるだけで精一杯といった野菜達の姿に、ウネンの胸はじくりと痛んだ。ここに比べたら、水が減っていると大騒ぎしている領主の畑など随分とかわいいものだ。
「おうおう、せいが出ますなあ!」
 突然の濁声が辺りに響き渡り、ウネンは反射的にそちらを見やった。
 リボルの農地の西側に、似たような体格の三人の男が、農具を積んだ手押し車とともに立っていた。
「ほんと、たった二人でご苦労なこって」
 三人は、どうやら兄弟か従兄弟のようだった。互いによく似た目鼻立ちで、右から順に、髭、細面、円い顔、と、外枠だけが違っている。
 ねぎらいの言葉にしては、一々声の調子にいらぬ棘があるように思えたのは、ウネンの気のせいではなかったようだ。リボルもその母も男達には目もくれず、黙々と農作業を続けるばかり。
「無視してんじゃねえよ!」
「まあまあ、兄貴、可哀そうだから放っておいてやろうぜ。どんなに頑張ったところで、どうせ秋には俺達の土地になるんだし」
「そうそう。今のうちに、そこの斜面でも畑おこししておいたほうがいいんじゃねーのか?」
「親父の言うとおりに、全部貰ってやってもいいんだけどよ。俺らは心が優しいからな。用水路のあっち側はお前ンところに残しておいてやるからよ」
「だよなー。いきなり全部は酷過ぎるよなー。俺達って優しいよなー」
 勝手なことを思うさまほざきながら、三人は楽しそうに笑い合う。それから、「じゃあな」と、くわやらすきやらをガチャガチャいわせて去っていった。
 ウネンは、木の陰で大きく息をついた。三人組に石を投げつけたい衝動をなんとか抑えきれたことを天の神に感謝しつつ、ふと、彼らが言っていた「こちら側」の「斜面」に目をやる。
 それは、町から来る際に迂回した、大人の背丈二つ分ほどの高さがある丘のことだった。目を凝らしてみれば、頂上の手前に土地の境界を示す杭が刺さっているのが見える。あそこまでがリボルの家が所有している土地なのだろう。
 ウネンは知らず眉をひそめていた。
 丘の斜面には、幾らか果樹が植えられているようだったが、その枝ぶりはどれも貧相で、少雨の影響を受けているのは明らかだった。土地にこれだけの高低差があれば、用水路の恩恵はゼロに等しいと考えてもいいだろう。あの、ナントカ兄弟の言うとおりに畑おこしをしたところで、植えられる作物は非常に限られてくると思われる。
「リボル、そろそろ夕飯の支度をしなきゃ」
 母親が葉の陰から身を起こした。
「母さんは先に帰ってて。僕はもう少しここの草とりをしていくから」
「でも、お前……」
「だって、明日は麦畑の当番だよ。今日のうちにできることは全部やっておかなきゃ」
 その一瞬、母親の表情が悲痛に歪む。
「……そうだね。じゃあ、真っ暗になる前に帰ってくるんだよ」
 よいしょ、と籠を背負い、母親が帰途についた。
 こちらへ来るかと慌てるウネンをよそに、リボルの母の姿は、さっきの無礼三兄弟と同じ、斜面の向こう側へと見えなくなってゆく。リボルが往き道に丘の東側を通ったのは、あの三兄弟の顔を見たくなかったからに違いない、と、ウネンは密かに納得した。
 なんとなく帰りそびれたまま、ウネンはリボルの様子を見守り続けた。
 リボルは、わき目もふらず、ただひたすらに働いていた。駆除した雑草を集めて土をかけ、風に散ってしまっていた藁を作物の根元に集め、最後に畑じゅうをくまなく見てまわり、そうして太陽が西の連山のすぐ上にさしかかる頃になって、リボルはようやっと農具を、背負い籠に放り込んだ。
 籠を持ち上げかけたところで、リボルはその動きを止めた。もう一度籠を地面に置き、用水路を渡り、疲れの滲む足取りで、ゆっくりと丘をのぼってゆく。
 丘の中ほどで足を止めたリボルは、くるりと向きを変え、自分の家の農地を見下ろした。それから彼は、そっと目を閉じ、おずおずと天に向かって両腕を開いた。
 ウネンは小さく息を呑んだ。リボルの気持ちが、今、彼女にも痛いほど伝わってきたからだ。
『例えば、辺りに立ち込めていた靄が、すうっと引いていくように』
 ウネンの耳元で、モウルの声がこだまする。
『そんなふうに目の前が晴れると同時に、君は、君に重なる〈何か〉の存在を認識するだろう』
 ――さあ、見つけておくれ。ぼくはここにいる。
 声なき祈りが、ウネンには聞こえるようだった。お願いだ、と。どうか神様、ちからを貸してください、と。
 気がつけばウネンも、リボルとともに祈っていた。ここにいるよ、ここにいるから、だから――
『そう、……は、ここにある……!』
 突然なにものかの声がウネンの思考にぶつかってきた。衝撃で膝から力が抜け、ウネンはあえなくその場にへたり込む。
 喘ぐように息を繰り返しながら、ウネンはこぶしを握り締めた。
 これは、いつもの〈囁き〉とは別なものだ。言葉を成さない〈囁き〉とは違い、これには明確な意思がある。ヘレーと出会ったあの時に聞いた、謎の言葉と同じように。オーリやモウルと初めて相まみえた時の、正体不明の声のように。
「ウネン、エンデ、……それから、なんだったっけ……」
 深呼吸を数度、ようやく鼓動が落ち着きはじめるのを待って、ウネンは敢えて声に出して呟いてみた。そうすることで何か閃きが降って湧いてこないかと思ったのだ。
 何も起こらないまま、風だけが辺りを吹き渡っていく。ウネンはようやく自分の任務を思い出し、慌ててリボルを探して視線を戻した。
 茜色に染まる畑の中、リボルが、すっかり意気消沈した様子で籠を背負うところだった。
  
 リボルの背中が町並へと消えてゆくのを確認してから、ウネンも後れて町の門をくぐった。
 夕闇に沈む空を仰げば、天をく山々が残照に赤くふちどられている。時間をかけたわりにあまり成果が得られなかったような気がして、ウネンは大きな溜め息を吐き出した。
「遅かったな」
 相変わらず愛想の無い、だがいつになく気遣わしげな声を聞き、ウネンが顔を上げると、見慣れた仏頂面が目の前に立っていた。
「もしかして、待っててくれた、とか?」
「護衛が俺の仕事だからな」
「あ、うん。ありがとう」
 礼を言うウネンに、オーリが小さく頷く。「感謝して当然だ」と威張っているように見えるこの相槌が、「どういたしまして」の代わりであると解るまで、ウネンも二日を要したものだった。この不愛想な顔に上背のある体躯、そして腰には一振りの長剣とくれば、リボルを尾行するどころか町の門で足止めを喰らってしまっていただろう。
 ウネンの視線に気づいたか、オーリが僅かに眉を上げた。
 大したことじゃないよ、とウネンは慌てて両手を振る。
「あ、いや、なんと言うか、ほら、役割分担だな、と思って」
 そうだな、と、オーリの口元が微かにほころんだ。
「帰るぞ」
 一言言い置いて、オーリがきびすを返す。
 あとに続こうとしたウネンは、ふと、目の端に引っかかりを感じて、そちらに首を巡らせた。
 薄暗さを増した北門の脇で、二人の門番が立ったままカードに興じている。
 ウネンは小さく首をかしげた。リボルの畑で見た、あの無礼三兄弟が門のところにいたような気がしたのだが、どうやら思い過ごしだったようだ。そもそも、夜の帳がおりようとしているこの時間に町の外へ出ようとするなんて、普通はあり得ないだろう。
「どうした」
「ううん、なんでもない」
 頭をひと振り、意識を切り替えて、ウネンはオーリのあとを追った。