あわいを往く者

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九十九の黎明 第八章 追いすがる過去

  
 きこりが木を切り倒す時もこんな音がしたものだ。ばりばりと生木が裂ける音に、倒れゆく木が周囲の枝や下草を押しのける音、そして木の幹が地面にぶつかる重い音。
 地響きと相前後して、何人もの叫び声が小さく聞こえた。やめろ。とまれ。ふざけんな。なにをする。
 首領と四人の手下達は、しばし呆然と立ち尽くしていたが、鬼気迫る悲鳴が聞こえてくるに至って、「なんだ、何が起こっているんだ」と大騒ぎを始めた。
 そこへ血相を変えてまろび入ってくる、五人目の手下。
「お、お頭、殴り込みだ!」
 その一言で、山賊達の顔色が一瞬にして紅潮した。
「白虎団の奴らか!」
「とうとう来やがったか! いいぜ、ここらで一番は誰なのか、今日こそはっきりさせてやろうじゃないか!」
 袖をまくり、こぶしを宙へ突き上げ息巻く四人の横で、五人目が小刻みに首を横に振る。
「そ、それが、どうも違うみたいなんでさぁ」
「はァ?」
「違うって、何が」
 詰め寄られた五人目は、喘ぐように息を継ぐと声を絞り出した。
「魔術師と剣士が、たった二人で」
 魔術師と、剣士。
 ウネンは大きく息を呑んだ。もしかしたら、モウルとオーリが助けに来てくれたのでは、と。
「たったの二人?」
「下に十人はいるだろ? 二人相手に何を慌ててんだ」
「でもよ、それが滅法強くてよ! 足止めしようにも全然止まんねえんだよ!」
 悲鳴にも似た五人目の叫びに、残る四人の顔から笑みが消えた。
「城門はどうした」
「そんなもん、魔術師の奴にあっという間に壊されちまったよ!」
「魔術師ってことは、まさか、この箱をあけると言っていた奴か? さてはお前ら、下手を打ちやがったな」
 首領は四人をぎろりと睨みつけてから、レヒトとウネンに向き直った。
「仕方ねえ。こうなったからには、とにかくこいつらを盾にその魔術師どもの足を止めて……」
「ですがお頭、そいつら、『攫ってきた娘を返せ、無事に返すまでは容赦しない』って叫んでて、もう誰にも手がつけられねえ感じで……」
 きっと彼らだ。嬉しさのあまり、ウネンの胸の奥が燃えるように熱くなった。込み上げてくる熱にのぼせそうになりながら、ウネンは手のひらに爪が食い込むほど両手を握りしめる。
「娘? 娘なんて誰か攫ってきてたか?」
 首領が、眉をひそめて傍らに問うた。
「もう三箇月ぐらいご無沙汰ですが」
「まさか、白虎団の奴らと間違えてるとか……」
「どうしましょう、お頭」
「ああ、くそっ! こいつらはもういいから、さっさとその二人を叩きのめしてこい! いくらそいつらが手練れだといっても、全員でかかれば、あっという間だ!」
 了解! と五人が一斉に戸口へと走る。
 と、窓の外、先刻とは逆の方角から、扉が閉まるような大きな音と馬のいななきが聞こえてきた。
「なんだ? 今度は裏門か?」
「リッテンの山狩りに出ていた奴らが帰ってきたみたいでさぁ」
 そう言って最後の一人が飛び出していくと、部屋の中はウネンとレヒト、そして首領の三人だけとなった。静まり返った室内で、首領のいら立たしげな足音が拍子を刻む。
 ややあって、荒々しい足音が物凄い勢いで近づいてくるや、新たな二人が部屋の入り口に姿を現した。
「お頭、大丈夫ですか!」
「見慣れない奴らが凄い勢いでここを目指しているのを見たんで、心配になって戻ってきやした。殴り込みですか!」
 二人の顔を飾る立派な髭にウネンは見覚えがあった。この髭は、確か昨晩、リッテンの町の酒場でウネンを突きとばしたいけ好かない髭だ。
 ということは、もしかして。と思う間もなく、聞き覚えのある暢気な声が部屋の外から響いてきた。
「へぇー。こんなところに、こんなでっけぇお屋敷があるなんて知らんかったなー」
 見た目肉体派な魔術師マルセルが、戸口をくぐって姿を現した。その後ろには、非常に居心地の悪そうな表情をした小柄な剣士テオもいる。
「お前、なんでよそ者を連れて来てるんだ!」
「ついてくるな、って言ったのに、勝手についてきやがったんですよ! あれこれ言い合う時間も惜しくて、仕方なく」
 早口でそう弁解してから、髭は、マルセルに聞こえないようにそっと声を潜めた。
「それに、お頭、あの魔術師、相当頭の中身がおめでたいから、上手いこと言えば手助けしてくれそうですよ」
「そうか」
 髭二人と目配せし合った首領は、戸口に立つマルセルに向かって芝居がかった調子で両手を広げてみせた。
「魔術師殿、実は今、悪の魔術師がこの城を襲ってきているんだ。どうか力を貸してくれないか。このままでは、俺達が今まで人生をかけて築き上げてきた全てを奴らに奪われてしまう」
 ウネンの隣でレヒトが「全然上手いこと言ってないじゃん」と呟く。「悪の魔術師を出すなら、囚われのお姫様ぐらい付けないと、全然盛り上がらないって」
 だが、マルセルはレヒトほど贅沢な嗜好をしてはいないようだった。
「なに、それは大変だな!」
「そう、とても大変なんだ」
「じゃあ、危険手当上乗せしてくれるか?」
「ああ、たっぷりと報酬をはずんでやる」
 よっしゃー、と気勢を上げるマルセルの服の裾を、渋い顔のテオが引っ張った。
「なんだよ、邪魔くさいなテオ」
 深い溜め息を吐き出してから、テオがウネン達を指差した。
 マルセルが目陰まかげの下で目を細めた。
「ありゃ。昨日酒場で会ったお嬢ちゃんじゃん。それに、レヒトも。どうしたん、こんなところで」
 状況が理解できないのだろう、髭二人が部屋のあちらとこちらをきょろきょろと交互に見やる。
 その横で、首領が目を剥いてウネンを指差した。
「なんだって? お嬢ちゃん? 女? じゃあ、例の二人組が言ってた『娘』って……」
「え、ちょっと待てよ、なんでレヒトもお嬢ちゃんも手ぇ縛られてんの? ていうか、もしかして、こいつらのほうが悪い奴なんじゃね?」
 素っ頓狂な声をあげるマルセルに、テオがまたも深い深い溜め息をついた。
「だから、さっきからずっと言ってただろ」
「小声過ぎて聞こえねえよ!」
「大声で言ったらヤバいだろうが!」
 口喧嘩を始めた二人に対し、半ば捨て鉢な勢いで髭二人が剣を抜く。
「てめえら、ふざけてんじゃねえぞ!」
「覚悟しやがれ!」
 髭二人が突撃してくると見るや、マルセルとテオは瞬時に言い合いをやめた。マルセルが両手を前に突き出すと同時に、テオが腰を落として剣のつかに手をかける。
 ウネン達から見て右側の髭男が、部屋の端まで吹っ飛んで壁に叩きつけられた。男を吹き飛ばした突風は勢いのままに壁に沿い、部屋の中で渦を巻く。
 逆巻く風に鮮血を散らしながら、左側の髭男が床に崩れ落ちた。その向こう、右手に細身の長剣を、左手には小刀しょうとうを握ったテオが、油断のない眼差しを首領に向けて立っている。
「残るはあんた一人だな」
「テオ、それ俺の台詞!」
 首領は、何が起こったのか信じられない様子で、返り討ちにあった二人の手下を交互に見つめていたが、やがて蒼白な顔で喚きだした。
「だっ……誰か! 誰かいないか! 曲者だ! 誰か……!」
「お前が最後の一人だ」
「オーリ、それ僕の台詞」
 聞き慣れた声とともに、オーリとモウルが戸口に姿を現した。
  
  
 古道具屋の扉があけっ放しになっているのを見た時に、オーリは嫌な予感がしたのだという。
 店の床にウネンの杖が転がっていたことで、その予感は確信に変わった。杖を掴んで外に飛び出せば、モウルが店の前の地面から見覚えのある麻袋を拾い上げていた。
「葡萄がほとんど残っていない」
 オーリはちらりとモウルの手元を覗き込んでから、足元に視線を落とした。
「このわだちはさっきは無かったな」
「あの荷馬車か!」
 二人は同時に走り出した。ついさっき角を曲がる時にすれ違った荷馬車が、不自然なほど道を急いでいたことを思い出したのだ。
「やっぱりあそこで『お前のほうが気をつけろ!』って喧嘩を買うべきだったんだ」
 モウルが盛大に舌打ちをする。
 問題の馬車が通ってからまだ間があいていないおかげで、路面にはその痕跡がくっきりと残っていた。この分だと、他の馬車や通行人にわだちを踏み消される前に追いつくことも可能かもしれない。
 歩幅と体力にものを言わせて、オーリがモウルを引き離した。「お前はあとから来い」と言い放ち、更に速度を上げて角を曲がったところで、オーリは息を呑んで足を止めた。
 左右に伸びる大通りには、くまなく石が敷かれていた。車輪がこぼしたと思しき土も、二メートルも行かない先で路面の砂と完全に同化してしまっている。
 形相が変わるほどに奥歯を噛み締めたオーリに、息も絶え絶えなモウルの声が投げかけられた。
「葡萄、だ。ここまで、の、曲がり角、にも、幾つか、落ちて、いた。たぶん、目印に、彼女が、落として、いった、んだ」
 終いまで聞かずにオーリは地を蹴った。次の角まで来たところで、左右の岐路を目を皿にして調べる。角を曲がってから干し葡萄を落とすまでの時間差を考えて、数メートル先まで探してみたが、石畳の上にはそれらしきものは見つからない。
「どっちにも無いなら、次の角だ!」
 モウルが肩で息をしながら、大通りから声を張り上げる。
 オーリは即座にきびすを返すや、返事をする間も惜しんで再び走り出した。
  
 次の次の角を右に曲がった先に、二人は道の真ん中に散らばる四粒の干し葡萄を見つけた。その先も、人通りの少ない道を選ぶようにして馬車は何度も角を曲がっていた。
 乾いた石の上の干し葡萄は思いのほか見つけやすかった。そして、舗装されていない路地にはわだちがくっきりと残っている。二人は難なく追跡を続け、とうとう町の西門へとやってきた。
 国境に面した南門と違い、西門は比較的警備が緩めだった。ベデカー家の紋が入った革鎧の門番をモウルが口八丁で口説き落とし、二人は自分達の通行手形を担保に馬を借りて町を出た。
 先ずは地面に残る車輪の跡を手掛かりに。そうしてモウルが魔術で片っ端から音を拾い、彼らはほどなく、北側の山の中腹を行く馬車を発見することができたのだ。
  
  
 テオが町へ応援を呼びに戻っている間に、ウネンやレヒトも手伝って、五人は山賊達を縛り上げた。気を失ったままの者や、傷の痛みに呻く者、その数実に二十一名。オーリ達の見事な手際に、マルセルが何度も口笛を吹いた。
「あんたら凄いな! たった二人で十八人もやっつけたのかよ! こりゃあ、間違いなく領主様から褒美とか貰えんじゃね?」
「それなんだけど」
 照れ笑いとも苦笑ともつかない笑みとともに、モウルが口を開いた。
「僕らは旅の途中でね、あまりのんびりとリッテンに滞在するわけにはいかないから、これ、君達の手柄ということにしてくれないかな。僕らはそのお手伝いをした、ってことで」
「えー、面倒臭ぇなあ」
「領主様からの褒美とやらも、君達で好きにしてくれたらいいから」
 うーん、と唸りながら腕組みをしたマルセルは、ほどなく「そうだ」と朗らかに両手を打った。
「じゃあ、ついでに、俺達の仕事手伝ってくれよ」
「なんでそうなるの」
 間髪を入れずにモウルが異議を口にした。
「いや、でもさ、あんたらがいくらお手伝いだっつっても、役人と何も話をしないで終わり、ってことにはならねえと思うわけよ。そしたら、たぶんあんたらが出発の準備を終えるのって夕方過ぎるだろ? こいつらの残党だって潜んでいるかもしれないし、たった三人で夜に街道を行くのはヤバいんじゃないかと思うわけよ。となると、あんたらがリッテンを出発するのは明日ってことになるだろ?」
 モウルが唇を引き結んだ。
「そこで、だ。明日に俺達の仕事を手伝ってくれたら、そのあとで俺達があんたらを次の町まで馬車で送っていってやるよ。勿論、無料タダでな! 歩くよりもずっと速いし、なんなら寝てる間に目的地に着けるぜ。どうだ、お得だろう!」
 仕事内容は、とある農場近くの森に住みついた赤狼を退治すること。報酬は折半。リッテンを発つのが当初の予定よりも遅れることにはなるが、その代わりに無料の荷馬車を使うことができる。しかも、腕のいい剣士と魔術師の護衛つき。
「赤狼、か……」
 思いのほか渋い表情で、モウルが考え込む。
「俺なら別に構わないが」
 オーリの言葉を聞くなり、マルセルが上機嫌でオーリの背中をばんばんと叩いた。
「おー、話が分かるねえ、兄弟! お嬢ちゃんは……あれか、二人の決定に従う、ってやつか。となると、あとは魔術師の兄ちゃん、あんたが首を縦に振れば契約成立だ」