あわいを往く者

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九十九の黎明 第十一章 滅ぼさんもの

  
 十五年前の殺人についての詳細を語り終えたマンガスは、愕然と立ち尽くすばかりのウネンを見て、皮肉ありげに頬を歪めた。
「里には、里の外から妻を迎え入れるための特別な手続きがあってね。神に妻を里人さとびととして認めてもらうには、夫の家族全員と、立会人として二名以上の里人さとびとから、二人が確かに夫婦であるとの承認を得なければならないのだよ。……まさか、この仕組みが養子縁組でも同様に働くとはね」
 ウネンは、彼が一体何のことを話しているのか、すぐには理解できなかった。ややあって、先刻、謁見の間にてウネンやヘレー達を包み込んだ光の網を思い出し、大きく息を呑んで一歩あとずさる。
「そうやって神が新たな里人さとびとを迎え入れれば、即座に里長さとおさによって〈誓約〉の術がかけられることになっている。まさかおさ様も、里を遠く離れたこんな場所で、婚姻の儀の要件を満たす出来事が起ころうとは、夢にも思っていなかったろう」
 喉の奥で小さく笑って、マンガスはウネンとの距離を詰めた。
「お前は、〈誓約〉を受けていない唯一のノーツオルスだ。里の者は、〈誓約〉によって直接神に歯向かうことはできない。策を弄して大軍を動かすのがやっとだ。そして、外の者には神を敵に回すだけのちからも知恵もない。だが、お前は違う。ヘレーから聞いたよ。お前なら、ノーツオルスの知識もほしいままにできるだろう」
 マンガスの口角が吊り上がった。
「そう、お前なら、神を真に滅ぼせる。私と一緒に来てもらおう」
「……どこへ」
 ウネンは喘ぐように問いを発した。その一言を口にするのがやっとだった。
「かつてこの大地に我らが祖先が降り立った時に、全てを統制していた船だ。おさ様は、他の船同様大昔に失われてしまった、と言っていたが、残っていたんだよ。木々も海を作るのね、なんて、ソリルが言わなければ、到底出会うことなど無かっただろうがな……」
 ほんの刹那、懐かしそうな眼差しをソリルに向けたのち、マンガスは懐から響銅さはりりんを取り出した。彼は、おのれのちからを誇示するように、ウネンの目の前にゆっくりとりんを突きつける。
 ウネンには、もう、どうすることもできなかった。だから、精一杯の気迫を込めてマンガスを睨みつけた。
 マンガスが鼻でわらった。
「私の術に抗えると思っているのか。先刻は、同時に何人もの人間に術をかけようとしたから後れを取ったが、お前一人に的を絞るのならば楽勝だ」
 りんを持つマンガスの手に、力が入る。
「さて、一緒に来てもらうぞ」
 大きくりんが振られた、その瞬間、大音響とともに背後の扉が破られた。
 オーリを先頭に、兵士たちが次々と部屋の中になだれ込んでくる。
「どうやってこの塔に……」
 唖然と呟いたマンガスの口が、直後に憎々しげに引きつれる。
「モウルの奴か」
「入り口のまやかしのことなら、そのとおりだ。今度こそ完全にぶっ倒れてしまったがな」
 切っ先を前に剣を顔の横に構えたオーリが、低い声で言い放つ。
「ウネンから離れろ。俺は本気だ」
「まったく君達は……、あんなに小さくて可愛らしかったのが、すっかり頼もしくなって……」
 マンガスの眼差しが、ふっと緩んだ。
「あの子供も、もう一人前の大人になっているんだろうな……」
 逃げ場など無い塔のてっぺんに追い詰められているというのに、彼の口ぶりは信じられないほどに穏やかだった。
「……そうだな、君は全てを失ってしまったけれど、あの子供を助けることはできたんだよな……」
 なあ、ソリル。そう呟いたマンガスの声音が、一転して鋭さを増した。
「思いを果たせず処刑されることに比べたら、君が耐えたあの痛みのほうが、ずっと価値のあるものだろう」
 まさか、と声を上げる間もなく、ウネンはマンガスによって強い力でオーリのほうへと突き飛ばされた。
 オーリが慌てて構えをき、倒れ込んでくるウネンを受け止める。
 兵士達の注意が一瞬逸れたその隙に、マンガスが寝台の脇の台を押しのけた。
 床の上に現れた抜け穴へと、マンガスの姿が消える。
「追え!」
 指揮官と思しき年配の兵士の号令とともに、兵士達の足音と怒号とが部屋中を揺るがした。奸臣を逃すまいと、我先に抜け穴へと殺到する。
 しかし、勇ましい掛け声は、ほどなく苦しそうに咳き込む声に変化し、何人もの兵士が多量の煙とともに穴から這い出てきた。
「煙幕か! おのれ腐れ魔術師め! 皆の者、とりあえず下へ降りるぞ!」
 指揮官が残っている兵達を集めて、階段へと走る。
 ウネンを助け起こしながら、オーリが傍らの兵士に問いかけた。
「あの抜け穴はどこに繋がっている」
「私はよく知らないのです……何しろ、王家の最高機密なので……」
 煙を吐き出し続ける抜け穴を睨みつけ、オーリが舌打ちをする。
 ウネンはオーリの服をきつく握り締めた。
「大変だよ! マンガスは、自分の全ての記憶と引き換えに、神を滅ぼすつもりなんだ!」
  
  
 兵士達やオーリがマンガスを追って出ていってしまい、部屋にはウネンとソリルだけが残された。
 今しがたの大騒ぎの間も、ソリルは虚ろな瞳をタペストリーのかかった壁のほうに向けて座っているだけだった。
『木々も海を作るのね』
 ソリルの屈託のない笑顔が目に見えるようだ、とウネンは思った。温かい青い海で泳ぎたい、と旅に出た彼女のことだ。道中、木々の海と聞いて、「ちょっと『泳いで』みようよ」と夫を説得したに違いない。
 木々の海。
 鬱蒼と佇む暗い森。現世うつしよ常世とこよを切り分けるがごとく、密と枝葉を絡ませて立ち塞がる木々の壁――大樹海。
 ウネンの生まれ故郷こきょうロゲンの西、切り立った山脈の裾野に広がる〈大樹海〉。おそらくそこが、マンガスが言っていた「全てを統制していた船」の所在地だ。
 瞼を閉じれば、むせかえりそうなほどに濃密な森の香りが、ウネンの身体を包み込む。脳裏に押し寄せる、空を埋め尽くさんばかりに生い茂る木々。その常盤の葉陰にちらりと見えるは、滑らかな曲面をえがく巨大な船体。
 何故ウネンの中にこの情景が在るのだろうか、彼女自身にもその理由がさっぱり解らない。だが、オーリと出会ったあの安酒場で、〈囁き〉とともに浮かび上がってきた森の景色は、単なる幻とは言い難いほどの存在感をもってウネンの心を揺り動かしたのだ。
真実はここにあるウネン・エンデ・バイナ
 ウネンは、声に出してそっと呟いてみた。
 胸の奥底で、木々の葉がざわめく音がする。木の葉ずれに混じって、幽かな、幽かな、なにものかの声。
 遂にウネンの耳が、その言葉を捉えた。
 ――ここにあるは、我らを守りしもの。そして、我らを滅ぼさんもの。
  
  
  
 どうやらマンガスはとうに近衛兵達を出し抜くことに成功していたらしい。二日に亘る城内の大捜索は、町の門が破られたという知らせで幕を引かれることとなった。
 真夜中の立ち番にあたっていた門番は、突然、口や鼻の中に水の塊を詰め込まれ、すんでのところで溺れ死ぬところだったという。もがき苦しむ門番達をよそに、ゆうゆうと門をあけて町を出ていったのは、虚無を思わせる黒の長髪の男だったそうだ。
 報告を受けた近衛兵長が門に駆けつけた時には、マンガスの姿はどこにも見当たらなかった。彼が乗っていったと思われる馬の足跡あしあとだけが、オンファズ川にかかる橋へと続いていた。
  
 マンガス逃亡の報がもたらされるなり、ルドルフ王は周辺の町へと早馬を放つと同時に、討伐隊を出す準備を始めた。マンガスの所業が、相当腹に据えかねたのだろう。
 その日の昼には、ようやく復調したモウルの探査によって、例の抜け穴の途中に、隠されていた通路が発見された。通路はこの城が建てられた時に作られた秘密の避難路の一つのようで、マンガスの居室へと繋がっていた。
「隠し通路については、先祖は図面を残さなかったのだよ。他人に知られてしまえば、隠し通路が隠し通路ではなくなってしまうからな。だから、全ては口伝で継承されているのだが、どこかで情報が抜け落ちてしまったということか……」
 マンガスの部屋、衣装戸棚の中にひらいた扉を見つめながら、王が忌々しそうに口を開いた。「それにしても、私が知らぬ通路をあやつが知っていたとは……」
「もしかしたら、彼があの塔同様、皆さんの記憶に蓋をしていたのかもしれません」
 モウルが眉間に皺を刻んで息を吐く。三日前、謁見の間から逃げたマンガスを探すのに時間がかかったのは、塔の入り口に目くらましの術が施されていたことに加えて、「北東の塔は中の階段が崩れてしまったせいで、もう十年以上閉鎖されたままです」と城の人々が口を揃えて言ったせいでもあったのだ。
「どちらにせよ、あやつごときに我が城がいいように使われていたなどと、考えるだに腹立たしい」
 この件に片がついたら、一度城内を徹底的に調べてみる必要があるだろう。そう王は居並ぶ重臣重役に言い渡した。
  
 その日の夜には、南へ遣った早馬がいち早く王の元へと戻ってきた。
「マンガスの足跡そくせきを確認しました」
 即座に王は、六名から成る討伐隊を編成した。オーリにモウル、ヘレー、そしてウネンまでもがそれに同行することになった。
 ソリルの処遇について、どうやらマンガスは妻の存在を完璧に隠していたようで、王を始めとする城の主だった面々は、最初のうちは、突如として降って湧いた「悪の魔術師の置き土産」に酷く困惑するばかりだった。だがソリルがモウルの実姉と知るや、彼らは「悪の魔術師の陰謀を看破した大恩人の御令姉」を、ウネン達が戻るまで丁重に城で面倒をみる旨、約束してくれた。
 翌朝、十二月一日。物見高い町の人々に見送られて、八頭の騎馬と、食料や水などを積んだ一台の荷馬車が王都ヴァイゼンの門を出る。
 いざ南へ。馬車の御者を務める兵の隣に座り、ウネンは唇をきつく引き結んだ。
  
  
  
 徒歩の旅とは比べるべくもない速度で、一行はマンガスを追って南へ向かった。町を四つ通り過ぎ、夕闇とともに五つ目の町に投宿する。可能ならばもう少し先まで進みたいところだが、新月が近い上にこの寒さだ。どうせマンガスも日が暮れれば屋根の下に引っ込まざるを得ない。討伐隊長は冷静な声で兵達に休息をとるように命じた。
 尖兵として派遣された王の使いが、既にこの町に住む領主と話をつけてくれており、討伐隊には領主館の広間が解放された。寝台は勿論寝藁も無かったが、階下に穀物庫があるおかげで床板の冷たさはさほどでもなく、領主が毛布を館中からかき集めてくれたこともあって、凍えることなく一晩を過ごすことができそうだった。
「……なので、ぼくも皆と一緒で大丈夫ですけど……」
 領主に広間の奥にある小部屋に案内されたウネンは、寝藁に敷布まで敷かれた寝台を見て、申し訳なさに身を縮ませた。
「とんでもない! 年頃のお嬢さんを血気盛んな若者どもと一緒にするなど、何か間違いがあってはいけませんからな!」
 そうは言うが、ウネンを初めて見た際に領主が見せた、あの肩透かしを喰らったかのような表情をウネンは忘れてはいなかった。おそらく尖兵が届けた王からの書状にはウネンの年齢が書かれていたのだろう。実物を見て「思っていたのと違う」と拍子抜けしたに違いない。
「年頃のお嬢さん、って見た目じゃないし……」
 ぼそりと漏らしたぼやき声を聞き咎めた領主が、「それがいい、という者だっているでしょうからな!」と、慰めになっていないような慰めをかけてくる。
「それに、お嬢さんは、くだんの悪の魔術師めを追い詰めるための重要人物と聞いております。どうぞこちらの個室で、ゆっくり休んで英気を養ってくだされ」
 一体モウルはウネンのことを何と言ってルドルフ王に説明したのだろうか。部屋を出ていく領主の背中を見送りながら、ウネンは大きな溜め息をついた。
  
  
 そんなこんなで行軍中はもとより宿泊先でも、ウネンは、オーリやモウル、そしてヘレーとあまり話すことができずにいた。
 御者の兵士は朗らかでとても話しやすい人物だったから、退屈な思いはせずにすんでいたが、ウネンはオーリ達の、ノーツオルスの話が聞きたかったのだ。
 マンガスが抜け穴へと逃れ、ウネンがソリルとともに王達に保護された時、モウルはちからの使い過ぎで完全にのびてしまっており、とても話ができる状態ではなかった。ヘレーも、怪我人――マンガス追跡の際に階段で転倒するなどした者の他、謁見の間でオーリが叩きのめした兵士二人も含む――や煙を吸った人間の手当てに忙しく、ウネンは、マンガスから聞いた話を隙を見てオーリに耳打ちするだけで精一杯だったのだ。
 そうこうしているうちにマンガスの捜索は城塞全体に及び、ウネンは「悪の魔術師に再び狙われることのないように」と城の奥深くに匿われ、オーリ達に会うどころか部屋から一歩も外に出してもらえぬまま、討伐隊出発の朝を迎えたのだった。
 せっかくノーツオルスとして里の神に認められ、〈誓約〉に引っかかることなく彼らの話を聞くことができるようになったのに。一人きりの部屋で寝台に腰をかけて、ウネンは思うさま唇を尖らせる。
 ヴァイゼンを発って三日目の宿は領主館ではなく、領主の口利きの、町で一番大きな宿屋だった。そして、皆が三人一部屋で割り振られる中、やはりウネンだけが一人部屋をあてがわれたのだ。
「ぼくもオーリ達と一緒が良かったなー」
 年頃の娘が、などと言われたところで、今までずっと三人一緒の部屋だったのだ。確かに着替える時ばかりは、気を遣ったり気を遣われたり多少面倒に思うこともあったけれど、こんなに寂しい思いはせずに済んでいたのに。
 そこまで考えて、ウネンは「ん?」と首をかしげた。
「ぼくは、皆とノーツオルスについて詳しい話をしたいのであって、寂しいとかそういうのは関係ないのでは?」
 論点のずれを認識すべく、敢えて口に出して呟いてみる。
 と、まるでそれに呼応したかのように、部屋の扉がノックされた。
 驚き慌てるウネンの耳に飛び込んできたのは、モウルの声だった。
「もう寝た?」
「ね、寝てない。起きてる」
 弾かれたように寝台からおりて扉へと駆け寄る。鍵を外すのももどかしく扉をあければ、悪戯っぽい笑顔がウネンを出迎えた。
「じゃあ、ちょっと僕らの部屋でお茶でも飲まない?」
「飲む!」
 暗い廊下をゆくモウルの背中を、ウネンは弾むような足取りで追いかけた。