あわいを往く者

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九十九の黎明 第九章 大切な人

  
  
  
   第九章  大切な人
  
  
 見上げるばかりの城壁が、逆光を受けて闇に沈む。
 オンファズ川にクレーテ川が注ぎ込む合流点、大きく湾曲する大河の西岸にその町はあった。
 ラシュリーデン王国の都、ヴァイゼン。三重の城壁に守られた堅固なる都市。ウネン達はその一番外側にある第三城壁を、今まさに通り抜けんとしていた。堂々たる町の門をくぐり、西日差す大通りへと足を踏み出すや、ひしめき合う家々が三人を出迎える。
 道の両側には、半木骨造もっこつぞうや木造の二階建てがびっしりと軒を並べていた。王都と聞いて想像していた、背の高い重厚な石造りの建物はほとんど見当たらない。
 ぐるりを見渡すと、第三城壁に沿う空隙は当然としても、門の前の広場や大通りすらも路面の舗装は一切なされておらず、馬車の轍が黒土の上に幾つもの溝を刻んでいる。
 僅か十年前までは、ここはまだ町の外だったという。ラシュリーデン王国統一以来、町は拡大の一途を辿り、遂には新しい城壁を造るに至ったのだ。
 家並の向こう、どっしりとした趣の第二城壁が黒々とした影をまとって建っている。夕日を隠した望楼のふちが眩く煌めいて、まるで宝石のようだ。
 チェルナの王都クージェの風景を思い出しながらウネンが周囲を見まわしていると、「ウネン!」とモウルが呼ぶ声がした。
 振り返れば、門の官吏の傍らでモウルが右手を大きく振っている。その横に立つオーリも、いつになくそわそわと落ち着かない様子だ。
 ウネンがやってくるのを待って、モウルが官吏に向きなおった。
「今の話、もう一度彼女にも聞かせてやってくれませんか?」
 立派な口髭を蓄えた壮年の官吏は、「構いませんとも、魔術師様」とにこやかな笑顔を浮かべてから、ウネンと視線を合わせようと身を屈めた。
「ヘレー先生を探しているんだってね。先生、半年ぐらい前にこの町にやって来なさったよ」
「そうなんですか!」
 思わず身を乗り出すウネンに対して、官吏は「うんうん」と大きく頷いてみせた。
「あの日もたまたま私が門に詰めていてね。いちの立つ前日だったこともあって、門番の兵達を手伝って門を通る人々を検めていたんだが、順番待ちの人の中に急病人が出てね。大騒ぎになりかけたところで、居合わせたヘレー先生が助けてくださったんだよ」
 ウネンは胸一杯に大きく息を吸い込んだ。ヘレーさんだ、間違いなくヘレーさんだ、と喜びを噛み締めながら。
「ヘレー先生はしばらくはすぐそこの宿に泊まっていなさったんだけど、ひと月ほどして、第二城壁の中に手頃な部屋を見つけたとか仰って、そちらに引っ越してしまわれてね。でも、それからも週に二日はこっちの〈外側の町〉に診察に出向いてきてくださって。そうそう、つい一箇月前にも、家内の実家で採れた栗を差し入れさせていただいたところなんだよ」
「一箇月前というと、十月の……?」
 モウルに問われ、官吏はウネンの前から身を起こした。
「ええと、そうだ、あれは確か満月の日だったから、二十二日あたりですね」
「そのあとも、ヘレーさんはこの町に?」
「ええ、そうですね。少なくとも、この門からは出てはおられないはずですよ」
  
  
 親切な官吏と別れたウネン達は、その足でヘレーが投宿していたという宿に向かった。〈内側の町〉に引っ越したあとも、彼は週に二度、宿の一階の食堂の隅で診察をおこなっていたとのことだったからだ。
 とんとん拍子に進む事態に心の準備が追いつかないまま、ウネンはオーリの後ろからくだんの宿屋の入り口をくぐった。そうして、モウルが宿屋の女将と朗らかに語る様子をオーリの陰から覗き見る。
「それがねえ、ヘレー先生ってば、最近お忙しいみたいで、半月ほど前からこちらに顔を出してくれなくってね……」
「王都を出ていってしまった、ってわけじゃないの?」
「まさか」
 女将は、ついと眉をひそめた。
「だって、先生、今度来るときに手荒れの薬を持ってきてくれるって言ってたもの。何も言わずに町を出ていってしまうなんてことはないと思うわ」
「ふうん」
 さすがヘレーさん、信用されているんだなあ、とモウルが呟けば、女将が「そうよ」と胸を張る。
 オーリが密かに鼻を鳴らすのを聞いて、ウネンは思わず苦笑を漏らした。
「お姉さんは、ヘレーさんが今どこに住んでいるか知っているの?」
 モウルに「お姉さん」と呼ばれて、女将の頬が覿面に緩む。
「アラやだ、お客さんってば口が上手なんだから。って、ああ、ヘレー先生の住所ね。確か、職人街かどこかの広場から道を一本奥に行ったところ、って言ってたかしら」
「街路名は分かる?」
 畳みかけるように問いを発するモウルに、女将は「ごめんねえ」と肩をすくめた。
「詳しい住所、一度は聞いたような気がするけど、覚えてないのよ。何しろ、しょっちゅうここに来てくれてたから、その必要を感じなくてねえ」
 もう一度「ごめんね」と繰り返す女将に「色々ありがとう」と笑顔で会釈を返し、モウルはウネンとオーリのところに戻ってきた。そのまま宿屋を出ていこうとするモウルを、ウネンは慌てて引きとめる。
「ここに宿をとるんじゃないの?」
 ひそひそと語りかけるウネンに対して、モウルはあからさまに眉をひそめてみせた。
「さっきの話、聞こえてなかった? ヘレーさんはもう半月もここへはやってきていないんだそうだよ。となれば、ここで待つのではなく、直接〈内側の町〉でヘレーさんを探したほうが良いに決まってるでしょ」
「でも、ヘレーさんは手が空いたらまたここにやってくるんだよね? だって、女将さんに薬を渡す約束をしていたんだから。だったら、ヘレーさん本人か、それが無理な状況なら代わりの人が、絶対に女将さんを訪ねてくるはずだよ。町なかの聞き込みに重きを置くにしても、この宿屋を拠点にしたほうがいいと思う」
 ウネンは、自分の考えをできるだけ丁寧に述べた。
 しかし、モウルの表情は先刻から変わらず険しいままだ。
「別に、ここに泊まらなくても、いくらでも対応することはできるさ」
「ぼく達の宿泊先を女将さんに教えて、ヘレーさんがやってきたら連絡してもらう、ってこと? でも、それだと、間に人が入る分だけ時間が余分にかかってしまうし、すれ違う危険も増すよ」
 ぐ、と言葉に詰まるモウルに、オーリがきっちりととどめを刺す。
「俺もウネンに賛成だ。ここに宿をとったほうが無難だろう」
 互いに同意し合うウネンとオーリを見つめたのち、モウルが大きな溜め息を漏らした。聞き込みに行くのに、毎回ここからあの城壁の向こうまで歩いていかなきゃならないのか、と。
  
  
 かくしてウネン達は、かつてのヘレーと同じくその宿に世話になることになった。
 ウネンがヘレーの子供だと知った女将は「アラまあ」を連発したのち、夕食の時にウネンに赤スグリの果汁を無料でご馳走してくれた。
「僕のこの話術をもってしても麦酒は無料にならなかったのに、さすがはヘレーさん、人気者だねえ」
 豆のスープを口に運びながら、モウルがちらりとオーリを見やる。
「その煽りには乗らんからな」
「オーリも、さ、眉間に皺寄せてばかりいないで、もっとにっこりと穏やかに笑ってみたら? ほら、素材の半分はヘレーさんと共通してるはずなんだから……」
「だから煽りには乗らんと言っている」
 いよいよ旅の終着点が目の前に迫り、気持ちが軽くなっているのだろう。モウルは言わずもがな、オーリもこれで随分と機嫌が良さそうだ。そんな二人を見ているうちに、ウネンもだんだん楽しくなってきた。
「オーリは髪を伸ばさないの?」
「ふへっ?」
 ウネンが思いつくままに言葉を口にのぼすと、オーリとモウルの口から、空になった水袋を踏みつけたような音が漏れた。
 まばたきののち咳払いを経て、オーリが口元を引き締める。
「……いや、敵と組み合った時など、髪が長いと相手に掴まれる危険があるからな」
「ていうか、突然どうしたのさ、ウネン」
 モウルが怪訝そうに首をかしげるのを見て、ウネンはますます愉快な気分になった。物知りのモウルが知らないことを自分は知っているのだ、ということに。
「オーリの髪、ヘレーさんよりも柔らかそうだから、きっと、きれいな三つ編みができると思うよ」
「はァ?」
 オーリとモウルが二人揃ってまったく同じ表情になったのが面白くて、ウネンは必死で笑いをこらえた。
「ヘレーさんの髪は頑丈で太かったから、ゆるく一つに編むことしかできなくて、それでも畑仕事なんかをしてたら、すぐに紐が負けてほどけてしまうんだ。そういう時は、ぼくがヘレーさんの髪を編み直してあげたんだよ」
「そ、そうか」
「オーリの髪なら、一つだけじゃなくて……幾つぐらい編めるかな……二つ、三つ……うん、そうだなあ、思いっきり細く編めば、四つ、五つ……」
「女将さん! これ、果汁じゃなくて果実酒じゃない!?」
 ウネンのカップを手にしたモウルが、血相を変えて立ち上がる。
 アラやだ間違えちゃった? という声を向こうのほうに聞きながら、ウネンは幸せな心地で数字を呟き続けた。何の数を数えているんだったっけな、と頭の片隅で不思議に思いながら。
  
  
  
 翌朝、起き抜けにモウルから昨晩のことを知らされたウネンは、声にならない声をあげて頬を両手で押さえた。混沌とした記憶の断片の中から、「どうしてくれよう、この酔っ払い」というモウルの声が耳元にまざまざと甦ったからだ。
 羞恥と申し訳なさで顔が上気するに任せ、ウネンは寝台の上に姿勢を正して座り直した。オーリとモウルを交互に見上げ、二人に向かって深々と頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました」
 オーリとヘレーが似ているとか似ていないとか、そんなことをつらつらと考えていたあたりまではなんとかウネンも覚えていた。だが、そこから先の記憶が見事なまでに行方不明になってしまっている。晩御飯を最後まできちんと食べたのか、この部屋までどうやって上がってきたのか、自分のことなのにそんなことすら分からない。ただひたすら「情けない」の一言だ。
 赤スグリの果汁とやらを口にした時、「少し苦いな」とは思ったのだ。ただ、それを上回る果実の甘さと爽やかな酸味に心を奪われ、丁度喉が渇いていたこともあり、ウネンは食事に手をつけるよりも先に一息にカップの中身を飲み干したのだった。
「気にするな。あれは不可抗力だ」
 そう小さく息をついてから、オーリがあらためて気遣わしげな視線をウネンに向けた。
「頭痛はしないか? 吐き気はどうだ?」
「あ、うん、幸い、特に何も問題なさそうだよ」
 そうか、と頷くオーリの横では、モウルがにやにやと笑みを浮かべている。
「昨日は、日没までに王都に入ろうと、少し道行きを急いだからね。疲れている上に、良い情報が手に入って浮かれてもいただろうし、そもそも君の年齢――というか体格を考えると、当然と言えば当然の結果だったわけだけど……」と、そこで我慢できずにふき出して、「それにしても、あれ、何さ。『数え上戸』って言うの? 延々数を数え続ける酔っ払いなんて初めて見たよ。それに、何かやたらと僕らの」
「ご迷惑をおかけしましたっ!」
 自分の醜態をそれ以上聞いていられなくて、ウネンは必死でモウルの言を遮った。
 モウルが、これ以上は無いというほど恩着せがましい表情で言葉を収める。
 もう二度とこんなことにならないよう気をつけよう、と強く心に決めるウネンだった。
  
  
「聞き込みにあたっての作戦だけど、女将さんにも言ったように、『生き別れの父親を探している』という真っ向勝負でいくのがいいと思う。『いたいけな子供が、優しくて親切な素晴らしい友人達を道連れに、遥か南、チェルナ王国からはるばるやってきた』ってね」
 秋の終わりを告げる乾いた冷たい風が、外套の裾をはためかせる。
 朝食を食べた三人は、宿屋の女将に見送られて表通りに出た。目指すはヘレーが住むという第二城壁の向こう、〈内側の町〉。宿の近辺では女将が仕事の合間をぬって、ヘレーの現住所を知る者がいないか訊いておいてくれるらしい。
「『素晴らしい友人』など、臆面もなくよく言えるな」
「だって真実だから仕方がないじゃない。ああそれと、『恥ずかしがりやで嘘つきな兄』を出すと話がややこしくなるから、オーリも一緒に友人扱いでいいよね」
 勝手にしろ、とそっぽを向くオーリに意地の悪い笑みを投げかけてから、モウルは上機嫌でウネンを振り返った。
「腕のいい医者は重宝されるからね。半年も同じ町に居るのなら、多くの人の信頼を集めているだろう。ウネンの存在を前面に出したほうが、情報が集まりやすいはずだ」
「他の追っ手がいたりしないかな」
 これまでの町とは違い、ヘレーはもう半年もの長きにわたってここヴァイゼンに滞在している。もしかしたら他の探索者も既にここにやって来ているのではないだろうか。心配するウネンに、モウルは大きく眉を上げてみせた。
「いたところで、僕らにできることは変わらないさ。もしも君が聞き込み先で他のノーツオルスに出くわしたとしても、ヘレーさんの話を聞きたがるだけだろうから、その時は僕らのところに連れてくればいい」
 物売りの行き交う大通りを西へ真っ直ぐ進んでゆけば、やがて、幾重にも重なる店屋の看板の向こうに、第二城壁の門が見えてきた。
「門」と言えども、その向こうもこちらも同じ町の中だ。当然ながら門番や官吏の姿など無い。だが、城壁を挟んだ二つの地域には、町並から雰囲気まで明らかな差異が見てとれた。
 こぢんまりとした家々が建て込む〈外側の町〉に対して、古くからの商店や大きな屋敷が目立つ〈内側の町〉。レンガ造りの建物も、石畳も、まさに「王都」という名にふさわしい。
 門をくぐり抜けたところで、ウネンは城壁を振り仰いだ。
 十年前に新しく築かれた第三城壁に比べて、この古めかしい第二城壁は石材の積み方の精度が幾分悪い。崩落を恐れてか、壁の根元は第三城壁の倍ほども厚みがあるにもかかわらず、壁の高さは二、三メートルは低かった。
 それなのに、「壁」としての存在感は圧倒的だった。この城壁よりも外側は、〈内側の町〉に住む多くの人々にとっては、まだ同じ町ではないのだろう。
 ウネンの瞼の裏に、チェルナの王都の風景が浮かび上がってきた。堅牢たる城壁の外に建ち並ぶ、沢山のほったて小屋が。
「行くぞ」
 オーリの声が、ウネンの肩を叩く。
 ウネンは外套の前をかき合わせると、オーリのあとを追いかけた。