あわいを往く者

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九十九の黎明 第九章 大切な人

  
 門の前にひらけた広場の片隅で、モウルが一旦足を止めた。いつになく真剣な表情でウネンとオーリを順に見やる。
「王都って言うだけに、この町はかなり広い。三人で手分けしてヘレーさんを探すのがいいんじゃないかと思うんだけ」
「反対だ」
 モウルの言葉が終わりきらないうちにオーリが話の腰をへし折った。
「ウネンに一人で町をうろつかせるのは危険だ」
「出たな、兄馬鹿」
 モウルの揶揄にオーリの眉間の皺が深くなる。
「きちんと備えをした上で、危険な地域を避けてまわれば大丈夫でしょ。これまでの町はあくまでも通過点だったし、町の広さもここまでではなかったから、だいたい三人ひとかたまりになって行動してたけど、ここでそれをするのは非効率的過ぎる。クージェやリッテンの時のようにウネン自身に狙われる理由があるわけでもないしね。それとも何かい、ここに住んでる子供はみんな一人で外を出歩いちゃいけないとでも言う気かい?」
 流れるような弁舌に圧倒されたか、オーリが唸り声をこぼして黙り込む。
 モウルが「分かったかい」と更に念を押しながら、懐から一枚の地図を取り出した。昨夜、宿の女将や食堂の客の協力を得て作った、非常に簡単な王都の地図だ。
「オーリは、職人街に一番近い商店街を中心に聞き込んでくれ。いきなりヘレーさんと鉢合わせするのは嫌だろう? 君には周辺からじわじわ攻めてもらうことにするよ」
 不機嫌そうだったオーリの表情が、モウルの気遣いに触れて僅かに緩む。
「で、ウネンは、肝心の職人街の広場周辺を一人で聞き込んで……と言いたいところなんだけど、さすがに、土地勘の無いちびっ子をいきなり一人きりで放り出すほど僕も鬼じゃないんでね。今日のところは僕もウネンと一緒にまわって、当該地域に危険な場所が無いか確認しようと思う」
 何か言いたげに身を乗り出しかけたオーリに、モウルが満面の笑顔を向けた。
「これでオーリも文句ないよね」
「……ああ」
「とりあえず、現時点ではっきりしていることは、〈内側の町〉の南端、第二城壁沿いには近づかない、ってことか」
 宿の女将が教えてくれた情報を、今一度モウルが繰り返す。現在ウネン達が立っているのは第二城壁の東門なのだが、ここから壁に沿って南に行ってはいけない、と、女将が忠告してくれたのだ。
『地元の人間でも、あの一帯に迷い込んだら無事では済まないからね。あんた達みたいに小ざっぱりとしたなりの余所者なら、言うに及ばずだよ』
 あそこに住むぐらいなら、わたしは〈外側の町〉でいいよ。そう苦笑する女将の顔を思い出して、ウネンは唇を噛み締めた。第二城壁の外側と内側という構図とは別に、やはり城壁の内部でも格差は存在するのだ。こんなに豊かそうに見える王都にも、きっと、冬を目前にして絶望のまなこで灰色の空を見上げる小さな影が在るのだろう。まだ死んではいない、というだけの生を送るいのちが。
「どうした。顔色が悪いぞ」
 オーリが心配そうにウネンの顔を覗き込んできた。
 第二城壁が、緩やかな曲線をえがいて南へと伸びている。ウネンはその先をじっと見つめながら、訥々とオーリに返事をした。
「ぼくがあそこにいても、何も不思議じゃなかった」
 静かな溜め息が、オーリの口から漏れた。
「お前を引き取った、その一点だけで、ヘレーをぶん殴るのを勘弁してやってもいいかと思っている」
「ぶん殴るつもりだったんだ!?」
「当然の権利だ」
 どこまでも真顔で答えてから、オーリはにやりと笑ってみせた。
「だから、俺の気が変わらないうちに、さっさとヘレーを見つけ出してくれ」
 オーリの言葉に背中を押され、ウネンは「うん」と力強く頷いた。
  
  
「まァ、ヘレーさんとの再会の時が近づいてきて、気持ちが不安定になるのも分かるけどね」
 オーリと別れたところで、モウルがウネンに容赦ない一言を投げかけてきた。
「今は余計なことを考えず、ヘレーさんを捕まえることに集中しようか」
「ハイ……」
 いつになく思考が散漫になっているという自覚は、多少はあったものの、こうやって他人に単刀直入に指摘されてしまうと心が痛むことこの上もない。ウネンは深呼吸を二度繰り返して腹に力を込めた。「よし」と気合いも充分に、道の先へと足を踏み出す。
「ああ、そっちじゃなくて、こっちだよ」
「え? でも、職人街って、あっちじゃなかったっけ?」
 二人が立っている四つ辻の、右の通りがオーリが向かった商店街に通じる道。そして確か正面が、職人街へと通じる道のはずだった。涼しい顔でウネンを一瞥したモウルは、くるりと回れ右をして、今しがた来たばかりの道を戻り始める。
「聞き込みに行く前に、少し僕の用事に付き合ってもらうよ。これは君のためでもあるんだ」
 君のため、なんて言われてしまえば、もはやウネンには首を縦に振ることしかできなかった。内心で首をひねりつつ、モウルのあとをついて行く。
 再び大通りに戻ってきたモウルは、左手へ、来た道とは逆の西の方角へと歩みを進めた。人混みをかき分けながら一角ひとかど先へ。幾つもの看板が飾られたレンガ造りの建物の壁の、一番隅っこに貼られた『呪符あります、呪符作ります』という看板を指し示す。
「さっき角を曲がる時に、この看板がチラッと見えてね」
「呪符? まじない師のお店? そういやモウル、前の町やその前の町でも、まじない師を探してたよね」
「ろくな腕前の奴がいなかったけどね」
 モウルの口元が嘲りを刻む。
「さすがに王都ともなれば、多少は使まじない師がいるでしょ」
 モウルは尊大な態度で鼻を鳴らすと、看板の指示どおり脇道へと角を曲がった。
  
 路地を進むこと更に二角ふたかど、レンガ造りの集合住宅に挟まれて建つ、三階建ての三角破風はふの家が目的地だった。
 一見、ごく普通の個人住宅か下宿屋のように見える軒先に、飾り文字で『呪符屋』と彫られた木の看板が吊り下げられている。しっかりとした造りの木の扉には『営業中 どなたさまも どうぞ遠慮なく 扉をあけて マーウル』と書かれた札がかけられていた。最後の一行が、おそらく店主の名前なのだろう。
 一切の躊躇いを見せずに、モウルが扉を押しあける。
 左右に窓のある明るい店内は、どこか懐かしい気配がした。今は遠いイェゼロの町の、養父ミロシュの家の居間のような、素朴ながらも温かい雰囲気の部屋だった。少し前方に据えられた接客用のカウンターがなければ、入る扉を間違えてしまったのではないか、と慌てる羽目になったことだろう。
 左手の壁には戸棚、右手の窓辺には木の長椅子。板張りの床は隅々まで掃除が行き届いていた。この部屋から更に奥へと伸びる通路の右側は、階段の裏になっているようで、斜めにせり出した壁一面に何枚もの木札や革札がかけられている。その手前、書き物机に向かっていた三十代後半といった女性が「いらっしゃいませ」と顔を上げた。
「呪符を一つ、作ってもらいたいんですが」
「いいですよ。ええと、どういう術の? 外に行ったほうがいいかな、それともここで?」
 はしばみ色の瞳を輝かせて、女性が腰を上げた。瞳と同じ色味の髪を揺らして、カウンターの前に立つ。
「あなたがまじない師のマーウルさん?」
「ええ」
「女性のまじない師とは、格好いいなあ」
 よそゆきの笑顔を浮かべるモウルに、マーウルもまたとってつけたような笑みを見せた。
「お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいねえ」
「お世辞なものですか。女性というだけで色々と不自由もなさったでしょうに、それでもまじない師のわざを習得されたこと、素晴らしく思います」
 モウルの横顔を見ていたウネンは、思わず頬を緩めた。今の台詞が彼の本心から出たものであることに気がついたからだ。
「おだてても、値引きはしないよ」
「おや、残念」
 すまし顔で互いに言葉を交わしてから、マーウルとモウルは同時ににやりと笑い合った。
  
 モウルに依頼の詳細を聞いたマーウルは、施術に屋上を使うことを提案した。術によっては呪符を作るために町の外まで出ることも珍しくないらしいが、今回はそこまでする必要はないだろうとのことだった。
 マーウルは、店の入り口に『休憩中』の札を出して戸締まりをしてから、「準備をしてくるから、ちょっと待ってておくれ」と言い置いて階段をのぼっていった。「奉公に出ている子供達が、屋根裏に何か色々と物を置きっぱなしにしているから、ささっと片付けてくるよ」
 ウネンが、マーウルの足音を見送ったままなんとはなしに天井を見つめていると、すぐ隣でモウルが小さく溜め息を漏らした。
「自分の術の呪符が自分で作れたら、言うことなしなんだけどなあ」
「やっぱり無理なんだ」
「術をふるうのも、術を写しとるのも、何かの片手間にできるような簡単なわざじゃないからね。こうやってまじない師を探すか、魔術師を探すか、どちらにせよ他人の手を借りなきゃならない」
 と、そこまで語ったところで、モウルは何やら疲れきった表情を浮かべて肩を落とした。
「リッテンの風使いは、てんで役に立たなかったからな……。あいつ、本当に脳みそが筋肉でできてるんじゃないのか。声を風に乗せてそのまま届けるだけだ、って言ったのに、あれじゃあ『喋るトランペット(speaking trumpet : 拡声器)』だよ……」
 一緒に赤狼退治をしたマルセルのことだな、とウネンが苦笑した時、階段を踏みしめる足音とともにマーウルの驚きの声が降ってきた。
「あなた、まさか呪符が作れるのかい?」
 得意げなモウルの声が、「ええ」と胸を張った。
「へぇ! 魔術師なのに呪符が作れるだなんて、そんな人いるんだねえ!」
 マーウルが目を丸くして「すごいねえ、大したものだねえ」と繰り返す。
「僕は元々まじない師でしたから」
 モウルが穏やかな笑みを浮かべた。普段彼が見せる、まじない師に対する批判的な態度はどこへいったのだろう、と思いきや――
「へえー、まじない師でも魔術師になれるんだねえ」
「なれますよ。神が微笑みかけてくだされば。あなたにも、ね」
 ――笑顔はそのままに、モウルは挑戦的な眼差しをマーウルに突き刺した。
 マーウルは一瞬面食らったような表情を浮かべたのち、小さく肩をすくめた。
「なるほど。でも、私は今のままのまじない師で充分かな」
 モウルの口元に嘲りの色が差す。
 それが意味するところに気がついたのだろう、マーウルが鼻を鳴らした。
「確かに、魔術師と違ってまじない師は自分では術を生み出せないよ。私も、もっと若い頃は、自分は人真似をしているだけだ、って悩んだものだった。魔術師がいなければ、まじない師には存在する理由が無いんだものね。でも、ある時気がついたのさ。魔術という、目に見えない、さわることもできない、正体不明なよく解らないものを、そっくりそのまま記録してとっておけるのは、私達まじない師だけなんだ、ってね」
 モウルが、虚をつかれたような表情で顎を僅かに引く。
「それに、あなた達魔術師が一生を使ってたった一柱の神様とやり取りしている間に、私は、何柱もの神様と触れ合うことができる。一方通行ではあるけれど、それでも楽しいよ」
 マーウルはそっと目を細めた。
「魔術師が神のちからをふるう時にね、見える――いや、感じる――んだよ。この大地を、空を、網の目のように覆いつくす眩い光が。まるでこの身体の中に張り巡らされた血管のように、世界の隅々までを繋ぐちからが。私は、その光り輝くちからの糸を、必要に応じて手繰り寄せ、木札や革札に刻み込むだけ。でも、その瞬間の、あの、自分が世界と一体化したかのような感覚は、おそらくあなた達魔術師には味わえないものなんじゃないかな。しかも、この手に触れる光は、その時ごと、魔術師ごとに少しずつ違うんだから、本当に飽きないよ」
 と、そこでマーウルはハッと息を呑んだ。
「ああ、そうか。あなたはまじない師でもあったんだったね。ということは、これと、魔術師の感覚と、あなたは両方知っているってことか。そりゃあ、ちょっとばかり羨ましいねえ」
 そう言って、マーウルはおどけたように顔をしかめてみせた。
 モウルは、微動だにせず、ただじっと唇を引き結んでマーウルを見つめている。
「さて、無駄口はこれぐらいにして、そろそろ仕事と参りましょうか」
 マーウルはにっこりと笑うと、ウネン達を屋上へといざなった。
  
 モウルがマーウルに写しとらせた術とは、リッテンで果たせなかった、風で声を飛ばす術だった。
「これを起動させて呪符に向かって喋れば、その声が僕に届くようにしてあるから。あまり長い時間はもたないけど、ちょっとした連絡には充分足りると思う」
 そう言ってモウルは、できたばかりの呪符をウネンの手に握らせた。
 ウネンは「ありがとう」と心からの礼を言ったのち、どうしても我慢できずに一言呟いた。
「こんな込み入った術を、マルセルに頼もうとしたんだ……」
「本人にも、『俺には無理だって言っただろ』って堂々と胸を張られたよ……」
  
「また今度、時間に余裕がある時に、庭掃除に使えそうな術で呪符を作らせておくれ。ああ、洗濯物を乾かせる術でもいいかな。あと、熾火を甦らせる術も」
 商売っ気たっぷりに語るマーウルに挨拶をして、二人は呪符屋を出た。
 路地を一角ひとかども進まないうちに、モウルの歩みが止まる。どうしたの、と訊きかけて、ウネンは思わず口をつぐんだ。モウルが、酷く悔しそうな表情で唇を噛んでいたからだ。
「世界を覆いつくす光、なんて、見たことも感じたこともない……」
 モウルは絞り出すように言葉を吐き出した。それから「くそっ」と小さく毒づいた。大きくかぶりを振り、大げさに深呼吸を一つ、そうして少しだけばつの悪そうな顔でウネンを振り返った。
「ああいうまじない師もいるんだな……」
 なんと返事すればよいのか分からずに、ウネンは曖昧に頷いた。
「僕が最初に知り合ったまじない師が、最低最悪な奴だったからな。素直に見識を改めるよ」
「モウルのお姉さんのことが好きだったという、ローって人のこと?」
「本当に君は、細かいことをよく覚えているね」
 そのとおりさ、と首肯して、モウルは話し始めた。
「僕が魔術師になることを諦めなかったのは、エレグ兄さんを悲しませたくなかったから、エレグ兄さんに責任を感じてほしくなかったから、のはずなんだけど、よくよく考えたら、途中からは明らかに『ローの奴と同じまじない師という範疇に収まりたくない』って気持ちが一番強かったような気がするなあ」
 実にモウルらしいな、とウネンは心の中で呟いた。
「とにかく、悔しくて悔しくて、なんとしても魔術師になりたくてさ。『見識を深めればいい』っておさ様が助言してくれたから、僕は必死で勉強したんだ。神庫ほくらにある本を片っ端から読みもした。でも、全然駄目でさ……。兄さん達が出て行って十年が経って、いいかげん穀潰しのそしりにも耐えきれなくなって、もう僕には無理だ、って全てを投げ出そうとした途端に、ひゅんっ、って神が降りてきたんだよ。あんなにも苦労したのに、崖の上に立った瞬間に、笑っちゃうぐらいにあっけなく。本当に嫌になるね」
 口調こそ軽かったが、その声音からは鉄錆のにおいがした。思わず噛み締めた奥歯が、ざり、と砂を噛んだような気がした。ウネンは一瞬だけきつく瞼をつむると、正面からモウルの目を覗き込んだ。
「神様に見出されるのって、運や機会に依るんだろうけど、でも、その時モウルに充分な知識があったってことが、何よりも大切だったんだと思うよ。もしもモウルがそれまでに諦めてしまっていたら、神様は降りてきてくださらなかったんじゃないかな」
 言葉で表しきれなかった思いを視線に込めて、ウネンはモウルをじっと見つめた。
 薄暗く翳っていた碧い瞳に、いつもの、あの強い光が戻るのが見えた。
「……嬉しいことを言ってくれるね」
 モウルは、よし、と気合いを入れるように空を仰いでから、少しすました笑顔をウネンに向けた。
「お礼に、今日の晩御飯はなんでも好きなものを言ってよ。オーリの奢りだ」
「なんでそこでオーリが犠牲になるの……」
  
 再び職人街への道を辿りながら、ウネンはふとした疑問を口にした。
「そういや、その、『最低最悪なまじない師』の人は、今どうしてるの?」
 するとモウルが、よくぞ聞いてくれました、とばかりに極上の笑みを満面に浮かべた。
「それがね。僕が神に見出されたことが相当こたえたみたいで、間もなく里を出ていったんだよ。『俺はこんな狭い世界で終わる人間じゃない』とかなんとか、お約束みたいな捨て台詞を吐いてね!」
 これ以上はないというぐらいに上機嫌な声で、モウルが笑う。
 ウネンが思わず漏らした溜め息を、一陣の風が吹きさらっていった。