あわいを往く者

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黒の黄昏 第十一話 それぞれの夜

  
  
  
    二  慚愧
  
  
 あの襲撃のあと、レイ達は密かに再びルドスに戻っていた。
 根無し草でお尋ね者であるウルス達はともかく、襲撃に加担した者は皆、本来の自分の居場所であるルドスの街中に戻らねばならない。ザラシュとレイには、その手助けをするために魔術を駆使する必要があった。
 シキも、状況が良く解らないままにレイを手伝った。自分の立場が百八十度転換したことに対する罪悪感は、とりあえずはレイと再会することができたという幸福感が打ち消してくれている。繋いだレイの手の温もり……今のシキには、それが全てだった。
  
  
 流石に、こんな大事おおごとのあとでは、五人の逃亡者が一塊となっているわけにはいかない。ルドスの街に再び足を踏み入れるなり、ウルスが一同を二組に分けた。
「俺はザラシュ殿と。サンは残りの者を頼む。今この街に留まることは我々にとって非常に危険だからな。ほとぼりが冷めるまで、安全な場所で身を隠すにしても、五人で動くのは目立ち過ぎる」
 そう言ってから、ウルスは懐から一枚の地図を取り出した。
「お前達はお前達で上手くやれ。一週間後に、シンガツェの町で会おう」
 聞けば、シンガツェとは、ルドスの北、街道を逸れた山中にある町ということだった。地図の簡単な写しをウルスから渡されたサンは、組分けに対する不満を表明しかけたが、「頼りにしてるぞ」とウルスに肩を叩かれて、複雑な表情で溜め息をついた。
 それからウルスはシキの前に立つと、ほんの僅か目元を緩ませた。
「色々訊きたい事もあるだろうが、詳しい話はシンガツェについてからだ。」
 神妙な顔で頷くシキに、ウルスは口のを上げる。
「ふん、眼鏡先生の言うとおり、良い目をしているな。お前には勿体ないな」
「言ってろ!」
 噛みつくレイを軽くいなして、ウルスはザラシュとともに裏路地へと姿を消した。
  
  
  
「人目につくといけない。どこか宿を見つけようぜ」
 サンの提案で、この安宿に投宿したのが日暮れ前。階下の酒場で仕入れた食事を部屋に運んで、狭い部屋に膝を突き合わせ、ようやっと三人は人心地つくことができた。
「で」
 食事を終え、小さなテーブルにカップをダンッと置いて、シキがサンを睨みつけた。「どういうことなのか、説明してよ」
 目立つといけないから、と、大抵の客がそうするように飲み物に麦酒を選んだのは、もしかしたら間違いだったかもしれない。そう思いながらサンは「何を?」ととぼけることにした。当然のことだが、シキは更に畳みかけてくる。ほの赤い顔で。
「なんで、死んだはずのレイがサンと一緒にいるのよ」
「いや、だから、それは話せば長くなるんだけど」
「大体、レイもレイよ、なんで、『天隕』受けて生きてるのよ」
 鼻息も荒く噛みついてくるシキに「生きてちゃ悪いのかよ」とぼやいてから、レイがぐいとカップを傾けた。
「それより、お前は何て聞かされていたんだ? 俺のことを」
 レイに問われたシキは、途端にしおれた菜っ葉のように頭を垂れて、手元のカップに目を伏せた。
「……サンに唆されて、反乱団に入って……私も仲間にしようと……その……」
「はぁん」
 シキが言いよどんだ部分を察したのだろう、レイが眉を上げる。「あいつにしちゃ上出来な言い訳じゃね? 結果だけ見ればまさしくそのとおりなわけだしな」
 と、カップに残っていた麦酒を一息にあおって、レイは更に言葉を継いだ。
「で、お前はその話を信じてたわけだ。」
「だって……」
 だめだ、レイの奴も酒に呑まれてる。サンは冷や汗をだらだら流しながら、二人の間に割って入った。
「おい、レイ、台詞が違う。ここは再会を喜ぶところだろ。大体、あんな魔術喰らったら普通死んだって思うって。死人に口なしってヤツじゃん、無理もないさ」
 少しだけ冷静さを取り戻したのか、レイが大きく息を吐いた。
「……悪い。そんなことを言いたかったんじゃないんだ」
「ううん、私が、悪かったんだ」
 俯いたシキの声が震えている。ようやく彼女の様子に気がついたのだろう、レイが小さく息を呑んだ。そうして、縋るような視線をサンに投げかけてくる。
 ――おい、どうすればいい?
 ――知るか。自分でなんとかしろ。
 二人が目で会話していると、シキがすっくと立ち上がった。泣いている、とのサンの予想は外れ、彼女は妙に晴れ晴れとした瞳で二人を見下ろす。
「ごちそうさま。部屋に戻るね」
 そのまま振り返ることなくシキは彼らの部屋を出ていった。
  
「何言ってんだよ、レイ。ったく、つらかったのは彼女も同じだろ? て言うか、状況が分かっていなかった分、今日のことにしても彼女のほうが大変だったんじゃないのか? 本当に、お前、子供じゃあるまいし何駄々こねてんだ」
 心の底から呆れかえったと言わんばかりに、サンは大きな溜め息を身体全体でついた。それから、椅子代わりの寝台の上に仰向けに倒れ込む。
「てっきり泣かせてしまったかと思ったよ。ま、良かった良かった」
 そう言ったものの、レイの気配が妙なことに気がついて、サンはすぐに身を起こした。
「……どうした?」
「………………マズイ」
 すっかりアルコールの抜けた様子で、レイは固まっていた。心なしか顔が青い。
「何だよ」
「まずい」
「だから何が?」
「あいつがあの顔した時は、ろくなことがないんだ」
 何かを心に決めたような、清々しい表情。だが、いわれてみれば、確かにあの雰囲気には何か違和感があった。サンは、部屋の扉を見、それからレイのほうを向いた。
 依然としてレイは、腰を半ば浮かせながら、眉間に皺を寄せて中空を見つめている。
「まずいんだったら、さっさと行けよ馬鹿!」
 ――なんで俺がこんな苦労しなけりゃいけないんだよ!
 その怒りも込めて、サンはレイを思いっきり部屋から蹴り出した。
  
  
  
 ――何、言ったんだ、俺。
 自己嫌悪でぐらぐらする頭を押さえながら、レイはシキの部屋の前に立つ。
 シキだって、この半年つらい思いをしていたんだろう。そんなことは、サンの奴に言われるまでもなく、レイにだって解っていた、いや、解っているつもりだった。
 先刻、あの襲撃の場で自分が伸ばした手を、彼女は即座に握り締めてくれた。それはとりもなおさず、彼女が自分を求めていてくれていた、ということを表している。たとえ、ロイの奴が嘘で彼女をがんじがらめに縛りつけたのだとしても、彼女の心までは拘束することができなかったのだ。
 そうだ。半年という期間は、死者を想い続けるには永過ぎる。それでもシキはレイのことを忘れずにいてくれていた。
 ――本当に、何してんだ、俺……。
 レイは下唇を噛みながら、隣のシキの部屋をノックした。
  
 しばらく待っても返事はなかった。レイは冷たいものが背筋をつたうのを感じて、思わず大声で扉を叩く。
「おい! シキ! いないのか? おい、開けろよ!」
 廊下のあちこちから他の客が顔を覗かせるのも気にせずに、レイがもう一度扉を叩いた時、掛け金が外される音がした。シキの返答を待たずに彼は扉を押し開き、半ば無理矢理彼女の部屋の中へと飛び込んだ。
「……悪かったよ」
 大きく肩で息をしながら、レイは静かにシキに語りかける。
「どうしたのさ、レイ」
 シキが、何事も無かったかのような表情でレイを見上げた。その、変に醒めた瞳に、レイは自分の直感が間違いではなかったことを確信する。
「シキ……、俺を置いて行くな。俺の傍にいてくれ」
「……突然、何?」
「とぼけるなよ。一人でどこかへ行くつもりだったろ」
「……まさか」
 そう答えたシキの声が微かに震えていた。
「何年一緒にいるって思ってるんだ。お前がヤケになっているのぐらい、すぐに解る」
 シキが視線を伏せた。しばし何事か逡巡してから、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「やけなんて起こしていないよ」
 底知れぬ深淵を覗かせる常盤の瞳に、レイが一瞬息を呑む。
「私が悪かったって解っていたはずなのに、レイに会えたことで、勝手に赦されたような気持ちになってしまってた。調子に乗って、レイを問い詰めて、サンまで問い詰めて……、どれだけ身勝手なんだ、って気がついて、少しあたまを冷やしたかった」
 淡々とそう語るシキのおもてが、不意に歪んだ。
「ごめん。ごめんね、レイ。半年間も、レイが死んだって思い込んでた。私を置いて逝くなんて、って恨んだことだってあった。悲しいからって、忘れようとさえした……」
 絞り出すような声でそこまで吐き出してから、シキは顔を伏せた。
「本当に、ごめん、レイ。私が……私さえいなければ、レイが黒髪になることだってなかった。先生と争うことなんてなかったのに……!」
 身を切るような心痛が、ひしひしとシキから伝わってくる。レイは知らず息を詰めて、じっとシキを見つめ続けた。
 先刻のシキの奈落のような眼差しが、レイの脳裏に焼きついている。悲しみと、諦めと、それを上回る自らへの怒りが、そこには湛えられていた。例えば、捕り手に包囲され咆哮を上げたあの時のウルスのように。単に絶望の一言では表しきれない、無限の虚無がそこに在った……。
「くそっ」
 短く毒づいて、レイはシキに向かって大きく一歩を踏み出した。そして、彼女を抱きしめた。
「お前は何も悪くない。悪いのは……俺だ。あの時、その場しのぎで術なんかに頼らずに、お前を連れて家を出たら良かったんだ」
 この半年、シキはあの瞳で一体何を見てきたのだろう。そして、今何を見ているのだろう。レイの不用意な言葉のせいで、彼女は自分の分のみならずレイの分まで、この半年間の苦悩を一挙に背負わされてしまったのだ。
 可能ならば、先ほどの自分を思いっきり殴り倒してやりたい。そう歯軋りしながら、レイは彼女を抱く腕に力を入れた。
「お前がいなかったら……、俺は一体誰をこうやって抱きしめればいいんだ?」
 そうしてレイは強引にシキに唇を重ねた。
 深く、深く。半年間の空白を埋めようと言わんばかりに、レイは口接を貪り続けた。
  
  
 レイと唇を合わせながら、シキはうっとりと目を閉じた。胸の奥で自分の心臓が暴れまわっている。
 ――赦してもらえなかったら、もう一緒にはいられない。
 やけを起こしているつもりなど、シキにはなかった。当然の報いとして、そう覚悟したのだ。
 襲撃のどさくさに紛れて、レイに謝るという大切なことがおざなりになってしまったばかりか、その彼をなじってしまった自分を、シキはとても許すことができなかった。
 改めて、きちんと謝ろう。シキは自らに言い聞かせた。そして、レイが謝罪を受け入れるのを渋るのならば、その時は、独り警備隊に出頭して、おのれの行為のけじめをつけよう。そう彼女が決意した時、レイが部屋の扉を叩いたのだ。
 シキを引き止めるレイの腕はとても温かく、そして優しかった。
 このまま甘えてしまっても、良いのだろうか。このまま彼の傍にいても……。シキはおずおずと両手をレイの背中へとまわした。
  
 レイの熱い手のひらが、シキの後頭部を鷲掴みにする。
 より深く、レイがシキを絡め取る。
 やがて、そっと彼の唇が離れたかと思えば、レイが静かな声で囁きかけてきた。
「俺のほうこそ、ごめんな。自分のことばっかりで、シキのこと、全然考えてやれなくて」
「そんなことないよ」
 驚いて目を丸くするシキを、レイは再び、がば、と抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。
「……ごめん」
 肌を震わす切なげな声に、シキのまなこが一気に潤み始める。
「レイが謝ることないよ。私はもう、大丈夫だよ」
「…………ごめん」
「もう……、良いってば」
 こぼれそうな涙と、困ったような笑みを浮かべ、シキはレイの背中を優しく撫でた。まるで小さな子をあやすように。
「もう解ったから、レイ、顔を上げ……」
「ごめん」
 レイの声音に何か違和感を覚え、シキの眉がひそめられる。と、同時に首筋に熱い息がすり込まれた。「悪ぃ、俺、もう、我慢できねえ」
 唐突過ぎるその言葉に、シキが目をしばたたかせる間もなく、レイの身体に力が入った。そして、気がついた時には、シキは背中から寝台の上に倒れ込んでいた。
  
 驚きの声を上げようとしたシキの唇が、再度塞がれる。
 レイは、顔の向きを変えながら、より深く、より激しく、シキを求めてきた。
「ちょっと、レイ……」
「……ずっと、探してたんだ。お前のことを」
 苦渋に滲んだ声が、シキの胸の奥へと染み透っていく。
「夢だとか言わねーよな?」
 そうして、また、口づけ。
「幻じゃ、ねーよな……」
 そのあまりにも切なげな口調に、今度こそシキは泣きそうになった。レイの身体を押し退けようとしていた手を、そっと彼の背中へと滑らせていく……。
「レイこそ、お化けや幽霊なんかじゃないよね?」
 返事の代わりに、レイは更に口づけを深める。
「シキ……」
「レイ……」
 熱っぽい瞳で、二人は見つめあった。そして二人は、同時に言葉を継いだ。
「好きだ」
「好き」
 それぞれお互いの存在を確かめるかのように、二人はしっかりと抱き合った。