あわいを往く者

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九十九の黎明 第五章 旅立ち

  
  
 羊一頭分を丸々使ったと思しき大判の羊皮紙が、机の上に広げられる。精密な線でそこに記されていたのは、主館大広間の三面図及び窓や扉、暖炉の構造図だった。
 図面が巻き戻らないように四隅を文鎮で押さえてから、ハラバルはゆっくりと残る三人――ウネン、モウル、使用人のフェルデ――を見回した。
「これは、わたくしがまだ若い頃に、この城の図面を整理して筆写したものです。以前は、建てられた年代や担当した職人ごとに、書式も縮尺も精度すらもばらばらでしたから」
 ウネンは夢中になって図面を見つめた。記された寸法どおりに頭の中で部屋を組み立ててみて、思わず「あれ?」と口に出してしまう。
「窓の位置が少し違うような」
「そう。どうやら図面を書いた者は、離れの塔の位置を失念していたのでしょうな。実際に建て始めてから、塔の影をよけるように、窓の位置をずらしたものと思われます」
 お偉いさんでも間違えることがありなさるんですね、と、フェルデがしみじみと呟く。
 ウネン同様、食い入るように図面を見ていたモウルが、感心したように息を吐いた。
「右隅に六十八分の七、とありますが、もしや、この六十八とは図面の総数ですか?」
「ええ」
「まさか補佐官殿は一人でこれを?」
「当時、城には、数字や図面を扱える学者が、わたくししか居りませんでしたからな」
 お疲れさまです、と目を伏せるモウルに、ハラバルが「それほどでも」と首を振った。
「それに、今ならウネンも居りますし、モウル様だって居られる」
 そう言ったハラバルの声の調子に微かな違和感を覚えて、ウネンは思わずハラバルの顔を見上げた。
「いえいえ。私ごとき、頭数に入れていただくほどではありませんよ」
 ハラバルに応じるモウルの口調も、心なしか何か含みがあるように聞こえる。
 やはりモウルとオーリは、遠からずこの城を出てゆくつもりに違いない。胃のあたりを冷たい手で鷲掴みにされたような気がして、ウネンは握ったこぶしで腹を押さえる。
「さて」と、ハラバルが涼しい顔で図面の右下を指差した。
「これが大広間の暖炉を右方向から見た図です」
 それは、ごく一般的な壁付暖炉の側面図だった。建物の分厚い壁の中に張り出した耐火煉瓦の炉室と、そこから鉛直に立ち上がる煙突。炉室の上方には、冷気や雨水が室内に入ってくるのを防ぐための煙棚が、煙道を塞ぐように煙突の奥から手前へとせり出している。
 煙棚と煙突手前の壁との隙間は、図面によると十五センチほど。数字だけを見れば大人の腕でも充分に通る幅になってはいるが、煙棚の位置が暖炉の開口部よりも四十センチも上側になっているため、下から手で煙棚の上面を探ることは不可能だ。
「煙棚にたまった枯れ葉やごみをかき出す時に、こんな感じにがくっと曲がった棒を使ってるんですがね、生きた鳥が相手じゃあねえ……」
「それに、この隙間の幅だと、翼が引っかかって通らないかも」
「そうなんですよ」
 ウネンの指摘に、フェルデが顎をさすりながら嘆息した。
「他のお部屋の暖炉は、どれももう少し掃除のしやすいところに煙棚があるのに、大広間のだけは、本当に不便で……」
「城内で一番広い部屋ですからな。いかに効率よく部屋を暖めるか、ということを重視して設計されたのでしょう」
 ハラバルが、煙突の吸気力と熱効率について簡単に解説をしたものの、どうやらフェルデにはちんぷんかんぷんだったようだ。
「ともあれ、下からが無理なら、上から、かな……」
 ぼそりと漏らされたモウルの声を聞き、フェルデが抗議の声を上げた。
「ええっ、そんな、無理ですよ! 屋根から何メートルあると思うんですか。掃除するのとはわけが違いますよ。釣り上げるにしても針で引っかけるわけにはいかないし、縄を……」
 と、言葉半ばでフェルデの声が途切れた。何か思いついたことがあるらしく、おずおずと図面を指差し、皆に問う。
「ええと、これって、煙突の上から下まで、ずーっと同じ幅になってる、ってことなんですよね?」
「ええ」
 ハラバルの返答に、フェルデが顔を輝かせた。
「てことは、小さな子供なら、下まで降りられますね」
「ええっ?」
 ウネンは反射的に身構えた。肉体労働があまり得意でない自分に、そんな大役が務まるのだろうか、と不安しか覚えなかったからだ。
「違います、違います! ウネンさんではなくて、別に心当たりがあるんです!」
 フェルデが大慌てで両手を振った。
「知り合いに子供の煙突掃除屋がいるんですよ。小さくて身軽だから煙突の中に潜って掃除ができる、というのが彼の『売り』でね。この時間なら、中央広場の神庫ほくらの前で休憩していることが多いから、ちょっとひとっ走り呼びに行ってきましょうか」
 ハラバルが、ちらりと壁の時計を見やる。時刻は午後三時、日暮れまではまだしばらく猶予がある。
「そうですね。では、お願いいたしましょうか」
 よしきた、と、威勢のいい返事を残して、フェルデは部屋を飛び出していった。
  
 一時間も経たないうちに、フェルデがくだんの煙突掃除屋を連れて城へと戻ってきた、との知らせがウネン達のもとにもたらされた。
 生憎とハラバルもモウルも外せない用事があるということで、ウネンが図面を持って、鴉救出作戦に立ち会うことになった。
 建物の外、大広間の暖炉の裏にあたるところには、先刻大広間に集まっていた使用人達が大きな梯子や縄の束を抱えて集まっていた。ジェンガ翁とダーシャ王女の姿が無い代わりに、鳶色の髪の、真鶸まひわの羽根のようなくすんだ黄緑色の服を着た少年が、フェルデの傍できょろきょろと辺りを見まわしている。
「ああ、ウネンさん、この子が、先ほど言っていた煙突掃除屋のコニャです」
 フェルデの言葉を聞いて、コニャと呼ばれた少年が、髪と同じ色の目をしばたたかせた。
「僕は呼び捨てで、この子には『さん』をつけるんだ?」
 コニャが疑問をいだくのはもっともだ。何しろ、ウネンと彼はほとんど変わらない身長をしているのだから。
「馬鹿。ウネンさんは補佐官先生の助手なんだぞ」
「ええっ?」
 まじまじとウネンを見つめるコニャの頭を、フェルデがぺしんとはたいた。
「こら、失礼だろ」
「だって、この子、僕と同じぐらいの歳じゃん。子供じゃん」
 それはたぶん違う、と、ウネンは思った。
「『この子』じゃない、ウネンさんだ。お前と同い年でも、ウネンさんは、本や図面も読めるし、算術だってできなさるんだぞ」
「あのー、ぼく、十五歳ですが」
「えっ」
「えっ」
 しばしの沈黙ののち、いち早く我を取り戻したのはコニャだった。
「へえー、十五歳で、そんなに色んなことができるんだ! すごいね! 僕はコニャ。もうすぐ十二歳になるんだ」
「ありがとう。ぼくはウネン。今日はよろしくお願いします」
 背後にある離れの塔が、主館の壁に黒々とした影を落としている。日没まであと二時間と少し。既に煙突の中はかなり暗くなってしまっていることだろう。
 ウネンは手に持っていた図面を広げると、コニャに状況を一から説明した。
「……で、さっき屋根にのぼってくれたカシュパールさんの話によると、煙突のてっぺんにあるはずの金網がなくなっているそうなんだ。もしかしたら煙突の中に落ちて嵌まり込んでしまっているかもしれない。下へ進むのが少しでも難しいと思ったら、絶対に無理をせずに戻ってきてほしい」
「了解!」
 そう言ってコニャは、鼻の上に皺を寄せてニカッと笑った。リスもかくやな身のこなしで梯子をのぼり、煙突脇で控えるフェルデとカシュパールの二人の使用人と合流する。縄をしっかりと腰に結わえつけてもらったのち、コニャは躊躇うことなく屋根を外した煙突に頭から潜っていった。
 いくら煙突の中に慣れているのだとしても、普通は足から入っていくものだろう。狭くて暗い穴の底へ天地逆さになって下りていくということが、どんなに怖くて難しいことか、ウネンにも簡単に想像がついた。どうか何事も起こりませんように、と、あらゆる神に心の底から祈る。
 やがて、屋根の上の二人がせわしなく動き始めた。煙突のふち棕櫚しゅろの葉を敷いて縄の滑りを良くした上で、二人がかりで慎重に縄を引っ張り出してゆく。
 コニャの足が煙突から出た。待ち構えていたフェルデが、直接コニャの身体を掴んで煙突の中から引き抜いた。
 煤まみれとなったコニャの両手が、何か黒い塊を持っている。煙突の横でコニャとフェルデがなにやらごそごそ動いていたかと思えば、その黒い塊はやにわに大きな羽根を伸ばし、力強い羽ばたきの音とともに一気に空中に舞い上がった。
 仄かに赤みがかった夕方の空いっぱいに、一際高らかな鴉の鳴き声が響き渡る。
 遠くへ、遠くへ。どんどん小さくなっていく鳥影を目で追い続けていたウネンは、「これでいいんだよね」と声をかけられて、ハッと我に返った。
 頭のてっぺんからつま先まで、見事に煤けたコニャがすぐ傍に立っていた。
「ありがとう、コニャ。怪我はない?」
「全然。壁にこびりついた三年もののタールに比べたら、楽勝だよ!」
 そう言ってコニャが得意げに胸を張る。
「煙棚の上でぐったりとしてたから、死んでんじゃないかって思ったけど、足に引っかかってた金網を外したら、すごい勢いで飛んでったよ」
「煙突にごみが入らないように、っていう例の金網?」
「そう。錆びて壊れかけていたところに、あの鴉が乗っかってしまって、それで一緒に落ちちゃったんじゃないか、ってフェルデさんが言ってた」
 コニャが指さした先では、カシュパールに続けてフェルデがようやっと梯子から地面に降り立ったところだった。はやばやと屋根をおりてきたコニャの、驚くべき身の軽さに、ウネンはあらためて舌を巻く。
 と、ウネン達の背後で、草を踏みしめる音がした。次いで、柔らかい声がふわりと二人のもとへと降ってくる。
「ご苦労だったね」
 ウネンとコニャは、同時に後ろを振り返った。
 クリーナク王が、穏やかな笑みをたたえてそこに立っていた。
 ウネンが「陛下」と応えるのを聞き、コニャが弾かれたように背筋せすじをピンと伸ばした。食い入るようにクリーナクを見つめ、「本物だ」と小声で呟く。
「王女の願いを聞いてくれてありがとう。君のお陰で、不運な御使みつかいも命を散らさずにすんだよ。私からも礼を言わせておくれ」
 カチンコチンに固まったまま、コニャが「いいえどういたしまして!」と声を張り上げた。
 それを見たクリーナクが、満面の笑顔となる。日頃ダーシャ王女に見せている、あの笑顔だ。
「丁度パンが焼き上がったところだと、料理長が言っていた。報酬とは別に、幾つか持って帰ってくれないかな」
「えっ、パンを? いいんですか?」
 クリーナクの気さくな口調と笑みに、コニャの緊張が目に見えてほどけてゆく。
「ああ。御使みつかいの分のお礼だよ」
「やったー!」
 勢いよく両手を振り上げてから、コニャは慌てて姿勢を正した。
「ありがとうございます!」
 夕焼け空の下、どこかで鴉が、くあ、と鳴いた。
  
  
  
 肩にはいつもの肩掛け鞄を、頭の中には街路の地図を、腹には気合いを。いざ、と第一城門の前に立ったウネンは、門番の横に兵装を解いたオーリの姿を見つけて目を丸くした。
「補佐官様に、護衛を頼まれた」
「え? ハラバル先生が?」
 昨夕、パンの袋を持って上機嫌で帰ってゆくコニャを見送ったあと、ウネンはハラバルの部屋に煙突の図面を返却しに行った。
 折りよく部屋に戻ってきたハラバルに、ウネンは鴉騒動が無事解決したことを報告した。そして、ついでに、次の休みの日に方位盤の杖の材料を探しに町に出ようと思っていることをも告げた。
 ウネンが話し終わるのを待って、ハラバルは「いいでしょう」と静かに頷いた。「丁度、パヴァルナ行きの分の給金を陛下から賜ったところです。早速明日の午後にでも行っておいでなさい」と。
「でも、先生は護衛については何も仰ってなかったけど」
 怪訝に思ったウネンがオーリに尋ねれば、意外そうな声が「そうか?」と返してくる。
「ヴルバのことがあるからな」
「え、でも、あの人、今、裁判待ちで蟄居ちっきょ中なんじゃなかったっけ? この期に及んで逆恨みしてくるって言うの?」
「どうやら奴は、お前を攫おうとした際に町のゴロツキを使っていたらしい。もしもヴルバが手を引いたことを知らない者が残っていた場合、そいつが暴走する可能性がある」
「ああー」
 深く大きな溜め息を吐き出してから、ウネンはオーリを見上げた。そうして、あらためて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
  
  
 昨日、使用人達から教えてもらったことによると、大通りから東に一角ひとかど入ったところにある「ヤンの店」という道具屋が、安い上に品揃えが大層良いらしい。ウネンは真っ直ぐにその店を訪れて、幾つも立てかけてある箒の中から、出来るだけが丈夫そうなものを探し始めた。
 修道士に壊されてしまった先代の杖も、こうやって材料を調達したものだった。材木屋で木を加工してもらうよりも安いのは当然のこと、適当な木切れを買うにしても、自分で削り出す手間や失敗する可能性を考えると、結果としてこちらのほうがお得だと言えるからだ。
 の木目を確認しながらウネンが箒を選んでいると、オーリがぼそりと口を開いた。
「箒なら、城の物を借りられるだろう?」
「いや、必要なのは、箒じゃなくてだから」
?」
 オーリの眉間の皺が深くなるのを見て、ウネンは慌てて説明した。
「ほら、パヴァルナでぼくの杖が壊れちゃったでしょ。で、直すための材料を探しているんだ」
「杖を作るのか。箒ので」
「うん」
 ウネンが頷くなり、オーリは眉間を緩ませるどころか更に険しくさせて、何事かを考え始めた。
 ややあって、ウネンの手から箒をもぎ取って、元あった場所へと戻す。目をしばたたかせるウネンの手をむんずと掴み、問答無用とばかりに店から連れ出す。
「え? ちょ、ちょっと、どうしたの?」
「こっちだ」
「だから、どうしたの、ってば!」
 体格、体重、腕力、どれ一つとってもウネンに勝ち目があるはずがない。オーリに引っ張られるがままに大通りへ出てきたウネンは、二角ふたかど二筋ふたすじ引きずられた先、一軒の店屋に連れてこられた。
 看板を見る余裕はなかったが、店内をひと目見るや、ウネンにもここが何の店か理解することができた。壁という壁を飾る刀剣に槍、弓に矢。まごうことなき武器屋である。
 オーリは、槍頭とが並ぶ一角の前で、ようやくウネンの手を離した。あっけにとられてその場に立ち尽くすウネンを尻目に、一本の槍のを手に取り、二度ほど軽く振ったのち、ウネンの面前に勢いよく差し出す。
「これなら、いざという時に武器としても使えるだろう」
 ウネンは、おずおずと槍のを受け取った。
 それは、しっかりとした造りにもかかわらず驚くほど軽かった。傍らに掲示された値札の説明を見るに、檜の芯棒を樹皮で補強した上に麻糸を巻き、松脂油で防水加工まで施してあるようだ。適当な材木を削っただけの箒のとは、比べるべくもない丈夫さだ。
「あんな箒のでは、またすぐに砕けてしまう」
「それはそうかもしれないけど、でも、こんなお金持ってないよ」
 値札には、ウネンの財布の中身の軽く三倍はする金額が記されていた。
 オーリが「むう」と唸るのと、ウネンが溜め息を吐き出すのとが、同時だった。
「それに、これだと、ぼくが使うには長すぎる」
「切ればいい」
「そもそも、この太さじゃ方位盤が取りつけられない」
「削ればいい」
「ちょっと、お客さん!」
 少し離れたところからウネン達の様子を見守っていた店主が、たまりかねたように駆け寄ってきた。
「切ればとか削ればとか、素人さんに勝手にそんなことされたら困りますよ! それが原因でが壊れた挙句に、全部こちらのせいにされたらたまりませんからね!」
 オーリの喉から、また唸り声が漏れた。
「ほら、お店の人もこう言ってるし! 無理を通しちゃいけないってば!」
 全体重をかけてオーリの背中を押しながら、ウネンは「お邪魔しました」と武器屋を出た。